世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件

以前、この映画「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」を見たあとで直感的に感じたことを、友人にそのまま話したことがありました。

「これって、大島渚の『愛のコリーダ』みたいじゃないか」と。

そのときの友人のあからさまな素っ気ないリアクションを待つまでもなく、すぐに、見当違いなことを話してしまったかもしれないなと反省し、よく考えもせずに思い付きを口にしてしまったことを後悔した覚えがあります。

しかし、いまにして思えば、この映画の随所に写し込まれている物々しい戦車の往来や武装した軍人の猛々しい行進など戒厳令下の緊迫した社会不安が、台湾で起きたこの少年殺人事件を独自の世界観で描いたこの作品を考えるうえで、ひとつの見方を与える重要なヒントとなるかもしれないと考え直すようになりました。

「愛のコリーダ」は、戦前日本の戦時体制にあった戒厳令下で、まるで追い立てられるように安宿の密室に追い詰められた吉蔵とお定が、ひたすら自傷的な性交にふけり、やがて相手の死によってしか終わらせられないような無残な「まぐわい」の果ての最期に、若干であっても「自由でありたい」と願う痛ましい疎外者たちの叫びを微かに聞いたように、台湾の社会にどうしても受け入れられず・馴染めもしなかった外省人たち、その息子や娘たちが突き付けられた「戒厳令」という台湾社会からの冷ややかな「拒絶」によって疎外感や動揺に見舞われ、しかし、それでもどうにかして生きていかなければならない外省人の貧しい娘・小明が、権力を持つ何人もの男たちに依存しなければならなかった彼女の、その「生き方(次から次に男たちを渡り歩く節操を欠いたふしだらさ)」を知った小四がその卑屈さに屈辱と怒りとに逆上し、衝動的に小明の腹部に刃を突き立て、さらに何度も何度も突き刺して殺害する場面、そのとき小四がなんと叫んでいたのかが知りたくて、同じシーンを何度も繰り返し見直しました。

小明の脇腹を突き刺しながら、小四は、こう叫んでいました。

「君は、ダメな奴だ! 恥知らず!」

怒りに任せて小明の脇腹に小刀を何度も突き通し、やがて、力尽きてぐったりと地に伏した小明に驚いて、小四は叫びます。

「小明、立てよ、早く立てよ。力を入れて。君は死なない、信じてくれ。急いで立つんだ。君にはできる。早く立ってくれ。立ってよ。どうして立てないんだ」

小四の言葉をこうして逐語的に写し取っていくと、「君にはできる。早く立ってくれ」という言葉は、随分と象徴的な言葉だったんだなと気が付きますが、逆に、突き殺す際に叫んだ「君は、ダメな奴だ! 恥知らず!」という言葉は、その少し前の場面で、母親が大切にしていた時計を長兄・老二が盗み出して売り払ったと思い込んだ小四の父親が、老二を厳しく執拗に折檻しながら罵っていたそのままの言葉「お前は、ダメな奴だ! 恥知らずめ!」でもあることに気づかされます。

しかし、実際に母親の時計を盗んだのは、兄ではなく小四で、兄は弟の罪をかぶり黙って折檻されていたことが分かります。

それに、小四の生活が荒れていたとき、つねに自分を信じてくれた唯一の理解者である父親の倫理観に従って、愛する小明の「ふしだら」を非難し、殺害に至ったのですが、その父親の倫理観もまたこの台湾社会においては踏みにじられていることを小四は徐々に知り始めています。

父親の兄・老二に対する歯止めのきかないような怒りの折檻は、その直前、警備総部から「ある嫌疑」(共産主義者か、あるいはそのシンパとしての嫌疑)を受けながら、頼みにしていた外省人同胞が頼りにならないことを思い知らされるという痛切な背景があって、厳しい尋問を受けたすえに精神の均衡を崩し、切羽詰まって膝を屈し本省人に支援を頼みにいくという屈辱と苛立ちとの鬱屈が、やがてあの長兄・老二への惨たらしい異常な折檻に直結したことは明らかだと思います。

「盗み」という卑屈さによって台湾社会に屈服する長兄・老二にぶつける父親の怒りの実体は、大陸の倫理観や友情をいまだに捨てきれない自身の不器用さと、台湾社会での生きづらさとを証してもいるのですが、その折檻をなにひとつ弁解することもなく黙って受けていた兄・老二についても、そこに同質の絶望感を見い出すことは、きわめて可能なことだと思います、そして、さらにいうなら、家族の厳しい状況を眼前で嫌というほど見聞きしている小四もまた台湾社会に対する不信感と絶望感を抱え込んでいることは、ラストにおいて小明と対峙する場面(殺害する直前)で明確に描かれています。

小四は、暗がりで、学校帰りの小馬を、ひとり待ち伏せしています。

小四には、日ごろから女性を蔑み、女など金の力でどうにでもなる性欲を満たすための道具くらいの価値しかないと嘯いている小馬が、家政婦の娘として家に住まわせた小明もまた、「どうにでもなる女」のひとりにすぎないと蔑み見下す小馬の尊大な態度と言動に腹を立てています。

彼には、貧しい外省人すべてが馬鹿にされているようで腹立たしく、当初は、ただ小馬を脅かすつもりの「殺すぞ」だったものが、小猫王の「小馬が刀を持ち出してきた」と聞くにおよび、危機感と対抗心から小刀を携帯し、「相手の出方次第では、場合によっては刺し殺すかもしれない」くらいは、思ったかもしれません。

待ち伏せしていたそのときの小四の小馬に対する「殺意」が存在として、わずかながら「あった」としても、その同じ瞬間の小四に、小明に対する殺意があったとは、どうしても思えません。

しかし、実際は、結果的に小四は小明を刺し殺しています。

なにが、小四を、怒りの極限まで煽り立て殺害にまで至らしめたのか、そのわけをどうしても知りたいと思いました。

小四は、セックスフレンド・小翠から聞き知った小明の不行跡(小明の本当の姿)を聞いて衝撃を受けています、小明をなじり、小明もまた抗弁し、その抗弁を聞いた小四はさらに怒り、立ち去ろうとする小明を押しとどめようとした彼女から、「あんたも皆と同じ俗物だ」となじられて、カッとして刺し殺すに至ったという感じですが、そのときの具体的にやり取りがどうしても具体的に思い出せません。

小四の怒りを煽り立てる、そして、彼女を突き殺してまで留めようとした小明の言葉とはどういうものだったのか、知りたいと思いました。

仕方なく、もう一度、小四と小明のやり取りの部分から見直しました。

学校を終えた小明は、自転車置き場に小四の自転車があるのを見つけて、小四の名を呼んで探します。

小明には会いたくない小四は、足早に立ち去りかけますが、つい小刀を落としてしまい、彼女に追いつかれてしまいます。

そして小明は言います。

「どうしたの、なぜ学校にいるの。それ何。何を持っているの。小馬を待っているのね。そうなんでしょ。それはだめ」

「君を馬鹿にさせない」

「なにを言うの。勉強に専念していないの」

「小明、ぼくは全部知っている。でも平気だよ。ぼくだけが君を救うことができる。ぼくは君の希望だよ。ハニーと同じだ。君はいまもハニーを忘れない。そして、今はぼくがハニーだ」

「助けるって? 私を変えたいっていうの。結局は、ほかの人と同じだわ。あなたは違うと思っていたのに。私の感情という見返りを求めて、安心したいわけ? 自分勝手だわ。私を変える?(薄ら笑い)この社会と同じ、なにも変わらないのよ。あんた、何様?」

小明の辛辣な言葉に逆上した小四は、彼女にこれ以上(薄汚れた現実を)喋らせまいとして、刺し殺したのだと思います。

しかし、それが「黙れ! 黙ってくれ」ではなく、より積極的な「君は、ダメな奴だ! 恥知らず!」であったことが、とても痛ましく衝撃的でした。

小明をなじるその絶叫には、小四が抱え持った「正義」や「倫理観」が、そのまま彼女に否定され裏切られた怒りの言葉として叫ばれています。

小明が言った「私の感情という見返りを求めて、安心したいわけ?」の意味が、「sexは付き合うけど、愛情なんて求めないでよ」(これが小明のリアルの実体です)でもあることを十分に知っていた、現実を直視したくない小四はなんとしてでも小明を黙らせないわけにはいかなかったのだと思います。

ここまで書いてきて、この作品の中で小四は、その前にも「あんたは自分勝手だ」となじられていたのではなかったか、と薄っすら気がつきました。

それは、小明が、「実は、男から男に渡り歩くふしだらな女」だと教えてくれたセックスフレンド・小翠との逢瀬の場面でした。

もう一度、さらにその場面まで立ち戻って見返してみました。

小四が言います。「昨夜、滑頭に会った、別人だったよ。人は変わるんだなと慰められた気分だ。」

「何が言いたいの?」

「小翠、ぼくら、長く一緒にいられるかな。ぼくは君に穏やかな安らぎを与えられるかもしれない」

「ずいぶん真剣なのね。あんた、私を軽蔑していたはずよね。私を変えたいのね。実験のつもり? 大そうな理屈だわ。私は毎日自由に生きている。私が変わらなければ? あなたの思い通りでなければ相手にしない? 自分勝手だわ。何様のつもり?」

(これって、小明の言ったのと、同じセリフじゃないですか。)

「悪気はなかったんだ」

「むしろ以前のことに私は感謝している」

「以前? なんのことだ?」

「とぼけてるの。滑頭が217に襲われたとき、一緒にいたのは小明よ、知らないの。滑頭は、ハニーの報復が怖くて私だったことにしたの。私がバカだった。説教は小明にしたら? 私どころじゃないわ」

息苦しい反共の厳しい監視下の台湾において、「自由でありたい」と願いながら満たされない鬱屈のはけ口のような不良グループとの抗争の明け暮れの荒れた日々を送っていたのは、なにも少年たちばかりでなく、少女たちもまた、彼女たちなりに厳しい現実から顔を背け、あるいは逃れるように、怠惰でなげやりな、刹那的な日々を自嘲的におくっていたことを、このふたりの少女の奇妙なリフレインは明確に示しているのだと感じました。

この少女殺害事件の裁判によって小四は死刑を宣告されますが、多くの深刻な議論の果てに最終的には懲役15年に処せられ、30歳になって釈放されたと字幕には記されています。

そしてラストのシーン、あれから二年後、小四の家族は引っ越しのために家財をまとめ、住んでいた日本家屋を掃除している場面が映し出されます。

兄が時計を盗んだことを母に告げ口し、この外省人一家を深刻な大騒動におとしいれた三女の張雲もまた、母親から指示されながら荷物の整理をしています。

張雲が棚の上の荷物をラジオを踏み台にして取ろうとしたとき、踏み外してラジオを床に落としてしまいます、それは長い間よく音が聞こえなかった故障したラジオでした。

しかし、その落とした衝撃によってラジオが突然直り、その年の大学合格者の名前が淡々と読み上げられるという場面です、背中を向けて荷物の整理をしていた母親の動きが一瞬止まり、そのラジオの声に緊張してじっと聞き入っている感じで映画は終わります。

母親のその異様な緊迫感に、思わず自分は、このとき、もしかしたら、合格者の名前の中に小四の名前も読み上げられたのではないかと、一瞬、邪推してしまったくらいでした。

それはこの作品の随所で小津監督の影響が感じ取れることもあったからかもしれません、すぐに、小津監督の「映画はドラマだ」という言葉を想起しました。

小四が残した「最後の気配」として、映画の最後で大学合格者として彼の名前が、奇跡的に直ったラジオから流れてきて、母親が慄然とする、これ以上の映画の終わり方はないのではないかと一瞬思ったのですが、いやいや、それではあまりにも「作り過ぎ」なものになってしまうかもしれないなと、慌てて思い直しました。

小四があのまま勉強に専念していたら、あるいは、こうして大学合格者のひとりとしてラジオで名前を読み上げられることもあったかもしれないという、背中で演じられる「母親の感慨」だけで十分に小津映画へのオマージュは果たせたと考え直しました。


(1991台湾)監督脚本:楊徳昌(エドワード・ヤン)、製作総指揮:詹宏志(チャン・ホンチー)、プロデューサー:余爲彦(ユー・ウェイエン)、脚本:閻鴻亞(ヤン・ホンヤー)、楊順清(ヤン・シュンチン)、頼銘堂(ライ・ミンタン)、撮影:張惠恭(チャン・ホイゴン)、編集:陳博文(チェン・ポーウェン)、美術:楊徳昌(エドワード・ヤン)、余爲彦(ユー・ウェイエン)、録音:杜篤之(ドゥー・ドゥージ)、音楽監修:詹宏達(チャン・ホンダ)、製作会社・中影股份有限公司、楊德昌有限公司
出演・チャン・チェン張震(シャオスー小四)、リサ・ヤン楊靜恰(シャオミン小明)、ワン・チーザン王啓讃(ワンマオ/リトル・プレスリー王茂/小猫王)、クー・ユールン柯宇綸(フェイジー飛機)、タン・チーガン譚至剛(シャオマー小馬)、ジョウ・ホェイクオ周彗國(シャオフー小虎)、リン・ホンミン林鴻銘(ハニー)、チャン・ホンユー陳宏宇(ホアトウ滑頭)、ワン・ゾンチェン王宗正(アーティアオ二條)、タン・シャオツイ唐暁翠(シャオツイ小翠)、ヤン・シュンチン楊順清(山東シャンドン)、ニー・シュウジュン倪淑君(神経クレージー)、ワン・ウェイミン王維明(カーウ卡五)、チャン・クォチュー張國柱(小四の父)、エレイン・チン金燕玲(小四の母)、ワン・ジュエン王娟(長女・張娟チャンジュエン)、チャン・ハン張翰(兄・老二ラオアー)、ジャン・シウチョン姜秀瓊(次女・張瓊チャンチョン)、ライ・ファンユン頼梵転(三女・張雲チャンユエン)、シュー・ミン徐明(汪國正ワン・グオチェン)、シュー・ミンヤン施明揚(医者)、
3時間56分

1991年東京国際映画祭 審査員特別賞・批評家連盟賞
1991年ナント三大陸映画祭 監督賞
1991年台湾金馬奨 最優秀作品賞・脚本賞
1991年アジア太平洋映画祭 グランプリ
1992年シンガポール国際映画祭 監督賞
1992年キネマ旬報ベスト・テン 第2位・外国映画監督賞
2015年釜山国際映画祭 「アジア映画ベスト100」第7位



【参考】
①台湾の歴史と日本の影(1895年の下関条約によって台湾が日本に割譲されて以降、半世紀に及ぶ日本の植民地支配。)
②外省人と本省人(1945年の日本敗戦によって中国大陸から台湾に移り住んだ台湾省以外の出身者が外省人。台湾省の出身者と接収以前から台湾に住んでいて、日本の植民地統治を経験したのが本省人。)
③国共内戦の敗北と眷村(けんそん)(1949年に国民党政府は共産党軍との国共内戦に敗れ台湾に撤退したため、外省人が急増した。台湾には階級の低い軍関係の外省人が集住する眷村と呼ばれる地区があった。)
④冷戦とアメリカの影(1949年10月の中華人民共和国の成立と1950年6月の朝鮮戦争勃発によって世界が「東西冷戦」の時代に入る中、台湾は「反共の防衛ライン」とされ、中華民国(国民党)政府は生き残った。そのため、本作に登場する小公園パーラーの天井を飾る旗は、中華民国、アメリカ、国連の3種類とされ、「反共復国」「反攻大陸」のスローガンとプレスリーの甘い歌声が同居する中、台湾は戦争と暴力の気配に包まれた。)
⑤戒厳令と白色テロ(反共の防波堤となった台湾では、『悲情城市』で描かれたように、中華民国(国民党)政府は台湾を「共産党」勢力が入り込まない浄土にするため、「白色テロ」と呼ばれる共産主義分子の摘発キャンペーンを繰り広げた。そのため、1949年から1987年まで、何と38年間にもわたって世界に類を見ない長期の戒厳令がしかれ、集会、結社、言論、報道、学問の自由が制限され、郵便や電報が検閲された。)

【眷村】
眷村(けんそん)は、台湾において外省人が居住する地区を示す名称。1949年から1960年代にかけ、国共内戦で大陸を失った国民政府により台湾への移住が行なわれた中華民国国軍とその家族60万名が建設した家屋が密集した地区が誕生し、既存の集落と区別されてこの名称が使用された。
1949年、国共内戦に敗北した中国国民党は多くの政府官僚、公務員、軍人と関連住民に対し台湾移住政策を実施した。統計によれば1946年時点の台湾の人口は610万人であったのが、1950年には745万人に急増しており、その大部分はこの時期台湾に移住した、いわゆる「外省人」であったと推測される。急増した150万人以上の住居問題を解決するため、国民政府は住宅建設を進めると同時に、それらの移民が集団で生活できる地区を設定し、この政策により大都市では小規模移民村としての眷村が誕生した。
眷村の多くは日本統治時代の建築物を利用したため、日本統治時代に日本人が多く居住していた台北市、嘉義市、台南市、高雄市などに集中して成立した。まだ、軍事基地付近の新北市と桃園市等でも多い。
面積がまちまちの家屋が立ち並び、外省籍の公務員、軍人及びその家族(眷属)が多く居住する地区を、「眷村」と称している。その種類は官僚、軍人、一般公務員、教師、地域の5種類に分類され、それぞれが属する政治的、経済的階級により無産権(不動産の権利が存在しない物件)による街並みが形成されている。日本統治時代の建築物を利用している場合もあるが、殆どの家屋は戦後急造されたものである。
眷村は通常広大な面積に建設されているが、それはまた閉鎖的な社会であり独自の文化を有していた。現在でも眷村黒話と称される独自の言語用例が使用されるなど、台湾のサブカルチャーの一つとしても注目されている。
また、中国国民党は眷村を管轄する支部として、「黄國樑党部」および「黄復興党部」を設けている。また、親民党も同様に「甘泉党部」を設け、外省人が多い眷村での支持獲得を図っている。



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by sentence2307 | 2018-07-09 07:51 | エドワード・ヤン | Comments(0)