世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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Strange Fruit meets Citizen Kane

昨年、近親者を亡くしたので、今年の正月三が日は、「賀」ではなく「喪」としてすごしました、華やいだことは一切せず、また、誰にも会うこともなく、静かに家に閉じこもっていた三が日でした。

その間、もちろん小説も映画も見ていません。

でも「喪」に服すというのは随分退屈なもので、貧乏性の自分には、その「無為」に耐えられず、結局、年末に会社から持ち帰ってきた仕事を取り出して、気が向けば退屈まぎれに少しずつやりました。

近親者を亡くしたのは、これが初めてではありませんし、その時のショックが過ぎれば、時間の経過とともに、その人の思い出や、共有にした生々しい記憶なども少しずつ薄まって、やがてすべてが心地よい清浄な思い出に着実に薄らぐということを、経験のうえから十分に承知しているので、日々を静かにやり過ごし、なにもかも自然な時間の流れに委ねて「待っている」という感じです。

そんななかで、ときおり思うことは、生前の彼と、なんでもっと突っ込んだ話をしておかなかったのかという悔いが、ふっとよぎることがありました。

しかし、同時に、その思いが無意味なものにすぎないという気もしています。

共に過ごしたあの日々に、話そうと思えばその機会も、そしてその時間も、それこそ十分にあったわけで、事実多くのことを話し合いました。

自分ではそれが「突っ込んだ話」だと思ってきたものが、亡き人には、そうではなかったという意味合いのことを、残された言葉の中にみつけて以来、前述した「悔い」に捉われるようになり、相手の思いと自分の思いとの隔たりに愕然とし、その落差について考えるようになりました。

お互いにもっと打ち解けたかったという「孤独な言葉」を残していった彼と、十分に語りつくしたと感じていた自分とのあいだにある「落差」です。

この過去の今は亡き彼から突き付けられた突然の「弱々しい抗議」に戸惑いながらも、時が経つにつれて、だんだん分かってきたことがあります。

もし、あのとき、自分としてはそうは思っていなかったにしても、彼の方が絶えず「突っ込んだ話」ができないという悔いを抱いていたとしたなら、それは「できなかった」のではなくて「しなかった」からではないかと。

いつの場合でも、自分としては心を開いて「突っ込んだ話」をしてきたつもりです、だから彼だってそうしているに違いないと思っていて当然だった自分に対して、「突っ込んだ話」ができなかったと彼が思っていたなら、そこまでが話すことのできた彼自身の限界点だったからではなかったかと。

あのとき、そしてたぶんいつの時でも、少なくともお互いが話しあえる十分な状態にはあったのですから。

そして、あえてお互いの「限界」のさらにその先まで強引に踏み込めなかったことを自分が「悔いている」のだとしたら、それこそ見当違いな「悔い」なのではないかと思えてきたのです。

君がどうしても話せなかったことは、たぶん、そこまで他人に話すべきことではないことを、まさに君自身が知っていたからだと思います。自分の中にとどめておいて静かに耐えるべきもの、またそれ以外には、どうにもできなかったもののひとつだったからではないかと。

それは当時だって、いつの場合でも、自分には「彼の孤独」を理解はできても、到底背負いきれるものではありませんし、誰もがそうであるように、「自分の孤独」は自分で引き受けて背負うしかない、そしてそれは今だってなにひとつ変わってはいない。そう思い至りました。

こんな訳の分からない考えを堂々巡りさせながら、暮れに会社から持ち帰った単純作業を終日パソコンでせっせと処理していました。
仕事というのは、3年毎に刊行されている名簿が今年の年末にまた予定されているので、その準備としてデータ収集と整理をする単純作業です。

国家試験に合格した人たちが、研修所を卒業して各役所に任官していく人、あるいは事務所に就職していく人を一覧にした名簿で、わが社の予算の目標達成には欠かせない、売り上げもそれなりに約束されているという、とても重要な刊行物です。

しかし、まあ、やることといえば、あちこちのwebから切り取ってきた事項を、こちらに貼り付けて50音順に整えるという、およそ生産的とはいえない作業ですが、しかし、この作業がすべてのデータ基盤作成には欠かせないパーツとなるので、あだや疎かにはできません、時間のある時に少しでも着実に進めておかなければなりません。

新卒業生が千数百人、それに過去の卒業者を加えると数万人という規模の名簿ですので、一週間もかかれば、することがなくなるなどという懸念は少しもありません、その気の遠くなるような量の記事を、端から「区間指定して切り取ってきて、こっちに貼り付ける」というとんでもない単純作業を限りなく繰り返していくので頭がどうにかなってしまいそうで、静謐・無音の状況下ではとても耐えられるものではなく、せめて耳だけでも「単調さ」から神経を逸らして麻痺させるために、手持ちのCDやyou tubeなど、あらゆる分野の音楽を総動員してバックに流し続け、単純作業に耐え、乗り越えていくということになるのですが、当初、しばらくは、去年wowowで録音した「安室奈美恵25周年沖縄コンサート」に嵌まっていました。

テンポはいいし活気もある、そしてなによりも、自分の知っている「安室奈美恵」からは想像もできないくらい、このコンサートの安室奈美恵は完璧に成熟していて、実に驚きました、心の底からこの稀有な才能の引退が惜しまれますよね、ここでかつて歌われた多くの歌も、このコンサートの方がよほど円熟しており進化のあとがありありとうかがわれ実に感心しました。

しかし、安室奈美恵ばかり聴いているわけにもいきませんので、you tubeも物色します、たまたまそこには少し前に聞いていたノラ・ジョーンズがアップされています。

それほど好きというわけではないのですが、ジャズっぽいスローなテンポの曲の方が単純作業のバックにはぴたりと合うというだけの理由で、しばらく流してみたのですが、どうも調子がでません、ジャズ・ヴォーカルをチョイスするつもりでノラ・ジョーンズを選んだのが、そもそもの誤りでした。

濁りのない線の細いノラ・ジョーンズの澄んだ声や歌い方の「普通さ」に物足りなさを感じてしまうのは、そもそもの当初、ジャズっぽいものを聞きたいという思いから大きく外れていたからだと気が付きました。

もっとジャズっぽいものを聴きたいという思いで聞き始めたのがシナトラ、それからトニー・ベネットにエラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ヘレン・メリル、そしてジュリー・ロンドンの「Cry Me a River」を聞くに及んで、耳の中に沈殿していたものが突如共振するかのように動き出し、むかしの思い出が一気に呼び覚まされました。

学生時代、ジュリー・ロンドンの「Cry Me a River」に感動し、必死になってマスターしようとした最初のジャズ・ナンバーです、結局、貧弱な声帯しか持ち合わせていない自分などには到底およばない情感豊かな声量で間を保つことができず、どうやってもうまく歌えませんでした。

しかし、この総毛立つような感じこそ、自分にとっての「ジャズ」だったんだなと、はじめて気が付きました。

そうそう、だんだん思い出してきました。

当時、ヘレン・メリルの歌い方に惹かれ、彼女の歌を夢中になってしばらく聞き込んでいたのですが、あるとき、それがビリー・ホリディの歌い方のコピーだと知らされて、それからというものビリー・ホリディだけを聞き始める切っ掛けになり、すっかり虜になってしまいました。

発売されている限りのレコードを買い集め、自伝「LADY SINGS THE BLUES」も読みました。

そんなとき、ダイアナ・ロス主演の映画「ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実」が封切られ、たまらない違和感を覚えたことを思い出しました。

いまから思えば、それは破天荒に生きた歌手ビリー・ホリディのブームかなにかだったのか、それとも、ビリー・ホリディの壮絶な生きざまが、その「破天荒さ」のゆえに、ニューシネマの題材にぴったりと合っていて、思いつきみたいに映画化されただけだったのか、当時の事情がどうだったか、どうしても思い出せませんが、この映画が、「俺たちに明日はない」と同じ発想から企画されたものなら随分だなと憤ったことだけは記憶にあります。

あれが「ブーム」として長く続いたという印象がないのも、そのあたりにあるのかもしれません。
それは、映画「ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実」に対する印象にも通じるものがあって、ビリー・ホリディとはまったく異質のタイプ、都会的に洗練されたダイアナ・ロスをレディ・デイとして、どうすれば感情移入できるのか、白ける気持ちが先に来て、どうしても馴染めませんでした。

ダイアナ・ロスの演技が、アカデミー賞にノミネートされたということも聞きましたが、自分としては最後まで、「いじめられっぱなしの被害者・ビリー・ホリディ」の描き方には、どうしても賛同することができませんでした。

生涯にわたって彼女をさんざんに弄び食い物にした詐欺師たち(そう描かれています)は、ただの与太者や犯罪者というよりも、彼らもまたビリー・ホリディと同じように社会から拒まれ弾き出された社会的不適用者・弱い人間にすぎず、しかも彼女もまた、彼らの「そういう弱いところ」(彼らこそ自分と同じ地獄を生きてきた同類として)を心の底から深く理解して愛していた側面を描き込まない限り、何度も裏切られ、薬物の泥沼に限りなく溺れ込んでいくビリー・ホリディの修羅を到底理解することはできません。

「Cry Me a River」を聞きいていたそのとき、はっと気がつきました、もしかしたら自分は、ビリー・ホリディの「Strange Fruit」に出会うために、まるでなにかを探すようにして、いままでこうして多くの楽曲を片っ端から聞いていたのではないのか、と。

You tubeで繰り返し「Strange Fruit」を聞きながら、「奇妙な果実」の歌詞をネット検索してみました。


Strange Fruit

Southern trees bear strange fruit,
Blood on the leaves and blood at the root,
Black bodies swinging in the southern breeze,
Strange fruit hanging from the poplar trees.

Pastoral scene of the gallant south,
The bulging eyes and the twisted mouth,
Scent of magnolias, sweet and fresh,
Then the sudden smell of burning flesh.

Here is fruit for the crows to pluck,
For the rain to gather, for the wind to suck,
For the sun to rot, for the trees to drop,
Here is a strange and bitter crop.


奇妙な果実

南部の木は、奇妙な実を付ける
葉は血を流れ、根には血が滴る
黒い体は南部の風に揺れる
奇妙な果実がポプラの木々に垂れている

勇敢な南部(the gallant south)ののどかな風景、
膨らんだ眼と歪んだ口、
マグノリア(モクレン)の香りは甘くて新鮮
すると、突然に肉の焼ける臭い

カラスに啄ばまれる果実がここにある
雨に曝され、風に煽られ
日差しに腐り、木々に落ちる
奇妙で惨めな作物がここにある。


そうなのか、歌詞に目を通していくうちに、なんだか無性に「ビリー・ホリディ自伝」が読みたくなりました、思い立って本棚から「LADY SINGS THE BLUES ビリー・ホリディ自伝」が収載されている「世界ノンフィクション全集40」を取り出して読み始めました。

実に何十年ぶりかでこの自伝を読んでいて、自分の記憶には全然なかった部分を発見し愕然としました。

なんと、ビリー・ホリディがオーソン・ウェルズと出会う場面があり、文脈からするとお互いに好意をもっていたらしいのです、全然記憶にありません、意外でした。

ちょっと長くなりますが、その部分を少し引用してみますね。

《そのクラブの、もう一つの素敵な夜は、オーソン・ウェルズと会った晩だった。オーソンは、私と同じようにハリウッドに来たばかりだった。私は彼が好きになったし、彼も私とジャズが好きになった。二人は一緒にいろいろな所に出かけることにした。

その晩仕事を終えると、二人はロスアンゼルスのニグロ地区、セントラルアヴェニューに向かった。私はすべてのクラブや淫売宿を案内した。私はそういう所で育ったのだが、カリフォルニアでも目新しいことはなかった。みな私が楽屋裏から知っていることばかりで、私には面白くもなかったが、彼はそれを好んだ。

彼にとっては、すべてのもの、すべての人が興味の対象なのだ。彼は、何についても、だれが、どのようにして動かしているかを知りたがった。彼が偉大な芸術家であるのは、こういう点にあると思う。

当時オーソンは、脚色・監督・主演の、処女作映画「市民ケイン」に没頭していた。踊っている最中でも、頭では翌朝六時のスタジオのことを考えているようだった。「市民ケイン」は傑作だった。私は試写で9回も見た。彼は傑出した演技を見せた。私はシーンとコスチュームの一つ一つを頭の中に焼き付けている。

何回か彼に付き合っているうちに、私がオーソンの出世の妨げになっているという怪電話を何回か受けた。噂では、スタジオが私をマークし、もし彼から離れない以上、私は永久に映画の仕事はできないだろうとのことだった。ホテルの帳場にも、事を起こそうとしている奴らからの怪電話がしばしばかかってきた。以来、多くの脅迫がオーソンに付きまとったが、彼は平気だった。彼は素敵な男だ。おそらく私が会ったなかの最高だろう。非常に才能のある男だが、それ以上に素晴らしい人間である。

今でも決して良くなってはいないが、当時の人々は、白人の男が黒人の女と一緒にいるのをひどく嫌がった。あるいは、マリアン・アンダーソンと彼女のマネージャーかもしれないし、ストリップ・ダンサーとそのヒモかもしれない。二人の組み合わせが、まったく不似合いなものであっても、小児病患者は、いつも卑しい一つのことに結び付けるのだった。もしかすると二人はそんな関係かもしれないし、そうでないかもしれない。ところがそれは、どっちでも同じことだった。二人が寝床から出てきたところか、これから寝に行くのでなければ、なにも二人でいる理由も必要もないと信じているのだから。

私たち黒人は、いつもこのような絶えざる圧力をかけられている。それに対して戦うことはできても、勝つことはできないのだ。
私がこのような圧力をかけられていなかったときが一度だけある。それはまだ少女のころ、娼婦として白人の客をとっていた時だ。
誰も何とも言わなかった。金ですることなら、何でも許されているのだ。》

結局この恋は実らず破綻したのかもしれないし、そもそも、「恋」そのものが存在していたのかどうかも、いまとなっては調べる手立てもありませんが、しかし少なくとも、Strange Fruit meets Citizen Kaneはあったのだと思うと、それだけでもなんだか嬉しい気持ちになってきました。




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by sentence2307 | 2018-01-13 21:26 | Comments(0)