世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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ヌーヴェルバーグの被害者・中平康

前回、大島渚の小評論「今井正 下手くそ説について」(1958)を読みながら、「中平・増村vs今井」論争の要約を試みたのですが、要約していくうちに大島渚の3人に対する位置取りが、だんだん分かってきました。

この小評文を読む限りにおいて、批判者の中平康と増村保造の批判(下手くそ・事大主義・低劣な倫理観)よりも、今井正の反論(大衆のウケ、大衆の身の丈に合った倫理観に寄り添う、観客動員数)の方に大島渚は、少なからず肩入れしているように感じられたからです。

今井正が主張する要点「映画に観客が入らなければ、なんの意味もない」は、確かにそのとおりだよな、と大島渚も、明らかにそこの部分で今井側に同調を示していると読めました。

そして、この同調には、撮りたいものを自由に撮れる大映の優等生・増村保造や、言いたい放題のわがままを許されている日活のやんちゃ坊主・中平康の、ともに大企業の中で優遇されて、ぬくぬくと甘やかされている2人の主張など、せいぜい世間を知らないわがままなお坊ちゃんの言い掛かりか、極端に言えば、(いつも100点をとっている)優等生へのみっともない「嫉妬」にすぎないと、暗に彼らが「劣等生」であることをみずから自認してしまっていると、大島渚は、増村・中平の批判を一蹴しています。

なにがなんでも、いつも100点(キネ旬ベスト10圏内)のシャシンを撮っていなければ、即仕事の機会を失う厳しくギリギリな環境に身を置いている独立プロの仕事を理解できない世間知らず(増村・中平)の愚挙でしかないと。

「映画監督・中平康伝」を拾い読みしていたとき、「自分たちは劇場にいる観客を面白がらせるのが仕事で、観客を劇場にまで来させるのは宣伝部や営業の仕事だ」みたいな文言をどこかで読んだ記憶があり、改めて読み返したのですが、掲載箇所の確認はできませんでしたが、そうした甘い認識に照らしても、大きな会社を後ろ盾にして安穏と仕事をする人間と、独立プロというギリギリの環境に身を置いて仕事をしている人間の違いだなと痛感しました。

しかし、「甘々な環境」に身を置く彼らとしても、ベストテン発表の時期に、「プログラムピクチャー」という見えない足枷に絡めとられていることを実感することになります、この中平康伝の随所で漏らされている苛立ちは、金のために身売りした映像作家の、撮りたいものをとれないという奴隷の嘆きにすぎません、その状況は、今井正のそれより、かなり深刻なものだったかもしれません。

この中平康の評伝を読むと、自分の作品を熱心に見に来ない観客への非難と、もうひとつは、自分の作品を一向に評価しない映画批評家たちへの呪詛があります。

そして、これらの非難や呪詛の根底には、もちろん、今井正が、キネマ旬報ベスト・ワンに、なんと5たびも輝いたという驚異的な快挙があることは、いうまでもありません。

そこで、ちょっとした「ひとり遊び」を考え付きました。

今井正がベスト・ワン作品を連発していた同じ時期に、ほかの映画作家たちがどういう作品を撮っていて、どういう評価をされたかを一覧表にしてみようという「ひとり遊び」です。

下記の一覧表を見て感じることは、映画の新しい形式(ヌーヴェルバーグの波)への過剰反応と猿真似の無力さ、そしてもうひとつは、批評家の定見なき無節操です。

ヌーヴェルバーグの波といっても、影響を与えたものといえば、せいぜい手持ちカメラで撮る絵の面白さくらいなもので、時代が経過するにつれ、クラシックなストーリーに回帰し、やがて吸収されてしまう程度のものですし、いま「突然炎のごとく」を見れば、いつも男からちやほやされていなければヒステリーを起こし、それでも自分に関心を示さない男とみると、復讐のために無理心中して強引に道連れにしてしまうという、なんとも身勝手なヒステリー女の話で、この映画を時代的に解釈するためには気の遠くなるような「映画史的説明」を要するかもしれません。

大島渚の「日本の夜と霧」は、内容はともかく、映画としてはどうなの、という映画です、この作品を高ランクにつけた批評家を「批評家の定見なき無節操」といわざるをえません、「なんだか理解できないけれども、分からないからきっと凄いらしい、そうに違いない」という理由で票を投じたのではないかと想像できます。よく分からないが、なんだかすごそうなヌーヴェルバーグを妄信することが「形式を革新する」ことだと見当違いの思い込みをして、今井正に突っかかっていったのと、なんだか共通しているようで苦笑を禁じ得ません。

フランスとかイタリアなんかのやることをそのまんま妄信しちゃあ、だめだったんじゃないかなあ、そんな気がします。個々の作家の卓越した仕事が、なにかのムーブメントの現れと錯覚し、集合体としたときに、皮肉にもたちまち勢いを失うということをみれば、あらゆる芸術活動は、あくまでも個の情動から発する以外のものでないことは、一目瞭然だとおもいます。


【1950】
また逢う日まで(1950東宝)監督・今井正、キネ旬1位

【1951】
どっこい生きてる(1951新星映画)監督・今井正、キネ旬5位

【1952】
山びこ学校(1952八木プロ)監督・今井正、キネ旬8位

【1953】
にごりえ(1953新世紀プロ=文学座)監督・今井正、キネ旬1位
ひめゆりの塔(1953東映東京)監督・今井正、キネ旬7位

【1955】
ここに泉あり(1955中央映画)監督・今井正、キネ旬5位
愛すればこそ・第二話とびこんだ花嫁(1955独立映画)監督・今井正、キネ旬35位
由紀子(1955中央映画)監督・今井正、

【1956】
真昼の暗黒(1956現代ぷろ)監督・今井正、キネ旬1位
狂った果実(1956日活)監督・中平康、
狙われた男(1956日活)監督・中平康、
夏の嵐(1956日活)監督・中平康、
牛乳屋フランキー(1956日活)監督・中平康、

【1957】
米(1957東映東京)監督・今井正、キネ旬1位
純愛物語(1957東映東京)監督・今井正、キネ旬2位
くちづけ(1957大映東京)監督・増村保造、キネ旬20位
殺したのは誰だ(1957日活)監督・中平康、キネ旬24位
暖流(1957大映東京)監督・増村保造、キネ旬31位
青空娘(1957大映東京)監督・増村保造、
恋と浮気の青春手帖 街燈(1957日活)監督・中平康、
誘惑(1957日活)監督・中平康、
美徳のよろめき(1957日活)監督・中平康、

【1958】
夜の鼓(1958現代ぷろ)監督・今井正、キネ旬6位
巨人と玩具(1958大映東京)監督・増村保造、キネ旬10位
四季の愛欲(1958日活)監督・中平康、キネ旬40位
紅の翼(1958日活)監督・中平康、キネ旬40位
氷壁(1958大映東京)監督・増村保造、
不敵な男(1958大映東京)監督・増村保造、
親不幸通り(1958大映東京)監督・増村保造、

【1959】
キクとイサム(1959大東映画)監督・今井正、キネ旬1位
愛と希望の街(1959松竹大船)監督・大島渚、キネ旬33位
その壁を砕け(1959日活)監督・中平康、キネ旬36位
才女気質(1959日活)監督・中平康、キネ旬42位
最高殊勲夫人(1959大映東京)監督・増村保造、
氾濫(1959大映東京)監督・増村保造、
美貌に罪あり(1959大映東京)監督・増村保造、
闇を横切れ(1959大映東京)監督・増村保造、
密会(1959日活)監督・中平康、
明日の太陽(1959松竹大船)監督・大島渚、

【1960】
日本の夜と霧(1960松竹大船)監督・大島渚、キネ旬10位
太陽の墓場(1960松竹大船)監督・大島渚、キネ旬11位
偽大学生(1960大映東京)監督・増村保造、キネ旬15位
青春残酷物語(1960松竹大船)監督・大島渚、キネ旬18位
女経 第一話耳を噛みたがる女(1960大映東京)監督・増村保造、キネ旬25位
あした晴れるか(1960日活)、監督中平康、キネ旬37位
白い崖(1960東映東京)監督・今井正、
からっ風野郎(1960大映東京)監督・増村保造、
足にさわった女(1960大映東京)監督・増村保造、
「キャンパス110番」より 学生野郎と娘たち(1960日活)、監督中平康、
地図のない町(1960日活)、監督中平康、



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by sentence2307 | 2018-09-23 21:32 | 中平康 | Comments(0)