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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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もぐら横丁

清水宏監督の「もぐら横丁」は、とても奇妙な作品です。

この映画に登場する人物は誰もが、ただあきれ返るような「善意」の持ち主で、ときに「悪意」らしきものがちらりと描かれたとしても、しかし、それは「善意」がちょっと誤解・曲解されることによって変質しただけか、あるいは過剰な「善意」が、かえって相手に負荷を与えて困惑させてしまうタグイのものであることが、すぐに判明します。

原稿がまったく売れない新進作家・緒方一郎(佐野周二が抑制された演技で好演しています)は、困窮して家賃が支払えず、即刻下宿屋・春光館を立ち退かなければならなくなったとき、その窮地を管理人(宇野重吉が演じています)の絶妙なアイデア(「妻の出産のための入院」と「住居」を一体のものとする)によって救われますが、それすらも、下宿代を支払えないこの厄介な貧乏作家・一郎を、とっとと下宿から追い払ってしまうなどという発想から為されたものではなく、むしろ、親身の同情と憐憫とによってアドバイスされたものです。

あるいは、住居代わりに転がり込んだその産院の病室においても、出産から既に数ヶ月が経ち、さらに居続けづらくなって、そのとき運良く紹介された格安物件(首括りがあったというイワクつきの家で、妻には内緒にされています)に転居できた当日に、連絡の齟齬から大家(日守新一がいい味を出しています)とのあいだで「言った・聞いてない」の深刻なトラブルが起こったときでさえ、事態が険悪な方向へ向かうかといえば、そこでも事態の穏やかな収束が、きめ細かく繊細に描かれているだけです。

そして、ストーリーの方は、少しずつ確実に一郎の「芥川賞受賞」の大団円にむかって進行していき、やがて最後には、いままでのすべての苦労が報われるかというサクセス・ストーリーで締めくくられるはずなのですが、しかし、この作品に最後まで付き合ったあとでも、予想された清涼感はまったく得られないまま、なんだかもやもやしたワダカマリだけが残ってしまいました。

この映画についての感想のほとんどが、貧しいながらも長閑な暮らしのなかで若い妻が活き活きとした屈託ない陽気さが、追い詰められた一郎に救いを与え、失意と諦念から立ち直ることができた再生の物語という賛辞や、妻・芳枝を演じた島崎雪子の演技を高く評価した幾つも感想を読みました。

善人しか登場しないはずの「もぐら横丁」なのですから、それらの評価は、きっと「正当」な評価に違いありません。

では、自分のなかに残ったこの「ワダカマリ」はなんなのか、考えてみる必要があるかもしれません。

ひとつには、たぶん、この映画には、決定的ななにかが欠落しているという思いが、自分の中に残っていたからだと思います。

いえいえ、なにも「ロッキー」みたいにリングの中央で自らの勝利に酔いしれ、満面喜びを露にし、諸手をあげて観衆の大歓声に応えるような、コテコテのハッピーエンドを期待しているわけではありませんが、少なくとも定番のほのぼのとした「糟糠の妻の苦労話」から「夫婦愛」いたるくらいの「愛妻もの」を納得できるものを期待していたのに、見終わった後のこの空疎な印象が意想外だったのだと思います。

「えっ、だってそういう夫婦愛なら、映画の随所で散々描かれているじゃないか」と抗議されるかもしれませんが、はたして「そう」でしょうか。

新進作家・緒方一郎は原稿がさっぱり売れず、現在執筆している原稿(師・志賀直哉との共著「現代語訳・西鶴全集」がほのめかされています)でさえ、既に稿料を前借してしまっているような状態で、当面の収入の目途がまったくたたず、その日の暮らしのやり過ごす小銭にも事欠くありさまです。

この息の詰まるような貧しい生活のなかで、せめてもの息抜きにどら焼きが食べたいと言い出す妻に促され、妻の故障した腕時計を質入れして買い求めたどら焼きを、野原の片隅で少年野球を観ながら、夫婦で分け合って食べる場面があります。

屈託無くどら焼きを食べる妻・芳枝に夫・一郎は、しみじみと「こんな貧乏な男と一緒になって後悔していないか」と問い掛けます。

その問いに妻・芳枝は奇妙な例え話をしてから「よく考えたことがない」と受け流したあと、幼馴染・野々宮との関係について更に問われて「なにか困ったことがあったら、野々宮の所に行けばいいと思っていた、ただそれだけよ」と遠くを見ながらこともなげに話します。

あっけらかんと言い抜けるそうした妻を、夫・一郎は、憑かれたように呆然と見つめるという、この作品にはめずらしい緊張感に満ちた場面になっています。

しかし、冷静に考えてみると、これがどういう種類の「緊張感」なのか、清水宏監督の演出の意図がさっぱり分からないことに気がつきました。

夫が、妻の幼馴染の男を気にする理由といえば、それは明らかに「嫉妬」しかあり得ないと思うのですが、しかし、それが単なる自分の思い込みにすぎないことは、そのあとのシーンですぐに明らかにされています。

幼馴染・野々宮が、妻・芳枝を映画と食事に誘い、折からの驟雨のために帰宅が深夜になってしまうという場面、夫・一郎は、ずぶ濡れになりながらもバス停で妻の帰りを待ち続けますが、しかし、ついに終バスにも妻の姿はなく、夫・一郎は仕方なく帰宅します。

確かに、ここがの一郎の表情には「落胆し表情を曇らせる」というふうには見えますが、しかし、それがどういう種類の感情を表出しているのかまでは、ことさら精密に描かれているとはいえませんし、これといった説明もありません。

ですので、一郎の本当の気持ちを理解することができなかった自分の偽らざる印象でした。

僕たちが慣れ親しんだ通俗的な不倫映画なら、夫はここで妻の浮気の妄想に苦しみ、苛立ち、嫉妬に逆上する、妻を憎み、浮気相手を呪って苦悩するというのが定番ですし、もしここで妻・芳枝と幼馴染・野々宮との仲を夫・一郎がそういうふうに疑ったとしても、物語上少しも不自然ではありません。

いや、むしろ、この映画に描かれているように、遊び呆けて深夜に帰宅した妻を咎めもせず、幼馴染・野々宮への嫉妬の感情もあらわにしないで優しく接する、感情を欠落させた夫の場違いな冷静さこそ、きわめて不自然です(妻・芳枝に同調して「野々宮君は、実にいい人だ」なんていう夫の感慨など、この立場からいえば、もってのほかの台詞です)。

そして、「実にいい人」なのは、むしろ夫その人であることが、この「不自然」のオオモトであることに気づかされます。

しかし、だからといって必ずしも「不自然」でない場合がないわけではない、夫が妻を心から愛しておらず、彼女を自分だけのものとして占有したいという欲望に欠けていたならば、ここに描かれているような距離の取り方もあり得るだろうし、そうであれば、なにもむきになって嫉妬する必要も無いということになるからです。

自分が抱いたこの夫婦の「不仲疑惑」は、さらに、もうひとつの場面でも証明されています。

妻・芳枝が、生活費の足しにしようと、賞金狙いで「のど自慢」に出場しているあいだに、赤ん坊が発熱して入院するという騒ぎがおこります。

妻・芳枝は、病院に駆けつけ、熱に苦しむ幼子の傍らで、自分の迂闊さと不注意を泣いて子供に詫びています。夫・一郎は対面から悲嘆にくれる妻の姿をじっと見ている。

しかし、彼は、妻を慰めたり元気付けたりはしませんが、だからといって、妻の迂闊さをなじったり非難するわけでもない。彼はただ無表情に妻を見ているだけなのです。

感情移入を拒むこのような冷静さとは、もしかしたら冷静という名の、ただ冷ややかな「小説家の観察眼」にすぎないのではないかと考えてみました。

妻は、まるで小動物か昆虫のように観察され、その生態を小説に書き留められるだけの存在でしかない。

そうした愛情の欠片もない冷ややかな視線に晒されている妻もまたそのことに少しずつ気づき始めている。

いままで「善意」だと思っていた夫に対する認識のすべてが根底から瓦解するって、どうでしょう? こんなの。

夫の芥川賞受賞の知らせを受けて指を噛んで泣くシーン、あれって、いままでそのために自分が「観察」の対象として利用されていたことを気づかされてショックを受けている悲嘆の場面じゃないのかなあ。

えっ~、嘘だあ。

だって、誰に聞いたって、清水宏監督の「もぐら横丁」は、断固「愛妻もの」の代表格ってことになっている映画なんですよ。

ラストシーンなんて仲睦まじいイチャイチャ場面で終わっているじゃないですか。

それをなにもアンタ「夫婦不仲説」なんて奇を衒ったった与太話をでっち上げたって誰も信用するわけないじゃないですかあ。

あ、分かった。尾崎一雄の代表作「虫のいろいろ」に引っ掛けて噺を落とそうとしたんでしょ。いけないなあ、そういうことしちゃあ。

(1953新東宝)監督脚本・清水宏、原作・尾崎一雄、製作・柴田万三、脚本・吉村公三郎、撮影・鈴木博、音楽・大森盛太郎、小沢秀夫、美術・鳥居塚誠一、照明・佐藤快哉、録音・片岡造、助監督・柴田吉太郎、編集・笠間秀敏、製作主任・永野裕司、スチール・秦大三
出演・佐野周二(緒方一雄)、島崎雪子(緒方芳枝)、片桐余四郎(野々宮貞三)、日守新一(大家)、笠智衆(春光館主人)、増田順二(古井松武)、宇野重吉(下宿屋の管理人)、若山セツ子(古井夫人)、森繁久彌(出岡)、和田孝(伴克雄)、千秋実(深見喬)、磯野秋雄(質屋の主人)、杉寛(大観堂主人)、田中春男(大観堂新経営者)、堀越節子(早瀬稀美子)、天知茂(光田文雄)、花岡菊子(女中お君)、児玉一郎(医者)、岡龍三(アナウンサー)
1953.05.07 11巻 2,650m 97分 白黒
by sentence2307 | 2013-01-04 22:17 | 清水宏 | Comments(0)