世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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鏡獅子

先日、神田の古本屋街をぶらぶら歩いていたら、映画・演劇関係の書籍や資料を扱っている店で、めずらしいものを見つけました。

むかし(1970年前後だったと思います)、フィルムセンターが出していた30頁~40頁くらいのカタログですが、同センターで特集上映(フランス映画特集とかアメリカ映画特集とか)する際に、作品の詳細な解説をしたカタログを同時に発行・販売していました、いまにして思えばとても貴重で、なかなか有益な資料でした。

当時、リアルタイムでそのカタログを買った号もありますし、買いたくても買えなかったものもあります。

たぶん、そのときの価格は200円とか300円くらいのものだったと思いますが、それでも毎回買うというのは、自分には、ちょっと経済的にしんどくて躊躇せざるを得なかった価格だったかもしれません。

いまでも、ときおり古書を扱っているサイトを検索し、安いものがあれば買おうと思って狙っているのですが、当時200円・300円くらいのものが、いまでは2000円とか3000円の高値がついて取引されているのをみると、やはり積極的に買おうという気持ちにはどうしてもなれません、つねに手元不如意の状態にある自分には、いつまでたっても買えないものだなと半分は諦めています。

そんなとき、神田の古本屋でそのカタログが数冊まとめて売りに出されているのを見つけたのでした、瞬間「やったぜ!」という気持ちにはなりましたが、やはりそこは価格次第の話です、糠喜びはできません。

さっそく表紙裏に貼られている価格をみたら、どのカタログも1000円と記されていました。

う~ん、「安い!」というまでの値段とは思えませんが、現在2000円とか3000円で取引されていることを考えれば、思わず身を委ねたくなるような魅惑的な価格であることは間違いありません。

ここは、少し冷静になって考えてみる必要があります。

まず、この価格が「売りに出ている物をすべて買えるような安さか」といえば、そうではありません。

では何冊買える? 例えば、3冊買って3000円払い、あとで後悔しないかと。

いや、それは、きっと「後悔する」と思います。その3冊に収録されている「50年前の情報」の対価として3000円というのは、価格的に決して相応なものとは思えません。

単なるノスタルジーだけで、その物が本来もっている価値の判断を曇らせてはならないということに気が付きました。

まずは、目の前にあるカタログの中から1冊だけ厳選して買うということに決めました。

それでは、なにを買うか、という問題ですが、正直、いまの時代、インターネットで大抵の情報なら(正確・不正確を問わず)溢れかえるほど出回っていますので、ここは「現在ではなかなか入手できない情報」を買うべきなのではないかと考えました。

そう考えると、選択はきわめて容易です。

巨匠の作品なら、出回っている情報量も入手のしやすさも現代の方が格段に優っていて、その量も多く充実していることは確かです。比較的無名な監督のレア作品も、ストーリーを持つ劇映画ならマニアの発信者も多く、たどり方さえ誤らなければ、ある程度、「時代的に更新された」情報を入手できる環境は整っていると思います。

そうした日の当たらないマイナーな作品にしても、いまの時代、いつナンドキ、どのような弾みで「カルト」の栄えある評価を与えられないとも限りません。
そう考えれば、これらの条件で淘汰した後に残るもの、つまり「劇映画でなく」「時代に更新されなかったもの(時代に取り残されたもの)」ということになれば、戦前の軍国主義の時代に「官」の息のかかった記録映画の資料(戦後民主主義によって封殺されて、その存在すら禍々しいものとして黙殺されました)ということになり、その情報の希少さに金を払うというのであれば一応は納得できます、その価値は十分にあると思います。

神田の古書店に出ていたフィルムセンターのカタログでは、「日本の記録映画特集 戦前編」の(1)と(2)という2冊が、この条件に該当します。

「戦前編(1)」は、戦争の暗雲がまだ及んでいないおおらかな時代の記録映画なので(もちろん、「古さ」という魅力はありますが)、切迫感とか逼迫感には乏しく、その分だけ購買意欲を掻き立てる牽引力というものには欠ける感じはしますが、ただし、巻末に「日本記録映画史年表」という素晴らしい記事が付録として付いているので、やはり捨て難いものがあります。

しかし、なにせ「戦前編(2)」には、小津監督の「鏡獅子」が掲載されているので「年表」の方は諦めました、躊躇なく(2)に即決しました。

一般的には、小津安二郎の初めてのトーキー作品は、「一人息子」とされていますが、正確には、この「鏡獅子」が最初ということになります、この「鏡獅子」の前後に作られた「東京の宿」と「大学よいとこ」は、いわゆるサウンド版といわれるもので、トーキー作品ではありません。

その間の経緯について、小津日記の「一人息子」から「鏡獅子」に至るまでの記述が詳しいので紹介しますね。


《「一人息子」2/5大船撮影所での第1回作品準備中、
3/15第1回オール・トーキー作品着手の予定、
4/5・4・5月から撮影開始、
4/15信州田舎家セットから撮影開始、
4/25小学校教室セット撮影中、
5/5信州田舎家セットから再撮影中
5/15トンカツ屋場面のセット撮影中、
5/25「一人息子」撮影の傍ら(菊五郎の)「鏡獅子」を完成、
・・・8/25「一人息子」撮影終了、編集中
9/5完成》


トーキー映画「一人息子」を撮影しているあいまに「鏡獅子」を撮ったというこの経過を読めば、やはり小津監督のトーキー映画第1作は「一人息子」とした方がいいかなと自分でも思います。

さて、小津監督の最初にして最後の記録映画「鏡獅子」の製作された時代背景をざっとオサライしておきますね。

戦前から半官半民の機関である国際文化振興会(現在の国際交流基金の前身です)では、日本文化を海外に紹介するための映画製作を映画会社に委嘱するという活動を行っていました。

そのなかでも日本の伝統芸能としての白眉、世界に誇る歌舞伎の神髄を宣伝するために、六代目尾上菊五郎の「鏡獅子」の記録映画を松竹に委嘱して製作したもので、タイトルもアナウンスもすべて英語の海外向けのトーキー作品です。

一般公開はせず(そもそも、稀代の名優六代目尾上菊五郎がこの映画の出演を承諾したのは、国内では公開しないということが条件だったと伝えられています)、プリントは海外の日本大使館に送られて外国人向けの上映会に用いられたそうです。

狂言は新歌舞伎十八番の舞踊劇で、舞台は東京歌舞伎座、長唄も三味線も太鼓も当代一流をそろえ、監督は小津安二郎に依頼しました。小津安二郎がこの監督に起用されたのは、六代目を高く評価していたためであると同時に、小津ほどの監督でなければ、六代目が撮影を承諾しなかったからだともいわれています。小津監督は、「鏡獅子」の映画的構成だけを引き受けて撮影に立ち会いました。

「キネマ旬報」昭和10年(1935)4/1号の「小津安二郎座談会」では、小津監督の六代目に対する並々ならぬ思い入れと傾倒ぶり、手放しの絶賛が以下のように熱く掲載されています。

「僕は名人だと思っている」
「僕は音羽屋の踊りを見て、娘よりは娘らしいと思っている。例えば、踊りのときのあの色気です」
「音羽屋は、動かなくとも女らしく見える。客席に背を向けて、足を開いてお尻が落ちているだけでも、娘らしく感じる」
「音羽屋の芝居を見ていると、音羽屋がやっていることが分かるような気がするのです。こんな場合はこういうことをするのじゃないかということを漠然と感じるのです」
「音羽屋の芸談は、理屈なしで人情の機微に触れているのです」
「それは行って話をきいたのです。ああいうことを知っている人から聴かないで置くというのは実に惜しい」


小津日記を見ると、撮影は昭和10年6月25日で、一般興行の終わった深夜から明け方まで舞台をそのまま使い、徹夜で撮影して、1日おいた27日に、これまた徹夜でフィルムの整理と編輯をおわり、28日に試写、その夜、菊五郎の家で関係者一同シャンペンを抜いて祝杯を挙げたと書かれています。

さて、神田の古書店から帰宅後、購入してきたフィルムセンター刊「日本の記録映画特集 戦前編(2)」の25頁掲載の「鏡獅子」の項を読んでびっくりしました。

前半の記述「国際文化振興会が歌舞伎の映画製作を企画した」~「菊五郎宅でシャンペンで祝杯を挙げた」までは、だいたいその通りですが、後半には物凄いことが書いてありました。

《ところが、それから約1年後の昭和11年6月29日に国際文化振興会の主催で帝国ホテル演芸場にて披露試写をしてみると、これがさんざんの不評だった。この狂言は大奥の腰元が正月の鏡開きに踊り、飾ってある手獅子を持つと腰元に獅子の精がうつるという節で、前半はたおやかな娘姿の踊り、後半は豪放な獅子の舞いとなっており、和事と荒事を一人二役の早替わりで、しかも巧妙に踊り分けるところが見どころになっているのだが、後半はともかく、前半の娘姿の踊りが、太り気味の菊五郎では、どのような仕草でカバーしても、カメラのリアリティに捉えられると、グロテスクな女形のアラが見えて、お世辞にも美しいとは言えない、というのだった。そのうえ、撮影が平板で、カットが少なく、映画作品としての立体的構成が欠けているから、遠くから舞台を長々と見ている退屈さがそのまま伝わるような欠点があった。小津監督はこの時32歳、すでに多くの名作映画を撮っていて鏡獅子の場合も、楽屋や客席、大写し、移動などを取り入れたかったらしいが、協会側と歌舞伎関係者の反対で不本意な作り方に終わったらしい。せめてカラーで撮れたら別な魅力が出せただろう。》

小津監督が「僕は音羽屋の踊りを見て、娘よりは娘らしいと思っている。例えば、踊りのときのあの色気です。音羽屋は、動かなくとも女らしく見える。客席に背を向けて、足を開いてお尻が落ちているだけでも、娘らしく感じる」と語っていたことを思い出してください。

小津安二郎が絶賛した名優六代目菊五郎をグロテスクと言い放ち、映画の出来も「撮影が平板で、カットが少なく、映画作品としての立体的構成が欠けているから、遠くから舞台を長々と見ている退屈さがそのまま伝わるような欠点があった」とまでこき下ろしているのです、まるで何か意趣遺恨でもあるのかのような悪口雑言と思ってしまうくらいの悪意を感じました。

いやいや、ちょっと待ってくださいよ。ここには、「カットが少ない」と書いてありますが、佐藤忠男の「日本映画史」には、そんなふうには書かれていなかったと薄れた記憶をたよりに、索引で見当をつけて本文を探しました。

ありました、ありました。

ここには、このように記されています。

《「舞踊劇だから、一気に踊り抜くしかないのに、映画として形を整えるために小津はいちいちカット割りをし、そのたびに演技を中断させたからである。踊りの気勢をそがれて六代目はおおむくれだった。」(「日本映画史」2巻91頁)》

映画鑑賞者の立場からは「カットが少ない」と感じ、演出者としては平板になりがちな舞台撮影にできるだけメリハリをつけるために踊りを中断させてまで「カット割り」に努め、名優は踊りを中断されて、おおむくれだった、ということですよね。

これじゃあまるで「藪の中」だ、「羅生門」だ、わからん・わからん、です。

まあ、ここで、こんなふうに言っても仕方ないので、実際にyou tubeで「鏡獅子」(20分に少し欠ける作品です)を見てみることにしました。

しかし、すぐ踊りが始まるその冒頭に、少し違和感がありました。

フィルムアート社の「小津安二郎を読む」(1982.6.20.1刷)には、この「鏡獅子」の冒頭について、こんなふうに書かれています。

《この作品は、上演の舞台である歌舞伎座のスケッチから始められる。外観から正面入り口そして舞台内部へと、紹介が続き、更にカメラは楽屋に入り、6代目の額や風景が紹介される。ここまで、すべて固定ショットで撮影され、例によってスチール写真が積み重ねられたような小津調は健在で、楽屋スケッチは、劇映画における室内描写と全く変わりがない。ここまでの映像に、歌舞伎座の構造、鏡獅子の梗概、六代目についての簡単なナレーションが重ねられる。》

現在アップされているyou tubeで見られる「鏡獅子」では、この導入部分が完全に欠落しているのか、それとも、二種類つくられたという内のひとつが「そう」なのかは分かりませんが、you tubeで見た感じ、少なくとも4台のカメラで捉えた演技は不自然な切れ目などなく、整然とつながっていると感じました。「編集」の秀逸さを感じました。

踊りながら六代目が、両手で持った開いた扇子を小さく投げて回転させるところ、そのタイミングで画面が切り替わるのですが、取り損ないそうになって一瞬身を固くしたそのままの緊張が、次の場面にスムーズにつながっています、決して平板なんかではありませんでした。

そして《前半部と後半部を仕分ける圧巻となる場面は、獅子頭を手にした六代目が、乗り移った獅子の勢いに引き摺られて花道から揚幕に一気に駆け入るところであるが、この場面は、カメラを花道の前の客席に据え、大胆ともいうべきパンニングで一気に撮影し、六代目の入神の演技を余すところなく捉えている。このパンニングは、小津のこれまでのスタイルから言えば破調ともいうべきもので、小津の自己のスタイルを破壊する気迫と六代目の演技とが相俟って、異様な迫力を生んでいる。》

同感です。1000円損した。こんなもの買うんじゃなかったと、やはり後悔してしまいました。

(1935松竹蒲田)監督・小津安二郎、撮影・茂原英雄、
出演・六代目尾上菊五郎、長唄・松永和楓、三味線・柏伊三郎、太鼓・望月太左衛門
2巻(530m) 19分


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by sentence2307 | 2018-09-08 17:40 | 小津安二郎 | Comments(0)