世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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夢は常呂で結実した ロコ・ソラーレ(どれくらいだい)物語

このところ「映画について書く」というモチベーションが著しく低下しているのが自分でもはっきりと分かります。

「このところ」というのを、期間で限定すれば、「韓国・平昌で開かれたオリンピックの一連の競技をテレビで観戦していた期間」ということになるでしょうか。

そして、その期間で見た映画というのを具体的にあげれば、例えば「猫なんか呼んでもこない」とか「ラ・ラ・ランド」、「ムーンライト」「ヒッチコック 幻の映画」「プレシャス」「湯を沸かすほどの熱い愛」「プリズン・エクスペリメント」(これなんか無理して見続けたことさえ後悔しています)、「コードネーム:ホレッツ」(前作で既にキレていたので、こちらは途中で見るのをやめました。なにも無理して見ることもありませんし)で、そうそう、見たということを記憶・記録として書き留めておくことさえ嫌悪を感じる「珍遊記」というのもありました。

まあ、「珍遊記」に関して言えば、その少し前に中国映画「人魚姫」という破天荒な作品を見てそのハチャメチャ振りに抱腹絶倒、あそこまで徹底していればもはや「芸術の域」に達したも同然と関心した余韻もあり、このジャンルの映画に対してとても無防備になり過度な期待をもってしまいました、これはそもそも柳の下に2匹目の泥鰌を期待した自分の方が悪いので、文句を言う筋合いではないのかもしれませんが、よりにもよってあんな愚劣な映画「珍遊記」など作らなくたっていいだろうという腹立たしさというか、いずれにしても結局は「嫌悪感」に行きついてしまうという惨憺たる映画でした。

でも、ここにあげた鑑賞リストのなかには、オスカー受賞作やメディアで大きく取り上げられた話題作「ラ・ラ・ランド」「ムーンライト」「ヒッチコック 幻の映画」「プレシャス」「湯を沸かすほどの熱い愛」(いつもの自分ならトレンディな「宮沢りえ」ネタでなにかちょっとしたものを書けたかもしれませんが、映画自体は、宮沢りえに肝っ玉かあさんは似合わないだろうという印象にとどまりました)もあるわけですから、すべての作品に対して「嫌悪感」とか「愚劣」とかがあてはまるわけではないのですが、いずれにしても、どの作品も自分のモチベーションをあげるのには正直もうひとつなにかが足りなかったという感じでした。

あっ、そうそう、1本だけリストに入れるのを忘れていた作品がありました、たまたまインターネットで佐藤祐市監督の「シムソンズ」2006を流していたので、加藤ローサが懐かしくて見てみました(しかし彼女、決して過去の人なんかじゃなくて、タントCMに出ていることをあとで知りました)、その見た理由というのは、「懐かしさ」というのもひとつありますが、むしろ平昌オリンピックで銅メダルを獲得したカーリング女子の吉田夕梨花選手がエキストラとして出演していると聞き、ぜひその場面を見てみたいというのが主たる動機です。

結果は、残念ながら彼女を発見することはできませんでしたが、しかし諦められず、ネットで「ヒント」となるものを探しまわったのですが、やはり的確な情報を見つけることはできませんでした、その代わりに2006年というと彼女が13歳くらいだと知り、いまの成人したイメージに捉われていたために見つけ出せなかったのかと遅ればせながら納得しました。

自分をその映画「シムソンズ」に引き寄せたものは、今回の平昌オリンピックのカーリング女子、日本対イギリスの3位決定戦でイギリスの最後の一投が微妙にズレ日本の石がナンバーワンになるというあの奇跡の絶叫「ナンバーワンは、日本だ!」から影響されたものなのですが、この銅メダルに至るまでの彼女たちの選手としての軌跡がすこぶる陰影に富んでいて、あまりにもドラマチックなのと(もちろんブームに乗った部分もありますが)、you tubeなどで彼女たちのことを部分的に知るにつれて、この期間に見た映画という映画(「ラ・ラ・ランド」「ムーンライト」「ヒッチコック 幻の映画」「プレシャス」「湯を沸かすほどの熱い愛」)がことごとく色あせて見えてしまったことと、あるいは関係があるかもしれません。

吉田知那美と吉田夕梨花が姉妹であることと、彼女たちの母親がカーリング選手だったので、この姉妹が小学生から自然にカーリングに親しんだことはTV中継のなかで幾度も紹介されていました。

そして、彼女たちが中学生のときに結成した「常呂中学校ROBINS」(吉田姉妹のほかに同級生の小野寺佳歩と鈴木夕湖)が、日本カーリング選手権に出場し、トリノオリンピック日本代表だった「チーム青森」に予選リーグで勝ち星を挙げて大々的に報じられ中学生旋風を起こしたことは薄っすら記憶しています。ちなみに、ロコ・ソラーレ現コーチの小野寺亮二は、小野寺佳歩の父親です。

敗れた「チーム青森」の小笠原歩選手も常呂町出身で、自分が育成した「常呂中学校ROBINS」の少女たちを「末恐ろしい中学生」とコメントしています。その「チーム青森」には本橋麻里も在籍していて、「常呂中学校ROBINS」に負けた瞬間の場面をいまでもyou tubeで見ることができますが、そこには勝利を喜ぶ吉田知那美や鈴木夕湖の背後で、呆然とたたずむ小笠原と本橋の姿が映し出されていました。

その本橋の呆然とした表情なら、もう一つ見た記憶があります、LS北見がオリンピック代表選考戦で中部電力に敗れた場面、敗れた本橋麻里が表情を硬くして、勝利し満面笑みをたたえた中部電力のスキップ・藤澤五月と顔を背け合って氷上ですれ違う場面です、勝負に生きる者なら当然のことですが、やはり、時を経てやがてオリンピックで共に銅メダルを獲得し、抱き合って喜びを分かち合っていた姿を知っている現在から見ると、いずれもとても違和感のある場面です。

しかし、その本橋の表情には、「負けたショック」とともに、「常呂町」出身者同士が郷土の誇りとは違う部分でぶつかり合わなければならない状況への割り切れない戸惑いが窺われるような気がします、そこには、やがて本橋麻里が常呂町に戻ってロコ・ソラーレを立ち上げる動機のようなものが潜んでいたのかもと見るのは、都合のいい思い込みかもしれませんが。

その「常呂中学校ROBINS」の生徒たち、吉田知那美・小野寺佳歩・鈴木夕湖らを担任していたのは、のちにチームメイトとなる藤澤五月の父親で、また、ROBINSの選手・鈴木夕湖と藤澤五月とは、父親が従兄弟同士のはとこにあたるなど、知れば知るほど奇縁で結ばれており、まるでご都合主義のフィクションのようで、you tube閲覧にもついつい熱が入り嵌まり込んでしまいました。
 
いえいえ、これだけなら傑作・秀作・名作の「ラ・ラ・ランド」「ムーンライト」「ヒッチコック 幻の映画」「プレシャス」「湯を沸かすほどの熱い愛」を差し置いて「ロコ調査」に熱中なんかしやしません。

「ロコ・ソラーレ」加入に至る選手たちの軌跡が、これまたさらにドラマチックなのです。

まず、いかにもアイドルみたいな容貌の創設者・本橋麻里、かつて、カーリングという競技に対してではない部分で「カーリング・ブーム」が巻き起こった際、メディアの関心のされ方に違和感と危惧と反発を漏らしていた彼女の印象が、もうひとつリアルさに欠けているという印象を持ったのは、彼女の「化粧好き」にあったのかもしれません。

「なんだか言っていることと、していることと矛盾してね」という感じです。

オリンピック期間中、藤澤五月のことを天才スキップと称されていたことが紹介されていましたが、それを言うなら中学生にしてオリンピック代表「チーム青森」を倒した吉田知那美だって十分に天才だと思いますが、しかし、ひとつの信念から無の状態のチームを立ち上げ、わずか10年たらずでオリンピックのメダル獲得にまで到達させた本橋麻里の手腕は、選手としても経営者としても管理者としても、まさに天才といってもいい業績だったと思います、少なくとも実業団チームでは為し得なかった快挙です。実業団チームが為し得たことは、実力ある選手を戦力外として見放し、使い捨てて、その管理者としての無能ぶりを後世に伝え世界の笑いものになることくらいがせいぜいだったわけですからね、北海道銀行さん。

そして、「ロコ・ソラーレ結成」から今回の「凱旋会見」まで、今回you tubeをいやというほど見て、はじめて気が付いたことがありました。

数々のタイトルをとり、華々しい戦歴を重ねて十代でオリンピック出場を果たして、その「オリンピック出場・メダル獲得」という視点は常にぶれることなく、もうひとつのコンセプト・郷土愛(「正解」のような気もしますが、スポーツの世界にあっては、ローカルにこだわることは資金面や人的資源からみて、とてもリスキーな賭けでもあります)を前面にだして「ロコ・ソラーレ」を結成して、マイナーな場所(常呂が「聖地」といわれながら、それを本気にしている人など誰一人いなかったのではないかと思います。)にこだわって出発した彼女にとって、「化粧」は、その「微笑」や「涙」と同じように、他人から不安や本心、素顔や内面を読まれないようにシャッタアウトするための仮面=武装なのだと。彼女にあって、たとえそれが「号泣」や「歓喜」や「驚愕」のように見えても、いや、故郷から遠く離れ、故郷を失ったうえで、他国で勝利の栄光をあびることの無意味と空虚と苛立ちを、彼女の「化粧」が、しっかりと覆い隠していて、本当の部分までは分からない、どこか冷めている印象を受けるのは、たぶんそのためだったと思いますし、メダル獲得後に「芸能プロダクションと契約してブームにのって荒稼ぎ」という噂を一蹴したのも、彼女のブレのなさと強い意志とを感じました。

吉田知那美がソチ・オリンピック終了直後、コーチからキミは来季の構想にないと戦力外を言い渡され、その直後の会見で、「私が能力以上の場所に身を置けたのは自分の貴重な財産ですし・・・」と話しながら、突然絶句し、言葉を発せられないくらいの嗚咽に身を震わせはじめる映像でもっとも印象的なのは、その明らかにブザマな嗚咽を取り繕うかのように瞬間にみせる彼女の不自然で痛ましい微笑です。そのとき、その無防備な嗚咽は、まるでいじめにあった弱々しい中学生という印象を受けました。実は、その通りだったのですが。

郷里の凱旋会見で「いまは、ここ(常呂)にいなければ、夢は叶わなかったと思います」というコメントは、故郷にいたのでは夢は叶わないと一度は故郷を捨て、しかし、都会で企業から使い捨てという過酷な仕打ちを受けてすべてを失い、追い立てられるように失意の中で帰省した彼女の、しかし、その逆境を跳ね返した以前とは打って変わった力強い本音だったからこそ、多くの人に感銘を与えたのだと思います。

笑顔こそが最強の武装・武器になると本橋麻里から学んだ吉田知那美の「悟り」だったのだと思いました。

中部電力のスキップ時代の藤澤五月の映像を見ていると、今回の平昌オリンピックの氷上でプレイしている見違えるくらい美しい藤澤五月が、同一人物とは到底思えないくらいの違和感を覚えます。

重圧のもとで投げられた最後の一投が軌道をはずれ、目指す石に掠ることもなく、むなしく流れる石の行方を呆然と見つめるあの素顔の悲痛な表情は、平昌オリンピックの氷上ではどの試合においても見つけ出すことはできませんでした。

自信にあふれ、追い詰められた局面でも微かに微笑み、氷の状態をもういちど仲間と確認し、とにかくゆっくり投げ出せば、リードとセカンドがスウィーピングでいい位置に運んでくれるという余裕さえうかがえます。

そこには、かつて中部電力時代に、責任をひとりで抱え込み、仲間の慰めを拒むような切迫した孤立感で氷上に呆然とたたずむ彼女の姿は、平昌オリンピックにおいては、もうありませんでした。

失敗を引きずらない強さと、チームワークと世界を振り向かせた美しさ(の武装)もまた、本橋麻里から学んだものに違いありません。

この小文は、北見市で行われた凱旋パレードをyou tubeで見ながら書きました。北見市でおこなわれた凱旋パレードのあと、市民会館の報告会で、吉田知那美は、パフォーマンスではなく、カーリング選手としての自分たちの姿を見て欲しいと涙ながらに訴えた姿が印象的でした。




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by sentence2307 | 2018-03-21 17:22 | 映画 | Comments(0)