高峰秀子独占インタビューの感想
2005年 11月 05日
それくらい予約してからの時間が経ちすぎていました。
僕に順番がめぐってくるまで、なんと季節が変わってしまうくらいですから、きっと、物凄い数の予約が入っていたのだろうと思います。
それだけで高峰秀子の人気の高さが分かります。
きっと、「成瀬巳喜男生誕100年」の影響もあるのかもしれませんが、ほかの女優たちとは明らかに違う、「高峰秀子」という女優らしからぬ女性のもつ魅力が、そこにあるからだろうと思います。
インタビューのなかで、「浮雲」の雪子を演じたあと、女優をやめようと思ったという発言が繰り返しでてきます。
それまで自分が演じてきた役(意志の強い道義的な女性)とは、あきらかに違うひとりの男にこだわり続けて破滅していく女という役が自分には相応しくないからだと発言しています。
しかし、いまにして思えば、「雪子」を男にだらしなく、ただふしだらな女という解釈で演じていたら、(そういうタイプを演じることのできる女優なら、もっと相応しい女優がたくさんいたと思います。)こんなにも僕たちを感動させることも、また映画史上の残る不朽の名作の地位を得ることもなかったでしょう。
まず高い道義心が描かれなければ、雪子が、処女を捧げた「はじめての男」にこだわり続けるという「一途さや健気さ」の意味も、きっと見つけにくくなってしまうかもしれません。
高峰秀子は、ここで演じられた雪子に、「二十四の瞳」の大石先生となんら変わらない女の「なにか」を見つけてしまったのだと思います。
気高い女教師も、さいはての島でのたれ死ぬ元売春婦も、なんら変わらない貴賤を超えた女の本質的な「なにか」を。
女優という職業にどっぷりと浸かりこんで自分と女優の境界線がなくなってしまう女性が多いなかで、高峰秀子という人は、「女を演じる」という本質を分かっていたクールな人だと思います。
そこが彼女の魅力です。
図らずもこのインタビュー記事のなかで最も傑出している箇所もそういう部分でした。
(抜粋)
―そのうちボックス席に2人で向かい合わせになって、眠っている加山さんの顔を見ている高峰さんの目に、いかにも若い義弟をいとおしく可哀相に思う心情が。そして涙を流すじゃないですか、高峰さんが。
高峰 そうだった? 忘れちゃった。
―ああいう場面は演じていて思わず感情移入して自分も悲しくなるということはないんですか。
高峰 ないです。芝居です、芝居。
―でもああいう時の涙は本物の涙?
高峰 うーん・・・。まあ、あんまりないね。目薬だな。
―ハぁー。
この絶妙な受け答えが、高峰秀子の魅力を余すところなく言い表していると思います。
物凄くシャイで、自分の気持ちを決して人前には晒さない、まさに「目薬」で悲しみを演じたと言い放つ高峰秀子にとって、「女優」とは本当に天職だったのかもしれませんね。