月とキャベツ
2006年 04月 05日
とても爽やかで、せつなくて、自分自身が経験してきた数少ない出会いと別れのことなども、ぼんやり考えてしまいます。
うまくいかずに、なんとなく別れてしまった彼女たちが、今頃どうしているのかななどと、ちょっと感傷的になったりします。
きっと僕みたいに、有り余る時間をもてあまして、退屈紛れに繁華街をほっつき歩いているのかもしれません、どこかでいま、この同じ時間をやはり同じように生きていることが、とても不思議に思えます。
自分がいま、この街の雑踏の中で、たったひとり取り残されてしまったような孤独に不意に気づかされる、そんな気分にさせるこの「月とキャベツ」でした。
いたたまれない孤独を感じ、いつもは冷たくしている彼女に、急に優しくしてあげたくなるようなそんな気持ちになりますよね。
なによりも、ヒバナのハツラツとしていながら、どこか不器用な感じが、とても共感できます。大人になりきれないでいる少女特有の長い手足をたたみかねて、持てあましているような、戸惑っている感じがとても新鮮です。
例えばこのシーン、曲が完成した夜、あふれ出るヒバナへの思いを抑えかねて、唇を求めようとする花火を、彼女が苦しげに避ける切なくて痛々しい場面が、強く印象に残りました。
忘れかけた歌作りの情熱を取り戻させる手助けをする霊としてのヒバナには、くちづけをすることが許されなかったのでしょうが、また、見方によっては、恋愛前期の少女が、「性」の手前でためらい、そして静かに拒む「おびえ」の仕草とも見えます。
避けるヒバナに向ける花火の「どうして?」という表情も、この作品が観客の胸深くに届く説得力を与えています。
男には、なぜ彼女が自分から去っていったのか分からないときがあるように、女にも、「わかって欲しい」と思いながらも、説明できないまま去るしかない苦しいときがあるのかもしれません。
このシーンを見ながら、兄の恋人に、ためらいながら唇を寄せていく痛ましい孤独と背信の恋を描いた「エデンの東」の繊細な一場面を思い起こしました。
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