世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

ジャップ・ミカド

連休の初日、暇を持て余していたので、ついフラリと近所の図書館に出かけました。

それというのも、すこし前、日本映画専門チャンネルで「舟を編む」を見たときの本編終了後に、松田龍平がインタビューに答えて「本に囲まれていると、なんだか落ち着く」と語ったひとことが、とても気になっていて、この「フラリと図書館」というのにすこし影響したかもしれません。

辞書編集者・まじめが、自分の借りている部屋の一室を、まるでミニ図書館のように本棚を立て切って使っているシーンについて語った松田龍平の感想なのですが、自分の気持ちの中にも、そういった林立する本に囲まれて生活することに大いに共鳴する部分(憧れです)があるので、敏感に反応してしまったのかもしれません。

しかし、現実的なことをいえば、自分の居室を図書館みたいに使うなんてことはまずあり得ないし(床が抜けます、家主だって黙っちゃいません)荒唐無稽な空想というか暴挙であって、ある程度の気ままが許される独り身だとしても、たぶん到底できるとも思えないシチュエーションです。

やっぱり、誰にも迷惑をかけずに気分の落ち着きを得たいのなら、自分の方から図書館に出向くのがいちばん穏当な選択に違いないわけで、やっぱり自分の居所を図書館に作り変えるなどという妄想は諦めて、いままでどおり図書館通いをつづけたいと思います。

でも、本に囲まれているというだけで落ち着きを得られるわけでもないので、やはりここは棚々を歩き回り、背表紙を眺めたり、ときには本の内容をチョコチョコつまみ食いしながら、いつものコースをめぐって楽しもうと思います。

気には掛かってはいても、未だ一作も読んだことのない未知の作家の本を手にとって、書き出しのほんの数行をざっと読んでみたり、すでに読んだことのある馴染みの作家なら、印象深かった作品の中の数行を目で追って忘れかけたストーリーを甦らせたりと、そうするだけでも時間はまたたく間に過ぎていくのですが、だいたいその後で「映画」の棚をのぞき、「歴史」の棚をのぞきみして、それでも時間に余裕があれば、さらに「経済」か「健康」の棚をのぞくという「いつものコースの一巡」で通常は終了します。

その日も、「映画」の棚にたどり着いたときに予定の時間をかなり超過してしまっていたので、そろそろ帰ろうかと思ったとき、何気なく隣のスポーツの棚の本の背表紙をぼんやり眺めました。

スポーツ関係の本など滅多に読むことはありません。

しかし、そこに「ジャップ・ミカドの謎」というなんだか変テコなタイトルが目に飛び込んできました。

なんかヤタラ気に掛かる書名じゃありませんか。

なにしろ「ジャップ・ミカド」です、「ジャップ」という蔑称と「ミカド」という高貴な言葉(本文には、「ミカミ」が訛って伝えられたかのように書かれていますが、三神以前にチームに所属していた東洋人が代々ジャップ・ミカドと名乗っていたものを、三神自身はこのニックネームを拒否したといわれています)の取り合わせが、とても奇妙なアンバランスを醸し出していて、さらに「謎」などと絶妙な括り方をしたものですから、まるで本の方から「読まないと後悔するぞ」といわんばかりの挑発ぶりです。

タイトルもそうですが、そのうえ表紙の方も、かなりの凄さで、見るからに「大時代」な古色蒼然とした往年の外人野球選手たちの奇妙な集合写真が使われています。

同じ野球のユニフォームを着こんだ十人ほどのその外人の男たち、彼らはまるで従順な小学生のように背の順に整然と並ばせられ、いずれも顔だけはやや正面を向いていて、よく見るとその集団は、白人や黒人ばかりでなく、あきらかにそれ以外の人種も混じっているようで、そのバラバラさ加減というかチグハグさは、まるで人種のサンプル見本みたいな実に落ち着けない印象です。

そしてさらによく見ると、あきらかに背の低さが際立つ最前列の男だけは、どうやら東洋人のようです。

写真の解説を早く読みたくて、とりあえず本文をパラパラとめくりました。

そこには、こんなことが書かれていました。

写真の撮影年は1913年頃、アメリカで結成された「オール・ネイションズ」というチームの集合写真で、その最前列に写り込んでいる東洋人というのが、「ジャップ・ミカド」とよばれた、そのチームで大活躍した日本人だというのです。

1913年頃というのですから、それが間違いないなら(その探索が、この本のテーマなのですが)、当然この人が、アメリカで活躍した日本人野球選手第一号に違いありません。

つまり、この本は、この「ジャップ・ミカド」とは誰だ(まさに「目次」の最初の章名です)、ということをテーマとした探索のノンフィクションなのでした。

面白そうじゃないですか、早速この本を借りる手続きを済ませ、結構ウキウキ気分で家路につきました。

まずは、この本の基本情報と目次を紹介しておきますね。

☆佐山和夫著「ジャップ・ミカドの謎-米プロ野球日本人第一号を追う」(文芸春秋刊)1996.4.25.1刷.260頁.1700円.(ジャップ・ミカドとは誰だ、オール・ネイションズとは、オール・ネイションズの時代背景、選手群像、オール・ネイションズの巡業、ジャップ・ミカドの正体、三神家への訪問、安部磯雄と三神兄弟、安部先生と早稲田野球部、学生プロは可能だったか、証拠を求めて、もう一度自由が丘へ、拝啓ゴロー様、アメリカ雄飛の謎、オール・ネイションズのその後、終わりに)

サブ・タイトルにもあるとおり、やっぱりこの本は、アメリカで最初にプロ野球選手となった(らしい)日本人のことが書かれているのですが、いままでのワタクシどもの観念からすると、アメリカ野球の第一号っていえば、どうしたって野茂英雄じゃないですか、そういうことからいっても、これは驚天動地の新知識です。

いやいや、ちょっと待ってくださいよ、サブ・タイトルには「米プロ野球」って書いてあるけど、そもそもアメリカの野球は「大リーグ」であって、「プロ野球」なんていってないのでは。

この本の発行日を見ると、1996年とあるが、ますます「プロ野球」なんて絶対いうわけがない、とかなんとか、さまざまな思いに捉われながら、読みはじめました。

なるほど、なるほど、いままで知らなかったことがいろいろ分かってきました。

これは、アメリカの野球が、いまのように整然とした体制(ルール的にも道徳的にも)になる以前の草創期の時期(1912年頃)について書かれた本です。

その頃は野球の試合といっても、まだまだ見世物的な興行色が強くて、試合の前にダンスショーが行われたり、試合前に選手がアトラクションとして楽器を演奏してサービスをするなどお祭り気分を盛り上げたり、翌日も球場に足を運んでもらうために、一方的な試合であれば少しばかり手心を加えて点数を均衡させて観客を楽しませたなんてことはザラにあったと書かれています。

そもそもが「ショー」だということなら、八百長だなどとなにも目くじらを立てることもない。

そういうショー的な雰囲気のなかで、黒人ばかりの野球チームが作られたり、女性だけの野球チームのリーグ戦(あの「プリティリーグ」がそうでしたよね)が行われたりしたらしいのです。

さらにその一環として多民族混在の連合チーム「オール・ネイションズ」がアイデアされて編成されたという経緯も詳しく書かれていました。

「黒人オンリー野球団」があり、「お色気野球団」があれば、当然その進化系として「多民族混在チーム」が(縁日のお化け屋敷的な)発想されたというのも、なんだか頷ける話です。

ただ、このチームから、実力を認められて大リーグに昇格していった選手というのが1人や2人ではなかったということを聞けば、「オール・ネイションズ」もただのお遊びなんかじゃない、出自も出発の形も一切こだわることなく、実力さえあれば上の世界へどんどん伸し上がっていってアメリカン・ドリームをこの手に掴み取るという気概は、いかにもアメリカ的だなと感心しました。

この本は、
①「オール・ネイションズ」が編成された経緯とその時代背景、
②そのチームで活躍した「ジャップ・ミカド」とは誰だったのかという探索
の大きく分けてふたつの部分で構成されています。

この本を読んだ少し後で、この本の感想をあるサイトで読みました。

そこには
「オール・ネイションズが編成された経緯とその時代背景の部分はとても面白かったが、あと半分のジャップ・ミカドが誰だったかの部分までは、興味が続かなかった」とありました。

感想氏は、言葉を選んだすえに「興味が続かなかった」とやんわり言っているだけで、率直にいえば、「失望した」というのが偽らざる本音だったでしょう。

実は、この本の中でも「ジャップ・ミカド」の正体は、中ほどくらいではすんなり明かされています。

山梨県の名家の出の三神吾朗という人で、アメリカに留学した折に、休暇の間に少しだけオール・ネイションにかかわり(集合写真はそのときの写真でしょう)、その後は、三井物産に就職して数々の業績を残した方ということで、ちゃちゃを入れる余地など寸分の隙もない立派な紳士です。

なにしろ破天荒な「オール・ネイションズ」の話から始まったこのノンフィクションに、たとえ読者が「オール・ネイションズ」にふさわしい「ジャップ・ミカド」を期待したとしても、それほど無理な話ではありませんが、当の「ジャップ・ミカド」が、実は甲府の名家の出で、海外留学先(食い詰めた野球バカの放浪者なんかじゃありません)で野球などを少々タシナミ、その後は早稲田のご学友とか上流社会などのお知り合いの引きもあって三井物産とやらにご就職され、富に恵まれて生涯を幸せに暮らしましたとさ、というのがこのドキュメンタリーのオチなら、誰だって、やんわりと「そこまでは、興味が続きませんでした」というしかなかったでしょう。

あるいは「いい加減にしろ、馬鹿野郎」といっても良かったかもしれません、もしそれがオチならね。

しかし、天も捨てたものではありませんね。

この幸せの王子の申し子のような商社マンも、最期にして、少々動揺をきたしたようなのです。

この本によると、彼は生涯「オール・ネイションズ」で野球をしたことを家族はおろか誰にも漏らさなかったと書かれています。

アメリカでの「見世物小屋」のようなゲテモノ野球に関わったことを余程恥じていたのかもしれません。

しかし、はたして「オール・ネイションズ」がゲテモノ野球だったのかどうか(当然議論のあるところでしょうが、どうもご本人としてはダメだったみたいで)、自分があの「ジャップ・ミカド」だったのだと名乗ることもなく、たぶんそのことを恥として隠し通さなければならなかったというのは、彼が日本において叩き込まれた「日本的な正義の教育的道徳野球」という存在が歴然として立ち塞がっていたからだと思います、その存在があればこそ、なんでも有りの「オール・ネイションズ」や、国辱的と取られかねない「ジャップ・ミカド」も、なにがなんでも隠し通さなければならないと思ったのだと想像できるような気がします。

あるいは、自由を失った野球に熱中する(教育と同義と公言して憚らない「高校野球」が究極の姿でしょう)この国で、いくら「オール・ネイションズ」について語り始めたところで、理解を得ることのむずかしさを、だれよりも知っていたからこそ「ジャップ・ミカド」は、諦念とともに生涯口を閉ざし、自らも葬り去ることを決意したのかもしれません。

★  ★  ★

三神吾朗・みかみ ごろう、1889年(明治22年)11月6日 - 1958年(昭和33年)6月24日)

日本にまだプロ野球が存在していない時代に、アメリカのプロ野球チーム「オール・ネイションズ」でプレーした。守備位置は外野手、遊撃手、投手、一塁手。早稲田大学の「三神記念コート」にその名前を残すアマチュアテニス選手三神八四郎は兄。

山梨県中巨摩郡大鎌田村(現・甲府市)出身。豪族で甲府電灯会社(後に東京電力が吸収合併)の創業者である父・三神有長、母・三神とよの間に、11人兄弟の五男として生まれる。

旧制甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高等学校)を経て
1908年(明治41年)、早稲田大学に進学し、野球部に入部。中学時代は投手であったため大学でも始めは投手を務めたが、早稲田野球部の先輩であった飛田穂洲が「(入部当初の三神は)酷評すれば僅かに球を投げる術を知っていたに過ぎなかった」と評する程度の実力で(これは、当時の山梨県では野球がほとんど盛んではなかったことに起因する)、試合には出場できず、打撃投手のみを務めていた。しかし外野手に転向して後は頭角を現し、レギュラーとなる。
1911年(明治44年)、野球部がアメリカ遠征をした際のメンバーにも選出された。
1913年(大正2年)ノックス・カレッジへ留学。野球部に入部し、主に遊撃手、時に投手を務め、「この日本人選手こそは、わが大学チームの命であって、彼が走塁を始めたら、もう誰もアウトにすることができない」と校史に記録されたほどの走塁と、フィールディングの良さからチームの中心選手となる。
1915年(大正4年)にはキャプテンも務めた。
1914年(大正3年)の夏休みに、有色人種(当時の大リーグでは有色人種は入団できなかった)を含めて編成される独立巡業プロチーム「オール・ネイションズ」(後のカンザスシティ・モナークス)に参加。
1916年(大正5年)イリノイ大学に進学し経済学を専攻、その後三井物産に就職し、野球とは関わらなくなった。
1958年(昭和33年)6月24日、胃穿孔のため死去。68歳。墓所は青山霊園。
[PR]
Commented by fake ray ban at 2014-06-23 19:48 x
If you wish for to increase your know-how simply keep visiting this web page and be updated with the hottest gossip posted here.
by sentence2307 | 2014-05-10 17:02 | 映画 | Comments(1)