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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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嫁ぐ日まで

会社の同僚と雑談している際に、その人に映画を見るという習慣がまるでないことを知った時など、つい瞬間的に「えっ?」みたいな反応をしてしまい、相手に不快な思いを与えてしまっているのではないかと心配になることがあります。

極力気をつけているのですが、一年にただの一本も映画を見ないという人がいたとしても、そんなに驚くにはあたりませんよね。

むしろ1年のうちに映画を100本も200本も見るということの方が、異常といえば異常なのだという感じで、会社内の対人関係をいい形に持っていければと心掛けています。

まあタテマエとしてはそうなのですが、話の加減でその人が映画好きだと分かり、結構意識的に映画を見ていると知ると、ついつい嬉しくなって思わず話しに夢中になってしまうのも、常日頃自分を抑圧している一種の反動の現われかもしれません。

これなども気をつけなければいけないことのひとつと肝に銘じています。

ある宴会で映画好きの同僚と隣り合わせになったときのことでした。

話は、たまたま小津作品の名作中の名作「晩春」に及びました。

自分としては自然な流れの積りで、関連する作品としてナニゲに島津保次郎監督の「嫁ぐ日まで」の話を持ち出したのですが、だんだん会話が進むうちに相手の生返事に気が付き、一瞬「しまった」とあわて口篭ってしまいました。

監督・島津保次郎の名前など知らなくて当たり前だし、それにその名前を知らなければ、小津安二郎と比較するなんてなんの意味もないことは明らかだし、する必要もありません。

実際よく似ていて(小津監督のご母堂が、この「島津保次郎」という名前を見て、映画界に入った自分の息子の変名と思ったという逸話さえ残されています。-安二郎は、映画界に入ったことが恥ずかしいとみえて、名前まで変えた-と言ったと伝えられています。)、ましてや、その映画といえば、昭和15年に作られた超マイナーな東宝作品です。

僕たちが見る機会をかろうじて得られたのも、「原節子出演作」という細い糸でこの「現代」にやっと繋がっていたからだと思います。

僕としては、むしろ、島津保次郎と小津安二郎を取り違える錯覚をあげつらって、マニア以外の人を嘲笑するような異常さの方をこそ避けたいと思っている方なので、同僚にもその錯覚を悟られないようにやんわりと修正をほどこしました。

気づかれないように話題を「嫁ぐ日まで」から「晩春」へと徐々にすり替えたので、こと無きを得たのですが、しかし自分としては島津保次郎作品「嫁ぐ日まで」について話したかった分だけ胸がつかえた感じのままで、何だかすっきりしません。

こういうときにこそ、このブログの存在意味があるというわけですよね。

「嫁ぐ日まで」は、島津保次郎監督が東宝へ移って2作目のオリジナル脚本の作品で、原節子の美しい花嫁姿がクライマックスで用意されているという、当然小津作品を引き合いに出したくなるような作品なのですが、研究文献が豊富な小津作品と違い、物凄くマイナーなこの「嫁ぐ日まで」という作品には資料や解説など全然といっていいほど存在していません。

例えば、この作品についての紹介文といえば、こんなものしかないのです。
「ラストの原節子の嫁入りなどは、しみじみとした市井の生活描写が繊細な、いかにも松竹調のトーンを残した島津監督の佳作」などという、考えてみれば随分と無責任な一文があるくらいです。

このような僅かな手掛かりにつられて見たこともあって、こんな曖昧な先入観のお蔭で、小津作品とは似ても似つかない違和感と失望だけが残ってしまった映画でした。

母親を無くした父親(汐見洋)と姉妹の三人暮らしの家庭で、長女好子(原節子)が婚期を迎える年頃になっているために父親は後添えを貰う、というのがこの物語の発端です。

そして、新しい母を迎える娘たちの、特に次女浅子(矢口陽子)の動揺が描かれていくのですが、小津作品に親しんでしまった目からすると、この映画に登場する人物の誰もに、掘り下げの足りない腹立たしさを禁じえませんでした。

なにが腹立たしいかといえば、すべての登場人物の驚くべきステレオタイプの空々しさだと思います。

父親は何の疑いもなく後添えを貰い、その新しい妻の手前もあって、継母に打ち解けようとしない娘たちに対して厳しい小言を繰り返します。

それでも、もうすぐ嫁ぐという長女の方は、後々独りきりになってしまう父親を心配して後添えを貰うことに賛成しており、父の再婚を嫌がる妹を説得する側にまわっています。

しかし、どうしても新しい母親を受け入れることができない次女浅子は、ひそかに隠し持っている亡き母の写真にひとり語り掛けて淋しさを紛らわすような毎日を送っており、そのことに気づいた父親がその写真を取り上げ、その仕打ちに抵抗する麻子と衝突します。

新しい母に一向に親しもうとしない次女に対して父親は厳しく叱責します。

父親のこの逆上のシーンは、それまでは全編を通して穏やかに描かれてきた父親像とはどうしても繋がらない随分と突飛な印象でこの作品に一貫して流れていた雰囲気を大きく乱し、この作品を明らかな破綻に導いてしまったと思います。

これではまるで安手の「先代萩」の図式そのままで、見ている方が恥かしくなるくらいでした。

父の叱責を受けた次女は、誰にも理解されない淋しさから家を飛び出して夜の街を彷徨しますが、姉に発見されて連れ戻されてしまいます。

次のシーンは、いよいよ姉・好子の艶やかな花嫁姿です。

観客としては、妹の唯一の理解者だった姉がこの家から去ってしまうことによって、いまだ父との和解が成立していない妹・浅子が、孤立したままこの家に取り残されることが気になるはず、とドラマの自然ななりゆきに身を委ねたいところなのですが、映画は見事に観客の思惑を裏切って、突然、姉・好子が、新婚旅行先から妹宛に出される手紙の忠告「新しいお母さんに感謝して心を開いてください」で、この映画は不意に終わりが告げられてしまいます。

この作品を見終わって、僕は感動するどころか、妙に空々しく、寒々しい救いようのない絶望的な印象しか抱けませんでした。

小津の「晩春」とは、えらい違いです。

このふたつの作品の、どこがどう違うために、これ程の差が出来てしまうのか、つくづく考え込んでしまいました。

思えば「晩春」も婚期を迎えた妙齢の娘と老いた父親との物語でした。

この美しすぎる深い信頼で結ばれた父娘の物語は、しばしば小津監督が奇麗事ばかり描いて、目の前にある現実を直視していないと非難される象徴的な設定でもあります。

しかし、「奇麗事」とは、逆に言えば、そうありたい、そうあって欲しいという人間の理想の世界なのかもしれません。

父親は、妻亡き後、娘のために独身を通した誠実な男性で、そのことを娘もよく知っています。

子供に淋しい思いをさせまいとの一心から、娘のために再婚をためらってきた老父が、やがて娘が成長したいま、今度は自分の世話のために婚期を逃しかけている娘の行く末を案じ、娘を思い遣る同じ理由から、偽りの再婚話を仄めかして、躊躇う娘の背中を押してあげるというこの物語「晩春」に対して、この島津作品「嫁ぐ日まで」に描かれている世間体や御しきれない自らの性欲のためにさっさと再婚し、あまつさえ新しい母親に懐かないという理由で娘を叱責するような父親の、人間として比べるに値するものが、いったいどこに描かれているといえるでしょうか。

そして、お互いを思い遣り、そのためには自分のことなど二の次、愛する者のためには自分の欲望など何ほどのものでもないという優しく誠実な人々の自己犠牲の姿のどこが「絵空事」なのか、僕には到底理解できません。

小津映画は、古きよき「時代」が生み出したものではないと思っています。

昭和15年につくられたこの島津作品との比較から敷衍して考えてみれば、これら多くの監督たちと向き合って一定の孤高を保ち得た小津監督の資質の、ここにあるものではなく、もっと彼方にいるはずの人間を見つめた高潔なモラルの問題を扱った作品であることは歴然としています。

(40東宝映画・東京撮影所)監督製作脚本:島津保次郎、撮影:安本淳、編集:今泉善珠、音楽:谷口又士、製作主任・谷口千吉、演奏・P.C.L.管弦楽団、装置・中古智、録音・三上長七郎、照明・横井總一
出演:原節子、矢口陽子、御橋公、沢村貞子、清川玉枝、汐見洋、英百合子、杉村春子、大川平八郎、永岡志津子、御舟京子、三邦映子、河田京子、大日方伝
1940.03.20 日比谷映画 8巻 1,950m 71分 白黒


【参考】

島津保次郎
1897年東京日本橋に下駄用材商と海産物商「甲州屋」を営む父・音次郎の次男として生まれた。
英語学校在学中から映画にのめり込み、逓信省の宣伝映画の脚本募集に入選。
映画狂いを苦々しく思っていた父に文才を認めさせた。
しかし、親は下駄問屋を任せ、下駄用材を選別するため保次郎を生産地の福島へとやってしまう。
しかし金持ちの道楽息子である彼は好きな乗馬をして山中を飛び歩いていたという。
そんな折、松竹が映画事業進出のため従業員や俳優募集のため広告をだしたところ、松竹入社を熱望し、父の紹介で小山内薫のキネマ俳優学校(のちキネマ研究所)に入門した。
同じ頃の門下生には牛原虚彦などがいた。
日本映画史初期の記念碑的作品、キネマ研究所第一回作品の『路上の霊魂』(村田実・21年)の照明係/助監督を、また同研究所第二回作品『山暮るる』(牛原虚彦・21年)の助監督をつとめた。
同年『寂しき人々』でデビューするがこの作品は封切られずじまいだった。
『山の線路番』『自活する女』『剃刀』(共に23年)などで認められ、松竹蒲田のトップクラスの監督になる。
23年の関東大震災によって撮影所が壊滅し、野村芳亭はじめ多くの映画人が京都へ移り住んだが、東京に残って映画製作のチャンスを窺っていた島津は、新しく松竹の撮影所長となった若き城戸四郎と運命的な出会いを果たした。
生粋の江戸っ子で、当時で言うモダンボーイだった二人はすぐに意気投合して酒を酌み交わし映画と人生について語り合った。
それまでの古めかしい新派悲劇ではなく、サラリーマンや庶民の日常生活を描くことによって新しい「蒲田調」を築き上げようとした。
ここにいわゆる「小市民映画」が誕生するのである。
島津は新派の舞台の延長に過ぎなかった当時の現代劇映画のなかで、演劇の模倣から抜けだし、映画の視覚的表現と演技の指導を確立した監督の一人であった。
サイレント時代の代表作に『村の先生』『大地は微笑む』(共に25年)『多情仏心』(29年)『麗人』(30年)『生活線ABC』(31年)などがあるが批評的には芳しくなく、むしろトーキーになってから新境地を開き『上陸第一歩』『嵐の中の処女』(共に32年)『隣の八重ちゃん』『その夜の女』(共に34年)などの初期トーキーではいち早く独自のトーキーリアリズムを完成させた。
そして『お琴と佐助』(35年)『婚約三羽烏』(37年)を経て本作『兄とその妹』(39年)ではその技法は円熟の境地を極め、ホームドラマの一つの到達を見せている。
『兄とその妹』を撮った直後松竹を去って東宝へ移籍した島津だったが製作本数が半減する。
戦時下の日本映画では島津のようなメロドラマ的作風が手腕をふるうことができなかった。
敗戦の年の1945年、島津は一本も作品を撮ることなく9月に49歳で逝去した。
日本で最初の映画学校出身の島津だが、彼もまた自らシナリオ学校を作り新しい作家の育成に力を注いだ。
さらに彼の下で修行を積んだ助監督は数多く、松竹蒲田時代には五所平之助、豊田四郎、吉村公三郎、木下恵介らがおり、東宝時代には谷口千吉、佐伯清、関川秀雄らがいた。
松竹ホームドラマ=蒲田調の体現者であった島津の作風は、こういった弟子たちに受け継がれ日本映画の本流を形成してゆくことになる。
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by sentence2307 | 2006-02-19 14:34 | 島津保次郎 | Comments(6)