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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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妖精は花の匂いがする

う~ん、「妖精は花の匂いがする」・・・ですか、原作どおりのタイトルだそうですが、それにしても、こういうタイトルをつけられた日には、作品として、それだけで充分マイナス・イメージになってしまうでしょうね。

しかも、この小説、ジャンル的にはユーモア小説に分類されているとのことですが、こんなふうに粗筋だけ忠実になぞって描かれると、まるで「清純」をエロ・グロ・ナンセンスで汚すところを晒して見せて、荒廃した世相の人身御供にするというか餌食にするみたいないかがわしい姿勢が見え見えで、その映画自体の「もの欲しげ」な受け狙いの姿勢は、下手するとカストリ雑誌的な節操のない世相へのおもねりのレベルに堕してしまいそうな危惧さえ感じました。

ただでさえ、それはもう目を覆いたくなるような惨憺たるストーリー(ひとりの教師をめぐる女学生の駆け引きと葛藤の物語に友情が絡みます)なので、この暗い物語のどこに「ユーモア小説」の要素があるというのか疑問に思ったくらいです。

それに、久我美子の役どころというのが、病身の姉を抱えてバイトに明け暮れる、授業料も満足に払えない貧乏な女学生という役なのですが、しかし、当時にあって、久我美子が貴族院議員だった侯爵・久我通顕の娘であり、そういう旧侯爵家の姫君が下世話な映画女優になったというのですから、それだけでもう充分なスキャンダルだったことは想像に難くありません。

〔久我(こが)家は、村上天皇の皇子具平親王の子源師房を祖とする平安朝の前期(10世紀)から続く公家の名門であり、当時の朝廷が藤原氏一色だった時代に、師房は、他の姓にもかかわらずに、右大臣、太政大臣になった人物で、公家の家格には、第一等の「摂家」から、順に「清華家」「大臣家」「羽林家」「名家」など、久我家は、その第二等に位する「清華家」の家格が与えられ、しかも「清華家」の九家の中においては筆頭に上げられる。〕

1946年、久我美子は、学習院女子中等科在学中に、東宝第一期ニューフェイスに合格します。

同期には三船敏郎、堀雄二、伊豆肇、若山セツ子、堺左千夫らがおり、その翌年の1947年、学習院を中退した彼女は『四つの恋の物語』で映画デビューを果たしています。

考えてみれば、ヌードモデルになって学校中が大騒ぎになるこの映画も、なんだかずいぶん暗示的だったんですよね。

それに加えて、その旧侯爵令嬢を、あえて授業料にも事欠く苦学生・小溝田鶴子として描いた設定の面白さはあったかもしれませんが、如何せん、強力なライバルとして描かれる金持ちの令嬢・米川水絵を演じた木村三津子のおどおどした上ずった薄い演技を前にした久我美子の落ち着いた気品が、なおさらに浮かび上がってしまう感じで、その鷹揚さを保ったまま借金の言い訳や金の無心をするというのですから、その辺の事情に痛いほど熟知・精通している自分などからすると、苦笑ものの「お嬢様芸」にしか見えませんでした・・・とはいえ、しかし、ちょっと待ってください。

別に、いぜん侯爵だったからといって、太宰の「斜陽」にもあるように、戦後の諸改革に晒された華族が、「借金の言い訳や金の無心」とまったく無縁だったかというと、あるいは、「そう」ではなかった可能性の方がむしろ大きかったのではないかと思います。

とすると、零落した高貴な者が「借金の言い訳や金の無心」をするについてのあの演技もまた、「鷹揚さ」を捨てきれない旧公爵家の令嬢の羞恥と悲しみの表現であったと考えられなくもないと思えてきました。

もしかして、彼女の「女優志願」も、そういうことと無縁ではなかったかも、としたら、その後、久我美子が日本映画史に残した名演の数々は、その「鷹揚さ」が時勢の変遷によって突き崩され、あるいは、自ら捨て去ろうとした痛ましさの記録だったかもしれません。

あ、そうそう、もう1回「ちょっと待ってください」です。

このコメントを少しずつ書いては読み返し、書いては読み返して書き継いできたのですが、突然、いま、あることに気がつきました。

うかつにも、この稚拙な作品を、その稚拙さゆえに、かなり初期の作品と思い込み、そういう前提で書いてきてしまいましたが、久我美子のデビュー作はオムニバス作品「四つの恋の物語」1947の第1話・豊田四監督の「初恋」だったし、それに黒澤監督の「醉いどれ天使」1948もある。溝口監督の「雪夫人絵図」1950だってあるわけだし、今井正監督の「また逢う日まで」1950だって忘れるわけにはいきません。

さらに黒澤監督の「白痴」1951があるじゃないですか、市川崑監督の「あの手この手」1952だってあるわけだし。

しかも、自分としては、久我美子という女優の印象が物凄く強烈な木下惠介監督の「女の園」1954は、この「妖精は花の匂いがする」の翌年に撮られているとすると、同じような学園騒動ものだけに、なんだか感無量な思いがします。

そう、たしか映画は映画史の流れの中で見ろ、といったのはゴダールでしたよね。

と、ここまで書いてきて、最近読んだ小説の中に、たまたまこの映画とイヤに符号するクダリがあったことを思い出したので、書き留めておきますね。

その小説は、矢川澄子が書いた「受胎告知」(新潮社刊)という小説の第2章「牧子のモノローグ」の部分です。

父親とずっと二人きりの生活をしてきた父子家庭の牧子は、ある日、心から打ち解け合っている親友の絵美に自分が妊娠したこと、そのための結婚もしないことを告げます。

とっさに「それって父親との子?」と反応する絵美に対して、怒った牧子は、絵美の人間としての下品さ・愚劣さを語気を荒げて一方的になじります「あんたの頭、どうかしてんじゃないの」と。

しばらく黙って聞いていた絵美は、牧子の非難をひととおり聞いたあとで言い返します。

「あんた、まだ時間あるの? いいよ、そんならこっちも、ついでに言いたいこと言わせてもらおう。ちょうどいい機会だ。」

そして、逆ギレした絵美の反論が始まります。

貧しさの中で成長した娘が、自分より遥かに恵まれた環境の中で生育した「お嬢さん」に対して苛立ちをもって憤りをぶつける僻みと鬱憤の激しい言葉の数々は、この映画と不思議に共鳴するものがありました。

「あんたに、前々から一度言おうと思ってたんだ。
お父さんと親友だっていま言ったね。
そこんとこだよ。
それ以上のこと、あたしが邪推してたんだったら、そりゃ謝るよ。
ごめんなさい、だよ。
だけど、あんた、あんたみたいな東京の文化人家庭のお嬢さんたち、考えたことあるの? 
それ、まったく、インテリの特権なんだよ。
あんた、自分がどんなに特権階級だかなんて、考えてもいないでしょう。
ね、あんたの考えてることなんて、インテリにしか通じないんだよ。
あんたも、あんたのお父さんも、死んだお母さんも、みんなインテリ、インテリずくめなんだよ。
インテリなんて、お互いどうし分かっているだけで、部外者にはぜんぜん思いやりがないの。
あたしが、小学校のとき、どういう暮ししてたか、わかる? 
あすこの家買って、東京には出てきたけど、うちのお父ちゃん半年もしないうちに、出てってほかの女と暮しはじめたんだよ。
はじめのうちは羽振りがよくて、二つの家にお金入れてたんだけど、だんだん傾いてきちゃってさ。
月々のものをうちに送ってこないんだよ。
うちのお母ちゃんは、それをあたしに取りに行かせるの。
まさか旦那が次の女と暮しているところへ、自分は行けやしないでしょう。
あたしはあの頃、毎月弟の手をひいて、お父ちゃんのいる家へお金をもらいに行ってたんだよ。
うちのお父ちゃんなんて、マンガしか読んだことないんだよ。
札束で面ひっぱたいたる、っていうのがお父ちゃんの口ぐせだったけれど、そんな親を持ってごらん。
それこそ目に一丁字もないんだよ。
あんた、自分では気がついてないんだろうけど、もうはじめっから、インテリ弁でしか話していないんだよ。
インテリどうしでしか通じない世界におさまってるんだ。
お父ちゃんと親友ってことも、そりゃよくわかるよ。
いまではあたしも傍目にはいっぱしのインテリだからね。
でも、あんたみたいに、インテリの家に生まれたからそうなったんじゃない。
あたしは、なりたくてなったインテリだよ。
でもそのまえの、札束で面ひっぱたいたるっていう親の次元だって知ってるんだよ。
あんたひとりの罪じゃない、あんたみたいな子って山ほどいるよね。
何も知らないくせして、自分がどんなに得なところに生まれたのかも気がつかないで、大きい顔して、お父ちゃんと親友だなんてほざいてるんだ。
そのいやらしさがわかる? 
ああもう、情無くなっちゃうよ。
ほんと、あんたなんて東京のインテリのお嬢さんの代表みたいなものだよ。
みんな、そんなの嫌がってるよ。
あんたなんて、その嫌がられてることにも気がついてないんでしょう。
だけど世の中、そんなものじゃないよ。
そんなものと思ってたら大間違いだよ」
じっさい、絵美のいう通りだった。わたしはそれまで、漠然と、うちと世間とは違うようだと考えていたものの、その違いが何によってもたらされているのかにはまったく無頓着で、そこがインテリと世間並みとの相違だなんて思ってもみなかったのだ。
絵美がいま、それをはっきり言い渡してくれたことによって、わたしははじめて自分が生まれながらの特権階級であることに思い至ったのだ。」

この「妖精は花の匂いがする」という作品全体に対する自分の思いが、込められているような一節でした。

(1953大映京都)企画・浅井昭三郎、原作・藤沢桓夫、脚色・田中澄江、若尾徳平、監督・久松静児、撮影・竹村康和、音楽・斎藤一郎、照明・島崎一二、美術・小池一美、録音・海原幸夫、
出演・久我美子、木村三津子、根上淳、森雅之、千秋実、羅門光三郎、青山杉作、上田寛、原聖四郎、伊達三郎、石原須磨男、船上爽、北見礼子、杉山道子、小柳圭子、浪花千栄子、毛利菊枝、岩田正、玉置一恵、由利道夫、滝川潔、清水浩、仲上小夜子、宮田暁美、谷口和子、前田和子、戸村昌子、中目順子、嵯峨野静、竹内陽子
1953.02.19 11巻 2,496m 白黒
Commented by levitraagepailerry at 2013-03-24 16:08 x
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by sentence2307 | 2012-09-02 17:12 | 久松静児 | Comments(1)