世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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藤澤五月は、「さらにもっと変な人」なのか

こういう話をすると、あえて自分の迂闊な性向をみずから暴露してしまうみたいで、たいへん気恥ずかしいのですが、よくこんなことを経験します。

以前、朝出がけに妻がなにやら盛んに大杉漣の出演した映画やドラマ(TV出演していた妻の愛視聴番組「ゴチ」も、そうでした)の話をするのです、朝のこの慌ただしい時に「なんだってまた、よりにもよって大杉漣なんだよ」と、内心では、その話題を振る妻の「そもそも」の意図が分からず、少なからず苛立って聞き流していました。

きっと、自分の表情にはあからさまな嫌悪が険しさとなって表れていたと思います。

まあ、そのときの見当のつく事柄といえば、たぶん大杉漣が出演した映画「兄貴の嫁さん」の話をしたことがあって、その映画「兄貴の嫁さん」が日活ロマンポルノ系の作品であることを知った妻が即座にドン引きし、その話はそのまま気まずく中断されたなんてことがあり、なにやら後味の悪い思いをしたことがありました、思い当たることと言えば、気まずく中断させてしまったことのフォローの積もりかなという感じでした。

そのときはちょっとイラッときたものの、これもいつもの唐突な「妻のしょうもない芸能人の噂話のひとつか」と無視する感じで家をあとにしました(そういう会話をしたことなんか、当然すぐに忘れています)、会社についてからしばらく同僚と世間話をしているうちに、「きのう、大杉漣が亡くなったぞ」と聞かされ、あっと思いました、今朝、妻が盛んに話しかけてきたのは、「これか」とはじめて気が付いた次第です。

星野仙一死去や西城秀樹死去の報ばかりでなく、そのほかの「タイムリーな話題」であることなど知らずに、唐突に話題を振られ、「?」を抱えながら、必死になって話を合わせる(その裏であれこれ模索をめぐらして焦りまくる)なんてことが、よくあります。

星由里子と朝丘雪路のときも、ちょっとそんな感じはありました。ある人のブログを読んでいたら、盛んに朝丘雪路の思い出話を書いてあるので、「なんでだ」と訝しく思った直後に彼女の訃報を知りました、彼女もう82歳になっていたんですね。藤本義一や大橋巨泉死去のときもそうでしたが、かつて11PMを愛好していた自分などには、「あっという間の人生」という思いをそのつど強くしています。

しかし、よくよく考えてみれば、これらの話の根本にあるのは、自分の「迂闊さ」なんかではなくて(最初に「死去」の事実をはっきり教えてくれていれば、どれもあり得ない話です)、しかし・ともかく、自分が「分からないこと」に直面したとき、たぶん、いちいち応対する煩わしさとかもあったりして、ついつい根本のところを理解しようとしないまま「他人と適当に話を合わせる」という、不誠実で場当たり的なとてもイケナイ面倒くさがりやの自分の性向がありありとうかがえて、ときどき妻がキレて不機嫌になるのは、自分のこうした性格の部分に「冷たい拒絶」みたいなものを感じ取るためかもしれない、などと最近では自己分析をしています。

なんやかやの話の流れから、ついつい自分ばかりが悪い自己懺悔録みたいになってしまいましたが、しかし、その逆の場合だって大いにあるわけで、その辺のところもちゃんと記しておかないとバランス的につり合いが取れず、不完全燃焼をおこしそうなので、ちょっと書いてみますね。

皆さんの周りではどうなっているのか分かりませんが、自分的にはまだまだ「平昌オリンピックのカーリング・フィーバー」というのは継続していて、例の吉田知那美風な「ナイッスー」というフレーズがすっかり身についてしまって、何かの折につい出てしまい(日常的に使う局面というのが、これがまた実に多いのです)、最近では「ナイッスー」とやらかすたびにドン引きされるという「空気」を(空気じゃないか)会社でも家庭でもモロに感じはじめていたところ、ここにきてまた「ミックスダブルス世界選手権」と「パシフィックアジア選手権・日本代表決定戦」などというビッグイベントがあったりして、またまた「カーリング熱の盛り返し感」が顕著になってきて、なんだか少しホッとしているところです。

しかし、そんなふうに安心しているのはアンタくらいなものかもよという冷ややかな指摘(いまでも平昌オリンピックのカーリング・フィーバーをぐずぐず引きずっているのは、あんたくらいなものだという妻の冷ややかな示唆です)もないわけではなく、キープ・スマイルで「ナイッスー」と言いたい局面でも、つい気後れして口ごもってしまう今日この頃ということは、まあ、あるにはあります。

そうそう、「気後れして口ごもる」といえば、昨日の「パシフィックアジア選手権日本代表決定戦」(LS北見が富士急に3連勝して日本代表の座を得ました)をyou tubeで見ていて感じたことがひとつありました。

どの試合でも、吉田知那美選手はじめどの選手も、マスコミやミーハーの俄浮かれファンの期待に大いに反して、平昌オリンピックの試合では盛んに発していた「ナイッスー」や「そだねー」(現在のところ今年度の流行語大賞最有力候補といわれています)をあえて意識的に封じているような印象を受けました。しかしまた、それを「あえて」と感じてしまうあたりなんかも、この自分もまた「ミーハー」のうちのひとりなんだろうなと気づかされてしまう部分はあります、もっとも「もぐもぐタイム」の方はしっかりありましたけれどもね。

オリンピック開催中のあのとき、日本での盛り上がりを知らずに平昌で快進撃を繰り広げていた彼女たちが自然に発していた「ナイッスー」や「そだねー」は、単に試合を戦ううえで必要としたひとつのコミュニケーション・ツールにすぎず(さらにいえば、スキップ藤澤のモチベーションをアップするためのツールという一点につきます)、相互間の親和が保てさえすれば、それはなにも「ナイッスー」や「そだねー」じゃなくってもよく、たとえ「パシフィックアジア選手権日本代表決定戦」において「ナイッスー」と「そだねー」を発しなかったとしても、彼女たちはそれに代わるべきものとしての「なにか」を発し・交わし合って戦ったに違いありません、ぼくらの知らない「別の言葉」や「別な仕草」でね。

そして、それが虚像を作りたくって仕方のないマスコミによって、ひとつのキャッチフレーズとして「烙印」的に固定化され決めつけられることとは無関係な部分で、彼女たちはまたそれとは異なる「現実的な言葉」を発し・使い始めるに違いないのだと思います。

問題なのは、そんなもの(レッテル)なんかではないこと、戦いの場においてなにが大切(実)で、なにが愚劣(虚)なことか、吉田知那美という選手は、最早「ここ」には既にいないことで、アスリートとしての進化を(それに反してマスコミの後進性も)示し、そして気づかせてくれた実にクレバーなアスリートなのだなと感心しました。

試合のあとに、you tubeでたまたま、藤澤五月と吉田知那美が交互にインタビューに答えている7分ほどの動画がアップされていたので、ついつい見入ってしまいました。

そこでは、かつてふたりがそれぞれに厳しい経緯を経てロコ・ソラーレ北見に加入するまでと、そのときの気持ちの動揺について思い出しながら語っています。

吉田知那美は、かつて、カーリングに対する「強くなりたい」という自分の気持ちがあまりにも過剰すぎて空回りした過去(旧所属チームでの人間関係の困難と軋轢を経てスポイルされました)を振り返り、「カーリングについて、こんなふうにストイックに考えてしまう自分が、どこかおかしいのか」と思い悩んでいたとき、藤澤五月がロコ・ソラーレ北見に加入してきて、「あっ、もっとおかしな人がいた」と笑いながら、藤澤への敬意をこめて語っていました。

殺伐としたこの都会において、生き場を見失ってしまった自分たちには、なにごとにつけてもストイックに取り組む人々を、まずは冷笑で揶揄してしまうという、いつの間にか歪んでしまった感性をもってしまっているので、僕たちが「もっと変な人」を見つけ出そうとすることは、実は到底不可能なことであって、吉田知那美だからこそ藤澤五月のストイックな「もっと変」に気づくことができたのだと思います。

そうそう、以前you tubeで、まさにそのストイックな藤澤五月を揶揄(だから、当然敬遠)するようなタイトルの象徴的な動画を見たことがあります。

そのことに触れるまえに、いまでもその動画が見ることができるかどうか、試しに「藤澤五月」と打ち込んでyou tube検索をかけてみたら、まず最初のページにその動画は現れました。

4分41秒のその動画、メインのタイトルは「私も正直、藤澤さんは無理でしたね」、そしてサブ・タイトルは、「藤澤五月が学生時代に友だちがいなかった理由が悲惨すぎる。」「姉が語るカーリング女子スキップの本性」というものでした。(本性? いい言葉じゃありません、「お里が知れる」というやつですね)

この動画が、このタイトルからすれば、当然、藤澤五月のストイックさを揶揄し、敬遠しようとしている内容と予測してしまいますが、実際のところは全然別内容の「客寄せのための虚妄タイトル」でしかありませんでした。

「姉・汐里」という人の家族的な回想が随所に引用されているところを見ると、雑誌か何かに発表された記事の丸写しを能のない接続詞でつないでいるだけの無能で幼稚な構成です、刺激的なタイトルをつけるくらいが精々のところで、内容の改ざんなどという芸当までは思いも及ばなかったか、それとも元々能力的に無理だったのか、その内容はむしろ素直なものでした。

その内容をざっと要約すると、こんな感じです。

父親の影響でカーリングを始めた姉(汐里)に対して、負けず嫌いだった妹(五月)は、姉に負けたくない一心でカーリングにのめり込んでいった。

高1のときに世界選手権に出場、卒業後、中部電力に入社。

2014年、ソチ五輪代表決定戦に敗退して、挫折を味わった。

「妹(五月)は、内気な性格で、友達とうまくやっていくことも苦手でした。だから、環境の違う人と一緒にやるっていうのは、本人も厳しかったんだと思います。」

転機は、2015年5月に帰郷して、LS北見に加入したことだった。

「いまは、周りの方々にうまく支えられている感じです。特に、一歩引いて支えてくれている本橋麻里さんには感謝です。」

「もともと団体競技には向かない性格かもしれません。中学校まで部屋は同じでしたが、私の物は私の物、お姉ちゃんの物も私の物という意識でしたから、私が妹のカバンを黙って借りたときには、一生口を利かないって泣きじゃくっていたのに、私の物は平気で勝手に使っていましたから(笑)。

妹はひとりで突っ走るタイプだったので、いまのチームに入って一人だけじゃ勝てないってことに気づいたんだと思います。」

意外にもジャイアン気質だった藤澤。でも、最高の仲間がいれば大丈夫だよね。(おわり)


現在、アスリートとして活躍している誇らしい妹を、姉はあえて幼く無邪気だったころの妹を回想して幾つかの微笑ましいエピソード(身勝手だったり自己中だったり)を紹介しています。

肉親に対する親愛の前提部分をあえて除外して、「身勝手だったり」「自己中だったり」の部分だけを切り取って、そこだけ孤立させて紹介すれば、きっと「私も正直、藤澤さんは無理でしたね」とか「藤澤五月が学生時代に友だちがいなかった理由が悲惨すぎ」という内容に捻じ曲げることができるのかもしれませんよね。どこをどう押せば、そんなことになるのか、ネットで流されるガセには、ほんと気を付けなければいけません。

こんなとき、菅原文太が生きていたら、こんなふうに言ったかもしれませんよね。

「おい、若杉の兄貴の隠れ家、地図に書き込んで、サツにチンコロしたんは、おどれらか!」なんてね。



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by sentence2307 | 2018-05-20 17:46 | カーリング | Comments(0)