世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

夜の緋牡丹 ふたたび

作家志望の貧しい青年・小熊隆介(伊豆肇が演じています)は、酔った勢いで金もないのに座敷遊びをし、アプレ芸者・たい子(島崎雪子が演じています)を呼んで夜通し騒ぎますが、酔いが醒めたあと、支払う金など持ち合わせていない隆介は、たい子に事情を話して詫び、花代を踏み倒して、その場を逃がしてもらいます。

これが、ふたりの出会い。

それから少し経ったあと、隆介が、その日暮らしの貧乏生活の中からどうにか工面して僅かな金額を送金してきたことから、彼の律儀さに好感を抱いた彼女が、少しずつ隆介に惹かれていく様子が描かれています。

しかし、たい子が隆介に惹かれていく理由というのは、彼のその真っ正直な「律儀さ」にというよりも、むしろ、彼の「インテリ」の部分に惹かれているらしいことが、たい子の、あまり幸せではなかった生い立ち(幼い頃サーカスで働いていた過去など)が語られることで分かります。

いままで満足な教育を受けてこられなかったという彼女の負い目が、隆介の「インテリ」性に惹かれる理由でもあることが徐々に明かされていきます。

しかし、そうした未熟なたい子からの思いは、小説の執筆に集中できない隆介にとっては、むしろただ煩わしく、彼女の天真爛漫さは却って彼の神経を逆なでし、彼女との放縦な暮らしは、彼の焦燥感を煽るばかりです。

それに、たい子が、隆介への愛の証しに「隆介いのち」と二の腕に刺青を彫りたいなどという希望を聞かされたりすると、彼女の価値観がとうてい理解できず、むしろ嫌悪しか感じることのできない隆介は、彼女の間違った生き方を必死に解き聞かし、刺青など強く否定・拒絶しますが、しかし、これだけのスッタモンダの葛藤がありながら、たい子は後日、二の腕に彫り込んだ刺青「隆介いのち」を何事もなかったかのように大らかに見せつけます。

それに対する隆介の反応が映画の中では別段描かれていたかどうか確たる記憶がないのですが、たとえあったとしても、「刺青」という行為を非難・激怒した最初ほどの印象はなく、なんだか全体的なストーリーの流れからするとずいぶんと「未処理」の印象が強く感じられました。

しかし、隆介が、暴走するたい子の奔放さに対して、もはやお手上げ状態で為すすべがなく、彼女に対して制御不能に陥ったと痛感し、彼女の矯正をほとんど放棄した「無作為無反応」を表現したという演出意図なら、あるいはそれも「有り」かな、と一応は納得しましたが。

男女の愛情関係においては「対等」こそが理想であり望ましいと考えている隆介にとって、たい子が、とりたてて罪悪感もなく売春をし、それで得た不浄な対価で自分の生活が支えられており、そういうたい子との生活をなにごともないかのように送ることの苦痛や、「愛の証し=刺青」を彫るという善良な市民感覚からかけ離れたたい子のヤクザな価値観を見せ付けられることは、彼には、とても耐え難かったに違いありません。

だからなおさら、やがて、懸賞小説に同時受賞する夏川美樹(月丘夢路が演じています)という志を同じくする女性に出会ったことで、たい子との生活では決して満たされることのなかった(文学的雰囲気にカツえていた)隆介の空虚な思いが、急速に彼女に傾いていったであろうことは無理なく理解できました。

しかし、ここまでなら、この作品が、コンニチまで伝説的に語り伝えられるなどということは、おそらく、なかったでしょう。

隆介があれほど望んだ、自立心を持った女流作家・夏川美樹との知的な同棲生活において、満たされるはずだった隆介の理想はアエナク空転し、どんどん煮詰まっていく過程が、映画の後半に描かれています。

この作品におけるもう一人の主人公、作家志望の夏川美樹の境遇として、まず最初に描かれているのは、不倫関係にあった北大講師・谷川(北澤彪が演じています)の不実をなじって別離を切り出したために、激昂した谷川に切りつけられて負傷するという修羅場です。

確たる愛情もなく、ただ功利・栄達のために結婚しただけだと嘯く谷川は、その現在病床にある妻とはすぐに別れるから一緒になろうと言いながら、実はその裏で、何人もの女を騙しては棄てているではないかという不実をあげつらって美樹はなじり、この関係を終わらせたいと谷川に申し向けたことで、激昂した谷川の凶行を誘っています。

確かに、谷川という男は、美樹の言うように、なじられても当然なくらいの卑劣漢であることは、おそらく確かです。

女にだらしなく、関係が深みにはまってこう着状態におちいり、身動きがとれなくなって手に余れば、相手のことなど構わずに関係を強制的に終わらせてしまう(棄てる)という短絡を繰り返しています。

しかし、考えてみれば、男女関係にあって、こんなことは別に特異なことでもなんでもない、こんなトラブルなら普通でも有りがちなことだし、また、こじれた関係をこんなふうに対処する人間なら自分の周りにもザラにいるような気がします。

しかし、彼らがそのようにするのは、別に「狡猾さ」からとはどうしても考えられない、むしろ自分と他人との距離を測ることができず、引き際を見極められないままズルズルと深みにはまり、ある日突然、深刻などん詰まりで回復不能な「破綻」を突きつけられ、はじめて驚愕し、うろたえ、仕方なく激怒するという、単に処世に疎い、極めて不器用な人間なのであって、それは美樹を諦められずに付きまとい、罵られても追いすがり、果ては、絶命させるほどの激しい第二の凶行に及ぶという運命に翻弄されるばかりの谷川の一連の行為を見ても明白です、そして、それは決して「狡猾」などという種類のものではない。

そういえば、隆介もまた谷川と同じように、別れを切り出した美樹をどうしても諦め切れず彼女を追いかけています。

それ以前にも、美樹は、キャバレーに出入りする客・吉岡社長(田崎潤が演じています)からの誘いを巧妙にはぐらかし、適当に煙に巻いている。

はたして美樹という女は、男を迷わせ、破滅させる毒婦なのか、それとも悪女なのかといえば、決してそんなことはありません。

美樹が毒婦でも悪女でもない証拠の幾つかのシーンが、この作品には散りばめられています。

ひとつは、作家志望の夏川美樹が、キャバレー勤めをする理由を、友人に「小説執筆のための人間観察だ」と語っている場面、それはこの現実を女ひとり「小説」を書いて生きていく、そのためには色恋などにかかずらわっている暇などないという並々ならぬ彼女の決意が語られているシーンです。

そして彼女のその生き方のクールな姿勢は、宣言どおり終始一貫しているということができます。

しかし、それに引き換え、隆介はどうだったか、あれほど「文学的雰囲気」を求め、たい子との生活を棄てて望みどおりの生活を手に入れたというのに、結局、彼が求めていたものは、美樹の作家として生きていこうという熾烈な決意とはまったく無関係の、「日常的な安らぎ」にすぎなかったことを思えば、結局それは、たい子が求め、そして彼に与えてくれたものと同じものではないか、という結論に達します。

すべての夢破れ、泥酔してたい子の元に帰ろうとしていた凡庸の人・隆介のそのときの表情が、いったいどんなだったのか、いまはどうしても思い出すことができません。

(1950銀座ぷろだくしょん・新東宝)監督・千葉泰樹、製作原作脚本・八田尚之、撮影・鈴木博、美術・下河原友雄、音楽・早坂文雄、制作補・島村達芳
出演・伊豆肇、島崎雪子、千明みゆき、田崎潤、月丘夢路、龍崎一郎、山本禮三郎、北澤彪、勝見庸太郎、高堂國典、澤蘭子、志村喬、小島洋々、菊地双三郎、山室耕、伊藤雄之助、冬木京太、
1950.12.08 11巻35mm 2,890m 105分 白黒
[PR]
Commented by longchamp bags at 2013-06-05 07:27 x
夜の緋牡丹 ふたたび : 映画収集狂 <a href="http://www.iosd.org/partners.asp" title="longchamp bags">longchamp bags</a>
Commented by FakeOakleyAntix at 2013-08-01 04:21 x
夜の緋牡丹 ふたたび : 映画収集狂
by sentence2307 | 2013-03-03 17:51 | 千葉泰樹 | Comments(2)