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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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リュミエール兄弟、「世界撮影隊」派遣の夢と現実

花の金曜日の夜から土曜日の朝にかけて、そのとき思いついた映画関係のテーマを気ままに書いては、週初めにこのブログを更新するというのが、いつの間にか自分の習慣みたいになっています。

その一週間のあいだに見た映画の感想ということになるのですが、いい具合になにか書けそうな作品に遭遇できるなんてことはむしろ稀で、だいたいはなんのインスピレーションも湧かず、一向にモチベーションもあがらない何本かの作品を前にグズグスと過ごしているうちに、アップしたいと思っていた日曜日も終えてしまい、次の週に持ち越しなんてことを繰り返しています。

ある作品をどうにかアップまで漕ぎつけることができても、実はその「裏」で、何倍もの書けない「一向にモチベーションがあがらない作品」というのを抱え込み、溜まりに溜まり続けているという状況もあります。

具体的なその作品をあげるとすれば、「えっ、そんな駄作に長々かかずらわっているわけ! そりゃ書けないのも無理ないわ」と納得の同意をいただけそうな映画から、「そんな名作、どうして書けないわけ?」と非難されそう小津作品や黒澤作品まで実に様々で、そんな感じで個々の作品に対して書けない事情としては、それぞれに納得のできるものがタトエあったとしても(そりゃそのときの自分の気分というものだってありますし、これが別の時になら書けたかも、ということだって大いにあります)、そういう中途半端な感想が書きかけ状態のままパソコンの中に眠り・自分の中にも滞り、どんどん貯まっていて、それを片っ端からどんどん忘れていく(メンタル的には、その「忘れねばならない」ということだって必要なことだと認識しています)そういう状況のなかで、常に別の書けそうな新たな作品やテーマを物色しつづけては、やっぱり挫折を繰り返しているという感じです。

これじゃいけない、それこそ駄目になるとか思い立って、成就しなかった走り書きをなんとか生かせないかと、改めて端から読み返してみるのですが、しかし、すでに魂の抜けてしまったものが、どう生かせるわけもなく、そんな無意味を強行しているうちに、自分がしていることが、だんだん、まるで「死んだ子の年を数える」みたいな行為に思えてきて、堪らなく陰惨な気分に落ち込みそうになるので、やはりそれは避け、直近に書いたもの(こちらの方はまだまだモチベーション的にはリアルなので)を読み返すということに、だいたいは落ち着いていく感じです。

そんな感じで、また前回の「リュミエール兄弟もの」に戻ってきてしまいました、まあ「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」みたいな感じですかね、いつものことですが。

実は前回、五十音順に配列し直したリュミエール作品に解説を付すために参照する本を幾冊か用意したのですが、作品として物凄く有名な「工場の出口」とか「列車の到着」とか「水撒き人」などの解説は多く、別段苦労しなかったものの、知名度の低い、それも個々の作品の長さが1分弱か、せいぜい1分強の、ごく短い作品の多くは同タイプ・同シーンの作品が多く、そして同じようなタイトルが付されているために、「はたしてこの作品は、このタイトルでいいのか」と迷い、識別するために自分なりに考案した仮称(地名・人名の固有名詞を被せたもの)で特定していくという気の遠くなるような、深入りすればするほど、底なし沼に足を取られるような迷路に迷い込む感じで、そのうちになにがなにやら分からなくなり、うんざりし、きっと、どこぞの国に「リュミエール記念博物館」とか「映聖(「楽聖」とかあるので、きっと「映聖」もあるのではないかと)リュミエール大美術館」みたいな顕彰施設があって、しかもそこにはとても優秀な学芸員とか司書とかがいて、敬意と愛情のこもった完全無欠の総カタログなんかも既にあり、そこにはちゃんと固有の「特定されたタイトル」がとっくに存在しているとしたら、「現在自分のしていることはいったい何なんだ、徒労にすぎない馬鹿げたことをしているのではないか」という思いがよぎり、たまらない焦りと脱力感に襲われたとき、ふっとこのジョルジュ・サドゥールの「世界映画史」を思い出したのでした、起死回生、驚天動地、起承転結、西郷隆盛、長いあいだ開きもしなかった積んどく本がここで大いに役立ちました。

自分が持っている版は、1964.12.30発行・みすず書房刊・定価4000円のものですが、いまならアマゾンで幾らくらいで手に入れられるのかと試みに検索してみました、というのは、1000頁はあろうかというこれだけの名著です(タテ組の正ノンブルとヨコ組みの逆ノンブルとが合体しているので、とっさに浅墓な暗算的イメージでつい1000頁と口走ってしまいましたが確信はありません)、いまなら当然、もの凄い高値がついて取引きされているに違いない、4000円×数倍、あるいは数十倍になっているはずという思いで(期待ではなく、むしろ「自負」みたいなものだったかもしれません、結果的には単に妄想にすぎなかったということが後ほど証明されます)検索を試みました。

それがあなた、中古品が8点もあって最安値がなんと448円! 思わず絶句です。この本500円払っても、なお、お釣りがくるっていうんですか、呆れた(「あきれた」と読みます)、実に呆れ返りました。

ほとんど自棄(このバヤイは「やけ」と読みます)になって自虐ついでに他の7冊の本の値段も合わせて調べてみました。

1 ¥ 448 +¥ 257(関東への配送料)コンビニ・ATM・ネットバンキング・電子マネー払い
表紙に強いスレ、強いヨレ、ヤケ、強い傷み(カバー破れ)、シミ、天地小口にスレ、ヤケ、多少のシミ、ヨレ、本にヤケ、シミ、あり。星5つ中の星5つ

2 ¥ 449 +¥ 257(関東への配送料)コンビニ・ATM・ネットバンキング・電子マネー払い
1964年発行。函付き。函と三方に若干強めの薄汚れ、ヤケによるシミあり。若干強めの日焼けや使用感あり。星5つ中の星5つ

3 ¥447 +¥ 339(関東への配送料)
ヤケ、カバーイタミ、天に汚れ、本文に線引きなどの書き込みなどの問題があるが、読むのに支障なし。星5つ中の星5つ

4 ¥1,980 +¥ 257(関東への配送料)
ダンボールの外箱なし、透明カバーとカバーはあり、索引の最後の箇所に多少の製本折れあり。星5つ中の星5つ

5 ¥2,400 +¥ 257(関東への配送料)
1964年発行。運送箱付き。運送箱はスレ・汚れ・傷み等あり。本体ビニールカバー付きで破れ・汚れ・経年変色等あり。星5つ中の星5つ

6 ¥2,500 +¥257 (関東への配送料)
初版・カバー使用感あり・印あり。星5つ中の星5つ

7 ¥2,500 +¥257(関東への配送料)コンビニ・ATM・ネットバンキング・電子マネー払い
1964.12.30発行。経年なりに良。天小口に多少の茶点ジミ・焼け、2箇所程度の開き癖、カバー焼け・汚れ、角等に擦れ。星5つ中の星4.5つ

8 ¥4,000 +¥257(関東への配送料)コンビニ・ATM・ネットバンキング・電子マネー払い
1964発行 世界映画史 サドゥール著 丸尾定訳 本体のみ 見返し1行落書 本の天地小口ヤケ 極少朱線 訂正5字書込 みすず書房 昭39  星5つ中の星5つ

そうですか、そうですか、そうですか!!

4~8なんかは、それなりに適正価格といえますが、1~3なんか、ほとんど440円台で競っているじゃないですか、なんですかこれは。もうほとんど惨状です、まさに「父さん、悲しいぞ」状態です。

しかし、ここは逆上せずに、ひとつ冷静になって考えてみる必要がありますよね、自分の持っている本も50年以上経っているので(考えてみなくたって、どれも「同じ」です)、そりゃあもう物凄い痛みようです、そろそろ代替わりさせなければならない時期になっているのかもしれません、ここにほら「星5つ中の星5つ」とあるくらいですから、この1の448円に買い替えるのもいいかなと(パッと見、3が¥447と最安値のように見えますが、ほら送料が¥ 339という陥穽があります、気を付けなければいけません)、十分検討に値する価格であることは確かです。考えようによっては、古本屋さんが、いままで自分のためにこの本を50年間「¥448 +¥257」という費用で保管してくれていたと考えれば、結構おいしい話に見えてきました。

まあ、こう一覧にしたものを見てしまえば、どう考えても8の¥4,000 +¥257はあり得ないのかなという気がだんだんしてきました(なんか、さっきとは、言ってることが逆転しているように思われるかもしれませんが)、まあ、「愛着」と「市場価格」を混同して、市場経済を見失い、ほんの一時とはいえ正当な価格を見失った愚挙をおかした自分の誤りを反省しています。

でも、これだけの名著が¥448とは、やっぱり驚きです。

まあ、いつか機会があれば、1993年に国書刊行会から刊行された「世界映画全史」全12巻と1964年版とどこがどう異なるのか、じっくり腰を据えて対照してみたいと思っています。

まあ、冗談はともかく、ジョルジュ・サドゥールの「世界映画史」を活用して、リュミエール作品の解説を補ったところまで書きました。

その際、「エッフェル塔上昇パノラマ(1897)」の項の解説に、「世界映画史」から以下の部分を引用しました。
こんな感じです。

「《初めてカメラは動き出したのだ》とフランスの映画史家・ジョルジュ・サドゥールは、その著「世界映画史」のなかで讃嘆をこめて書き綴っている。
《この手法の成功は素晴らしかった。汽車、ケーブルカー、気球、エッフェル塔のエレベーターなどから撮影が行われた。しかし、リュミエールのカメラマンたちの移動撮影の応用は、記録映画に限られていた。1896年、ディックスンによって利用されたパノラミックスにとっても同様であった。ルイ・リュミエールとそのカメラマンたちの寄与は相当なものである。しかし、メカニックのある範囲内にとどまっていたリュミエールのリアリズムは、映画からその主要な芸術的手段を退けている。1年半後には、大衆は、シネマトグラフに飽きている。純粋に示威的で、その技術が主題の選択、構図、照明によって限定されていた1分間の動く写真の形式は、映画を袋小路に導いた。そこから抜け出すために、映画は類似した芸術である演劇の諸手段を用いながら、ひとつの物語を話し始めることを覚えなければならなかった。それを成し遂げたのが、ジョルジュ・メリエスである。》

リュミエールの「映像」のみで感動を与えることのできたドキュメンタリー風手法もそろそろ大衆に飽きられはじめ、その限界を乗り越えるべく、バトンはジョルジュ・メリエス引き継がれた、時はまさに新しい時代に突入しようとしていた。」
この部分をざっと要約すると、

「『エッフェル塔上昇パノラマ』に見られた画期的な移動撮影の発見もメカニックの範囲内にとどまり記録映画としての限界を示した」→「1分間の記録映画の形式としての限界と袋小路」→「大衆に飽きられた」→「活路として演劇的要素の導入の必要」→「リュミエール兄弟の撤退とメリエスの登場」

ということになるのですが、この一文とリュミエールが映画から「撤退する」という理由の詳細のくだりを読んだとき、自分は物凄いショックを受けました。

その部分をちよっと引用しますね。

《屋外シーン、風俗シーン、ニュース映画、ルポルタージュ映画、旅行映画が、リュミエールと彼の一派によって創り出された主なジャンルである。しかし、1897年にパリで、クレマン・モーリスの要求に基づいて、ジョルジュ・アトとプルトーの二人が、屋外にセットを建て、そこで俳優たちがメイク・アップをし、衣裳を着て演技している。彼らの喜劇映画はごく単純な笑劇〈ファース〉で、その脚本は「水をかけられた撒水夫」と似ている。そのドラマティックなシーンは、独創性に富み、歴史が、ロベスピエール、マラー、シャルル12世、ギーズ公など史上有名な一連の死の場面、あるいは、国旗の防衛、最後のカルトゥーシュなどの戦闘場面とともに映画に初めての顔をのぞかせている。豊かなシリーズ映画のはしりであるこれらのフィルムは、活人画、幻燈のガラス絵あるいは実体鏡用の写真からヒントを得たものである。
これらのシーンは、リュミエールが撮影機とすでに相当量ストックされた映画のポジ・プリントの販売に専念するため、ほとんど全面的に映画をやめる直前に、リュミエール会社のために撮影されたものであった。そこで、ほとんどすべてのカメラマンが解雇された。1898年以降、リュミエール映画の作品目録に加えられた唯一の新作映画は、ニュース映画か旅行映画のフィルムであった。普通の写真産業からあまりにもかけ離れた活動分野である演出という仕事は、ジョルジュ・メリエスといった競争者たちに任せられた。》


ふむふむ、そういうことですか、19世紀の最後に「動く映像」を考案し、世界各地にカメラマンを派遣して、歴史的なかずかずの貴重な映像を残し、「映画の父」とまでいわれたリュミエール兄弟の偉業は、「撮影機とすでに相当量ストックされた映画のポジ・プリントの販売に専念するために」閉じられたというのですね。

そこには「ほとんど全面的に映画をやめる」とか、そのとき「ほとんどすべてのカメラマンが解雇された」とか、シビアな言葉が書き連ねられています。

そして、その理由というのが、

商売用の「カタログ」作りのために、いままでサンプルとして1分程度の映画を数多く撮ってきたけれども、(販売用のカタログとしては)もう十分な量に達した、これからは商売に専念するので、ここらで映画からは撤退します、というわけですよね、これが「映画の父」とまでいわれた人たちの撤退の仕方・商売を優先させた映画の終わらせ方なのかと思うと、自分的になんだか寂しい気がしたのだと思います。

世界各地でいろいろな民族の奇妙な風習に驚きをもってカメラを向けたカメラマンたちは、カタログをつくるためのビジネスライクな「サンプルの収集」なんてことを冷静に保持続けられたかどうか、すこぶる疑わしいのではないかと思ったのです、もちろん、「そう信じたい」という気持ちもあります。

極東の閉ざされた最果ての地、皆が皆、頭のてっぺんを剃り上げて、そこにピストルを載せている奇妙で独特の文化を持つすこぶる小柄で、腹の中では何を考えているのか分からないながらも、顔の真っ黒な、表面的には嫌に人懐こいニヤけた民族・「日本人」に向けられた好奇心に満ちたカメラは、ビジネスライクな「サンプルの収集」なんてものからは相当逸脱してしまっていることは、遺された映像を見れば明らかです。

しかし、ここまで書いてきて、なんだか不安な気持ちになってきました、というのは、リュミエールのカメラマンたちは、「そこ」にある新鮮で興味深い民族や風習にカメラを向けずにいられなかった一種の冒険者だったとしたら、現実から目をそらし虚構に活路を見い出そうとした(実は、現実から目をそらして「逃げた」)メリエス以降現代につながる映画人たちは、それこそ単なる「映画オタク」にすぎなかったのではないかと思えてきたのでした。

「大切なのは映画の方なんかじゃない、現実の方だ」と、クールな選択をしたリュミエールの方が、よっぽど「大人の対応」をみせたのではないかと。自分もその映画オタクのひとりとして100年後のいま、時空を超えて「映画の父」から突然突き放されたような・見放されたような寂しさに襲われて、ちょっと動揺してしまったのかもしれません。



by sentence2307 | 2018-08-12 09:26 | Comments(0)