世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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その美しさが、世界を振り向かせた

いま紀伊国屋ホールに掛かっている八千草薫主役の「黄昏」を、以前、友人と一緒に見る約束をしていたことをつい昨日(当日)の朝まですっかり忘れていました、午前中に当の友人から確認の電話があり慌てて思い出した次第です、「慌てて思い出す」なんて、ちょっと変な言い方ですが。

言い訳になりますが、自分で予約していたら「忘れる」なんてことは決してありません。

いまどき、あからさまに口にするとセクハラと叱られかねないので公言は避けていますが、自分的には女優・八千草薫は、まさに「美人を見に行く」という対象の女優さんの一人です。

「公言したらきっと叱られるかもしれない」と恐れるのは、「女性を鑑賞する」という不埒な行為に対してというよりも、それをさらに「美人」と希少に特定してしまうことで生じる非難の方にあるかもしれません。

なので、ここではあえて「女優さん」と括って、そういう言い方にしました。

「女優さん」は見られることが商売なので、こういう言い方をしても一向に差し支えないと思うからですが、実を言うと、日常、現実の社会で出会う女性すべてに対して、自分はそのような接し方に努めています、ここだけの秘密の話ですが。

以前は「美人を見に行く」という行為に対しては、自分だって、なんだか女性の肉体を隅から隅までジロジロ舐めまわすような色情狂みたいな見方だと感じていて、ものすごい嫌悪感がありました。

以前、勤めていた会社に、まさにそういう人がいて、若い女性が新たに入社してくると、必ずそのたびにその「女性」をわざわざ見に来る(本当に品定めという感じがぴったりで、まさに全身を舐め回すように「鑑賞」するのです)ので、若いときは、彼や、そういうたぐいの行為に対して嫌悪感があって内心鬱陶しく感じていたものですが、長ずるに及び逆に「おおかたの女性はそのように見られることがマンザラではないどころか、喜びさえ感じているらしい」ことを知り、あっさり「ジロジロ見る派(スケベおやじ側)」に宗旨替えをしました。

まさに、遅まきながら「性に目覚めた」という感じです。

もちろん、なかにはそんな男の無作法を嫌がる人がいることは承知していますが、それが単なる思わせぶりなポーズかどうかは、応対すればおのずから明らかになることなので、その辺は大人の判断で臨機応変に対応しています。

昨夜の紀伊国屋ホールの舞台でも、遠目ながら八千草薫の美しさと可愛らしさをこの目で十分に堪能しました。

時折飛び出すたどたどしいセリフ回しでさえ、愛らしい彼女の魅力とさえ感じられました。

演技の巧拙など二の次(いやいや、決して下手だと言っているのではありませんので、念のため)、なによりも役者はその「存在感」そのもの・観客と同じこの瞬間をいま生きている存在であることを観客に印象づければ、それだけで十分、それがまた役者という演技者の究極の姿と考えています。

そうそう、思えば最近の上手にほどこされた整形美人に一向にこうした感情がわかないのが、むしろ不思議なくらいです。

どの整形顔も実に丹念に・非の打ちどころなく美しく手を加えられていて、パーツ・パーツは一般概念としての「美しさ」を完璧に備えており、最初のパッと見は目を見張るほどの美貌と感じるのに、総じて見ればどれもロボットのような個性を失った「同型の美形」にすぎず、誰が誰やらその作為顔の区別ができないまま、見続けていることにも飽きて、彼女たちが、どういう特徴の顔だったか、目をそらした瞬間にすでに忘れているという、逆に、彼女たちは、自分を目立たなくさせるために一律の規格に従った仮面のような整形をしているのではないかと勘ぐってしまうくらいです。

だからこの時代、自分の「美人を見に行く」という行為が、決して間違ってなく(ましてや、変態行為なんかでもなく)、それどころか、現代において失われつつある真の個性豊かな美人を見定めるという実に意味のある行為だと信じています。

まあ、そんなことをあれこれと考えながら、昨夜の帰りは少し遅くなってしまいました。

あとで知ったのですが、ニュースでは、その晩は帰省ラッシュと重なったと報じられていたので、そのへんの影響もあったかもしれません。

そんな感じで帰りが遅くなってブログを開いたので、コメントを頂戴した「まるへんさん」への返信が遅くなり、たいへんご迷惑をおかけしました。

自分の「カーラー・藤澤五月に『挫折』はあったか」について目からウロコが落ちるような明晰なコメントをいただき物凄く感動したこともあって、時を置かずその日のうちに返信を差し上げたいと思い、すこし夜が更けてしまっていたのですが、(残念ながらパソに向かっているあいだに日が変わり、「その日」ではありませんでした)送信までどうにか漕ぎつけることができました。

まるへんさんには、寄せていただいたコメントを引用・公開することについて特別な許可をいただいてないので、その文意の要約を含めて返信した自分のコメントを掲げたいと思います、その明晰な内容には、きっと誰もが驚かれると思いますよ。


《まるへんさん、こんばんは。
たいへん、貴重でクールなご教示をいただき感謝しています。
コメントのすべてを読ませていただいて、そういう複雑な背景があったのかと驚き、そして、なるほどな、と感心もしました。
まるへんさんは、ご自身のことを「五月ファン」とおっしゃっていますが、それに比べたら自分などは、ただの無知な、それでいてアウトプットせずにはいられない軽薄な「五月ファン」にすぎませんでした。
ただただ恥じ入るばかりです。
平昌オリンピックのカーリング中継を見続け(勝ち続けたからです)、そのあともyou tubeで一連のフィーバー報道に嵌まり込んで、すっかりその「サクセス・ストーリー」のトリコになってしまったのですが、その背景には、原発事故で経営的に動揺する中部電力、その影響をモロに受けた企業のチーム支援の縮小と廃部の危機、ソチ五輪代表選敗退後の選手に対するあからさまな待遇の劣化、動揺する藤澤選手に本橋選手がLS北見加入を誘って(その条件として本橋選手のスキップ明渡しが必須だったことは、自分も推理しました)、藤澤選手が加入してチーム状態が次第に上向き平昌オリンピックのメダルに繋がったという話、中学生のチームが苦労の末に、やがてオリンピック・メダリストになったというだけのただの「サクセス・ストーリー」じゃない、ドロドロの大人の事情もあったことを知って、逆に安心した部分もあります。
しかし、自分があの時カーリングを見続けたのは、彼女たちがメダルに繋がる常勝といってもいい戦いぶりを見せたからではなくて、彼女たちのパフォーマンスが、試合の起伏や緊迫感を視聴者にリアルに伝えることに成功し、「ショー」としても大いに魅せるものがあったからだと思っています。これって、すごく大事なことだと思います。
言い換えれば、それなくしては、カーリングという競技は、逆に、試合の緊迫感を伝えにくい退屈な競技なのだと、最近痛感しています。
第一次ブームといわれたときも、今回のフィーバーも、別段カーリングという競技が魅力的だったからというわけでは、必ずしもなかったことでも分かるような気がします。
あっ、それからもうひとつ、まるへんさんは、オリンピックのメダリストとなり、自信を取り戻した藤澤選手のことを「勝ち気で生意気な表情」が戻ったことで分かると書かれていますが、自分としては、彼女がなにかの記者会見で述べていた「自分たちは挑戦者としてではなく、あくまでもその国のトップチームとして戦いに臨みたい」と話していたのを聞いて大変感心しました。
最初から、メダルなんか取れないかもしれない、取れなかったときに「あんな大口をたたきやがって」と非難されるのを恐れて遠慮がちに、初めから負け犬を先取りするかのような「挑戦者宣言」で逃げておく姑息な布石よりも、よほど立派だなと思ったことを思い出しました。
自分はyou tubeとかインスタグラムでしか彼女たちのことを知らないのですが、常呂町出身の選手たちと、藤澤五月選手とのあいだには、なんだか冷ややかな線が引かれているように感じられてなりません。
例えば、オホーツク海岸で豊かなホタテ漁で潤っている富んだ漁師の娘たちと、都会(北見市内)の安月給の教師の娘とか、考えすぎだとは思いますが。》


これが、まるへんさんから寄せられたコメントを組み込んで返信した自分のコメントのすべてですが(そのつもりでした)、読み返してみて積み残しがあったことに、あとで気が付きました。

《藤澤さんが背負ったのは、敗戦の責任だけでなく、そういった企業チームの宿命や、決定戦を軽井沢に持ってこられなかった長野協会の非力さ(札幌開催は北海道チームを出場させたかったJCAの意図見え見え)などなど、22歳の子が背負うには大きすぎる重荷だったと思います。》

という箇所です。

知識がないのでその辺のところはよく分からないのですが、本部協会と支部協会との力関係からくる対立とかが、きっとあるのだろうと思いますが(一般の会社なら、そういう険悪なゴタゴタなど、本社支社、他社間にはごく普通にあることです)、そうした複雑な力関係のなかで、中部電力から縄張りを超えてLS北見へ移籍するということがいかにしんどいことだったか、そこで所属し、生活をしながら選手を続けていた選手(どうあろうと「特別待遇」を受けていたことには違いなかったと思います)には、世話になったそこから抜けるということがいかに大変なことだったか大方の察しはつきます。

ましてや、藤澤選手には、日本選手権決定戦のたびに北海道のチームをくだし、中部電力を何度も日本一の座に据えた実績があるのですから、新たなチーム(と、後ろに控える北海道カーリング協会)に対して、双方にとても困難な思いはあって、まさに「進むも地獄・退くも地獄」みたいな膠着の大変な状況だったと思います。

ただ、ちょっと待ってください、この小文は、その困難に状況(代理戦争)を分析するとか、解説をほどこすなんて大それたことをもくろんでいるわけではありません。

まるへんさんのコメントの最後には、こんなふうに書かれていました。

《それがようやく長野時代に戻ったのが昨年9月の代表戦勝利後。勝ち気で生意気な表情が戻りました(TBS系のインタビューと17年12月の軽井沢国際の映像を見てください)。それから半年、オリンピックをへて、さらに表情が変わりました。ご存じの通りです。》

自分的には、この部分を「(藤澤五月の)その美しさが、世界を振り向かせた」と書いてみたのですが、誰もがそう感じたのだなと思った次第です。



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Commented by まるへん at 2018-08-17 15:11 x
同士を見つけたと言おうか(笑)。もうなんか2人だけで悪ノリしている感じになっていて草 ですね。
自分のコメント引用OKです。
昨日、MDのスコットランド戦を見ました。ラストショット決まる決まる!!
あと、ヒマなときにブログにお越しくださいませ。
しばらく何も書いておりませんが、先日、札幌の大会【中部電力vs北海道銀行」を見てきました。
Commented by sentence2307 at 2018-08-17 23:24
こんばんは。
引用の件、許可していただき、ありがとうございます。
文意を損なわないように、使用させていただきます。
文中《先日、札幌の大会「中部電力vs北海道銀行」を見てきた》と書かれていますが、「どうぎんカーリングクリシック2018」のことでしょうか。
You tubeで配信されていたので、全試合ではないと思いますが、アップされていたものは(飛ばしながら)一応見ました。
遠目の位置から「投石」場面と「ハウス」場面に分割されていて、ストーンを追って2画面で見せるというものですが、ゲームの緊迫感とか、ストーンが氷にこすれる音とか、緊迫感を伝える選手たちの掛け声だとか、やはり選手たちの表情がよく分からないこうした写し方では、イマイチ迫力に欠けてしまうのが、とても残念でした。
ではまた。
by sentence2307 | 2018-08-15 21:11 | カーリング | Comments(2)