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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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村八分

偶然ですが、CSで現代ぷろだくしょんの作品を2本立て続けに見てしまいました。

農村の閉鎖性を描いた「村八分」53と東洋のマタハリといわれた川島芳子を描いた「燃える上海」54です。

この辺の知識はもっぱら書籍から仕入れているのですが、日本の独立プロの隆盛を高く評価したことで有名なジョルジュ・サドゥールが、1955年当時、こんなことを書いています。

「日本の進歩的映画は、きわめて良心的かつ効果的に、つぎのようなテーマを目指している。
すなわち、軍国主義の告発による戦争反対の闘争(真空地帯、日の果て、雲流るるはてに、)、アメリカの戦争犯罪(原爆の子、ひろしま)、占領による不幸(混血児)、労働者階級による闘争の鼓舞(どっこい生きている、赤い自転車、蟹工船、女一人大地を行く、太陽のない街)、貧農の闘争(箱根風雲録、村八分、米)、民衆の独立と文化遺産の称揚、日本資本主義の告発、等。
1952年~54年に日本の進歩的映画人は、一連の主要作品を生んだが、それはイタリア・ネオリアリズム派を凌駕するかとさえ思われる。
ローマは、資本主義諸国の映画界において、東京の好敵手である。」

そして、サドゥールは、その著「世界映画史」においては、さらに踏み込んで「1950年以降、日本のネオ・リアリズムは、その力強さと飛躍の点でイタリアを凌駕したように思われた。」と書いています。

「進歩的映画人」の行き過ぎた左傾化を警戒した日本の大手映画資本の、硬軟取り混ぜた圧力によって一斉に攻勢をかけてきた苦しい製作状況がまずあって、仕方なく選択された「独立」という苦しい部分もなかったわけではないにしても、やはり表現の自主性を守るという高潔な選択が、海外の映画人の注目するところとなったのだろうと思います。

イタリア・ネオリアリズムが、あくまでも「人間」の根源を見据えて、やがて感傷的な叙情に流れていったのに対して、日本の独立プロダクション運動は、遙かに政治色が強く、それだけに映画そのものの仕上がりには、首を傾げたくなるようなものもありました。

この「村八分」という作品は、そういう一作かもしれません。

この作品は、選挙のとき村で公然と行われていた替え玉投票(不在者の投票用紙を集めて、それを任意の者に替わって投票させるもの)を、ひとりの少女が疑問に思って新聞社に投書したことから、大騒ぎになり、一家が村中の非難を受けて総スカンされる、いわゆる村落の因習的な閉鎖性を告発した映画なのですが、上記でサドゥールが分類したカテゴリー「貧農の闘争」にはちょっと当て嵌まらないかもしれません。

むしろ、「貧農との闘争」と言った方が相応しいのではないかと、この映画を見ながら思いました。

この映画に描かれている「八部」は、タテマエとしては、村のボス的実力者に抵抗できない貧しい村民たちが致し方なくやっていることかもしれませんが、しかし、実は、村の利益に反するようなことをした裏切り者は排除するという農民たちのダークな「自主性」もしっかりと描かれているように感じます。

この映画は、八部によって近所の助力を得られず、苦慮している一家を(話し合いによって、こういうことは間違っているという結論に達した)学生たちが大挙して救うところで終わります。

こういう終わり方をどう見るか、これを果たして希望に満ちた終わり方といえるのかどうか、ちょっと迷います。

結局、一家を排除した村の農民たちは、誰一人現れず、作られた溝は埋められないまま、無知で、そのうえ因習固陋に凝り固まった農民など啓蒙するに値いしない、何の望みもない存在だと打ち棄て、無視し、こっちはこっちで勝手にやるさ、あのドン百姓ども、むしろこっちから無視してやるぞみたいな、なんともかんとも、とにかく絶望的なラストということだけは、よく分かりました。

(53近代映画協会=現代ぷろだくしょん)監督・今泉善珠、脚本・新藤兼人、撮影・宮島義勇、音楽・伊福部昭
出演・中原早苗、山村聡、乙羽信子、日高澄子、菅井一郎、藤原釜足、英百合子、殿山泰司、山田巳之助、御橋公
1953.03.21 10巻 1,575m 95分・モノクロ
Commented by Charline Corvelli at 2013-01-11 16:10 x

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by sentence2307 | 2006-03-26 22:36 | 新藤兼人 | Comments(1)