アレキサンダー
2006年 01月 24日
なにしろこちらは、どんな映画でも好き嫌い無く一応は見てしまおうという褒め倒しのスタンスで待ち構えているのですから、やけっぱちに聞こえるかもしれませんが、「なんでも来い」みたいな心境で映画を見ることにしています。
しかし、こういうのだけはやめて欲しいです、こんな気宇壮大な制作費を掛けてまで、かのアレキサンダーが、その辺にいるマザコン息子と同じなのだ、みたいに証明してみせて、得意げにひとり悦にいっているようなひとりよがりな映画を作るのは。
なにもこんな大げさな映画にしなくとも、もっとシンプルな描きようが幾らでもあったのではないかという気がします。
シリアスな物語を作ろうとすると、どうしてこういう理由づけの方向へ走ってしまうのか不思議でなりません。
深層心理を繋ぎ合わせることで何もかもを理解しようとすると、こんなグロテスクな映画ができてしまうという見本みたいな映画ですよね、これって。
それは確かに古い時代にだって、母親の過干渉のために当然発達すべき異性への関心が発育不全になって歪められ、その結果同性にしか関心がなくなってしまうというような人もきっとあったとは思います。
ギリシャ悲劇なんかにも似たようなシチュエーションってありますものね。
でも、この映画を見ていると、アレキサンダーの東方遠征が、まるで小うるさい母親から逃れるために、家に帰りたくない少年がした非行みたいに描かれていて、最後まで疲れっぱなしで見なければなりませんでした。
僕の友人に、仕事のあと真っ直ぐに家に帰るのが嫌で(理由は分かりません)、呑めもしないのに夜遅くまで呑ん兵衛たちと付き合って飲み屋を回っているあの彼とまったく同じだと思いました。
もしそうだったとしたら、征服されて虐殺された東方のアジアの民こそいい迷惑だったとホント思います。
でも、この「彼がこうなったのは、幼い時の痛切な体験が記憶の傷になって残り、大人になった彼をこんなふうにしてしまったのだ」みたいなドラマの安易な作り方は、結構身近でも似たようなものに遭遇することがあります。
NHKの朝ドラ、見るという機会がなかなかないのですか、たまに見た断片を繋ぎ合わせていくと、どうもこんな感じかな、というあらすじが掴めてきます。
頑張り屋の女の子が、世間の荒波に揉まれながら、挫けそうになり、それでも健気に生きて、やがて良き伴侶にめぐり合い「しあわせな結婚をいたしました」→ハッピーエンド、みたいな話が多いように思うのでずが、世の中その「結婚」への幻想と安易な決断があらゆるトラブルの元凶になっていることを真剣に知らせるような警鐘的な朝ドラがあってもいいように思います。
結婚が薔薇色みたいなドラマを無節操に量産するものだから、「しなければいけないもの」とか「すれば必ずしあわせになれる」みたいな誤解を世間にイタズラに流布するのだと思います。
これって一種の害毒ですよね。
「アレキサンダー」で「落ち」をみつけて、きりのいいところで適当に切り上げようと思いながら、だらだら書いてみたのですが、結論からどんどん遠ざかるばかりなので、今日はこのへんで失礼します。
まあ、こういう時もありますよね、というわけで。
(05アメリカ)監督:オリヴァー・ストーン、製作:モリッツ・ボーマン、ジョン・キリク、トーマス・シューリー、イアイン・スミス、オリヴァー・ストーン、製作総指揮:ポール・ラッサム、マティアス・ダイル、ピエール・グルンステイン、脚本:オリヴァー・ストーン、クリストファー・カイル、レータ・カログリディス、撮影:ロドリゴ・プリエト、音楽:ヴァンゲリス
出演:コリン・ファレル、アンジェリーナ・ジョリー、ヴァル・キルマー、アンソニー・ホプキンス、ジャレッド・レトー、ロザリオ・ドーソン、ジョナサン・リス=マイヤーズ、ゲイリー・ストレッチ、クリストファー・プラマー