山中貞雄の遺書
2013年 01月 05日
「吉川英治ら自由閲覧OK 没後50年、著作権切れ続々」
なんだなんだと記事を読み始めたのですが、その書き出しが、「『宮本武蔵』や『三国志』で知られる作家・吉川英治らの作品が・・・」とあったので、てっきり青空文庫で「宮本武蔵」と「三国志」が無料公開されたのかと早とちりしてしまいました。
よく読むと、元日に公開されたのは吉川英治作品は「私本太平記・あしかが帖」だけで、そのほかに柳田国男「遠野物語」、室生犀星「抒情小曲集」、秋田雨雀「三人の百姓」、飯田蛇笏「秋風」、小倉金之助「黒板は何処から来たのか」、西東三鬼「秋の暮」、妹尾アキ夫「凍るアラベスク」、土谷麓「呪咀」、中谷宇吉郎「雪」、正木不如丘「健康を釣る」、正宗白鳥「心の故郷」の12人の作品だそうですが、それにしたって凄いです。
いままで読んだことがなく、ヘタをしたら一生読むことがなかったかもしれないこうした本に接する機会を得られるということは、とても貴重なことだと思います。
これから先も、年ごとに多くの本が順次50年という著作権保護期間が次々に終了していくわけで、無料で読めてしまってなんだか申し訳ないような気持もしますが、それにしてもこれからめぐってくる「元旦」が楽しみになってきました。
これってちょっとしたお年玉じゃないですか。
そうそう、このラインナップのなかで中谷宇吉郎の「雪」は、松岡正剛の千夜千冊の第1回目の書評に登場していた本だったので、特に印象に残っていました。
そこに書かれている全部の書評を読み通してやろうと決意し、読み始めるのですが、そのたびにいつも挫折し続け、また第1回目「雪」からやり直すという、自分にとってどうしても「悲しい」という形容詞をつけたくなる「印象」の本なのです。
1938(昭和13)年 に刊行されたという岩波新書です、たぶん絶版になっているんじゃないかと思いますが(単なる印象で、調べたわけではありません)、こういう貴重な本が、資力のない自分などにも全文が読める恩恵にあずかれるということは、ホント、デジタル社会ならではのことですよね。
ところで「青空文庫」は、折に触れ結構のぞかせてもらっているのですが、以前、「映画関係」の記事はないかと検索したことがありました。
主だった映画監督の名前を順番に検索しようと思い立ち、自分の好みの映画監督を順番に整理してみました。
まずは①小津安二郎監督を上げないことにはどうしようもありません。
そして世界の御三家②溝口健二③成瀬巳喜男④黒澤明ということになるでしょうか。
それから、これだけは譲れない自分の中の御三家⑤清水宏⑥今村昌平⑦川島雄三を挙げるとして、もう7人ですか。
困ったな、残る枠が3つということになれば、自他共に実力を認める剛腕監督を挙げなければならないとすると、⑧内田吐夢⑨今井正⑩木下恵介、ということになるけれども、しかし、まさか⑪小林正樹を落とすわけにはいきませんし、⑫市川崑⑬吉村公三郎⑭増村保造だって、う~ん、これはどこまでいってもきりがありません。
だいたい燦然絢爛たる日本映画史を飾った映画監督を、たった10枠で納めてしまおうという発想自体が貧しく、そもそも誤っていたのです、やめましょう、やめましょう、こんなこと。
せっかく「記号倉庫」から拾ってきた「⑮⑯⑰⑱⑲⑳」ですが、ここは潔く捨てちゃいますね。
しかし、こうみるとなんだか無難な大御所ばかり挙げていて面白みに欠けるということがあるかもしれませんが、これらの巨匠をはずして、いきなり「中川信夫」とか「石井輝夫」などを挙げるのは、やはりどうもいきにくい部分がありますからね。
実はそのときも、青空文庫の検索で、まず最初に入力したのは①~⑭でもなく、「山中貞雄」でした。
たった3作の遺作からしか窺うことのできない、自分のなかの「山中貞雄」の印象は、「ただ豪胆」ということにつきるのですが、しかし、そこには人間の失意や絶望を十分に知り尽くしたうえでの「それ」であって、映画作家としても、撮った作品がことごとく失われた「薄幸」の監督という印象のほうが強烈です。
自分の念頭には、きっとつねに、山中貞雄が最後に言い残したという「『人情紙風船』が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ。」という言葉が居座り続けていて、キボードに向かって両の手を広げた時、自分の指は、決して①~⑭などではなく、ひたすらに「や」のキーを迷うことなく探し求めたのだと思います。
青空文庫の「山中貞雄」の項には、9項目の記事がアップされていて、転記すると、
①右門捕物帖三十番手柄・帯解け仏法(新字新仮名、作品ID:864)、
②気まま者の日記(新字新仮名、作品ID:2319)、
③恋と十手と巾着切 (新字新仮名、作品ID:54443)、
④五題(新字新仮名、作品ID:2318)
⑤雑録・前進座に就いて(新字新仮名、作品ID:2320)、
⑥陣中日誌(遺稿)附・戦線便り(新字新仮名、作品ID:408)、
⑦なりひら小僧(新字新仮名、作品ID:54445)、
⑧武蔵旅日記(新字新仮名、作品ID:54488)
⑨森の石松(新字新仮名、作品ID:54425)ということになります。
そして、あの「『人情紙風船』が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ。」の言葉が記されているのは、⑥の「陣中日誌(遺稿)附・戦線便り」、その最初「遺書」という見出しのすぐ後に書かれているのには、ちょっと意表をつかれました。
本当に山中貞雄の遺言(さぞかし無念だったのだろうなと実感しました)だったんですね。
(原文のまま転記しますが、原文にある改行や折り返し、字下げや傍点・踊り字など掲載の形態が詳細に説明されているのですが、割愛しました)
遺書
○陸軍歩兵伍長としてはこれ男子の本懐、申し置く事ナシ。
○日本映画監督協会の一員として一言。
「人情紙風船」が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ。
負け惜しみに非ず。
○保険の金はそっくり井上金太郎氏にお渡しする事。
○井上さんにはとことん迄御世話をかけて済まんと思います。
僕のもろもろの借金を(P・C・Lからなるせからの払ッて下さい。)
多分足りません。そこ、うまく胡麻化しといて戴きます。
○万一余りましたら、協会と前進座で分けて下さい。
○最後に、先輩友人諸氏に一言
よい映画をこさえて下さい。 以上。
昭和十三年四月十八日
山中貞雄
ちなみに没年は、1938年(昭和13年)9月17日、この記事が掲載されたのは「中央公論」1938(昭和13)年12月号ですから、ほんとうに生々しい山中貞雄の苦渋の声だったんですね。
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