夫婦の歴史
2013年 04月 20日
「もう65歳になるのね、布施明」とその記事を読みながら、女房は少し驚いた様子で話し掛けてきました。「それにしても65歳にもなって、なにも結婚しなくてもいいと思うけどねえ。『いいお友だち』のままじゃいけないのかしら。熟年者同士の結婚ってよく聞くけど、なんだかトラブルの話ばかりで、いい話って聞いたことないわ」
「ほとんどの『トラブル』は、金さえあれば大抵は起こらずに済むものばかりだから、印税がっぽり(先日、民放の「外国人カラオケ・コンテスト」で黒人が『シクラメンのかほり』を歌ってたほどの世界的名曲です)の布施明のところじゃ、そういう心配はないと思うな。それに、いい状態のカップルは当然話題にもならないだろうから、それで『いい話は、聞いたことがない』だけで、うまくいっている方がずっと多いはずだよ。むしろ、布施明のところじゃ、なんだか家庭の事情がありそうだよ」
たしか石坂浩二と浅岡ルリ子の離婚のときも、同じような身内の事情にまつわる話を週刊誌の記事で読んだ記憶があります。
しかし、この会話のなかには、ぼくたち夫婦のあいだの、ある暗黙の共通認識がありました。
それは、結婚相手の森川由加里、「彼女もう50歳になったんだ」という感慨を、どちらかが口にしたとしても、決して不自然ではないほど、彼女について、比較的強い印象をお互いが持っていました。
それは、彼女が柴又の出身者だったということで、結婚してすぐ柴又に住んだことのある僕たち夫婦は、そのことをよく話題に上らせていて、アイドル時代の彼女がタモリの番組「笑っていいとも」にゲスト出演したときのやりとり
《タモリの「入浴したとき、どこから洗う」のウッヒッヒなスケベ質問に対して、当時ごく若かったアイドルの森川由香里が「そんなシナシナ洗ってない、『次は腹だ』てな調子でさっさと洗う」とすんなりかわしていました。》
なども、つい最近あったことのように「ああ、またあの話」くらいによく語られます。
しかし、考えてみれば、長寿番組「笑っていいとも」の、それこそ数百人かそれ以上かもしれない芸能人たちとの膨大なインタビューの中のほんの一人(それも、さしてビッグネームとも思えない知る人ぞ知るアイドルで、最近ではその名前もいつの間にか聞かなくなりました)の、さらにそのインタビューのなかのほんの一瞬、たった数分間というその場面だけを、繰り返して語り合うということに、夫婦として時間を積み上げてきた奇妙さ・不思議さを感じます。
こんなふうに芸能人のゴシップを話しながら、ひとつのキイワードを切っ掛けに忘れかけていたことが、ナダレのように次々に甦ってくるその背景には、自分たち夫婦が辿ってきた偶然の土地や、たまたま過ごした時間などが確実に結びついていて、その共通のものに裏付けられ、あるいは、そうでないものは補いながら「夫婦としての時間を積み上げた」ことの「歴史」の重みというよりも空恐ろしさみたいなものを感じてしまいます。