世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

偉大なるX

この作品は、とにかく珍品中の珍品です。

wowowもいい仕事をしてくれました。

つくづく見ることができて良かったなあと思いました。

皮肉じゃありません、皮肉じゃありませんが、「良かったなあ」と感じた理由は、この映画を見た方は既にお分かりのことと思いますが、劇中で話すある特定のセリフ(現代では、差し障りのある「言葉」なのでしょうね)がことごとく消去されてしまっていて、これがまた皮肉なことに頻繁に話される重要な場面など、頻繁に消去を繰り返すので、重要な場面ほど何を言っているのかさっぱり分からないという無様な情況を呈し、ことさら強く印象に残ってしまったのだと感じました。

消去にコダワルそのあまりの凄まじさは、軍事政権下の言語統制を思わせるような熱中ぶりで、見ながら恐怖感というか危機感というか嫌悪感におそわれ、近い将来、差別用語満載の本編そのものも存在価値を問われ、この世から抹殺されるのも時間の問題ではないかと思うのも無理ないのではないかと思ったくらいでした。

「良かったなあ」と感じた理由は、この映画を抹殺される前に見ることができてホントニ「良かったなあ」という意味です。

しかし、その「言葉」が、かくも頻繁に使われるということは、もしかしたらその「言葉」こそ、この映画のテーマを伝えるのに欠かせない核心を突く言葉だったのではないか、それを差別用語だかなんだか知りませんが無闇に消去なんかしてしまっていいものなのかとチラっと思ったのです。

その「言葉」というのは、・・うううっ・・危ない危ない、もう少しで書いてしまうところでした。

良識のある方々の総攻撃とか炎上とかがあると怖いので、僕の口から言うことはできませんが、ほらあのゴダールの作品とかにあるじゃないですか、「なんとかピエロ」とかいうの、えっ、あっちじゃない? じゃ黒澤明の方とか? まさか山田洋次じゃないですよね・・・なんて、これじゃあなんだか回りくどくて訳が分からないじゃないですか。

これって言葉狩りっていうんですよね、こういうの、いい加減止めにしません? 

きっとGHQの要請で義務的に作った国策映画というので熱意の感じられない稚拙さは、まあ仕様がないとしても、とにかくこの映画、姿勢は戦後民主主義の理想を高らかに謳い上げようとしているわけなのですから、流し手もそこらはおおらかに構えていてもよかったのかなあと感じました。

差し障りがある虞があるというだけで、重要なセリフを勝手に消去しまくっておいて、戦後民主主義の理想の謳歌もへったくれもあったもんじゃありませんものねえ。

軍事ファッショに拮抗する民主主義謳歌の映画を見ながら、僕たちは同時に現代の良識ファッショの圧力を思い知らされねばならなかったというわけなんですよね。

言論の自由を堂々と脅かすようなナチスの焚書の言語統制みたいな皮肉な音声処理映画を見せつけられて、笑うに笑えない残念な映画体験をさせていただきました。

古い話ですが、「新潮」1993年3月号で筒井康隆と井上ひさしがその辺のところを対談しているのを思い出しました。

現在僕たちが使っている言葉は、きっと長い時間をかけて封建社会の制度のなかで階級化されてきたもので、いわば一方の階級が他の階級を、それこそ「差別」することも含めて駆使されてきた道具だったわけで、そのうえで歴史的な文学作品が生み出されてきたのですから、それらの「言葉」を文脈を無視してただ隠蔽するだけの魔女狩りみたいな方法は、決して適切な行き方とは思えないような気がします。

ラスト、「偉大なるX」がなかなか姿をみせず、ヤキモキさせた末に、警察署長がみえみえの変装をして「偉大なるX」になりすまし、いざ聴衆に滔々と語り掛ける「高邁な民主主義の理念」が、気抜けするほど凡庸で苦笑せざるを得なかったのですが、その苦笑は、当然「差別用語の自主規制の過剰反応」(「みっともない」という形容詞を挟み損ないました)まで及んだことを付記しなければなりません。

ネットを見ていたら、この映画の解説のこんな一文を見つけました。

「売れない小説家の丸木文夫は、混濁の世の中を立て直す『偉大なるX』を信じて、同じアパートの貧乏画家・裕吉とX運動をはじめるが、どこへ行っても狂人の寝言として相手にされない。
管理人の娘・千代と失業者の松下だけが支持したが、あとは『犯罪のない社会』も『平和国家』も信ぜず、混濁の世の中を混濁の生き方でいこうとするものばかりだ。」
と書いてありました。

子供騙しの新興宗教の世迷言みたいな『犯罪のない社会』や『平和国家』の到来を信じないことなど常識のある人間なら当然の判断だし、むしろ『混濁の世の中を混濁の生き方』で生きていこうとする姿勢の方が、よっぽど魅力的で清々しいと思うのですが。

(1948松竹大船)監督・大庭秀雄、製作・細谷辰雄、原案・岡田日出男、脚本・新藤兼人、撮影・生方敏夫、美術・森幹男、音楽・斎藤一郎、録音・妹尾芳三郎、照明・田村晃雄
出演・宇佐美淳、津島恵子、清水一郎、杉村春子、逢初夢子、殿山泰司、三津田健、若水絹子、賀原夏子、三井弘次、神田隆、村上冬樹、青山杉作、安部徹、増田順二、
1948.05.07 9巻 2,238m 82分 白黒
[PR]
by sentence2307 | 2012-05-04 19:11 | 大庭秀雄 | Comments(0)