プリック・アップ
2005年 03月 13日
嫌な言い方かもしれませんが、ストックを片っ端らから「消化」しているといったそんな状態です。
それというのも、週明けから「日本映画専門チャンネル」で成瀬巳喜男特集が始まるので、そのために空きテープを少しでも用意しておこうと思い、未整理のまま任意に収納棚に放り込んでいたテープをざっと見たところ、ちょっと呆然となってしまいました。
無定見に録画しまくった報いとでもいうべきか、大部分はまったく知らないタイトルばかりの作品で、当時どういう考えで録画したのだったか自分でもさっぱり思い出せないような作品がずらりと並んでおり、戸惑いを通り越して呆然自失という感じです。
まあ、戸惑うほどの未知な作品群なのですから、多分、そういったタイトル作品は録画したあとでも見ようという食指が動かないまま、結局ポピュラーな作品を優先して見るということになり、当然にそれらのマイナーな作品は後回しにした挙句、こうしてお蔵入りしてしまったのだろうと思います。
そういう中の1本に87年度のイギリス映画、スティーブン・フリアーズ監督の「プリック・アップ PRICK UP YOUR EARS」という作品がありました。
結論的にいえば同性愛者の痴情事件を扱った作品で、タイトルもきっと隠語で物凄いことを意味しているに違いありません。
特に「UP」あたりなんか調べるのも憚られるような空恐ろしい言葉の響きなので見るのを辞めようかとも思いながら、念のためにガイド・ブックを読んでみて、ちょっと認識を改めました。
カンヌ映画祭最優秀芸術貢献賞というのを受賞しているのです。
なにも別に氏素性を知ったからといって、見る態度を改めるというわけではありませんが、とりあえず見る上での励みにはなります。
物語は、同棲している同性愛者のカップルの力関係が逆転し、相手の成功を妬み、憎しみから殺害してしまうという破綻物語ですが、嫉妬に狂う男の方は、なにも相手の男の社会的な成功だけを妬んで殺意を抱いたわけではありません。
自分という「愛人」がいながら、自分とのSEXは絶無になっているのに、夜の街を彷徨い歩いては男漁りを続け浮気していることが、彼にとってなによりも我慢ができないのです。
しかし、この手の話にまるっきり無知なのを曝け出すみたいな初歩的な疑問なので、開陳するのさえ少し憚られるのですが、毎夜性交のお相手を求めて街を彷徨うこの男、どうしてこうも毎晩SEXせずにはいられないのか、理解できないのです。
きっと個人差もあるのでしょうが、異性愛者(だと思っています)の知人たちの性生活を観察しても、あんなに毎晩「いたしている」ようには見受けられません。
相手を求めて街を彷徨うなんてことも考えにくいです。
そこで、女友達にその辺の感想を昼休みに聞いてみました (あえて男に聞くのは避けました)。
彼女は言いました。
「きっと、そういう人って、なにもかもが過剰なのだと思うわ。生きることとか、愛することとか。与えることも、求めることも。」
なるほどね。
するってえと、なにかい。
俺たち異性愛者は、生きすぎず、愛しすぎず、与えもせず、求めもせず、自分だけを大事にしながら、一人ぼっちで適当に命を永らえてるってだけなわけ?
それも随分淋しい話ではあるけどね。