世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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本橋 麻里・吉田知那美・藤澤 五月・吉田 夕梨花・鈴木 夕湖 【5人同時年譜】


【1986年】本橋 麻里
北海道北見市(旧常呂郡常呂町)で生れる。


【1991年】藤澤 五月
5月、北海道北見市美山町で生れる。
【1991年】吉田知那美
7月、北海道常呂郡常呂町(現:北見市)で生れる。
【1991年】鈴木 夕湖
北海道常呂郡常呂町(現・北見市)で生まれる。チームメイトの藤澤五月とは父親が従兄弟同士のはとこ。
「夕湖」という名前は母が妊娠中によく見に行っていたサロマ湖の夕陽に由来し、夕陽のようにきれいに育って欲しいという想いから名付けられた。身長145㎝と非常に小柄であり、「カーリングちび部部長」を自ら名乗っている。


【1993年】吉田 夕梨花
7月、北海道常呂郡常呂町(現在の北見市常呂町)で生まれる。
母と姉の影響で、5歳でカーリングを始める。


【1996年】藤澤 五月
藤澤五月がカーリングを始めたのは5歳のとき。北見市立常呂中学校の教員で、元カーリング選手にして長野オリンピックの最終候補選手に選ばれていた父にカーリングリンクに連れていってもらったのがきっかけだった(3人きょうだいの末っ子で、兄姉も父の影響でカーリングを始めていた)。同年代の子どもと比べ体が大きく、重さ約20kgの大人用ストーンを操れる天性の技術を既に持っていた。姉曰く、子ども時代から既に「負けん気がすごかった」という。姉と同じ、地元・北見のチーム「ステイゴールドII」でプレーするようになる。
中学1年生のとき、父は「感覚よりも理論を重視する」藤沢の素質を見出し、姉と交代する形でチームの作戦を立てるスキップを任せるようになった。後にチームメイトになる吉田知那美は、練習試合で藤澤のチームと対戦したときに「同い年と聞いたけど、私たちとは比べものにならないくらいうまかった」と思ったという。


【1998年】本橋 麻里
12歳の時に、常呂カーリング協会初代会長・小栗祐治に誘われてカーリングを始める。
【1998年】吉田知那美
常呂町が日本カーリングの本場でもある環境もあり、小学校2年からカーリングを始め、4年次から大会に出るようになる。
【1999年】鈴木 夕湖
小学校2年生からカーリングを始め、このころから同級生の吉田知那美と、その2歳年下の妹である夕梨花姉妹とは一緒にプレーしていた。


【2000年】本橋 麻里
3月、第13回常呂町ジュニアカーリング選手権大会優勝。

【2001年】本橋 麻里
第9回北海道ジュニアカーリング選手権:3位(マリリンズ)

【2002年】本橋 麻里
1月、第10回日本ジュニアカーリング選手権大会優勝。(「マリリンズ」所属・スキップ)。
第19回日本カーリング選手権:2位
3月、第15回世界ジュニアカーリング選手権に出場(スキップ)。最終順位は10位(最下位)。しかし本橋個人はリンク上、またリンクを離れた場所におけるスポーツマンシップの奨励を目的とした「スポーツマンシップアワード」を受賞(出場選手から構成される委員会における投票により、男女各1名が選出される)。

【2003年】本橋 麻里
「河西建設女子」にリザーブとして加入。
第11回日本ジュニアカーリング選手権:2位(マリリンズ)
第22回北海道カーリング選手権大会:優勝(河西建設女子)
11月、第13回パシフィックカーリング選手権大会:優勝。
【2003】吉田知那美
北見市立常呂中学校入学後、2歳年下の実妹である吉田夕梨花、同級生の小野寺佳歩・鈴木夕湖らと共に『常呂中学校ROBINS』を結成しスキップを務める。
常呂中学での担任は、のちにチームメイトとなる藤澤五月の父で、藤澤五月は同じチームの鈴木夕湖とは父親が従兄弟同士ではとこにあたる。

【2004年】本橋 麻里
2月、第21回日本カーリング選手権(女子の部):3位(河西建設女子)
4月、第26回世界カーリング女子選手権大会:最終順位7位。
第14回パシフィックカーリング選手権:優勝

【2005年】本橋 麻里
2月、「青森県協会(「チーム青森」)」から負傷によりチームを一時離脱した目黒萌絵に代わり、第22回日本カーリング選手権(女子の部):2位(青森県協会)
3月、引き続きチーム青森に帯同して第27回世界女子カーリング選手権出場。最終順位は9位。この結果、2006年トリノ五輪カーリング競技における日本女子チームの出場権(同選手権における過去3年間の国別ポイントの累積によって決定される。この場合は03~05年の累積。)を獲得。
4月、青森明の星短期大学に入学。それに伴い「チーム青森」に正式加入。
社団法人日本カーリング協会(JCA)の強化指定選手に選出される。
11月23日、オリンピック冬季競技大会日本代表(女子)選考会に出場。第1戦目で「チーム長野」に勝利し、同五輪カーリング競技日本代表権を獲得。

【2006年】本橋 麻里
2月、トリノ冬季オリンピックカーリング競技女子の部に出場(セカンド)7位入賞。
3月、第23回日本カーリング選手権・優勝。同選手権終了後、「チーム青森」から小野寺歩(スキップ)、林弓枝(サード)の両名が離脱(公式声明発表、同年5月17日)。
5月19日、主力メンバー(小野寺、林)の離脱に伴う「チーム青森」の戦力低下を考慮した日本カーリング協会が、協議により「チーム青森」、「チーム長野」の両者による2007年世界女子カーリング選手権大会日本代表チーム選考会の開催を決定。
5月31日、「GALLOP」(長野県カーリング協会)の山浦麻葉が「チーム青森」に加入。ポジション編成の刷新が行われた同チームにおいてサードに就任。
11月、第16回パシフィックカーリング選手権出場・最終順位3位。
12月17日、2007年世界女子カーリング選手権大会日本代表チーム選考会出場。「全5戦中3勝したチームが代表権を得る」という条件の下、3勝2敗で代表権を獲得。
【2006年】吉田知那美
3月、日本カーリング選手権に常呂中学校ROBINSとして出場し、トリノオリンピック日本代表だった『チーム青森』に予選リーグで勝ち星を挙げ中学生旋風を起こした。
中学卒業後は北海道網走南ヶ丘高等学校へ進学。常呂中学校時代の仲間と共に『常呂中学校ROBINS』からチーム名を『常呂JJ』に改め、引き続き同じチームでプレー。しかしメンバーの進学先が異なっていたこともあり、チーム練習の時間が思うように取れず、中学校時代のような成績を挙げることは出来なかった。
【2006年】吉田 夕梨花
北見市立常呂中学校入学、2歳上の姉(吉田知那美)、姉の同級生だった小野寺佳歩・鈴木夕湖らと共に『常呂中学校ROBINS』を結成。
カーリング映画『シムソンズ』に選手としてエキストラ出演する。
【2006年】鈴木 夕湖
北見市立常呂中学校で吉田姉妹、小野寺佳歩らと共に常呂中学校ROBINSを結成する。中学時代の2006年(第23回大会)と2007年(第24回大会)には北海道代表として日本カーリング選手権大会に出場し2年連続で3位入賞を果たした。カーリングのほか、中学の部活動ではバスケットボール部に所属していた。


【2007年】本橋 麻里
1月、2007年冬季ユニバーシアードトリノ大会カーリング競技出場・最終順位3位。
1~2月、軽井沢国際カーリング選手権大会2007出場。最終順位3位。
2月、第24回日本カーリング選手権優勝(女子の部):優勝(チーム青森)
3月、青森明の星短期大学卒業。
3月、第29回世界女子カーリング選手権大会・最終順位8位(タイ)。
4月、八甲田ホテル(青森市)入社
6月、同社を退社。
7月、NTTラーニングシステムズ株式会社と所属契約を締結(2010年6月までの3年契約)。
「チーム青森」リーダーに就任。但し、第29回世界女子カーリング選手権終了までは寺田桜子が主将、目黒萌絵がスキップをそれぞれ務めている。また、チームにおけるリーダーの定義・役割は明らかにされていない。
11月、第17回パシフィックカーリング選手権出場・最終順位2位。 なお予選リーグ終了時の成績が中国チームと同一であったため、両チーム各4人がストーンを投げ、ハウスの中心までの距離を合計した結果を競う「チームドロー」が行われた。その結果、予選リーグ2位となった日本チーム(「チーム青森」)は、大会ルールにより同3位の韓国チームと世界選手権出場チーム決定戦を行い、これに勝利し、日本女子チームの第30回世界女子カーリング選手権(2008年開催)への出場権を獲得した。
【2007年】藤澤 五月
北海道北見北斗高等学校に進学。スキップを務めて、高校1年生(2008年)、2年生(2009年)の2年連続で、(「チーム北見(ステイゴールドII)」)日本ジュニアカーリング選手権優勝、世界ジュニアカーリング選手権出場を果たす(また、パシフィックジュニアカーリング選手権でも日本ジュニア代表として2大会連続優勝を果たしている)。このときには既に、「天才」の称号を欲しいままにする存在になっていた。
【2007年】吉田 夕梨花
第24回日本カーリング選手権では常呂中学校旋風を起こして3位に入賞。吉田はこの時13歳で当時の日本選手権最年少出場者だった。


【2008年】本橋 麻里
2月、第25回日本カーリング選手権・優勝(チーム青森)。同年3月に開催される第30回世界女子カーリング選手権の日本代表権を獲得した。
2月、軽井沢国際カーリング選手権大会2008・準優勝。
3月、第30回世界女子カーリング選手権出場・最終順位4位。
4月、アドミッションズ・オフィス入試により日本体育大学体育学部に入学。
第18回パシフィックカーリング選手権: 3位
【2008年】藤澤 五月
パシフィックジュニアカーリング選手権・優勝
世界ジュニアカーリング選手権・7位


【2009年】本橋 麻里
軽井沢国際カーリング選手権大会2009: 3位
第26回日本カーリング選手権: 優勝 (チーム青森)
【2009年】藤澤 五月
パシフィックジュニアカーリング選手権・優勝
世界ジュニアカーリング選手権・10位
【2009年】吉田知那美
高等学校卒業後にバンクーバー(カナダ)へ留学。当初の留学目的は語学研修だったが、現地での下宿先が日系人カーリングコーチであるミキ・フジ・ロイ邸であったこともあり、改めてカーリングを学び直す。
【2009年】吉田 夕梨花
北海道常呂高等学校進学後、姉の知那美らと共にチーム常呂のメンバーとして第19回日本ジュニアカーリング選手権に出場して2位となる。
【2009年】鈴木 夕湖
化学エンジニアを目指し旭川工業高等専門学校物質化学工学科へ進学。旭川高専ではバレーボール部に所属し、週末は北見へ戻りカーリングを続けた。同校の富樫巌教授に指導を受け、卒業研究のテーマは「クロカビと黒色酵母に対するラベンダー精油の防カビ効果」。



【2010年】本橋 麻里
第27回日本カーリング選手権: 優勝 (チーム青森)
2月、バンクーバー冬季オリンピックカーリング競技女子の部に出場(セカンド)・8位入賞。
3月、第32回世界女子カーリング選手権出場。サードスキップを目黒、フォースを本橋が務めることもあった。最終順位11位。
5月1日、札幌市で行われたイベントで、2014年ソチ冬季オリンピックに向け現役継続を示唆した。
6月10日、自身の24歳の誕生日に所属のNTTラーニングシステムズと2年間の契約更新を発表し、2014年のソチオリンピックを目指す意思があることを明らかにした。
8月16日、記者会見にてチーム青森からの脱退を発表した。同時に新チーム『ロコ・ソラーレ(太陽の常呂っ子を意味する造語)』を結成すること明らかにした。チームは常呂町を拠点とし、メンバーにはいずれも常呂町のカーリングチームである「ECOE」の馬渕恵と江田茜、「ROBINS」の吉田夕梨花と鈴木夕湖の4人が参加する。
【2010年】藤澤 五月
高校卒業と同時に故郷を離れ、長野県を拠点とする中部電力に入社。職員として勤務しながら、同社に結成されたカーリング部の創設メンバーとなる。
中部カーリング選手権・優勝
日本カーリング選手権・3位
【2010年】吉田 夕梨花
高等学校2年次にはオリンピック選手の本橋麻里が北見で結成した『ロコ・ソラーレ(LS北見)』に参加した。
【2010年】鈴木 夕湖
7月、高専在学中、本橋麻里が地元・北見市を拠点に結成したロコ・ソラーレに創立メンバーとして参加。のちに「この時マリちゃん(本橋)に誘われてなければ、カーリングを辞めていた」と述懐している。結成初年度には道内の大会で優勝した。



【2011年】本橋 麻里
第28回日本カーリング選手権: 3位 (LS北見)
【2011年】藤澤 五月
入社直後からスキップを務めて、主将の市川美余らと共に、日本カーリング選手権大会を4連覇、また2011年のパシフィックカーリング選手権に日本代表として出場した。
中部カーリング選手権・優勝
日本カーリング選手権・優勝
パシフィックカーリング選手権・4位



【2012年】本橋 麻里
第29回日本カーリング選手権: 準優勝 (LS北見)
【2012】藤澤 五月
中部カーリング選手権・優勝)
日本カーリング選手権・優勝
【2012年】吉田知那美
日本へ帰国後、故郷の先輩であり、日本代表として二大会連続五輪出場の実績を持つ小笠原歩からの誘いを受け、北海道銀行フォルティウスに加入。北海道銀行嘱託行員として銀行業務の仕事もこなしながらのプレーであった。フォルティウスでは主にリード(先鋒)を務めていた。この間、中高生時代の仲間で愛知県の中京大学に進学していた小野寺もフォルティウスに加入、再びチームメイトとなる。
【2012年】吉田 夕梨花
東海大学国際文化学部国際コミュニケーション学科へ進学し、学業と競技を両立させながらの活動を続ける。
【2012年】鈴木 夕湖
第29回日本カーリング選手権では準優勝を果たしたが、結成から3年ほどは全国レベルの大会では好成績を残せなかった。
3月に旭川高専を卒業し、4月に北見工業大学工学部バイオ環境化学科へ3年次編入学。北見工大ではキノコの研究を行い、食品研究室に所属。佐藤利次博士に指導を受け、「組換えシイタケによるラッカーゼの発現とウルシ(Toxicodendron vernicifluum)からのラッカーゼ遺伝子の単離」を共同執筆している。



【2013年】本橋 麻里
第30回日本カーリング選手権: 4位 (LS北見)
9月、どうぎんカーリングスタジアムで行われた全農カーリングソチ五輪世界最終予選日本代表決定戦の予選リーグで3勝3敗、タイブレークとなった中部電力との試合で2-10と敗れて、4チーム中3位となり、3大会連続のオリンピック出場を逃した。
【2013年】吉田知那美
12月のソチオリンピック世界最終予選に臨みオリンピック出場決定戦でノルウェーに逆転勝ちし、オリンピック出場を決めた。このときフィフス(リザーブ)であった吉田は、「(出番がくるのは日本のピンチなので)最後まで出番がなくてよかったです」と笑顔で話した。
【2013年】藤澤 五月
ソチオリンピック出場をかけた9月の世界最終予選日本代表決定戦で、「追われる立場。負けられないプレッシャー」に屈する形で、小笠原歩率いる北海道銀行フォルティウスに敗れて出場を逃した。藤澤にとって、「どうしたらいいかわからなくなった」と思うほどの大きな挫折だった。
中部カーリング選手権・優勝
日本カーリング選手権・優勝
世界女子カーリング選手権・7位


【2014年】本橋 麻里
第31回日本カーリング選手権: 3位 (LS北見)
【2014年】吉田知那美
2月のソチオリンピックでは競技開幕直前に小野寺がインフルエンザにかかったため、代わってセカンドを務めた。
憧れていたカーリング選手スイスのミリアム・オットに高校時代手紙を送り、返信を貰ったことがあり、ソチオリンピック出場時にはその手紙を持参し、オットのスイスと対戦して勝利した。
予選リーグでは9試合中8試合(リード2試合、セカンド6試合)に出場し5位入賞に貢献した。
ところが、ソチオリンピックの日程終了後、まだソチの選手村にいる段階で北海道銀行フォルティウスからの戦力外通告を受けた(最終戦終了後、五輪公園の会議室で通告されたという。)。通告を受けた時には「リンクに上がることさえ嫌(になる状態になった)」「思い出すと涙が出る悔しさ」と語り、ひとり金沢・富山・軽井沢・東京と一人旅を続ける中でさまざまな出会いを得て、「自分の人生はまだまだこれからだ」と自信を取り戻すことができたという。
3月、北海道銀行を退職。吉田自身が「何もない状態で帰って来ました」という失意のもと郷里の常呂へと戻った。無所属となり、大きなショックを受け一度カーリングから離れる決断もしていたが、地元の先輩である本橋麻里から「一緒に日本代表を目指してもう一回やろう」と誘いを受ける。
6月、当初は断ったが、熟慮の末に本橋が率いるチーム、ロコ・ソラーレに加入した。チーム参加を決断した際には「人生を賭けて、このチームで終わってもいいと思うくらいの覚悟でもう一度戦おうと思いました」という。勤務先はネッツトヨタ北見で、オフシーズンには系列の携帯電話販売店での接客業務などを担当する。
【2014】藤澤 五月
中部カーリング選手権・優勝
日本カーリング選手権・優勝
【2014年】鈴木 夕湖
3月、同大学を卒業。学位は学士(工学)。
大学卒業後は網走信用金庫へ就職したが、業務と競技の両立に悩み、入社から半年での退職を余儀なくされた。郷里の図書館でのアルバイトを経て、ロコ・ソラーレを支援していた北見市体育協会へ就職した。こうした競技続行への不安や失業を経ていることから、その3年後の2018平昌五輪にて銅メダル獲得直後のインタビューでは「(五輪でのメダル獲得を)当初は全く、全く想像してなかったですね こんなこともあるんですねえ、フフフ」と回答している。
同じこの年に、吉田知那美がロコ・ソラーレに加入した。



【2015年】本橋 麻里
第32回日本カーリング選手権: 準優勝 (LS北見)
【2015年】藤澤 五月
3月末、中部電力を退社した。「地元の北海道北見市での活動を検討している」と報道された。
失意を抱きながら故郷の北見に帰った藤澤は、本橋麻里(ロコ・ソラーレの創設者)と会食の機会を持った。その席で、「さっちゃんも入らない? 私たちは、もう次に進んでいるよ」という本橋の言葉に心を動かされて、ロコ・ソラーレへの移籍(入団)を決心した。北見市にある保険代理店株式会社コンサルトジャパンに所属し、事務として勤務しながらトレーニングを行うようになる。
しかし、移籍後しばらくは練習に思うようについていけず、試合に勝てない日々が続いた。そんなあるとき、「さっちゃんの、やりたいようにやればいいんだよ」という本橋の言葉がきっかけで、前向きな気持ちを持てるようになっていった。そして、ロコ・ソラーレのチームメイトと共に練習や試合を積む過程で、自分が先頭に立ってチームを引っ張らなくてもいい、弱みを見せてもいい、頼れる仲間に出会えているから「ひとりじゃないんだ」と考えることができるようになり、自信を取り戻せたという。
パシフィックアジアカーリング選手権・優勝
【2015年】吉田 夕梨花
LS北見のメンバーとして第25回パシフィックアジアカーリング選手権の日本代表決定戦で勝利し、カザフスタンのアルマトイで開催されたパシフィックアジアカーリング選手権本大会に日本代表として出場して中華人民共和国の10連覇を阻止して日本に2005年以来の優勝をもたらした。
【2015年】鈴木 夕湖
藤澤五月がチームに加入してからはセカンドのポジションで出場し、2015年パシフィックアジアカーリング選手権では、優勝をはたす。



【2016年】本橋 麻里
第33回日本カーリング選手権: 優勝 (LS北見)
2016年世界女子カーリング選手権大会: 準優勝 (日本代表)
【2016年】吉田知那美
ロコ・ソラーレでは主にサードを務め、世界女子カーリング選手権大会で準優勝。
【2016年】藤澤 五月
藤澤が自信を取り戻したことで、ロコ・ソラーレは快進撃の道を歩むようになっていく。日本カーリング選手権大会で優勝し、2016年世界女子カーリング選手権大会で準優勝(銀メダル)に輝いた。この世界選手権決勝のスイス戦では、第9エンド終了時点で6-7と相手に1点リードを許した日本代表(LS北見)が後攻で迎えた最終第10エンド、スキップの最終投擲がNo.1に入れば7-7の同点となりエキストラエンド(延長戦)突入という場面で、藤澤が投じたラストストーンがハウスを通過する痛恨のミスショットとなってスイスの前に敗戦を喫して優勝を攫われた。その試合後に藤澤は「最後のショットを決められなかったのは私の責任」と悔恨のコメントを残した。
日本カーリング選手権・優勝
パシフィックアジアカーリング選手権・3位
世界女子カーリング選手権・準優勝
【2016年】吉田 夕梨花
LS北見のメンバーとして2月の第33回日本カーリング選手権で優勝し、世界女子カーリング選手権の日本代表に自動的に選出されると、3月の2016年世界女子カーリング選手権大会では優勝決定戦まで勝ち上がり、スイスとの大会三度目の対決となった優勝決定戦では最終第10エンドまで死闘を演じながらわずかの差でスイスの前に敗れて準優勝となった。
【2016年】鈴木 夕湖
第33回日本カーリング選手権大会で優勝を果たす。2016年世界女子カーリング選手権大会(カナダ・スウィフトカレント)では決勝戦まで勝ち上がり、スイスとの決勝戦では最終第10エンドまで激しい攻防を繰り広げ惜しくも敗戦を喫したが準優勝に輝いた。



【2017年】本橋 麻里
第34回日本カーリング選手権: 準優勝 (LS北見)
9月、アドヴィックス常呂カーリングホールで行われた第23回オリンピック冬季競技大会(2018平昌)平昌オリンピック日本代表決定戦で中部電力を3勝1敗で降し、3度目のオリンピック代表権を獲得。
【2017年】藤澤 五月
2月の札幌冬季アジア大会カーリングでは銅メダルにとどまるが、2017年9月の平昌オリンピック代表決定戦では自身の古巣である中部電力に勝利して、自身初めてのオリンピック出場を叶えた。このとき藤澤は、「4年前に負けてカーリングをやってていいんだろうかと思いました。このメンバーで戦えて幸せ者だなと思います。私以上に周りの人が信頼してくれ、チームメートに支えられたし、五輪に出ていない悔しさがありました。ここからまた五輪まで成長できれば」と涙を流しながら述べた。また、「中部電力がいたからこそ、私たちの成長があった」と古巣に感謝の言葉を述べている。
【2017年】鈴木 夕湖
9月、平昌オリンピック日本代表を賭けた中部電力カーリング部との最終5番勝負の決戦を3勝1敗で制し、ロコ・ソラーレをオリンピック出場に導いた。



【2018年】本橋 麻里
2月、平昌オリンピックではチームキャプテン・リザーブとしてチームを支え、予選を4位で突破した。準決勝では大韓民国に敗れたが、イギリスとの3位決定戦を制し、オリンピックで日本のカーリング史上初、また冬季五輪史上初のママさんメダリストとなる銅メダルを獲得した。
【2018年】吉田知那美
2月の平昌オリンピックにサードで全試合出場し、日本勢で初めて予選を4位で突破した。準決勝では韓国に敗れたが、イギリスとの3位決定戦を制し、オリンピックで日本のカーリング史上初のメダルとなる銅メダルを獲得した。
【2018年】藤澤 五月
平昌オリンピックに臨むにあたり、「勝てなくても憧れられる、尊敬されるカーラー」を目指すと心に誓い、「折れない心」を身に付けるためのメンタルトレーニングに取り組み続けてきた。迎えた本番で、藤澤がスキップを務める日本は、開幕3連勝を飾ったが終盤2連戦で藤澤のミスが続き連敗を喫し自力突破が無くなった一方、4位争いをしていたアメリカが破れた為に、結果的にかろうじて予選を4位(5勝4敗)で突破、予選最終戦の対スイスでミスから大敗した為「正直、複雑」と答える。準決勝で韓国に敗れ3連敗となるも3位決定戦でイギリスに勝利し、オリンピックで日本のカーリング史上初のメダルとなる銅メダルを獲得。「考えるカーリング」が結実しての銅メダル獲得であることと共に、藤澤は自身が目指した、メダルの似合う「グッドカーラー」になることを叶えた。
平昌オリンピック・3位
【2018年】吉田 夕梨花
2月の平昌オリンピックに出場し、予選を4位で突破した。準決勝では開催国の韓国と対戦して敗れたがイギリスとの3位決定戦を制し、オリンピックで日本のカーリング史上初のメダルとなる銅メダルを獲得した。
平昌オリンピックでは試合中に明るく発する北海道方言の「そだねー」が大きな話題になり、「そだねージャパン」の愛称で呼ばれた。
2018年時点では北見市内の医療法人「美久会」に勤務している。同法人の理事長はLS北見のスポンサーのほか馬主としても著名な人物であり、平昌五輪後に自身の馬に「ソダネー」と命名した。
3月、日本ミックスダブルスカーリング選手権に協会推薦枠で男子五輪代表の両角友佑とペアを組んで出場。初戦で敗れるなど、苦戦の連続の中白星を重ねたが、最終戦で妹背牛協会に大逆転負けを喫し、予選リーグ敗退となった。
【2018年】鈴木 夕湖
2月の平昌オリンピックでは、予選リーグを4位で突破した。鈴木は当大会参加のカーリング選手の中で最も身長が低かったが、予選リーグ韓国戦の第8エンドで「4秒間に19往復」させたスイープ力は高い評価を得た。準決勝は韓国との再戦となり延長戦の末敗れたが、イギリスとの3位決定戦を制しオリンピックで日本のカーリング史上初のメダルとなる銅メダルを獲得した。なお、同大会中では試合中に戦術検討する際に発する「どれくらいだい?」や「そだねー」などの北海道方言での会話が話題となり、「そだねージャパン」の愛称で呼ばれた。特に「~だい?」や「~かい?」という言い回しは鈴木が多用する。




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by sentence2307 | 2018-03-21 17:19 | 映画 | Comments(0)