世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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山田五十鈴、逝く

《7月9日午後7時55分、多臓器不全により東京都稲城市内の病院で女優・山田五十鈴死去、享年95歳》というニュースに接したときには、驚いたというのではないにしても、やはり、不意を突かれて、なんだかしばらく呆然となってしまいました。

田中絹代、高峰秀子と日本映画を支えた大女優を立て続けに失ってしまったうえでの、さらにこの訃報だったのですから、やはりこれは本当の意味での喪失感だったのでしょう。

そして、日本映画を代表するビッグネームのこの三人の大女優の名前を、こうして並べて眺めていると、あることに気がつきました。

人生経験の乏しい少女の年齢で早くも映画界入りさせられ、しかし、そうした経験の欠如を補い、あるいはある程度誤魔化すことさえできたかもしれない義務教育的教養からも見放された彼女たちが、どのようにして演技の工夫をしていったのか、その後、波瀾に満ちた人生を経て、それぞれに違う答えを彼女たちなりに手探りで得たとしても、彼女たちのあの卓越した演技が、それら過酷だったり華々しかったりの人生から得ることのできた代償とか教訓のようなものであったとは、どうしても考えられません。

むしろ、彼女たちが少女の時、満足な義務教育を受けられなかったことの劣等感がバネとなり、その知的飢餓感だけを頼りに鞭打つようなみずからの「想像力」や「感覚」によって、演ずる役の内面、感情の深みに分け入ることができたのではないかと思います。

少なくとも彼女たちは、いつまでも「お姫様」や「お嬢様」のままではいなかった、なぜなら、空虚を抱えた彼女たち自身が「そうではないこと」「演技者と自分」とは別人であることを十分に知っていたからです。

そして、そのみずからの「空白」に真っ向から敢然と立ち向かったのが、たぶん女優・山田五十鈴だったのだと思います。

「唐突」とか「奇異」として語られることの多い1950年民藝の俳優・加藤嘉との結婚と、その後の左翼独立プロ作品(山本薩夫監督の「箱根風雲録」や亀井文夫監督の「女なれば母なれば」「女ひとり大地を行く」)への出演が、彼女の劣等感や飢餓感に基づく善良な「無知」の反映のようにみえてなりません。

その背景には、敗戦直後、すべての価値観と体制とが揺らぎ、すぐ眼の前に共産革命が迫っていると誰もが信じた戦後動揺期にあって、能天気な「チャンバラ映画」は蔑み嘲られる代わりに、まことしやかに「人民解放映画」が作られた時代があったのでした。

まあ、こう見れば、山田五十鈴の選択が、きわめてトレンディではあったといえるにしても、しかし、それは、自分のそれまでのキャリアと、そして「普通の社会的感覚」の持ち主なら、まずは選択しない常識域を脱した不見識な行為だったと言わざるを得ない。

なぜなら、まさに女優・山田五十鈴こそが、それまで「お姫様」を演じ続けてきた張本人だったからです。

彼女のその選択は、ただの「自己否定」でしかなく、過去のものを受け継いだものでも、現在を将来につなげる行為でもなかったというしかない。

しかし、人間の選択が、すべて「建設的」でなければならないかといえば、そうでもない、というのが、山田五十鈴という女優だったのかもしれません。

左翼的演技者が、演技を組み立てる上で「ある方向性」=権力的道具としての人物を演じるに対して、山田五十鈴は「箱根風雲録」や「女なれば母なれば」や「女ひとり大地を行く」においてさえも、皮肉にも「お姫様」を演じる際に深めたと同じ劣等感リアリズムで演じ、左翼の演技者たちの演技をはるかに凌ぐ演技を見せました。

その後、3年ほどでこの結婚は破綻しますが、女優・山田五十鈴は、この期間においてさえ、演技的には、なにひとつ失わなかった。

彼女は、1956年「流れる」「猫と庄蔵と二人のをんな」、1957年「蜘蛛巣城」「どん底」「下町」で2年連続キネマ旬報主演女優賞を獲得します。

結婚の破綻のダメージを感じさせないそのタフな快挙が、「男は芸のこやし」というやっかみ半分の言葉に結びついたのかもしれません。

その言葉を山田五十鈴自身がいったのか、それとも「恋多き女」などというスキャンダラスな言葉とセットでマスコミが作り出した言葉だったのかは、確認はできませんが、いずれにしろ、赤旗が乱舞し、インターナショナリが高らかに歌い上げられ、怒号渦巻く炭鉱町の労働争議に巻き込まれる爆発頭の主婦などという、どーにも捉えどころのない役どころを、赤だろうと青だろうと関係なく、実に誠実に深め、やがて「流れる」や「猫と庄蔵と二人のをんな」、「蜘蛛巣城」や「どん底」、「下町」などに続く演技としても、いささかの違和感も遜色もなく演じきったのでした。
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by sentence2307 | 2012-07-29 18:34 | 山田五十鈴 | Comments(0)