世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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死者を鞭打つ、死の棘・大島渚

新聞で「大島渚死去」の報に接したとき、まず僕のアタマに思い浮かんだのは、自分が、かつて自分のブログに掲げた「日本の映画監督ベスト10」のなかに、果たして大島渚は入っていただろうかという思いでした。

案の定、確かに自分のその懸念は当たっていました、大島渚は、ぼくの「日本の映画監督ベスト10」のなかには、みごとに入っていませんし、ヘタすると、この勢いなら、ベスト20にさえ入らないオソレがあるくらいです。

「愛と希望の街」には、それなりに触発されましたし、「青春残酷物語」「太陽の墓場」「日本の夜と霧」から受けた衝撃は、(作品のスタイルとしても)それまでの邦画には存在しなかったあまりにも桁違いすぎる作品で、それはもはやスキャンダルというべきものでした。

当然、それらの作品は、いままでの自分の固定観念には収まりきれず、それらの作品をどうにか自分の中に消化するためには、かなりの時間を要したと思います。

そんなぐあいに当時発表される大島渚作品の一本一本に対して、そのたびに深刻な衝撃を受けてきたはずなのに、現在のぼくの「日本の映画監督ベスト10」から抜け落ちてしまうというのは、いったいこれはどういうことなのか、考え込んでしまいました。

そんなとき、ある本で、大島渚について、こんな書き出しから始まる記事を読んだことを思い出しました。

「大島渚以前の日本映画と、大島渚以後の日本映画という言説がある。」というのです。

これを読んだとき、とっさに「ほんとかなあ」と訝しく感じました。

厳密にいうなら、たぶん、大島渚にこうした形容が相応とされた時期は、彼の生涯のうちでもほんのわずかな期間にしか当てはまらないように思えてならないからです。

具体的にいえば、松竹で「日本の夜と霧」という、まるで大会社の限界に挑むような、どう見ても政治的カルトムービーとしか思えない、きわめて挑戦的で過激な作品を撮り(「挑戦的」だったのは「松竹」に対してであり、必ずしも「日共」でなかった部分に、大資本傘下の体制に寄り掛かりながら気炎を吐くことになんらの矛盾を感じることのなかった官製ずれした青きインテリ京大生クズレの甘えと限界を感じます)、商業作品を量産していたメジャーの撮影所「松竹」という大会社の既成の枠に収まり切れない(当然ですが)作品を撮ったことで、予想もしていなかった「松竹」の不興を買い、あからさまではなかったにしろ大資本の冷淡さに直面し、それでも青白きインテリ京大生出のエリートの矜持から、いまさら会社におもねることもできず、その自尊心のために松竹を退社しなければならなくなり、致し方なく「創造社」を立ち上げたというのが自分の認識です。

この一面を無視して、それまでの日本映画にはなかった政治意識の導入や戦闘的かつ前衛的なスタイルとしての大島の登場=日本映画の刷新という部分を過大評価することに危惧を感じています。

そこには「日本の夜と霧」製作による予想もしなかった会社側の拒否に直面した幼稚な戸惑いがあり、あわてて独立プロを立ち上げたというところに大島渚の「資本」に対する距離のとり方の錯誤と認識不足、大衆を無視した部分でしか「革命的妄想」を描きあげられず、「批判者=カウンターパンチャー」として先鋭化させなければならなかった脆弱さがあったかもしれません。

確かにそれは、新たな時代を切り開く者の「前衛」としての孤独な限界だったかもしれませんが、しかし、たとえば、逆に、松竹を飛び出した理由というのを、今後「日本の夜と霧」みたいな作品を撮り続けたいと願い、つまり、あの政治的カルトムービーこそが、大島渚が「本当に撮りたかった作品」だったのだという認識に絞ってみるとするなら、以後、大島渚が撮った作品の数々は、「日本の夜と霧」とは似ても似つかないものばかりで、その変節には驚くべきものがあるといわざるを得ません。

そのことがなにを示唆しているのかといえば、独立プロを立ち上げ、それを会社として維持運営していかなければならなくなったために、「撮りたいものを撮る」つもりだったものが、次第に「客が入るものを撮る」という資本の要求にじわじわと侵食され、自縄自縛に陥り、その果てに、やがて独立以後の大島渚の作品は、イットキのピークを超えたのち次第に失速し、同時にテーマの純粋性を欠き続け、「異色作」を連発させながら惨憺たる末路をさらしたというのが自分の認識です。

具体的にいえば、穏やかな大衆・平穏な社会に対する苛立ちと怒りによって政治的挑発の仕掛け=テロルとしての映画だったはずのものが、やがて大衆受けする扇情的な「性」の要素を取り入れ懐柔に転じたことによって、多くの日本の巨匠たちの悪しき前例をなぞるかのように、ついに自らの作家的モチベーションを崩し、閉ざし、隘路に迷い込んで息切れし、ついに沈黙を強いられるという墓穴を掘ったのだと考えています。
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by sentence2307 | 2013-01-20 11:06 | 大島渚 | Comments(4)