第三の男
2005年 11月 06日
人気のない秋の終わりの薄靄のかかった公園の、朝の冷気のなかをぶらぶら歩く物悲しい雰囲気が、とても気にいっています。
その公園の散策路の途中に、テーブルや椅子を屋外に出して食事をさせるというちょっと洒落たレストランがあって、僕も昼休みには散歩がてら、ちょくちょく食事に来ることがあるのですが、早朝、このレストランを借り切って、よくテレビ・ドラマのロケ撮影の現場に遭遇することがあります。
最初のうちは物珍しく野次馬気分で見物していたのですが、それが度重なると、珍しくも何ともなくなって、それでなくとも通勤の足を止められるわけですから、なかには不快感をあからさまに口にする人だってでてきます。
そんな事情からでしょうか、そのうちに、通行止めをせずに本番中に、エキストラとともに一般の通行人もどんどん歩かせながら撮影をするようになりました。
多分ドキュメンタリー的な要素を取り入れたのかもしれませんが、本当のところは、一般人ならノー・ギャラでいいくらいのところかもしれません。
「いいですよ、通ってください」と言われて、カメラの回っている前を通り過ぎるのは、やっぱり緊張もし、面映いものです。
「これ、いつ放送されるのですか」とスタッフに訊いている通行人もいます。
幾度か通行人をやっているうちに、あるとき、自分はなにも俳優ではないのだから、上手に演じようとする必要や義理などまるでないし、むしろ、カメラが回っているときこそ「緊張している一般人」そのままでやるほうが野次馬としての自分のあるべき姿なのではないか、と気が付いたのでした。
そして、あるとき試みに多くの通行人のひとりとして、自分だけ足と手を同時に出して歩いてみました。
「カット」の声はありません。
物凄い快感です。
放送の日、主たるドラマが展開する背景の遠い通行人のなかに、手と足を同時に動かして歩いている奇妙なオヤジの姿を、誰か見つけてくれるでしょうか。
なんか胸のときめくような快感です。
アイデンティティを求める一種の知的なテロリズムのような感じもします。
あれから、僅かのチャンスに少しずつ芸域を広げてきました、カメラ目線のまま突然何かに蹴躓くなんてのを芸域といってもいいのか分かりませんが。
そして、あるとき、村上弘明が主演のテレビ・ドラマの撮影に遭遇しました。
向こうから村上弘明が歩いてきて、幾人かの通行人とすれちがってレストランに入るというだけのシーンです。
その撮影をしばらく立ち止まって見ていた僕たち通勤者にADらしき若者が「どうぞそのまま通ってください」と盛んに勧めます。
すこし躊躇ったのですが、その若者は、こちらの逡巡などお構いなしに、「じゃあ、本番いきましょう。」とスタッフ・キャストに声を掛けています。
その叫び声に背中を押されるように、僕たちもつられて歩き出しました。
長身の端正な二枚目・村上弘明が、足早に颯爽と僕たちとすれ違っていきます。
すれ違うときに、ほんのパフォーマンスで何気なく自分のお尻を掻いてみました。
カメラ効果を十分に計算した背中の演技です。テロリズムです。
同時に、「カット!」というスタッフの悲鳴に近い叫び声が聞こえてきました。
あれからしばらくは、あの場所を避けて通勤しています。
これって、やっぱ雰囲気的には「第三の男」のラスト・シーンというべきですよね?