血と骨
2006年 01月 08日
「逆上」を抑えきれずに苛立つ情緒の不安定な人々の不吉な気配に取り囲まれて、現代という荒んだこの状況に生きるしかない僕たちにとって、映画「血と骨」に描かれている粗暴な父親の、家族に向けられた陰惨で果てしない暴力描写は、きっと心の底から僕たち観客を憂鬱な気分に陥れずにはおかないだろうと思います。
同僚の女性からも、あの寒々しい暴力描写が生理的に堪えられず、胸が塞がれるような嫌悪感から気分が悪くなって、この映画を最後まで見通すことができなかったと告白されました。
確かに、この映画の全編を通して描かれている粗暴な父親の家族に対する執拗かつ容赦ない虐待があまりにも凄まじいために、父親・金俊平がどういった動機に基づいて家族に絶え間ない暴力を振るい続けてきたのか疑問で、映画を見ている間中ずうっと考え続けていました。
例えばそれは、妻や子供たちに対するその粗暴さが狂気でないとすれば、なにか他に拭い難い憎悪を誘発するような事実が隠されているのではないかという素朴な疑問です。
しかし、この映画の中では、そのようなヒントは一切語られておらず、明確な答えを見つけることはできませんでした。
多分、見つけられなかったその理由というのは、この作品には最初からそんなものが描かれていないからか、あるいは、崔洋一が意識的に削ぎ落としたからだと考えるしかないという気がしてきました。
それなら、その「削ぎ落とされたもの」とは何か、ということになれば、それはきっと金俊平が虐待しつづけた「家族」という観念に対峙する、金俊平が日本の社会の中で朝鮮人であることで受けたであろう差別や迫害の苦渋の「状況」かもしれません。
しかし、それなら何故、金俊平という歪んだ人格を形成したはずの、日本人社会における朝鮮人に対する差別や迫害の歴史的事実の方を崔洋一は意識的に描かず、むしろ、ただひたすら金俊平の家族に向けた異様な暴力行為だけを描くことに徹したのか、という疑問だけが残るかもしれません。
かつて崔洋一は、「月はどっちに出ている」の中で、日本人ホソの口から、「朝鮮人は、みんなずるくて汚い」という日本人の朝鮮人に対する伝統的偏見を語らせていました。
ひとりの人間が、日本人社会の差別と迫害のなかで、自分が生まれながらにして虐待されるべき人間=朝鮮人であることを無残にも自覚し、あるいは、そのうえで「日本人」であることを強いられた「在日」=仮面的人間として生きるべき宿命を背負わされたそのような彼らが、安易に生きる道具=仮面を脱ぎ捨て、自らを真性な朝鮮人であると晒して日本人の蔑視を一身に浴びながら人間的に誇り高く生きようとしたからこそ、彼らには「暴力」によって肉体的・観念的に武装することが、どうしても必要だったのだと考えずにはおられません。(あの大島渚の「絞死刑」を思い出して下さい。)
そこでは当然、金俊平が家族に向けた暴力とまったく同じものが、社会に向けて発せられたと考えるべきでしよう。
例えば、そのひとつに映画「仁義なき戦い」の傑出したアプローチがあったのだろうと思います。
そう考えてくると、例えば「仁義なき戦い」が戦後の動乱期を見事に活写した「社会劇」と見る同じ意味において、この映画「血と骨」は、あの時代のもう片方の本質をえぐった傑出した「家庭劇」というべきかもしれません。
父・金俊平が娘・花子(田畑智子が演じています)に「俺は、お前のなんや!」と問い詰める場面があります。
花子は「お父さんです」と答えることによって、父・金俊平から散々に殴られたうえ階段から突き落とされて歯を折るシーンです。
これは、この難解な映画の中で唯一分かり易い解説的なシーンだったと思います。
父・金俊平が、怯える花子に恫喝する「俺は、お前のお父さんじゃない。」に続く言葉は、きっと「俺はお前のアボジだ。」と絶叫するだろうと思いました。(この勇気ある省略に、崔洋一の演出力の自負を感じとりました。)
この金俊平の精神性が、そのままラストの北朝鮮への帰還に繋がっていくのですが。
しかし、金俊平という粗暴な男の徹底的な暴力描写を見せ付けられた僕たちにとって、この怪物的な男・金俊平が、ひたすら「北」に帰ることだけを夢みていたただの平凡な朝鮮人でしかなかったことを知る衝撃は、なんとも情けない肩透かしを食わされた失望を味わされるものでしかありません。
こんな超ど級の悪魔的な人間でさえも、人並みにこのような愚かしい「夢」に囚われるのか、その凡庸さに、はっきり言って失望しました。(注)映画への失望ではありません。
むしろ、あれほど憧れた地・北朝鮮の寒村で無残に息を引き取る描写のあとで再び映し出される冒頭と同じ場面、かつて希望に燃えて船から「大阪」の地を歓喜と共に眺めやるシーンの惨たらしさに胸打たれました。
もしあれが、金俊平が死の床で見た最期の夢の光景だったとしたら、彼の一生とは一体なんだったのか、僕は一瞬鳥肌が立つほど戸惑い、やがて言い知れぬ哀しみに叩きのめされました。
(04「血と骨」製作委員会、ビーワイルド、アーティストフィルム、東芝エンタテインメント、衛星劇場、朝日放送、ザナドゥー)企画・製作・若杉正明、プロデューサー・榎望、アソシエイトプロデューサー・中嶋竹彦、ラインプロデューサー・氏家英樹、監督・崔洋一、脚本・崔洋一 鄭義信、原作・梁石日、撮影・浜田毅、音楽プロデューサー・佐々木次彦、美術・磯見俊裕、録音・武進、照明・高屋齋、編集・奥原好幸、音楽・岩代太郎、衣装デザイン・小川久美子、キャスティング・原克子、制作プロダクション・ビーワイルド、
配役・ビートたけし(金俊平)、鈴木京香(李英姫)、新井浩文(金正雄)、田畑智子(金花子)、オダギリジョー(朴武)、松重豊(高信義)、中村優子(山梨清子)、唯野未歩子(金春美)、濱田マリ(鳥谷定子)、塩見三省(大山・金成貴)、柏原収史(張賛明)、寺島進(朴希範)伊藤淳史(龍一/俊平の少年時代)、北村一輝(元山吉男)、國村隼(趙永生)、仁科貴(金容洙)、佐藤貢三(金泰洙)、中村麻美(大谷早苗)
配給:松竹、ザナドゥー、2004.11.06 全国松竹・東急系、144分 カラー ワイド