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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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歌行燈


ある作品が貶されている映画評に出会うと、指摘されている欠点がどういう欠点か自分の目で直接見て、逆にその指摘が当を得ているかどうか、どうしても確認しなければいられませんでした、もうずっと以前の話ですが。

根が天邪鬼にできているので、そういう鑑賞の姿勢は、逆に「それなら、どこかいい所を見つけ出そう」という弁護の姿勢で見ることとなり、多分そういう見方が僕を「映画」に近づけていったのかもしれませんね。

喜劇を見るなら、あらかじめ顔面の括約筋を緩めた待機状態で最初から笑う準備をして待っているくらいの喜劇の味方です。

多少面白くなくっても一向に構いません。

こちらとしては、心と体の準備はいつでもスタンバっているので、切っ掛けさえあれば簡単にお誂えの笑いで応じられる、つまり初夜を迎えた花嫁状態です。

友人に言わせると「お前は褒めることしかしない」と非難もされますが、映画を楽しむ秘訣は、あるいはこの辺りにあるのかもしれませんね。

淀長さんも言っていました。

だからまあ、「褒め倒し」という場合も時にあるわけですが。

しかし、その元気も最近はとみに衰え、評判の高いものは抵抗なく見られるのに、少しでも貶しの入った作品は、あえてその抵抗を押し返してまで見ようという気力がなくなっていることも確かです。

「歌行燈」の感想を書くのに、なにをウダウダ書いているのかとお思いでしょうが、この作品の昔から言われているある評価がどうしてもひっかかり、いままで見ることを躊躇し、その機会を先伸ばししてきたのだと思います。

この作品の否定的な評価というのは、まずは「新派」総出演のこの作品が、新派俳優の芝居をなぞったにすぎない舞台的様式性の再現に終わったと評されていることと、当時49歳の花柳章太郎が白塗りで二十台の主人公・恩地喜多八を演ずる不自然さに、成瀬の目指す日常的リアリズムの追及を放棄したものにすぎない、という芳しくない評価でした。

しかし、新派のユニットを使うことと花柳章太郎の起用は、長い間あたためてきたこの企画を実現するための基本的な条件だったことも忘れてはならないことであって、逆に、本来もっと自由であってもいいリアリズムという考え方でさえ成熟していく過程で硬直化を余儀なくされ、「○○というものは、こうでなければならない」風の一種の様式化を避けられなかった当時の世評の時代的限界というものを実感しないわけにはいきません。

その本末転倒な評価の在り方に何か皮肉な感じを持ちながら、確かにこの作品「歌行燈」に成瀬巳喜男らしい持ち味が生かされている部分があったかどうかという視点でこの作品を鑑賞しようと思いました。

成瀬巳喜男が残した仕事のピークは、一般的にいうと、1951年の「めし」から始まって、1955年の「浮雲」までの5年間だといわれています。

その間に撮られた「おかあさん」1952、「稲妻」1952、「夫婦」1953、「妻」1953、「あにいもうと」1953、「山の音」1954、「晩菊」1954は、どれも高い評価を受けていることは、キネマ旬報の年間ベスト10を見れば一目瞭然です。

例えば、「めし」の第2位を皮切りに、「おかあさん」の第7位、「稲妻」の第2位、「あにいもうと」の第5位、「山の音」の第6位、「晩菊」の第7位、そして成瀬作品の頂点とされる極め付きの「浮雲」が第1位を獲得するという充実ぶりで、これがたったの5年の間に成し遂げたひとりの監督の仕事とは、とても信じられません。

女を、ただの置物の人形のように美しく撮るだけの器用な監督なら幾らでもいる中で、成瀬の描く女たちは、フシダラで男にひたすらだらしなく、しかも求めることに貪欲であることを隠そうとしないにもかかわらず、しかし、だからといって男運には恵まれるというわけでもなく、不甲斐ない男のために裏切られ続け、報われない苦労を抱え込んだまま、じりじりと堕ちていく女たちです。

脂粉の沁み込んだ女の体臭を、顔を背けたくなるような悪臭として描ける映像作家は、今後も出ないかもしれないと思わせるほどの鬼気迫る迫力に満ちています。

そしてまた、その虚構を支えるために、それらの女たちを嫌悪に眉をひそめながら冷ややかに見据える第三者の存在を描き込むことで映像的な立体感を持たせるテクニックには一部の隙もありません。

例えば、「妻」の冒頭、高峰三枝子の妻が朝食の食卓の食べ残しの漬物を摘まんで口に入れ、クチャクチャと醜く咀嚼するシーンに、それは端的に描かれていました。

上原謙の夫が新聞越しにちらっと妻を見たあとで、再び新聞に視線を戻すその嫌悪に歪むうんざりした表情には、もうこのシーンだけで夫婦の倦怠を通り越した妻に対する夫の嫌悪が恕実に描かれ、やがて若い楚々としたタイピストの丹阿弥谷津子に急速に惹かれていくという根太い伏線となっています。

成瀬巳喜男の描く「何気ない日常的な描写」の質とは、こういった繊細な描写を示しているのだろうと思いますが、果たしてこの「歌行燈」にそのような描写があるのかどうか、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。

成瀬巳喜男が松竹蒲田にいた時、その小市民の生活を描く作風を撮影所長・城戸四郎から「小津は2人はいらない」と評されたという有名な逸話があります。

この逸話を成瀬の監督昇進が遅れていたことと照らし合わせると、当時の彼の置かれていた状況が良く理解できるかもしれません。

成瀬より後に入社した清水宏、五所平之助、斎藤寅次郎、小津安二郎など、彼を飛び越して次々と監督昇進を果たしていく中で、成瀬だけが大幅に監督への昇進が遅れていました。

松竹で撮った作品は、栗島すみ子主演の「夜ごとの夢」と「君と別れて」が一定の評価を得ただけで、成瀬は「のがれるように」P・C・Lに移籍します。

そして、そこでのびのびと撮った「妻よ薔薇のやうに」1935でキネマ旬報年間第1位を獲得するのですが、しかしその華々しい第1歩が、実は成瀬巳喜男の長いスランプの始まりでもありました。

成瀬巳喜男の復活を感じさせたのが「めし」1951ですから、実に15年という並みのスランプではありません。

しかし、スランプとはいえ時期的には戦時下でもあり、撮れるテーマも限られていたという条件を加味したとしても、撮られた作品の百花繚乱、異様なまでのテーマの多岐さ加減は気になります。

そこには「何を撮っていいか分らない」という成瀬巳喜男の戸惑いがごく素直に表されていると見るべきで、つまり、どの作品もあえて成瀬が撮らなくてもよかったものばかりだった、というのがどうも通説として定着しているようなのです。

そういうスランプの中で撮られた芸道物「歌行燈」1943は、成瀬作品のなかでも芳しくない評価を得ている作品群に仕分けされているということのようなのです。

円熟期にある諸作品と、この「歌行燈」とを同一の価値基準で判断するのは、一応は避けるべきだと考えています。

ただ定説をなぞるだけの「この作品の中に成瀬のリアリズムはどこにある」式のアクセスでは、きっと不毛な結論しか得ることができないでしょうし。

後年の円熟した作品群をもってして、模索時代の作品を裁断する愚だけは犯すまい、つまり、スランプのさなかにあって、その手探りの模索的行為のなかに、成瀬らしさの萌芽を見出すことこそが、肯定のなかで映画を見ていこうとする僕の姿勢だと思うからです。

この作品を紹介している多くの解説や批評に、この映画の名場面として、朝靄立ち込める松林の中で7日という日限を切って恩地喜多八がお袖に舞を教える卓越したシーンが絶賛のなかで紹介されています。

僕としても、このシーンが作品中の白眉であることは否定しません。

淡い木漏れ日の中、山田五十鈴の気品に満ちた舞を、しなやかに追う中井朝一のカメラの流麗さには、もう誰もがうっとりしてしまう名場面だと、確かに思います。

しかし、こういうタッチは中井朝一の撮り方ではあっても、はたして、あの冷ややかな射るような眼差しで女を追い詰めるようにして撮る成瀬監督の撮り方かといえば、それは明らかに違います。

成瀬巳喜男らしからぬ点を褒め上げておいて、その作品の価値を計るような矛盾した論じ方だけは避けたいと考えています。

では、どこに成瀬巳喜男らしさが出ているかといえば、この物語で3度繰り返されることとなる「ひと(男)のおもちゃになるな」という台詞にあると考えています。

能楽の名流・恩地喜多八が、伊勢で謡の名人と名乗る按摩・宗山を侮辱・屈服させ、彼の家を立ち去る際に初めて会ったお袖に発せられるのが、まず1度目の「ひとのおもちゃになるなよ」という台詞でした。

しかし、喜多八が立ち去り際に吐き捨てたこの「男のおもちゃになるなよ」という台詞は、彼が、お袖を宗山の「持ち物」であると誤解した上で発せられた精一杯の棄てセリフだったと考えるのが正当で、その言葉の裏には、お袖に対する喜多八の並々ならぬ関心が最初からあったことが示されています。

いわば、懸想した娘が、よりにもよって老按摩の妾に甘んじていることに対する苛立ちと無念さの激白とでもいうべき喜多八の心情が吐露されていたわけですが、しかし、お袖の気持ちに残り続けるその言葉「ひとのおもちゃになるなよ」は、言葉それ自体の意味合いだけが自立して、無芸な芸者として苦労しているお袖を支えていきます。

2度目に語られるこの言葉は、芸者として苦労しているお袖を喜多八が偶然を装って逢いに行く場面で語られています。

お袖が「兄さん(ここはまだ三人称と解すべきでしょうか)のあの言い付けを守って、どんなに苦しくっても体だけは売らないでいるのです」という言葉が契機となって、喜多八は彼女に舞を伝授することになりますが、その題目は、彼女の父を自殺に追いやった張本人であることを暗に告白するかのような、宗山が最後に語ったのと同じ「松風」という因縁の曲でした。

こうしてストーリーは、幾つもの偶然の糸に結ばれ、離れてはまた引き寄せられながら大団円に向かって雪崩れ込んでいくわけですが、「おもちゃになるな」という言葉もまた、喜多八とお袖の間でどんどん変質していくのがわかります。

お袖の舞いが手掛かりとなって師・恩地源三郎からの勘当の許しがでるラストでお袖の口から語られる3度目のその言葉は、もうほとんど喜多八に向けられた愛の告白となっています。

しかし、このラストを新派独特の手放しのご都合主義と解することは、僕にはどうしてもできません。

薄幸な女に向かって投げかけられた「ひとのおもちゃになるなよ」という成瀬巳喜男の激烈な言葉が、戦後どのような映画となって結実していくこととなるのか、幸い僕たちは十分に知悉しているからです。

製作・伊藤基彦、監督・成瀬巳喜男、原作・泉鏡花、脚本・久保田万太郎、撮影・中井朝一、美術・平川透徹、照明・岸田九一郎、調音・道源勇二、音楽・深井史郎、編集・長沢嘉樹、時代考証・木村荘八、能楽考証・松本亀松、演出助手・古賀稔、

出演・花柳章太郎、山田五十鈴、柳永二郎、大矢市次郎、伊志井寛、瀬戸英一、村田正雄、南一郎、吉岡啓太郎、渡辺一郎、山口正夫、中川秀夫、春木喜好、島章、花田皓夫、辰巳鉄之助、松宮慶次郎、柳戸はる子、明石久子、清川玉枝、10巻2555m
by sentence2307 | 2005-04-21 22:42 | 成瀬巳喜男 | Comments(0)