愛と希望の街
2006年 04月 23日
その過大とも思える評価は、あの「政治の季節」という時代が言わせた部分もあったのでしょうが、その手の押し付けがましい決め付けをあまりに度々聞かされてきたので、多分うんざりし、それでなくとも、そういう政治的な主張だけの作品というものが僕にはちょっと苦手なこともあって、見る機会を先送りにしてきた作品でした。
しかし、今回実際にこの「愛と希望の街」を見て、あの頃聞いていた印象とは、随分違っていたので驚きました。
まず、最も意外だったのは、主人公の少年です。
僕が自分なりにイメージしていたこの物語の少年像は、もっともっと抑圧された陰鬱で反抗的な少年でなければならないような気がしていました。
多分、「絞死刑」の少年Rや、日本全国を渡り歩いて各地で交通事故を装いながら示談金を詐取して回った当たり屋一家のあの「少年」のイメージが、この「愛と希望の街」の少年とダブってしまっていたのかもしれません。
しかし、この作品で描かれている少年は、異常なほどの母親思いで、言いつけを素直に聞いては忠実に実行する、いわば母親の言いなりになっているだけのただの孝行息子です。
しかも、この作品の「売り」である「鳩を売る」という極めて挑発的で悪意に満ちた発案も、実は少年ではなく母親から出たものであることを思えば、少し複雑な気がしてきました。
当の少年は、そのいささか不正な商売に疑問を感じながらも、母親の唆しを拒みきれずに渋々言いなりになっている従順で小心な孝行息子にすぎません。
その極めて消極的な彼の中に、貧しさの底辺にあって豊かな社会を絶望的に仰ぎ見、「階級闘争」という意識的な敵愾心を「報復→テロ」にまで燃え上がらせているという、憤激を自らの内部で肥大させている過激な反抗者の姿を見つけることは困難です。
もし、この少年に怒りらしきものがあるとすれば、社会の善意に甘え掛かろうとする屈辱感に根ざした自身への憤激でしょうか。
しかし、もし鳩好きの貧しい労働者が、なけなしの金をはたいて鳩を買っていってしまったらどうなるのだ、それこそ「同じ階級の者に対する裏切り行為」ではないかという素朴な疑問も残りました。
つまり、どう見ても「詐欺」としか思えないこの犯罪行為は、「貧しさ」を盾に取った社会への甘えを正当化している独善でしかなく、きっとどのような体制であっても、この「商売」を思想的に正当化するには、やはり重大な欠陥があるとしか思えません。
むしろ、最初から破綻しているこの「商売の論理」を、「貧しさ」を理由に強行に言い張り、少年に実行を強いる望月優子演じる母親にこそ問題があるのではないかと思えてきました。
僕にとって、望月優子といえば、すぐに思い浮かぶのは、木下恵介監督の「日本の悲劇」です。
苦労してようやく育て上げた子供に裏切られ、見捨てられた絶望から鉄道自殺を遂げるという悲惨なラストを持つ衝撃作です。
同じ母親でも「愛と希望の街」の母親とは随分違うという印象を持つかもしれませんが、とても似通っているところもあります。
子供たちの前で、自分がいかに犠牲になって苦労したかを、くどくどと愚痴り続け、恨めしげに泣き口説いて子供をおびやかし、その結果子供たちに母親を悲しませることを何よりも恐れさせて罪の意識=強迫観念を抱かせるという部分です。
それを受け止める子供たちの側に、見捨てる非情さを設定するか、あるいは追従する気の弱さを設定するかの違いだけが、この2作品(悲劇と喜劇?)の分かれ目だったように思えます。
これは「階級差」への怒りをウンヌンする前に、なによりも母親の反社会的な歪んだ申し出に疑問をもちながらも、拒みきれない不自然な母子関係を論ずるべき映画ではなかったかと考えざるを得ません。
観念だけで構築された「超えられない階級の断絶」という奇妙奇天烈な設定を、大真面目に恋愛関係に持ち込んだあまりにも不自然なシーンが、たとえ失笑をかったとしも、それは仕方のなかったことかもしれません。
考えてもみてください、付き合っている彼女から突然、二人の間には超えがたい「階級差」の深い溝があるのだから別れるしかないのよ、サヨナラ、なんて突拍子もない宣告をされて去られるところを。
言いたい放題のことを言うだけ言って、さっさと立ち去っていく彼女の堂々たる後姿をただ呆然と見送るしか為すすべがないにしろ、彼女が視野から消えるまで冷静に彼女と同レベルの「深刻さ」を保っていられるかどうか、きっと、彼女には失礼かもしれませんが、彼女の後姿が消えない前に、吹き出してしまうことを僕自身我慢できるとも思えません。
この「愛と希望の街」という未成熟な作品は、きっと誰もが同じ深刻さを持つに違いないと妄信した独善が作らせたそういう映画だったのかもしれないなという気がしてきました。
(59松竹・大船撮影所)製作・池田富雄、監督脚本・大島渚、助監督・田村孟、撮影・楠田浩之、撮影助手・赤松隆司、音楽・真鍋理一郎、美術・宇野耕司、装置・山本金太郎、装飾・安田道三郎、録音・栗田周十郎、録音助手・小林英男、照明・飯島博、照明助手・泉川栄男、編集・杉原よ志、現像・中原義雄、衣裳・田口ヨシエ、進行・沼尾釣
出演・藤川弘志、富永ユキ、望月優子、伊藤道子、渡辺文雄、千之赫子、須賀不二夫、坂下登
1959.11.17 5巻 1,705m 62分 白黒 松竹グランドスコープ
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