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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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金環蝕

「金環蝕」といっても、山本薩夫監督の1975年作品ではありません、1934年に清水宏監督が松竹で撮ったメロドラマ、女優・桑野通子のデビュー作ということで、今回始めて見ることができました。

実は、「有りがたうさん」1936と島津保次郎監督の「兄とその妹」1939を見て以来、すっかり女優・桑野通子に魅了されてしまい、暇さえあれば関連情報をネットで検索したり、あるいは、以前に彼女の存在を意識しないまま、うっかり見過ごしてきた作品なども含めて、少しずつ彼女の出演作品を見直しているなかで、今回「金環蝕」を鑑賞しました。

清水宏監督の「有りがたうさん」1936を見たときの女優・桑野通子の印象は、実に強烈でした。
貧しさのために過酷な人生に翻弄され、おそらく幾度もの失意と絶望とに叩きのめされ続けてきたに違いない彼女(黒襟の女)は、いまではすっかり世の中をハスに見るスレた捨て鉢な女になっていて、景気のいい土地を求めては伊豆の温泉地をまわっている流しの雇われ酌婦(あの「阿部定」を連想しました)の役を演じていました。

世の中の「取り繕ったあらゆる偽善」に対してあからさまな敵意を剥き出しにし、牙を剥き、不適な冷笑で批判・糾弾を吐く「ひねくれ者」の彼女が、たまたまバスに乗り合わせた都会に身売りされていく田舎娘にそそがれる眼差しの深さは、強く印象に残りました。

「自分も、同じだったのだ」という痛切な共感を抱きながら、経てきた不当な貧しさに対する彼女の憤りや怨嗟と、苦渋にみちた悔恨を重ねる抑制された演技は、つよく印象に残りました。

しかし、その後、島津保次郎監督の「兄とその妹」1939を見たときの桑野通子の印象は、まったく違っていたので、彼女の多面性に少なからず意表を突かれた感じでした。

世の中の悪意や不正を糺さずにはいられない潔癖な兄・佐分利信の決然とした行為(姑息に立ち回る卑劣な同僚に憤り、殴り倒し、辞表を叩きつけて会社を辞めます)に対して、その兄の止むに止まれぬ心情を深く思いやり、同情し、理解して、兄の選択のすべてを支持し、どこまでも付いていこうという従順で清潔感に満ちた妹を演じていて、「有りがたうさん」の黒襟の女とは、一見、動と静ほどの違いがあるのではないかと思う一方で、「有りがたうさん」の「酌婦」と、本当に異質といえる女性像なのかという疑念に捉われました。

いや、たぶん、それは違うと思います。

二人の間の根底に流れる一途な純真さと、理不尽な権威に刃向う正義感はそれぞれに一貫しており、その「一貫性」とは、つまり、過酷な運命に翻弄されて「姿かたち」のウワベだけはどのように変わろうと、「人間性」の本質の部分は決して変わることはないのだというところを、桑野通子は明確に演じていたのだと思います。

たとえ、身を持ち崩した行き場のない流しの酌婦であろうと、身勝手で横暴な兄に振り回される従順な妹であろうと、その人間性の根本は決して変わらないのだと。

そういうわけで、まず桑野通子の出演作をjmdbで検索してみたのですが、そのフィルムグラフィを見て、彼女の女優としての活動期間のあまりの短さには改めて驚かされました。

まず、自分自身の理解のために出演作を年度別に整理しました。

なお、作品のアタマに☆を付したものは、you tubeで見られる作品です、念のため。

【1934】☆金環蝕、恋愛修学旅行、大学の若旦那・日本晴れ
【1935】☆東京の英雄、女の感情、若旦那・春爛漫、彼と彼女と少年達、海の兄弟、双心臓、船頭可愛いや、麗人社交場、永久の愛・前篇、永久の愛・後篇、恋愛豪華版、彼女は嫌いとひいました
【1936】悲恋華、若旦那・百万石、感情山脈、☆有りがたうさん、☆家族会議、僕の春、愛の法則、自由の天地、☆男性対女性、潮来追分、女のいのち、青春満艦飾、わが母の書
【1937】花嫁かるた、☆淑女は何を忘れたか、桃子の貞操、母の夢、恋も忘れて、男の償ひ・前篇、男の償ひ・後篇、水郷情歌・湖上の霊根、☆進軍の歌
【1938】新家庭暦、銀色の道、姿なき侵入者、螢の光、わが心の誓ひ、純情夫人、炎の詩、大地の妻、☆家庭日記、結婚の宿題、日本人・明治篇、日本人・昭和篇
【1939】向日葵娘、結婚天気図、☆兄とその妹、続愛染かつら、☆新女性問答、栄華絵巻、日本の妻・前篇・流転篇、後篇・苦闘篇、黒潮、波濤、花嫁競争、愛染かつら・完結篇、新妻問答
【1940】私には夫がある、四季の夢、水戸黄門、女性の覚悟・第一部・純情の花、女性の覚悟・第二部・犠牲の歌、愛の暴風、美しき我が家、結婚青春、薔薇命あらば、西住戦車長伝
【1941】戸田家の兄妹、元気で行かうよ、脂粉追放、花、踊る黒潮
【1942】新たなる幸福、人間同志
【1943】をぢさん、秘話ノルマントン号事件・仮面の舞踏
【1944】おばあさん、天狗倒し、不沈艦撃沈
【1945】☆ことぶき座、伊豆の娘たち
【1946】☆女性の勝利

このフィルムグラフィによると「有りがたうさん」1936から「兄とその妹」1939まで、そのたったの3年の間に、桑野通子は32本の作品に出演しています。

ちなみに、各作品には通し番号が付されていて、それによると、「有りがたうさん」がNo.19で、「兄とその妹」はNo.52ということになりますから、この間、じつに30本強の作品に出演していたわけで、当時の桑野通子の人気のほどが窺われます。

そして、今回、まず最初に「金環蝕」を見ようと思い立った理由は、もちろん、桑野通子の映画出演第一作ということもありますが、実は、もうひとつ理由がありました。

漫然と検索していたら、この映画を「ご都合主義」の一言で一蹴しているサイトに遭遇したのです。

「ご都合主義」とは、こりゃまた手厳しいと思いつつも、第三者からこのように指摘がなければ、自分だってこの大メロドラマ作品「金環蝕」に対して同じように「ご都合主義だ」くらいのことは口走っていたかもしれません。

しかし、安直なドラマ(すれ違いと誤解とでドラマが成り立っています)としてあっさり一蹴してしまうには、これはとても惜しい作品です、なかなかよく出来ている。

よく出来ているだけに、心無い「ご都合主義」などという賤しめや否定などの不当な蔑みからこの作品を救い出したい、この作品の「いい部分」をとり上げ、「金環蝕」といえば山本薩夫ばかりではなく、清水宏作品もあるのだというくらいの失地回復を図りたいと考えるようになりました。

複数の男女が複雑に絡み合い、交錯するこの「金環蝕」というストーリーの人間関係の核になっているのは、大崎修吉(藤井貢)と西村絹枝(川崎弘子)です。

相思相愛の2人の間に割って入る親友の神田清次(金光嗣郎)は、大崎修吉に好意を寄せる他の女たちにも好意を寄せてしまう人物として重要な局面に登場しますが、恋敵であると同時に「親友」でもあるという位置づけが、大崎修吉に微妙な遠慮や躊躇(親友のために絹枝を諦めます)を強いて決断を鈍らせたりして、ストーリーにメリハリをつけています。

その一方で、最後には、彼の存在が、大崎修吉と西村絹枝を結びつけることにもなっている。

そう考えれば、大崎を慕う社長令嬢・岩城鞆音(桑野通子)も同じような役割を担わされているわけで、二人の「結びの神」役であるとともに、修吉と絹枝にとっては障害でもあったはずのこの二人(神田と鞆音)を、最後には一緒にして結婚させてしまうというのは、作劇上実に合理的といえば合理的な処理の仕方で、こういうことが、つまり「ご都合主義」ということなのかと、しばらく考えこんでしまいました。

ですが、そのうちに、なんだか怒りが込み上げてきました、「ご都合主義」のどこが悪いのだと。
狭い社会で、ごく限られた出会いしか持つことのできない自分たちに、はたして「真実の愛」などというものが、めぐってくるのだろうか(そもそも、そんなものが本当にあるのか)と考えれば、それは、はなはだ疑問だというしかありません。

幼い頃から今まで、僕たちは、社会的訓練とか称して、寒々しい家族や不快な学校生活に押し込められ、閉鎖的で愚劣な社会生活に参加すること、あるいはその準備を強いられて、多くの人間たちとの不愉快な生活をとおして、多くの失望や諍いの経験を重ねるなかで、妥協点を見つけるテクニックを磨いてきました。

しかし、そういうこと(他人と共棲していくこと)が、いかに困難でうんざりすることか、十分すぎるくらい認識しているはずです。

そういう意味でならこの日常生活において「運命の人」が存在するなど、冷静に考えれば、そんなものはただの絵空事だと、本当は誰もが十分に分かっているはず。

もし現実において、仮に「運命の人」が存在するとしたら、それは常に失ったものの中にしかないような気がします。

失った者の中にしか「運命の人」はいないのだと、毎朝の新聞に載っている「人生相談」が教えてくれているじゃないですか。

「いまのグウタラ亭主にはうんざり。まえに別れた彼のことが、どうしても忘れられないのです」みたいな。

僕たちもまた、その記事を、実は共棲が困難な「運命の人じゃない人」に囲まれ、煩わしい日常に無理して耐えながら、「人生相談」が教えてくれるその逆説に頷かざるを得ない、だからこそ、すれ違い、困難な障害を乗り越えて有り得ないめぐり会いを繰り返す「ご都合主義」の夢物語=メロドラマに「意味がある」のだと思いました。

たぶん映画「金環蝕」は、生きていくためにどうしても必要な切実な大衆の夢だったのだと思います。そりゃあ、現在だってその事情は少しも変わっていない。

そして、たとえそれが「ご都合主義」だとしても、いったいそれのどこが悪いのだとワタシは声を大にして言いたいのであります。

ラストで、修平が、捨て鉢になっている絹枝に張り手をかまして真実の愛に目覚めさせるのも、あるいは、その手の「夢」だったのかもしれません。

それにしても男に殴られ、はじめて相手の愛情に気がつくというシーンを、その頃の映画で、よく見ます。

「淑女は何を忘れたか」をはじめ、小津安二郎監督作品でもいくつも見た記憶があります。

(1934松竹キネマ・松竹蒲田撮影所)監督編集・清水宏、原作・久米正雄(大日本雄弁会講談社編集発行・月刊誌『キング』掲載)、脚色・荒田正男、撮影・佐々木太郎、配光(照明)・吉村辰巳、舞台設計・脇田世根一、舞台装置・藤田光一郎、穂苅貞次、舞台装飾・三島信太郎、井上常太郎、衣裳・柴田鉄蔵、監督補助・沼波功雄、荻原耐、松井稔、佐々木康、撮影補助・生方敏夫、古谷三郎、吉田勝亮、田中康雄、栗林実、音楽(サウンド版音楽)・江口夜詩、主題歌作詞・高橋掬太郎、作曲・江口夜詩、歌唱・松平晃、江戸川蘭子、録音(サウンド版録音)・土橋晴夫、橋本要、製作・松竹蒲田撮影所
出演・藤井貢(大崎修吉)、川崎弘子(西村絹枝)、桑野通子(岩城鞆音)、金光嗣郎(神田清次)、藤野秀夫(岩城圭之輔)、突貫小僧(鞆音の弟・茂)、山口勇(松村運転手)、坪内美子(妹嘉代)、小倉繁(村木)、久原良子(その恋人・お藤)、近衛敏明(山下)、奈良真養(斎田)、河村黎吉(大崎の父)、吉川満子(大崎の母)、野村秋生(大崎の弟)、仲英之助(神田の父)、青木しのぶ(神田の母)、葛城文子(神田の叔母)、御影公子(鞆音の友人)、高杉早苗(鞆音の友人)、三宅邦子(鞆音の友人)、忍節子(女給)、小池政江(ホテルの客)、水島光代(ホテルの客)、荒木貞子(看護婦)
上映時間・約110分(11巻、2,707m)、白黒映画・スタンダードサイズ(1.33:1)、サイレント映画(字幕、サウンド版)、配給・松竹キネマ、1934年11月1日・浅草・帝国館、2010年10月2日・イタリア・ポルデノーネ、第29回ポルデノーネ無声映画祭「松竹の三巨匠」特集(島津保次郎、清水宏、牛原虚彦)上映、
Commented by 乗り鉄昔の娘 at 2020-08-23 10:42 x
金環蝕 を何度かyoutubeで見たものですが、ストーリーに違和感を持ちましたが、こちらのブログの分析に脱帽しました、繰りかえし読みます。 個人的には桑野通子の初作品で記憶に残りました、30歳で撮影中に子宮外妊娠で死亡という なんてこと、 10代の彼女を仕事の中で 自分に家庭がありながらも 妊娠させて さらに 2度目の妊娠で死亡、この 森永の社員は 桑野亡き後 娘を引き取り育てたというが 娘の 桑野みゆき の物心ついてからの 感想はどうだったか 知りたい。
Commented by sentence2307 at 2020-08-25 10:51
こんにちは、いつもありがとうございます。
思えば、自分の中の「桑野みゆき」は、大島渚の「青春残酷物語」で完結してしまっている感じだったので、この機会にあらためて検索してみると、実は「そんなことはない」ことに気づかされ、とても意外でした。
「残酷物語」後の7年のあいだ、硬軟取り混ぜた70本以上の映画に出演してキャリアを築いたことを知り、静かな感銘をうけたのですが、しかし、「桑野みゆき」を語る場合、やはりそれでも、いまだ円熟を知らない「青春残酷物語」の痛々しい演技が語られることの皮肉を感じないわけにはいきません。

そうそう、あるサイトでこんな一文を拾いました。
ご質問に対する答えの参考の一助にでもなれば幸いです。
≪桑野通子は、桑野みゆきのママである。大島渚の「青春残酷物語」1960で鮮烈な印象を残したのちに、小津安二郎「秋日和」1960では一転して清楚な魅力をスクリーンに刻印したあの桑野みゆき。
桑野みゆきは、桑野通子と既婚者の斎藤芳太郎との間に、1942年に産まれたが、通子は1946年に子宮外妊娠で亡くなっている、享年31歳。
斎藤芳太郎は女優半ばにして逝去した通子の代わりに、遺児・みゆきに女優業を継がせるべく育て、日本初の「ステージパパ」となった。
「青春残酷物語」では、当時18歳のみゆきの出演シーンにあれこれと口出しをして(肌を露出させるなとクレーム)大島監督を悩ませた。
桑野みゆきは、子役時代から約10年間で100作以上の作品に出演し、その魅力を振りまいたが、1967年に惜しまれながら引退した。
大島渚が桑野みゆきについて語っている(「大島渚 1960」青土社 1993)。
「彼女(桑野みゆき)がなんでやめちゃったかと考えると、父親にしばられて嫌々やってたんだな、という気がする。」
いつまでも、ステージパパ(松竹では「桑パパ」と呼ばれていた)の言いなりはいやだったんだよ。
「桑野とか、芦川いづみとか、山口百恵さんなどをみると、どこか嫌々って感じだった、心の底でね。だからこそ三人とも素晴らしいともいえる。心のどこかで嫌々やっていることの重みってものが出るんだと思う。いまみたいに、やることがうれしくてやってる人ばかりになると、全部、森口博子みたいになっちゃうしね。」
フム、そういえば、桑野みゆき、芦川いづみ、山口百恵は、「媚びない演技」ができる女優、歌手だったよな。≫
by sentence2307 | 2016-05-31 22:19 | 清水宏 | Comments(2)