小津安二郎 少年期の手紙
2013年 02月 17日
いけませんねえ。
パソコンの前に座りさえすれば、結構一生懸命「打ち込み」に励むのですが、根がずぼらなものですので、なかなか調子がでません。
自分が読んだのは、2月5日の読売新聞の夕刊です。
現物は手元にあります、これでも大事なものは保存しておかなければならないという意識のほうは、ちゃんとあるのですが、どうも気分が乗らず、つい今日までになってしまいました。
さて、それでは、まず手紙のほうから紹介しますね。
【小津安二郎から父親に宛てた手紙】(原文のまま)
御父上様 御ぶじですか 私どもぶじに暮してゐます
この間は僕のだいすきな運動會でした可ら一心にしました 又伯■さんや岡本の伯母さんもおいでになつたので直々一心になりまして家に歸つてお母さんにほめられました お父様のお歸をまつています 深川の鳥の市はもうじきだと思つてゐます 僕は山の神をたのしみにしてゐます この間さけけうまかつたから又おくつてください
拾月廿九日
安二郎より
御父上様
(注)文中の「伯■さん」は、原文のままで、四角く塗りつぶされたままになっています。
インクが乾いてから修正しようと後回しにしておいて、そのまま忘れてしまったのではないかと推測されます。
自分などもよくやらかします、あっ、そこんとこは小津安二郎とまったくおんなじだ! なんとなくウレシイです。
【記事の要約】
「東京物語」など多くの名作を残した映画監督・小津安二郎(1903~1963)が、三重県松阪市で過ごした少年時代に東京の父親に宛てた直筆の手紙などの資料が見つかり、同市愛宕町の「小津安二郎青春館」で公開されている。
小津は、東京・深川の肥料問屋に生まれた。
1913年(大正2年)、9歳だった小津は、「子供の教育は田舎の方がいい」という父・寅之助の考えから、父親の故郷・松阪に母、兄、妹とともに移り住み、10年間を過ごした。
映画館に通い詰め、映画の道を志したのもこの頃とされる。
資料は、松阪の実家のあった土蔵で保管されていた。和菓子店などで買い物をした領収書や、小津の祖父が愛した歌舞伎の錦絵など6000点以上で、管理者から同館に寄託された。
公開されたのは、その一部。
父親に宛てた手紙は、松阪に転居して半年後の尋常小学校の4年生の時に出されたもので、運動会の様子や父への思いが率直につづられている。
同館の佐野洋治館長は、「今年は小津の生誕110年で、没後50年。小津の家族の温かみや、当時の松阪の様子が分かる貴重な資料を見てほしい」と話している。
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