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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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三等重役

この「三等重役」は、僕としては去年初めて見た映画だったのですが、そういえば森繁が社長役じゃない映画を見たのは、これが初めての作品だったと思います。

それに、この映画のシチュエーションについてある先入観がありました。

以前読んだ解説書にこの映画のあらすじが書いてあって、それによると、いよいよ戻ってくるという前社長の長期間にわたる不在の理由というのが、たしか「病気療養」だったとされていたと記憶していたので、実際にこの映画を見て、その復帰の理由が公職追放の解除のためと知り、とても驚いたことを覚えています。

戦中の会社経営者たちが、進駐してきたGHQによって戦争責任を問われ、会社を追われたその後釜として、株を保有してないヒラの社員が急遽重役に登用されるという背景がこの映画にはあったんですね。

そこには、身分の違いを超えて誰もが平等に出世するチャンスがあるというアメリカ型の手放しの楽観的な民主主義の考え方に対する日本人の本音が、追放解除に怯える「三等重役」のなかに切実に描かれていると感じました。

しかし、追放解除というテーマ自体、まさに戦争に直結していた「時代」を感じさせる、随分と生々しい理由だったわけですよね。

こういう映画についてあれこれと考える場合、僕たちは、つい東宝映画として親しんできた後年のノンシャランな「社長シリーズ」をもとにして、つまり日本の安定期から逆行して動乱の時代を考えてしまうという倒錯を犯してしまうことで、どうしてもその視点に限界を作ってしまうらしく、日本人の戦争観や戦争加担について見失ってしまう陰の部分というものがあることに今回はじめて気が付きました。

その契機となったのが、やはり「公職追放の解除」というものものしい言葉です。

この映画は、大物社長が追放の解除によって、いよいよ帰ってくるらしいということを知った重役連中はじめ、真の社長不在のために結構暢気にやっていた会社員たちが大騒ぎになるという喜劇映画です。

ここまで考えてきて、はじめてこの映画の「三等重役」というタイトルの意味が分かりました。

不在の大物社長の復帰の報を聞いて、恐慌を来たすという描かれ方をしているみっともない現役の重役たちが「三等」なのは、公職追放されていた大物社長という、今も皆から一目も二目も置かれている先代の社長こそが「一等」なのだという認識が根本にあるからですよね。

戦後民主主義社会を生きる者たちが、すべからく「三等」にすぎないのは、いまここにはいない追放者たちこそが「一等」だというメッセージがあってのことで、さらにそこには、「戦争に負けたのだから、禊のためにもここは致し方なく一応アメリカさんの言うことをきくしかないが、戦前と同じようにあの社長さんの偉さに変わりないのだ」という認識があって、映画「三等重役」の世界が成り立っているのだと思います。

彼らは「一流」の人物の復帰に怯えながらも、同時に待ってもいるのではないか、という感じを持ちました。

「青い山脈」を生み出したもう片方で、こうした映画もまた作られたことに大変心惹かれます。

そこに日本人の、建前と本音の器用な使い分けを見るとともに、日本人の根深いところに存在している「あるもの」(共同幻想、とでもいうべきかもしれませんが)を実感しました。

例えば丸谷才一の小説に「笹まくら」という作品があります。

戦時中、徴兵を拒んで全国各地を逃げ回り、ついに戦争に行くことなく終戦を向かえた男、しかし、彼は徴兵忌避者という隠された烙印を背負って日本の戦後社会を苦渋と煩悶と疎外感のなかで生きねばならなかったという孤独な男の物語です。

戦後の民主主義社会にあって、徴兵忌避の男は、あの無謀な侵略戦争を拒否した反戦を貫いた男として、表面的には(アメリカ的な民主主義の観点からなら)、社交辞令的な賛辞を受けるわけですが、しかし、実際の日本の社会のなかにあっては、いたる所で裏切り者として暗に阻害され、精神的には自分が居る場所のないことを実感させられます。

至る所で多くの日本人から「兵士たち(父や兄弟)は、たとえあの戦争が間違っていたにせよ、日本のために戦って死んだのだ。なんなんだあんたは、多くの同胞が死を賭けて戦っていた時に、卑怯にもこそこそ逃げ回っていた臆病な裏切り者のくせに。」という暗黙の罵声を浴びせられます。

ここには、民主主義というイデオロギーでは到底届かない別の観念で動いている強固な共同体・裏切り者は立ち入らせない日本が見えています。

小泉首相が、靖国神社で参拝している当の「御霊」が、徴兵忌避者や戦争忌避者たちに向けられてないことだけは明らかです。

むしろ、公職追放され、もうすぐ帰ってくるという先代の社長さんたちであることくらいは、大方見当がついていますが・・・。

(52東宝)製作・藤本真澄、監督・春原政久、監督助手・筧正典、脚本山本嘉次郎 井手俊郎、原作・源氏鶏太、撮影・玉井正夫、音楽・松井八郎、美術・北川恵笥、録音・下永尚、照明・大沼正喜、製作主任・金巻博司、
出演・小川虎之助、三好栄子、関千恵子、河村黎吉、沢村貞子、井上大助、森繁久彌、千石規子、小林桂樹、島秋子、大泉滉、木匠久美子、清水一郎、荒木道子、村上冬樹、高堂国典、城正彦、音羽久米子、坪内美子、進藤英太郎、岡村文子、藤間紫、小野文春、越路吹雪、野田幸信、清川玉枝
1952.05.29 10巻 2,691m 白黒

《参考》
森繁久彌
1913年5月4日、大阪府枚方市に生まれる。早稲田大学演劇研究部で活躍しつつ日劇舞台課に勤務。大学中退後東宝歌舞伎、古川 禄波一座の下積み劇団員をへて、1937年退団。1939年NHKアナウンサー試験を受験し合格。入社後、満州(=現中国東北部)新京放送局に赴任。現地文化を伝えるドキュメンタリー収録に大陸を駆けめぐり、敗戦まで中国で過ごす。1946年引き揚げ後、軽演劇・新宿ムーランルージュでの洒脱な演技で脚光を浴び、1947年衣笠貞之助監督の『女優』の端役で映画デビュー。50年からはNHKラジオの人気番組「愉快な仲間」にレギュラー出演。映画では『腰抜け二刀流』50で初主演。『三等重役』52が高く評価され、喜劇俳優としての人気を不動のものにし、60年代には日本映画のドル箱であった《社長シリーズ》、《駅前シリーズ》で黄金期を創った。いっぽう『夫婦善哉』55、『警察日記』55、『猫と庄造と二人のをんな』56、『青べか物語』62、『恍惚の人』72など、完成度の高い名演技を通じ俳優としての地位と名声を確立する。出演作品は300本を超える。テレビは本放送が始まった1953年、早くも『生と死の15分間』(NTV)に出演。『七人の孫』64~/TBS、『だいこんの花』70~/NETなどで、ホームドラマの定型を築く。戦後ムーランルージュ『にしん場』『蛇(ながむし)』で始まった舞台への情熱も変わることなく、『モルガンお雪』、『佐渡島他吉の生涯』、『孤愁の岸』、1967年から始まった『屋根の上のヴァイオリン弾き』は20年にわたり、上演回数は900回に及んだ。朗読は、ラジオ『日曜名作座』を1957年以来今日まで続けるなど、心血を注いだ仕事のひとつ。CDにも、昔話を語った『21世紀の孫たちへ』(エイベックス)、13万枚のヒットとなった『葉っぱのフレディ』(東芝EMI)がある。1983年都民栄誉文化賞、84年文化功労者、'87年勲二等瑞宝章、'91年文化勲章を受ける。
by sentence2307 | 2006-01-28 08:54 | 春原政久 | Comments(0)