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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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小津安二郎、厚田雄春、宮川一夫

週末の夕方、久し振りに神保町の三省堂前で友人と待ち合わせをしました。

友人と会うのも久し振りなら、神保町に来るのも本当に久し振りです。

帰宅部だった高校生の頃の自分は、帰途、雨さえ降っていなければ九段の坂を下って神保町の古書店を見て回り、御茶ノ水か、気分次第で秋葉原(ここだって当時は古色蒼然としたドヤ街みたいな感じの街でした)や湯島・根岸くらいまで足を延ばして帰宅したものでした。

あるいは、秋に行われる恒例の「古書店まつり」には、どんな用事があっても都合をつけて必ず行ったものですが、社会人となってからは勤めが多忙になるにつれて行けなくなり、徐々にその習慣も崩れて途絶え、いつしか「神保町」の雑踏や匂いのことなども思い出さなくなり、現在にいたっています。

考えてみれば、この街に来るのはあれ以来ですから、ほんと何十年振りになるわけで、ほとんど「里帰り」状態で、どこもかしこも懐かしく、それだけに激変した町並みが一層物珍しくて、キョロキョロとあたりを見回して歩きました。

それだけに「ここは自分の知っている街じゃない」という思いに強く囚われたのかもしれませんが、なんといってもその極めつけは、待ち合わせ場所とした三省堂書店前についたときでした。

あの正面のパッと見の感じは、そのまんま高級レストランではないですか、それは少なくとも自分の知っているコテコテの「本屋」、店頭に野放図に本を山積みした「あの無防備な三省堂書店」なんかではありませんでした。

こう考えると、かつて自分の知っていた「三省堂書店」は、むしろ「焼け跡・闇市」の時代(戦後の荒廃)を引きずっていたのかもしれませんね。

そんなふうに、どこもかしこもすっかり綺麗になってしまったヨソヨソしい神保町ですが、それでもここはやっぱり「神保町」なんだよなと、足早に行きかう人の波をぼんやり眺めながら(誰もがとても身ぎれいで裕福そうなのが、むかしとは大違いです)、そこに立っているだけで、流れ去った時間の重さに押しつぶされそうになり、なんだか胸がいっぱいになってしまいました。

それにこんなに街の様子がサマ変わりしたと感じたのは、その人群れにチラホラ外国人学生や観光客が混ざっていて、その彼らが真顔で古書を物色している様子が、なんの違和感もなく自然に「神保町」の風景に馴染み溶け込んでいると感じたからかもしれません。

さて、待ち合わせの時間に少し早く着いてしまったので、靖国通りからすずらん通りを廻って(舗道はどこも綺麗に整備されていました)ふたたび三省堂まで戻ってこようと、古書店の店頭にあるワゴンや棚の廉価本を眺めながら、ぶらぶら歩き出しました。

そこには、なんと3冊で100円なんていう魅力的なサービス本もあるので、仇やおろそかに見過ごすわけにはいきません、なにせ自分は廉価本(小説か映画関係の本か歴史ものですが)というのには滅法弱く、内容よりも、まずは価格の誘惑に負けてしまって「とりあえず買っておいて、あとで精査する」という収集狂タイプの人間です、それが昂じてこんな夢をみたことがありました。

たぶん場所はこの神保町、古書店巡りをしている自分が、ある店の店頭で「三島由紀夫全集」全巻で100円という廉価本をみつけて、飛び上がらんばかりに狂喜乱舞し(夢なのですが)、歓喜のあまり大声をあげながら(こちらは現実です)跳ね起きたことがありました。

横で寝ていた家人がびっくりし起き上がり、訝し気に「ウナサレテタよ、なんか怖い夢でも見たの」と声をかけてきたので、そこは反射的に「うん、なんか、もの凄く怖いやつ」とかなんとか取り繕っておきました。

それでなくとも現状は整理の追いつかない「廉価本」で家が溢れかえり、生活に必要な空間まで徐々に占領し始めている危機的状況に常に苛ついている家人のことです、自分の能天気な夢のこと(三島由紀夫全集全巻100円で発見)、そして歓喜のあまり大声を発して飛び起きたなんてことを知ったら、それこそ逆上して明け方まで延々と嫌味を言われるのがオチなので、ここは機転を利かせた咄嗟の返答でうまく躱すことができたのは、我ながら実に見事な対応だったと思います。

さて、一応そのとき買った「3冊で100円」という本をちょっと紹介しておきますね。

①木村威夫「彷徨の映画美術」(株式会社トレヴィル)1990.10.25初版
②藤本義一「映像ロマンの旗手たち(下)ヨーロッパ編」(角川文庫)昭和53.12.20初版
③ダイソー日本の歴史ブックシリーズ6「平清盛」(株式会社大創出版)平成24.15.2刷

なのですが、この3冊のうち、当初いちばんの掘り出し物と思っていた①の木村威夫「彷徨の映画美術」は、意外に淡白・脱力系の内容で、映画美術というよりも、木村氏が仕事を始める前にいかに熱心に資料集めに奔走したか、今度やる映画が描く当時の世情や町並み・生活や風物を知るための資料集めがドンダケ大変だったかという、いわば資料集めの苦労話(それは、それなりに楽しいのですが)、「本の虫 行状記」みたいに読めば面白いにしても、「映画美術」の木村威夫の仕事が知りたい読者の期待にこの本がどれだけ答えられるかといえば、そこは大いに疑問とするところかもしれないなというのが、正直な印象でした。ですので、当初の「いちばんの掘り出し物」という看板は引っ込めなければなりません。

②の藤本義一「映像ロマンの旗手たち(下)ヨーロッパ編」は、ゴダール、トリュフォー、フェリーニ、パゾリーニの生い立ちを、彼らが撮った作品を随所に配して辻褄合わせのようにつなげながら生い立ちを「小説」に仕立てているのですが、しかし、個人的作業の小説家と違い映画監督に「生い立ち」を知ることが、それほど重要で有効なことなのかと少し疑問に囚われ、しかし逆に、この強烈な個性の4人なら、あるいは「あり」なのかもしれないなと考え直しました。

どちらにしても、映画が強烈な個性を前面に出して撮ることのできたあの「時代」こそ、そういうことも、あるいは許される「天才たちの時代」だったのだと、その「食い足りなさ」の残念な印象でさえも、それなりに楽しむことができました。

問題は③の「平清盛」です、具体的な執筆者名の表示がなく(当時放送していた同名の大河ドラマを当て込んだ際物として急遽作られた本だと思います)、ほんの140頁のパンフレット同然の如何にも安価な歴史本ですし、定価も100円と表示されていますので、100均のダイソーの100円ブランドとして売られたものと見当はつきましたが、その「侮り」は見事に裏切られました、一読して実に見事な間然するところなきその要約ぶりには心底感心してしまいました(巻末に16点のネタ本が参考文献として掲げられています)。

いずこかの名もなき編集プロダクションがダイソーから請け負って執筆・編集されたものだと思いますが、プロに徹した「匿名」氏たちのその見事な仕事ぶりには感銘を受け、密かな称賛を捧げた次第です。

自分は、「メディアマーカー」というサイトに蔵書を入力して管理しているのですが、以前はその「蔵書」という言葉に拘って、こういう3冊(読了したら処分する予定です)は「蔵書」扱いせずに、読了したら右から左にさっさと処分するだけ、あえて入力(記録)はしていませんでした。

いわば「読み捨て」状態のこれらの本は、期間限定の「記憶」に残るだけで「記録」としては残りません。

しかし、これってなんかオカシナ話ですよね。買って読みもせずにただ積んでおくだけの本(多くは権威ある執筆者によるメジャーな出版社の本です)は「蔵書」としてコマメに記録するのに、たとえダイソー本であっても、自分に大きな感銘を与えた「平清盛」は、ある日「燃えるゴミ」と一緒に処分されようとしている。

しかし、自分にとって、一番大切なこと(記憶すべきもの)は、まずは自分に感銘を与えることができた「実績」の方であって、少なくとも未だ頼りない存在でしかない「期待」の方なんかじゃないことは明らかです。

ここまで考えてきたとき、「それなら図書館から借りて読んだ本は、どうなんだ」と自分の中から問い掛けてくる声がありました。

実は、こんなふうに考えたのは、ひとつの理由があります(前振りが少し長くなりましたが、ここからが表題の「小津安二郎、厚田雄春、宮川一夫」です)。

小津監督作品について考えているとき、派生的に、以前なにかで読んだエピソードがふっと思い浮かんできて、それを原典にあたって確かめたくなるなんてことがよくあります。

例えば、そういう位置付けにある本として蓮實重彦が聞き手になった厚田雄春の「小津安二郎物語」(筑摩書房)があげられ、近所の図書館が在庫しているので時折借りて愛読しています。

しかし、この本、難点もないわけではありません。

本来なら、撮影現場で小津監督のすぐ傍らにいて、時折遠慮がちにでも小津監督にお願いしてカメラを覗かせてもらっていた小津組のハエヌキ・厚田雄春の述懐ですから、それだけでも「第一級資料」たるべき役割を果たさなければならないのに、自由奔放、移り気で散漫な厚田雄春の思うがままに四散する述懐を制御できない蓮實重彦の聞き出しのまずさが、掘り下げにも広がりにも失敗したという大変残念な印象だけが残る淡白な本です。

しかし、それでも折に触れ、そこに書かれているエピソードを確かめたくなるときもあって、図書館から借り直すということをしばしば繰り返している本で、例えば、木暮実千代が厚田雄春に撮り方について注文をつけるクダリ(170頁~171頁)は、こんな一文ではじめられています。

「で、『お茶漬けの味』は、女優が木暮実千代、木暮が小津さんに出たのは、後にも先にもこれっきりでしょう。いまだからいえるけど、これは撮影中にいろいろあったんです。スキャンダルめいたことはいいたくありませんけど・・・」と前置きし、まず、木暮実千代が自分がどんなふうに撮られているか、所長試写ということで、小津監督には内緒でラッシュを(製作の山内武と渋谷組のキャメラ助手とともに)見ていたという話を紹介したあとで「大変無礼なことだと思いましたね」と憤慨し、「で、木暮は自分のアップが少ないから不満だっていってるんだってことがあとでぼくの耳に入ったんです。で、ぼくは小津さんに言ったんです。『撮影がまずくて汚く撮れた』っていわれたんなら仕方がない。でもそうじゃなくて、アップが少ないからいやだなんていわれたんじゃあ絶対困る。小津さん、『そんなことで騒ぐなよ』っていっておられましたけどね。」

そして、さらにこんなふうに続きます。

「御承知のように、小津組で『アップ』というときは顔一杯のアップじゃない。本当のこといえば、『アップ』は『バスト・ショット』なんです。みんな、胸から上くらいをねらっててそれが小津さん独特の画面になってる。そしたら、ある日、準備ができて位置が決まったとき、木暮が『厚田さん、こっち側から顔を撮ってね』といったんです。自分が綺麗だと思ってる右側の顔にしろというんでしょう。ぼくは、『うん、うん』っていって7フィートの位置をつけたんですけど、小津さんそれを聞いてらしたようで、『ロングでいいよ』と。で、ぼくは小津さんの顔を見たわけですよ。あ、私に対して気をつかって下さるんだな、ありがたいなって思いましたね。」

この一連の文章をどう読み取るか、「あ、私に対して気をつかって下さるんだな」でこのエピソードを覆い包むか、それとも、傲慢で我儘な女優の横暴を茶坊主よろしくご注進に及びバタバタと騒ぎ立てる厚田氏に対して「そんなことで騒ぐなよ」とうんざりしながら苦笑する小津監督の言葉の真意が、この文章の最後まで覆って支配しているとみるべきか、自分などには判断がつかないところですが、ただ、フィルムアート社刊・田中眞澄編の「小津安二郎 戦後語録集成 1946~1963」における厚田雄春への小津監督の言及のあまりの少なさとか、例の「女中に手を付けてしまった」発言などを考えると、小津監督は厚田氏をあくまで内輪のスタッフとして冷徹にみていたことが分かります、その裏付けとして、大映に出向いて宮川一夫と仕事をした際の、過剰ともいえる気の使い方や、敬意の払い方を伝えるエピソードなどを読み比べてみれば、あるいは、おのずとそこに答えは出ているのかもしれませんね。



by sentence2307 | 2017-06-04 08:59 | 小津安二郎 | Comments(0)