世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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わが心の「タイタニック」

先月は、4月の人事異動で地方に栄転される方々の送別会が何件かありました。

こちらの会に出て、あちらは欠席というわけにもいきませんので、そういう意味では結構忙しく、思わぬ出費も重なりました。

でもこの「会費」だけなら、そこはなんとでもなるのですが、問題は必ず誘われる二次会というやつで、当然「義理で出席」という仕儀になり、ホロ酔い気分で幹事さんが用意してくれた場所へ皆の後ろからぞろぞろ付いていくという感じです。

妻などは、こちらだって退職が間近いのだから、たとえ不義理をしても、皆さん、分かってくれますよと軽く言うのですが、会社の組織の中で生きてきた人間にとって、そんな割り切り方など、できるものではありません。

だいたい、自分が然るべきポストにいたときには、そういうことをされては困る(もちろん「暗に」ですが)みたいに言ってきた手前、自分も仕方なく出席しているのだと妻には返しています。

しかし、妻はこちらの言うことなど頭から信じておらず、疑わしそうな目で「あなた、本心はどの会にも出席したいんでしょう?」と、この手の話題がでる度に、薄ら笑いさえ浮かべて、まるで人の心を見透かしたような失礼な皮肉を言うのです。

まあ、当たっているだけに腹が立ちます。

ですが、この3月・4月はどうしても月ぎめの小遣いだけでは足らなくなり、妻から資金の援助を受けている手前、自分のこの「腹が立ちます」は、決して表情には出せません。

むしろ、媚びるようなへつらい笑いになってしまっているかもしれず、我ながらこの不甲斐ない拝金主義には、ほとほと愛想がつきます。

しかし、妻も少しの間ですが、かつて会社勤めの経験もあり、ウワベと本音の違う会社内の複雑な人間関係の中で散々揉まれてきた苦い経験もありますので、その辺の理解度は人並みで、この「桜散る」時期の彼女の金離れの良さは賞賛にアタイします。

また、妻は続けてこう言うことがあります「あんまり飲まないでよね」と。

酒が入ると気が大きくなったり、腰が重くなったり、ズルズルの長話しになったりして、相当な深酒になってしまうことを諌めているのです。

普段なら「なに言ってんだ」と少し怒気を込めて強い調子で言い返すところですが、その分別を欠いた衝動的な発言が、後々微妙に資金援助の多寡にも反映してくるので、ここは慎重に細心の注意を払い、あるいは、三木のり平ふうの陽気なノリも忘れずに「なにを言っておるのですか」などと、妙な物言いになったりすることもあり、「これはマジヤバイぞ」と内心忸怩たるものもありますが、そこは致し方ありません、金のためです、つまらぬ節操など気にしている場合じゃない。

しかし、前述した妻の「深酒」への懸念などは、はっきり言って、ただモノゴトの表面だけをぼんやりなぞっているだけの実に視野の狭い一方的な見方にすぎず、その状況下で為される意義深い「会話」という実質が甚だしく欠落しているので、細心の柔らかさを保ちながらですが、「結構、有意義な話もしているんだけどね」とイナシタリすると、妻は「なに言ってんのよ、クダラナイことをグダグタ垂れ流しているだけじゃないの」とにべもなく、実に無礼な暴言を吐くのでありまして、この市井に生きる健気なサラリーマンの喜怒哀楽の機微などハナから理解しようともしないその不遜な態度は実に許しがたく嘆かわしい限りであります、それにあなた、言うに事欠いて「垂れ流し」とはなんですか、それを言うな「喋り散らし」くらいに(同じか)してください、お願いします(「お願い」してどうする!)。

さて、妻の軽視する「グダグダ会」ですが、実を言うと、こういうことが自分は大好きです。

昔の上司が、飲み会を仕事の反省の場と勘違いして、同席している部下のひとりひとりに、延々と苦言を呈するという苦行のトラウマもあるので、自分は飲み会を文字通り「グダグダ会で結構」と位置づけ、ひたすらストレス発散の場と考えていましたし、今でもそうしています。

そうそう、なんならこの会が、決して「くだらない」ものではないという証拠を、ひとつお示しすることだってできるのです。

3月のはじめのことでした、3月いっぱいで退職(再雇用の期限が切れます)される経理の田中さんを囲んで、ごく内輪の「お送りする会」を開きました。

正式な送別会は、押し詰まってから、また別にあるのですが、この会はそれに先立ち、旧い仲間数人が集り気の置けない飲み会でもやろうじゃないかというのが発端です。

会のはじめに「え~、田中さんは昭和○○年の入社でありまして」などという無粋な挨拶もなければ、締めの「皆様のあたたかいご指導により」なんていう気の抜けた謝辞もない、いつ始まっていつ終わったかも分からない実に気楽な会です。

談論風発、わあわあ騒いでいたときに、人事の綿引さんが、その日の日経新聞朝刊を取り出し、小さなコラム(一面下の「春秋」というコラムです)を指差して「ここんとこ、読んだか」と言うのです。

まだまだ「酔う」程ではないクリアな頭の状態でしたので、新聞記事くらいなら理解できます。

そこには、こんなことが書いてありました(本文は、後日、実際の記事に当たって確認しました。)。

《「ヤンキーが来る!」といっても、改造バイクに乗ったやんちゃな若者のことではない。南北戦争に翻弄される米南部の女性、スカーレットの半生を描いた「風と共に去りぬ」の一節である。ヤンキーとは北軍の兵のことだ。1865年、終戦を迎え奴隷制も終わった。
米では「内戦」と呼ぶ。技術革新の波に乗って工業化が進む北部と、綿花や砂糖などのプランテーションが根付く南部の利害の対立が背景にあったとされる。62万人にも及ぶ戦死者は、独立戦争からベトナム戦争まで8度の対外戦争の死者の総数58万人より多い。当時の米国はかなり深刻な「分断」の瀬戸際にあったのだ。》

これは、今たけなわのアメリカ大統領選挙での対立を報ずる部分の前振りですが、綿引さんが問題にしているのは62万人という南北戦争における戦死者の数です、「な、凄いと思わないか」と言うのです。

しかし、自分には、「62万人」という数字が、どのくらい凄いのかが実感できません。

この「62万人」を誰かうまく説明できる者はいないかという感じで一同の視線は、数字に強い今日の主役、経理の田中さんに集りました。

お酒がいけない田中さんは、酒宴の席でも、いつも覚めた冷静な目をしている反面、それだけに酔漢の賑わいに付きあいきれないまま、ひとり取り残されているさびしい印象が強いのですが、いま突然自分に視線が集ってきて、今日ばかりは、なんだかパッと輝いて嬉しそうです。

田中さんは、こんな話をしてくれました。

《いま統計学の本を読んでいるのだけれども(「統計学」とは、いかにも田中さんらしいじゃないですか)、沈没したタイタニック号の乗員・乗客の死者数・生還者数というのが、合わせて2201人だそうで、「62万人」といえば、タイタニック号を281回沈没させるくらいの死者数・生還者数という規模になるのかなあ。》

チラシ広告でカバーした新書版をチラチラ見ながら田中さんは話してくれました。

「ああ、なるほど」と一同感心はしたのですが、「281回の沈没」の方だって、相当理解不能です。

タイタニックといえば、当然、話題はデカプリオといきたいところですが、あえて「統計学」の絡みの方を聞いてみました。

「田中さん、なんでタイタニック号が、統計学なんですか」と質問したのです。

私のこの絶妙な突っ込みには、さすがの田中さんも嬉しそうでした。

《乗員・乗客の死者数と生還者数が、統計上どのようになっているかを分析した結果があるのです。
分類の項目としては、「1等」から「3等」の乗客、それに「乗務員」、それらを「大人/子ども」「性別」に分けるのが予測変数で、それを「生死」の別で分けるのが基準変数、その分析結果です。
要するに、生還できたのは誰々で、死亡したのは誰々、その「男女別」と「等級別」で分析した統計結果というわけですね。
この結果によりますと、女性の73%が生還し、男性の79%が死亡しました。
これは、映画「タイタニック」でみたとおりで、圧倒的に女性の生還率が高かったことが分かりますね。
さらにそれを「等級別」に見ると、女性の「1等乗客」が97%の生還、「2等乗客」が88%の生還、「3等乗客」が54%の死亡となっています。女性のこの生還率の高さは、男性の死亡率(男性の「1等乗客」66%死亡、「2等乗客」86%死亡、「3等乗客」83%死亡)の高さと対比させると、なにかが見えてくるような気がしませんか。
しかも感動的なのは、「1等」「2等」の男性乗客うち子どもの生還率は、ともに100%で、この率を差し引いた男性の死亡率は、「1等乗客」67%死亡、「2等乗客」92%死亡と変化します。
子どもを助けた分だけ大人の死亡率が上昇していることを現わしていて、つまり、男性が自分たちの命を犠牲にして女性と子どもを助けたという構図が、この数字から窺われるのです。
実に感動的な数字じゃないですか。》

本に書かれた統計数字をじっと見つめながら、無味乾燥なただの「数字」に、やたら感動している田中さんの横顔を思わずみつめ、やっぱ経理畑の人は人間が違うわと感心してしまいました。

数字の向こうにドラマを見たり、そして感動したりと、ただ散文をいじくり回しているだけの人文系の人間には到底考えられない営為です。

なんだか田中さんに拍手でも送りたい気分になりました。

しばらくして、田中さんがトイレに立ったあと、そこにポツンと残されていた新書版を、失礼して手に取り、パラパラと捲ってみました。

先程、田中さんが話していたタイタニックの話は「タイタニックの運命」というタイトルで書かれています。

ほかに「偽札データ再考」とか「不動産の鑑定」など、読んでみたい項目もチラホラあります。

なるほどね、なんだか面白そうじゃないか、そもそも、これはなんという書名なんだと中扉を見て「金鉱を掘り当てる統計学」(豊田秀樹著、講談社・BLUE BACKS)という本であることも知りました。

ずいぶん難しそうですが、でも、その割にはなんとなく古びた本という感じも受けます。

発行日を奥付で確かめようとしたとき、最終頁に「○○図書館リサイクル本」という朱印が押されているのを見つけ、この本が、図書館にある「リサイクル棚」に置かれていた本であることに気がついたのは、そのときでした。

リサイクル本を広告チラシでカバーし、それを夢中になって読みふけり、タイタニック号の話にひとり静かに感動して、その感動を懸命になって話していた先程の田中さんの姿が思わず目に浮かび、あまり豊かではなさそうなこの孤独な老人が、なんだかとても愛おしくて、滅茶苦茶感動してしまいました。

あっ、田中さんが戻ってきました、自分はあわてて本を元の位置に戻します。

戻ってきた田中さんは、依然として申し訳なさそうな微笑みをたたえ、誰にともなく会釈をして遠慮がちに席に座ります。

そして、少し震える左手で古びたリサイクル本の新書版を慈しむように軽く触れています、まるでその存在を確かめるみたいに。

気取りもなく、欲もなく、リサイクル本の中で見つけた小さなエピソードに感動し、なんの衒いもないままその感動を夢中で話して、人の心を揺り動かすことのできるこのような老人に、自分もなることができるだろうか、目の端で田中さんの震える皺くちゃな左手と新書版を捉えながら、いつまでも考えていました。
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by sentence2307 | 2016-04-10 19:44 | 映画 | Comments(0)