世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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絶対的指令塔・藤澤五月が見据えるもの

すこし前にこのブログで「写真・常呂町カーリング女子 91年会」について書きました。

1991年生まれの常呂町出身女子カーラーたちの同窓会の写真をみつけて、その顔ぶれが自分のいままでの思い込みを根底から揺るがすもので、その揺らぎのなかにこそ、カーリング選手たちの置かれている不安定な状況(まだまだマイナーなスポーツといわれているのは、その辺のことも含まれているのだと思います)など新たな発見があり、思いつくままに感想を書きました。

そして、その「91年会」の写真の出所を「吉田知那美選手のインスタグラムを眺めていたら」と、簡単に書いてしまったのですが、厳密にいえば、実は、もう少し詳しく説明する必要があります。

確かにこの「常呂町カーリング女子 91年会」の自撮り集合写真は、吉田知那美選手のインスタグラムのなかにあるのですが、その存在を最初に知ったのは、彼女のインスタグラムからではなくて、あるyou tubeの動画を見ていて知ったものでした。

そのyou tube動画というのは、「LS北見vs富士急 前日① カーリング女子」とタイトルされた11分44秒の動画です。

このタイトルにある「前日」というのは、先日戦われた「パシフィック選手権決定戦」の「前日」を指していて、その決定戦を前にした4選手の意気込みをインタビューした動画で、LS北見からは、藤澤五月選手と鈴木夕湖選手、富士急からは石垣真央選手と小穴桃里選手の計4名がインタビューされていました。

しかし、見ていると、「決勝戦の意気込み」というのは、番組前後にほんの少し語られるだけで、番組の主たる内容は、平昌オリンピックでLS北見が銅メダルを獲得したことによって北見市がどれだけ活性化したかという、そっちのレポートの方が主という印象を受けました。

オリンピック銅メダル獲得の効果によって「北見市が活性化された」という企画がまずあって、選手たちの試合への意気込みというのは単なる「付け足し」にすぎないというそんな印象を受けました。

もしその意図が事実なら、選手に対して相当失礼な話だと思ってしまうのですが、しかし、冷静に考えれば、「決勝戦の意気込み」のコメントだけでは時間的にも質的にも番組を満たすことができないと危惧を感じた製作者が、念のために「北見市の活性化」を準備したのだとしたら、たぶんそれはそれで無理からぬことだったのかもしれません。

その最初に感じた違和感というのを、ちょっと書いてみますね。

まず動画の冒頭、4選手が決勝戦への意気込みを順番に語っていきます。

いまではすっかりインタビュー慣れした藤澤選手の気の利いたコメントがあり、続いて鈴木選手の「ミックスダブルス世界戦出場でチームとして藤澤選手を欠いたことで、各選手のポジションの難しさを改めて知り、チームとしてもまた一つ成長できたのかな」というコメントに続いて、富士急の石垣真央選手の語る番になったとき、アナウンサーの「その前にちょっとこの写真をご覧ください」というタイミングで、あの「常呂町カーリング女子 91年会」の集合写真が写し出されて、石垣真央選手もまた常呂町出身の女子カーラーのひとりであることが紹介されていました。

そのとき、自分もまたその「91年会」の写真には大変興味を持ち、そのあとで改めて「吉田知那美選手のインスタグラム」で写真の存在を確認し、その感想をブログに書いた次第です。

この動画は、決勝戦に臨む選手たちの意気込みを伝えるためというよりも、すでに取材済みの「北見市の活性の現状」を紹介するのが主たる目的なのではなかったのかと感じたのが、そのときの「違和感」でした。

まず、選手の並ばせ方からしておかしいのではないかと思いました。

左からいえば藤澤(LS北見スキップ)、鈴木(LS北見セカンド)、石垣(富士急セカンド)、小穴(富士急スキップ)という、そのときの話題(常呂中学同級生)からはずれる富士急のスキップ・小穴選手だけをいちばん端に遠ざけたという印象の、とても強引で不自然ものを感じました。

そうでなくとも場慣れしてない小穴選手の戸惑いの表情(たぶんそれが幾分不機嫌な表情にもみえてしまったのかもしれません)がとても印象的で、なんだか彼女ひとりが孤立してしまっているように見えました。

あれ以来、たびたびこの「91年会」の写真を見返すたびに、「吉田知那美選手のインスタグラム」の方ではなく、この「LS北見vs富士急 前日① カーリング女子」の動画のなかで紹介されている「91年会」の写真の方を見ているのですが、あるときふっと気が付いたことがありました。

この写真を説明するに際してアナウンサーは、確かにこう紹介しています(当然、この写真には藤澤選手も写り込んでいます)。

「ここに写っている皆さんは、常呂中学の同級生なんですよね」と。

しかし、藤澤五月選手は、常呂町の出身でもなければ常呂中学の出身でもありません。

ネットによれば、出身は北見市美山町で、北見市立北中学校~北見北斗高等学校~中部電力となっています。

アナウンサーがなにげに「皆さんは、常呂中学の同級生なんですよね」と言った時の藤澤五月選手の表情(リアクション)を確認しようと、この動画を見直してみたのですが、このアナウンサーのコメントが話されているときの画面には、まだ写真が大写しになっているので、藤澤選手のリアルタイムの表情(反応)を確認することはできませんでしたが、しかし、その場面が変わった直後の表情なら見ることができました。

それは、「憮然」でも「我関せず」でも「不快」でもなく、「微妙な表情」とでもいうしかない表情です、すくなくとも「常呂中学同級生」という当事者の笑顔ではありませんでした。

これは自分の勝手な推測ですが、この91年会が開かれるときに、チームメイトの吉田知那美か鈴木夕湖か吉田夕梨花の誰かが藤澤に声をかけて強引に誘ったのではないかと勘ぐってしまうくらいです。

あの動画から感じた「外された」小穴選手の孤立や戸惑いの「位置取り」の分かりやすさに比べれば、この「常呂町カーリング女子 91年会」のなかに写り込んでいる「そうではないひとり」藤原五月の位置取りは、とても微妙で複雑なものがあるように思えて仕方ありません。

この感じは、ちょうどLS北見の選手たちが、出身校・常呂高校への凱旋報告に行った際に、藤澤五月ひとりが不在だったときに感じた「あれっ?」という不意打ちのショックに似たものがありました。藤澤選手は藤澤選手でひとり北見北斗高等学校に凱旋報告に行ったわけですが。

「91年会」の写真を見続けていると、なんだか背後にいる吉田知那美が、ひとり常呂町出身ではない藤原五月の孤立を感じさせまいと一生懸命かばっているような・守っているような、なんだかそんな感じに見えてきてしまいます。

そう考えると、本橋麻里の藤原五月に対する一歩引いた気の使い方は、「常呂中学校ROBINS」の元選手たち(吉田姉妹と鈴木夕湖)に対するそれとは、あきらかに違うものがあるような気がして仕方ありません。

そうそう、吉田知那美が言っていましたよね。

《「カーリングについて、こんなふうにストイックに考えてしまう自分が、どこかおかしいのか」と思い悩んでいたとき、藤澤五月がロコ・ソラーレ北見に加入してきて、「あっ、もっとおかしな人がいた」と笑いながら、藤澤への敬意を語っていた》

自分も引用させてもらったあの動画で、その吉田知那美のコメントは、そのあとにも、もう少し続きがあって、そこで彼女が語っている藤澤五月の微妙な「位置」というのがずっと気にかかっていました。

その部分をちょっと紹介してみますね。

「(藤澤五月は)本当にカーリングが大好きで、誰もやったことがないことに挑戦することも怖くない、本当に限界がないっていうか、学ぶことに対しても、カーリングに対しても、そういうふうな姿勢で(LS北見に)入ってきてくれて、さっちゃんの中にもこのチームに入ってからのいろんな葛藤だったり、いろんな責任だったり、いろんなことを思って過ごしていると思うんですけれども、そのひとつひとつに真正面からぶつかって、一生懸命取り組んでいる姿は、やっぱり同じ年で同じチームであっても尊敬します」と。

そうそう、本橋麻里もどこかで藤澤が彼女の弱点でもあったメンタルの強化に努めていること(藤澤選手自身がそのことについて語っている動画もあります)を高く評価している動画もあり、吉田知那美と似たコメントを残しているのも覚えています。

そして、これらのコメントは、あの「91年会」写真を見て感じた「吉田知那美が藤原五月を一生懸命かばっている」というあの感じと、とても共通するものがあるような気がして仕方ありません。つまり、藤澤選手に対して「気づかう」という、いい言葉ではありませんが、腫れ物に触るような微妙な空気感という感じです。

2015年5月、藤澤五月は中部電力カーリング部からLS北見に移籍加入しています。

そして、その年の11月に行われた第25回パシフィックアジアカーリング選手権(PACC)では日本勢10年ぶりの優勝を達成します。移籍後、わずか半年で結果を出したわけですが、やはり、絶対的指令塔といわれた期待通りの藤澤五月の活躍がLS北見を優勝に導いたと誰もが考えたに違いありません。このとき、本橋麻里は、産休に入っていました。

次の年、2016年2月、第33回日本カーリング選手権大会決勝でチーム富士急に勝利し、3度目の決勝進出でLS北見は念願の日本選手権初優勝を達成しました。その勝利によって世界選手権と、翌シーズンのパシフィックアジアカーリング選手権の出場権を獲得したということになるのですが、しかし、藤澤五月にとって日本カーリング選手権の優勝は、2011年~2014年まで、すでに4連覇の実績があるくらいの「常連」にすぎず、日本のトップカーラーとしてオリンピック出場とメダル獲得を視野に収めていた藤澤選手にとってはそれほどの感慨があったとはどうしても思えません(推測ですがLS北見の他の選手たちは、この初めての快挙に物凄く喜んだに違いないと思います)。

そして、「オリンピックに出られるなんて夢にも思ってもいなかった」(鈴木夕湖・吉田夕梨花選手)とか「オリンピックに挑戦するステージに立てることすら考えられなかった」(吉田知那美選手)と漏らしていた他の選手たちとのオリンピックに対する思い入れの大きなギャップに、むしろ藤澤五月は精神的な「孤立」を深めていったのではないかと考えました。

2016年3月、世界選手権スウィフトカレント大会で一次リーグを9勝2敗の2位で突破し、決勝でスイスに敗れ日本勢は初の準優勝(銀メダルを獲得しました)を達成します。

そのときの様子がいまでもyou tubeで見ることができるのですが、すっかり喉を嗄らした藤澤五月が悔しさで泣きながら外国メディアのインタビューに答えている動画が残っていて、その悔しさで号泣している姿と悲嘆ぶりは、まるで「予選落ちした」選手のようで、初めての銀メダルを日本にもたらした誇らしさなど微塵もうかがわれないものでした。

それまで「オリンピックに出られるなんて夢にも思ってもいなかった」り、「オリンピックに挑戦するステージに立てることすら考えられなかった」と言っていたチームメイトにとって、悔しさで身もだえして号泣する藤澤五月の姿を間近に見て、彼女からなにかを学んだに違いありません。トップカーラーとして、どこまでも頂点を目指して戦うことの誇りとか。

その後のインタビューでは、「準優勝=銀メダル」を喜ぶコメントを語る選手は誰ひとりなく、「最後に負けて表彰台に立ったのは、自分たちのチームだけ」と涙を流しながら悔しさを語っていました、藤澤五月からカーラーとして氷上で戦うということの意味を学んだ、まさに「藤澤五月効果」といえる姿だったと思います。

そして皮肉なことに、それ以来、2017年9月、平昌オリンピック日本代表決定戦で中部電力に3勝1敗で勝ち平昌五輪代表権を獲得するまでチームが勝ちから見放されるという苦難の期間が続きます。

前述の動画にあった吉田知那美選手のコメントの「(藤澤五月は)本当にカーリングが大好きで、誰もやったことがないことに挑戦することも怖くない、本当に限界がないっていうか、学ぶことに対しても、カーリングに対しても、というふうな姿勢で(LS北見に)入ってきてくれて、さっちゃんの中にもこのチームに入ってからのいろんな葛藤だったり、いろんな責任だったり、いろんなことを思って過ごしていると思うんですけれども、そのひとつひとつに真正面からぶつかって、一生懸命取り組んでいる姿は、やっぱり同じ年で同じチームであっても尊敬します」は、勝てない時期に孤立を深め葛藤のなかで悩み苦しむ藤澤の姿を間近にしていた吉田知那美選手の正直な驚愕の気持ちと、そうした藤澤への尊敬とが語られていたのだと思いました。

「銀メダルを獲得してもなお悔しがるカーラーとしての誇り」や、負け続けた日々、孤立に耐え、もだえ苦しみながら殻を破ろうとした藤澤の姿を間近に見ながら、ほかの選手たちもその過酷な時期に「分裂」ではなく「結束」を高めたことと、オリンピック・メダリストという夢を実現することとが決して無縁のものではなかったことを証しているのだと思われて仕方ありません。



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by sentence2307 | 2018-06-10 23:32 | カーリング | Comments(0)