世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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日本映画「性典」史

病院というのは、どうしてああいつも混んでいるのでしょうか。

先月から週に一度、午前中に有給休暇をとって耳鼻科と皮膚科に通っているのですが、受付前のかなり早い時間に入っても、まだ待合室には誰ひとりいないというのに、すでに受付箱は診察券でいっぱいになっていて、受付開始時刻になると、どこからともなく老人たちがぞろぞろと集まってきて、待合室はまるで老人たちの社交場のようになってしまいます。

もしかしたら診察を受けない老人まで、お喋りにだけ集まってきているのではないかと思うくらいの混雑ぶりです。

思うに、きっと老人の代表者が信じられないくらいの早い時間にきて、みんなの診察券をまとめて受付の箱にドサっと入れているに違いありません。

そうでなければ、こんなふうに老人たちによって病院が占拠されてしまうような状態になるわけがない。

そんな感じで、結局、いつも自分の診察が終わるのは、かろうじて昼食に掛かるか掛からないくらいのぎりぎりの時間になってしまい、やっと午後の会社に間に合うという状態です、これではとても、ふたつの科の診療を掛け持ちするなど到底望めません。

老人たちの傍若無人なお喋りもそうですが、こんな状態になっていても、なんの策も講じないで放置している病院側の対応に問題があるのは当然ですが、自分もこの理不尽な状況になかなか慣れることができなくて、当初はちょっと苛々しました。

しかし、モノは考えようで、老人たちの無邪気なリラックス振りを見ているうちに、だんだんとこんなことで苛々するのも、なんだかアホらしくなってもきました。通院とはいえ、せっかく貴重な「休暇」をとってきていることには変わりはないのですから、ここは老人たちと同じようにリラックスして過ごさなければ損だと思ったのです。

しかし、病院の待合室で出来ることといったら、ごく限られています、「読書」くらいしかありません。

そこで、病院にいく出掛けにそこらにある本を、何でもかまわず、というよりもむしろ、いままで手がでなかったような難解なものを選んでポケットにねじ込み、待ち時間にゆっくりと読むことにしました。

長い間、積ンドク本だった「葉隠」にも挑戦することができたので、この時間の活用は、自分にとっておおいに収穫でした。

しかし、ある日、朝寝坊をして仕度が遅れてしまい、あわてて家を飛び出したために、うっかり文庫本を持ってくるのを忘れてしまったことがありました。

いつもは、長い待ち時間にさらされるのを、読書によってどうにか誤魔化してきたのですから、この「時間との直面」は本当に弱りました。

カラテで来たことに一瞬恐怖心みたいなものも兆しましたが、しかし、冷静に考えれば、そんなに深刻に考えるようなことでもありません。

病院の待合室には、「日本の名著」まではありませんが、スポーツ新聞とか、ちょっと古い小説月刊誌ならいくらでも置いてありますので、選り好みをしなければ、それこそ読み物のたぐいはたくさんあり、本を携帯してくるのを失念したくらいのことで、なにも大げさに考える必要などありません。

その小説月刊誌のなかのひとつ、「小説新潮」を手に取りました。

表紙は、むかし懐かしいアグネス・ラムの若々しい写真です、定番の豊かな胸が写り込んでいないのがとても残念ですが、発行日付は2009年4月号とありました。

べつに読みたいものがあるわけではないので、まずは機械的に最初の一頁目から読み始めようと思ったところ、そこには団鬼六の小説が掲載されていました、題名は「夢のまた夢-道頓堀情歌」です。

へえ~、いつから団鬼六が「小説新潮」みたいなメジャーな月刊誌に巻頭小説を書くようになったのか、その辺の事情をまったく承知しておらず、SM雑誌で巻頭小説を書いていた頃の「団鬼六」しか知らなかったので、これには一瞬虚を突かれた感じでした。

楚々とした絶世の美人(多くは「未亡人」の設定が多かったように思います)が、悪辣な男たちから脅迫され、拉致監禁緊縛され、考えられる限りのあらゆる陰湿な方法で肉体と理性とをじわじわとイタブラレ、数々の陵辱を耐える羞恥のきわみで、意に反して身内から湧き上がる深い快感と美しい官能とに目覚めていくという定番のSM描写なのですが、その完成された見事な文章力の粘着性は耽美に輝き、他の作家の追随を許さない群を抜いたものがありました。

そこには、団鬼六よりも遥かにメジャーな、当時飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍していた官能作家たち、川上宗薫や宇野鴻一郎などチラチラと物欲しげに文壇を窺いながら自嘲気に書いていた緩いエロ小説などとは明らかに一線を画す毅然たる覚悟の、いわば本人の生き様も含めた「陰花の耽美」にこだわった高貴さを感じたものでした。

さて、病院の待合室で手にした「小説新潮」掲載の小説「夢のまた夢-道頓堀情歌」ですが、奔放で気のいい女をめぐる父子の葛藤と和解を描いた物語で、さすがSM雑誌に書きまくっていたいたようなものとは大違いの(当然ですが)、自分が抱いてきた官能小説のイメージとは随分とかけ離れた正統派の淡白な本格小説でした。

べつにそれでガッカリしたわけではありませんが、どこかで鮮烈なストーリーを「期待」していたことは事実だったので、ちょっと肩透かしを食わされた感じでしたが、ただの失望だけでなかった、ささやかな「収穫」を書き留めておかなければなりません。

この小説の最後の方にこんなクダリがありました。

「帰りは梅田に出て、若尾文子の性典映画でも見ようかとぼんやり青空に浮かぶ雲を見ている内、私はうとうとと眠りに陥った。
当時、性典ものといわれる映画が流行の兆しを見せていた。
最初は三年ばかり前から松竹映画の「乙女の性典」を皮切りに、その後、続々と一連の性典ものが誕生し、「新妻の性典」なども封切られたが、今年(昭和28年)大映がニューフェイスの若尾文子を起用して、「十代の性典」を制作するとこれが大ヒットし「続十代の性典」「続々十代の性典」と、いずれも若尾文子主演の性典ものは大ヒット作となる。
濃紺のセーラー服に襞のついたスカートという若尾文子の女学生姿に当時の私は悩殺されていた。」(「夢のまた夢-道頓堀情歌」より)

なるほどなるほど、若尾文子の「十代の性典」が大ヒットしたあとを受けて「続十代の性典」(1953佐伯幸三監督)と「続々十代の性典」(1953小石榮一監督)が制作されたことは知っていましたが、それはあくまで大映での話であって、この団鬼六の小説によると、これらの作品群が作られるずっと以前に松竹において「乙女の性典」という作品と「新妻の性典」が制作され、それが「十代の性典」の大ヒットの下地になったらしいのです、全然知りませんでした。

その日の夜、早速、家に帰ってから、松竹作品「乙女の性典」と「新妻の性典」がどういう作品なのか、ざっくりとした戸籍調べをしてみました。

★「乙女の性典」(1950松竹京都)監督・大庭秀雄、製作・石田清吉、脚本・猪俣勝人、原作・小糸のぶ、撮影・竹野治夫、美術・本木勇、音楽・伊福部昭、照明・田中憲次、考証・福岡武男、
出演・桂木洋子、飯野公子、佐田啓二、青山宏、大坂四郎、月丘夢路、佐伯秀男、森川まさみ、永田光男、沢村貞子、忍美代子、室修二、南光明、山路義人、笹川富士夫、加藤秀樹、井上晴夫、河上君江、鈴木房子、大和久乃、丸野透、加藤貫一、林喜美枝、田中謙三、静山繁男、牧千草、荒木久子、杉裕之、原純子、星野和正、山崎敏雄
1950.03.18 国際劇場 一般封切 19日 8巻 1,980m 72分 白黒

★「新妻の性典」(1950松竹京都)監督・大庭秀雄、製作・石田清吉、脚本・光畑硯郎、橋田寿賀子、原作・小糸のぶ、撮影・竹野治夫、音楽・伊福部昭
出演・佐田啓二、宇佐美淳、月丘夢路、折原啓子
1950.07.17  国際劇場  一般封切 18日 7巻 2,004m 白黒

そして、以下の大映作品へと引き継がれていくわけですね。

★「十代の性典」(1953大映東京)監督・島耕二/出演・澤村晶子、南田洋子、若尾文子
★「続十代の性典」(1953大映東京)監督・佐伯幸三/出演・南田洋子、若尾文子
★「続々十代の性典」(1953大映東京)監督・小石榮一/出演・南田洋子、澤村晶子、若尾文子
★「十代の誘惑」(1953大映東京)監督・久松静児/出演・青山京子、若尾文子、南田洋子
★「十代の秘密」(1954大映東京)監督・仲本繁夫/出演・南田洋子、木村三津子

ところで、「十代の性典」の戸籍調べをしていたときに、参考資料のひとつとして目を通したキネマ旬報刊行の「日本映画史」(世界の映画作家31)に「性典映画」が人気を博した前後の時代状況について言及した個所があって、ちょっと気になったので、少し長くなりますが筆写してみます。

見出しは「観客の増大とジャンルの展開」の項中、188頁~190頁にかけてです。

《戦後の接吻映画を経て、この期には性典ものが台頭した。
ストリップの勃興は1950年に小プロの製作による「裸の天使」などのストリップ映画や性啓蒙映画を出現させた。
それ以前に「肉体の門」1948(マキノ正博)が登場していたことを忘れてはならない。
田村泰次郎の小説はすでに劇化されていたベストセラーだった。
娼婦は特定の男に恋してはならないという掟を破り、ある娼婦がリンチを受ける。
しかし彼女はその苦しみの中で恋によって知った事故の肉体の喜びを離すまいとする。
田村の肉体小説のイデオロギーは、おそらく坂口安吾の「堕落論」と一致するだろう。
坂口は敗戦直後の混乱の中で、穣来の道徳の衣を脱ぎ、赤裸な人間の姿を突き詰めることが人間復活の第一であるとし、堕落の煉獄を経てからの天国の上昇を説いていたのである。
ついで成瀬巳喜男が田村原作の「不良少女」1949を東横映画で発表した。
不良少女が女友達から金策を頼まれ義兄に彼女を世話する約束で金を出させることにする。
女友達は危機から脱するが、彼女の方は男友達がやくざに借りた借金のために男友達にだまされ、やくざのものにされてしまう。
これらの田村文学の映画はのちの石原文学の太陽族映画の重要な先駆作品となっている。
しかし、日本映画はその後、田村文学映画系の堕落論イデオロギーの映画を展開せず、性典ものという思春期映画を開始した。
成瀬も翌年の東宝での「白い野獣」で罪の女の更正施設を舞台に性病の恐怖と道徳復活を説いている。
この種の性道徳啓蒙が性典ものの煽情性の背骨となっている。
50年の小糸のぶ原作、大庭秀雄監督の「乙女の性典」は、佐田啓二の主人公が婦人警官と協力して、性知識の無知ゆえにあやまちを犯した女学生を救い、女学校で性教育を行うというもの。
佐田がやくざに刺されて輸血のとき、彼女を慕っていた有閑令嬢の血液が純潔でないために婦人警官が輸血し、純潔のふたりが結ばれる。
同年の大映の「二十歳前後」(吉村廉)は富士山麓で出会った大学生と女学生が自然の中で互いに求め合うが、若すぎて「純潔」であったために結局ふたりは冷たい湖水に飛び込み、情熱の危機を脱するというもの。
若い性への純潔・禁欲主義がこの映画にも見られた。
1952年にイタリア映画「明日では遅すぎる」(レオニード・モギー)が若い性の悲劇津を描き、興行的成功を収めると、性典ものの復活が始まった。
同年六月の松竹作品「娘はかく抗議する」(原作・小糸のぶ、監督・川島雄三)と新東宝の「若き日のあやまち」(のむら浩将)、そして翌年の大映の「十代の性典」とその続編、続々編、松竹の「乙女の診察室」(佐々木啓祐)、「乙女のめざめ」(萩山輝男)など、ブームとなった。
「十代の性典」は四人の女学生の性の嵐を純血主義で描いている。
幼いとき、暴力で汚されて恋する資格を諦めている役の沢村晶子、彼女を慕う無邪気な若尾文子、生理的変調から財布を盗み、のちに身を売る南田洋子、純潔を信ぜず享楽主義の津村悠子。
沢村は知り合った若者の目に獣的な衝動を見て逃げ、湖水に身を投げる。
享楽主義は罰せられて子宮外妊娠で床に伏す。
このように性典ものは性に対して徹底的な純血主義的な懲罰の鞭をふるいながら、若い性のチラリズムを提供していた。
「明日では遅すぎる」がそうした懲罰の無理解への抗議を持っていたことは、ここでは問題になっていない。》

つまり、ここに書かれていることは、「性典もの」映画のヒット以降の流れは、観客の卑猥な興味におもねり、最後は常識的な純血主義で無難にまとめるような、売らんかなの商業主義と因果応報(懲罰)で「性」を扱っているだけで、そこには無理解な懲罰への抗議などいささかもない、という非難のように読めました。

この1950年代の章の執筆者は、目次によると山本喜久男という人と長崎一という人が執筆にあたっているとのことですが、観客の興味を卑猥と決め付け、商業映画において「性」を商売にするとは「けしからん」という筆者の思い描く映画とは、いったいどのような情景なのだろうかと考えたとき、観客からは完全にそっぽを向かれながらも、コテコテつまらない一人よがりの芸術映画を、「いまどきの観客はバカだ」と意地で上映し続けているようなさびしい情景しか思い浮かびませんでした。

観客をなんだと思ってるんだ、それに、だいたい、そんな映画がいいわけないじゃないですか。

山本喜久男だか長崎一のどちらが書いたのかは分かりません、こんな愚かなことをぬけぬけと書くなんて「お前らバカか」と私なら言いたい。
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by sentence2307 | 2013-06-03 22:25 | 映画 | Comments(0)