世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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食のキュービズムに挑む・素材の追求

きのう、妻の従兄の一周忌の法要があったので、女房は朝から夕方まで隣県の寺に出かけていきました、自分は留守番です。

女房の実家には長男がいるので、法事の出席なら彼だけで義理は十分に果たせるのですが、亡くなった従兄の人柄とか、それに、久しぶりに親戚連中にも会えるというので、彼女、親しい従姉妹たちと連絡を取りあってイソイソと出かけていきました。

亡くなった従兄という人(なんと、わが敬愛する巨匠と同名の「安二郎さん」というのです)は、定年までずっと地方の役場に勤めていて、そこを退職したあと、役場から紹介された葬儀社で何年か働いたあと、さらに近所の旅行会社でアルバイトを1年ちょっとして、そこも退職し、さあこれからいよいよ悠々自適の生活を満喫しようかという矢先に、深夜、酒に酔った帰り道で転倒して縁石に頭を強打し、それがもとで亡くなりました。

しかし、「深夜に酩酊」などという気ままな感じからすると、もう「悠々自適」だったのかもしれませんが。

生前は随分世話好きな人だったらしく、親戚の法事などあると真っ先に駆けずり回り、うるさがられながらも重宝されるという、そういう愛され方をした人だったと聞いています。

だからウチの女房も取り立てて義理のない法事に自分からすすんでわざわざ出向いていったのでしょう。

去年の葬儀の席でも、「お酒が好きだったから、きっと本望だったわよ」など好意的な悔やみが多く、自分などがひそかに思っていた「犬死説」を口走る人など一人もいなかったということですから、やっぱそこは安二郎さんの人徳なのかなと感心した次第です。

しかし、世話好きの父親を持つと、エテシテその子供たちは、親の庇護で何もやらされなかったことが、結果的に「なにもできない」状態におちいりがちになるみたいで、シキタリとか、予約押さえの手際が全然分からなくて、突然、自分たちが当事者になったときなど、どうしていいかわからず右往左往し、相談する相手もなく、たいへんに苦労するという皮肉なことが起こります。

本人は子供に負担を掛けまいとしてしたことなのでしょうが、それがすべてマイナスに作用してしまった感じですよね。

可愛い子には旅をさせよ、ですか。

1年前の葬儀のときもそうでしたが、今回の法事も段取りが悪く、随分バタバタしたみたいで、結局恒例の食事会もないまま、午後1時からの開始という異例の法事となりました。

女房など盛んに「なんなの、これ。いくら包めばいいのか分からないじゃないの」とか文句を言っていました。

さて、そういう当日(昨日です)桜満開とはいえ、その寒さは半端じゃありませんでした。

妻は、仕舞い込んだ冬のコートをまたごそごそと引っ張り出し、さらに暖かめの下着を数枚着込む重装備です。

そして、出掛けに「ご飯、炊けてるけど、おかずの仕度ができなかったから、適当に買ってね」と言い置いて、嬉しそうに出かけていきました。

きっと、久しぶりに会う従姉妹たちと夕方まで、たっぷりペチャクチャやってくるに違いありません。

自分は、土曜と日曜の午前中は、メタボ解消のため、というか、座りっぱなしの仕事なので、脚力の衰えに不安を感じて、少し前から各10kmのウォーキングを何年も続けています。

おかげで脚力にも自信がつき、以前は体重0.1トン・あと僅かでメートル超えしそうだったウエストもぐっと細まりました。

いつもなら、午前中にはウォーキングに出発して、午後1時過ぎには帰ってきて、妻の用意した食事をとるという段取りなのですが、妻が出かけてしまうとなると今日の昼食をどうするかというのが当面の問題です。

まあ、ウォーキング途中のコンビニで弁当でも買ってしまうとか、松屋か吉野家あたりで済ませてしまうというのも手です。

なにしろ支度も食後のあと片付けも必要なしというのがいいですよね。

そんな心積もりでいつものコースを歩き始めたのですが、遊歩道はいやに閑散と静まりかえっていました。

こんなにも桜が満開だというのに、寒さのために遊歩道には、まさに人っ子ひとり歩いていません。

桜満開だというのに、当の遊歩道には人の気配がまるでないというのは、異常事態です、こんな風景ついぞいままで見たことがありません、不気味な空虚が支配する異常な光景です。

多くの人がひきもきらず行き交う雑踏や、散る花びらを浴びて感嘆の声が上がる談笑などがあって、はじめて満開の桜がそれらしい華やぎを持つことができるのだと知りました。

「満開の桜」と「人の雑踏」とは、どうしても切り離せない・なくてはならない車の両輪だったのです。

「満開の桜」があって「人の雑踏」が欠けたとき、はじめて人は、そのアンバランスの重みというか、「満開の桜」という異常に歪められた磁場に気がつくのではないかと思いました。

坂口安吾の「桜の森の満開の下」や梶井基次郎の「桜の樹の下には」などの作品の持つ不気味さには、そういう止むに止まれぬ思いが込められていたのかもしれません、そして、そのような「満開の桜」を自分がただ一人で引き受けなければならない無謀さと圧迫感に、なんだか膝が崩折れるような恐怖感を感じました。

世界の人間がすべて死に絶え、この地上にひとり取り残されてしまった自分を、まるで嘲笑うかのように振り掛かってくる桜の花びらを愛でる気持ちなど、もはや自分にはありません、居た堪れないような孤独感ばかりです。

むかし愛したアントニオーニの人気の無い荒涼とした市街の場面がよみがえってきます。

もはやウォーキングなんかしている気分じゃありません。

世界の終末を目の前にして、孤独感と恐怖心を抱えたまま、のそのそコンビニまで行って「おいしいお弁当、ひとつ下さいな」なんて暢気なことが言えますか。

そうだ、出掛けに女房が「ご飯は炊けているからね」と言っていた言葉を思い出しました。

同時に「おかずは、適当に用意してね」というのも思い出しましたが、もはや「おかずの手当て」ができるような気分ではありません。

だいたい、おかずが買いに行けるくらいなら、おいしいお弁当だって当然買えてしまえるのですから、そんな矛盾は文脈上許されるわけがない。

まあ、以上の経緯を簡単に言ってしまいますと、「今日は寒いので、ウォーキングは、お休みしま~す」というだけのことなのですが。

さて、早々に家に立ち帰り、着替えてから食事のしたくに取り掛かりました。

とは言っても、現在目の前に「ある」のは、炊けたご飯だけ。おかずになるようなものが何かないかと冷蔵庫を物色しましたが、妻の言った言葉のとおり中はからっぽ、寸分タガワズ「なにもない」といったら、本当になにもありませんでした。

妻がこんなにも正直にものを言ったのは結婚以来初めてのことではないかと思えるくらいの驚愕の言行一致状態です。

「だからあ、そう言ったっしょ」という妻の声が遠くから聞こえてきます。

やれやれ、仕方ない、外で食べるかと思ったとき、キッチンの引出しの隅にクッキーの型が目に留まりました。

「そのとき、わたしの中で、なにかが裂けた」とアルベール・カミュなら、きっとそう言ったに違いありません。

型はいろいろありますが抽象的なハート型とか「うさちゃん」など「可愛い系」は「おかず」には相応しくないので、最初から除外しました。

つまり、お皿に鎮座しておかずとして不自然さを感じさせないもの、お魚とか、豚とか牛とか、と見てくると全体像を晒しても一向に不自然でないものといったら、せいぜい「お魚」くらいしかないことにはじめて気がつきました。

そうか、「像」にこだわっていたら、おかずが足りなくなってしまいます、ここはあまり「像」などにこだわる必要はないのではないか、というのなら、「小鳥」もいけるし「犬」「猫」だって多少は許容してもいいかもしれません。

なにしろ中国では、犬を食用にしている所もあるとか聞いたことがありますし、猫だってそう言われなければ適当に油が乗ってて歯ごたえもあり、かなりの美味だっていうじゃないですか。

なるほど、こういうのを規制緩和っていうんですね。

さて、調理器具がそろいました。

ご飯茶碗とお皿も二枚、テーブルにきちんと並べました。

まずは炊飯ジャーから茶碗にご飯を盛ります。

それから、ひとつのお皿の方には、お魚の型で取ったもの(ご飯ですが)を何匹か並べてみました。

う~ん、とてもいい感じですが、ただ、全部同じ形なのでなんだか変化に乏しく(というか、変化が全然なく)ドラマチックでないことは確かです。

もう一方のお皿は、「豚」「牛」「馬」「小鳥」「犬」「猫」の型のグループですが、全部の型を使うとなると、かえって収拾がつかなくなる(それって、どんなおかずだ?)ので、まず「豚」「牛」を選び、つぎに「馬」か「小鳥」のどちらにするかで迷いました。

しかし、「馬」の姿をじっと見、「小鳥」の姿をじっとしばらく見ていたのですが、いずれもその姿を「おかず」の観念にまで昇華できないことが分かり諦めました。

ご飯をクチに運んで咀嚼し、「お魚」のおかずをクチに運んで咀嚼し、ご飯をクチに運んでは咀嚼し、「豚」のおかずをクチに運んで咀嚼し、ご飯をクチに運んでは咀嚼し、「牛」のおかずをクチに運んで咀嚼し、ご飯をクチに運んでは咀嚼し、とやっているあいだにいい加減いやになってきました。

要は、ご飯をおかずにして、ご飯を食べているだけの話なのですから、食欲も減じ、いい加減うんざりするのは当たり前です。

夕方、妻が帰ってきて、従姉妹たちの近況報告をしながら、台所の流しにあるご飯茶碗と皿を見て、「お昼は何を食べたの」と聞いてきました。

自分は「魚のおかずで食べた」と応えておきました。

「魚と豚と牛」で食べたと言うべきだったかもしれませんが、なんだか話がややこしくなりそうなので、やめました。

それにしても、食品パッケージの残骸もなく、台所も全然汚れていないのを見て、彼女、一瞬の疑念にとらわれたかもしれません。

しかし、すぐに反応を返すようなヒトではなく、いずれジワジワ皮肉で武装した探りを入れてくるので、どう考えたかは、おいおい判明すると思います。
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Commented by neverwintergold at 2013-07-20 13:59 x
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mbt kisumu 2 食のキュービズムに挑む・素材の追求 : 映画収集狂
Commented by buy difluc at 2014-04-22 10:06 x
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by sentence2307 | 2013-03-31 13:57 | 徒然草 | Comments(3)