世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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青べか物語

この川島雄三作品「青べか物語」を初めて見たとき、本当に物凄い衝撃を受けて、もし、黒澤明の「どですかでん」より以前にこの作品「青べか物語」を見ていたら、はたして黒澤作品をあんなふうに手放しで賞賛したり評価することができただろうか、と少し不安な気持ちになったことを覚えています。

確かに、この川島雄三作品は、僕にとって虚を突かれたような衝撃作でした。

あの黒澤明作品のヒューマニズムに満たされ、目の覚めるような色彩に溢れ、美しくデフォルメされた汚濁の聖化ともいうべき倒錯した貧民窟とか、そこで暮らす人々の生真面目さなどは、どう贔屓目に見ても貧民窟に住む人々のリアルとは程遠いものと感じられてなりませんでした。

身なりだけはいかにもみすぼらしく装っていても、しかしそれは貸衣装をむりやり着込んで「それっぽく」見せかけているだけで、どの人物も中身はただの思慮深いインテリにすぎないような、つまり、日々の暮らしに追われまくる庶民があんなふうに深刻ぶって日々生きていけるわけがないという気がずっとしていました。

「貧民窟」や、そこで生きる人々を素材にして、黒澤明が破格の映像作家としての自身のモチーフを前面に押し出しながら、もっと別の崇高な「なにもの」かを描こうとしている姿勢に対する疑問というか、反撥を感じたのかもしれません。

天才監督が「自分の作品を作る」のですから、それはごく当たり前のことなのですが、川島作品「青べか物語」を見たとき、社会の底辺で虫けらのように生きる明日の展望を失った庶民が、その絶望的な境遇のなかで、乱痴気騒ぎ・馬鹿騒ぎの狂騒に明け暮れながら嬉々として生きる(振りをする)失意を真っ向から描こうとした川島雄三の姿勢の誠実さに少し感動したのだと思います。

絶望的な生を酒で煽り立て、あるいは紛らわし、刹那的な「性」にのめり込んで疾駆していくしかない庶民の負の情熱、それを「生き急ぐ」といえばいいのか、「自暴自棄」というべきなのかはわかりませんが、「愛のコリーダ」によって描かれた自らを閉ざし破滅に向かって内向する人間の絶望の表出は、たぶん黒澤作品の方法では、きっと・そして・決して、描き得ないと考えていた僕に、この引きつったような絶望的な馬鹿笑いの狂騒に終始する「青べか物語」は、この疑問にぴったりと照準を合わせるかのように明確に答えてくれた作品でした。

狡猾で、したたかで、小ずるくて、本能のままに放埓に「生きる」ことに悩んだことなどさらさらない、人間なんかもったいない、なにかイカガワシイ動物にでも喩えたくなるような、図太くて、鈍く、貪欲そうに見えて、その実繊細なところもないわけではない、なんとも複雑な人々なのです。

それは、役者たちをそれぞれ自由に、そして縦横に動かしながら、目指す一点(リアリティ溢れる庶民の強烈な生活臭の発散)をタガエることなく照射して川島雄三演出の力量をイカンナク示し、すべての俳優たちから、それぞれ生涯最高の演技を引き出すことに繋がっているといってもいいと考えています。

よそ者の弱みに付け込んでボロ船を売りつけ、さらに酒・煙草をたかりまくる厚顔なスケベ爺じいを演じた東野英治郎の見事な演技は、豊田四郎の「雁」の因業な金貸しに匹敵するものといえるでしょうし、過剰な情念に生きる底辺の女娼を演じた左幸子の演技は、「飢餓海峡」の杉戸八重と並び称してもいいと思いました。

そうした中で僕のもっとも好きなシーンは、最初の花嫁に逃げられ不能の汚名をきて街の笑い者になった五郎=フランキー堺が、2人目の花嫁(池内淳子)を迎えたその初夜の場面、恥らいながらも花嫁は初夜を迎える身支度をしている傍らで、早く床入りしたくてうずうずしている五郎がびったりとくっついて待っています。

好色そうに彼女の肢体をなめまわすように見つめる五郎と、恥じらいながらもそうされていることがまんざらでもない花嫁、この場面はもうほとんど「前戯」です。こういう鮮烈なエロスを婉曲に描く力量が、かつての日本映画にはしっかりとあったのだと実感しました。

しかし、これだけ感動できた「青べか物語」のはずですが、このふたつの作品を見たときから長い時間が経ったいま、各シーンをくっきりと思い出すことができるのは、残念ながら「どですかでん」の方なのが、とても不思議です。

あのリアリティはなんだったのだろう、という疑問が湧いてきました。

もしかしたら、その理由は、森繁久弥の描き方にあったのかもしれません。

庶民の破天荒な活力の前で、ただたじたじと怖気漬いているしかない彼は、終始「部外者」でしかなく、結局この土地から独りそそくさと立ち去ることになる場面に、そういう視点で描かなければならなかったこの映画の限界が明かされていたのかもしれません。

庶民に限りない愛情と理解を示しながらも、しかし、一度として彼自身は「庶民」ではなかった男、あの逞しく人生を生き抜く活力を持ち合わせておらず人生の半ばにしてこの世からの退場を余儀なくされた男・川島雄三の姿が、あのラストにかぶさりました。

(62東映)製作・椎野英之 佐藤一郎、監督・川島雄三、監督助手・山本邦彦、脚本・新藤兼人、原作・山本周五郎、撮影・岡崎宏三、音楽・池野成、美術・小島基司、録音・原島俊男、整音・西尾昇、照明・榊原庸介、スチール・橋本愈、製作主任・大久保欣四郎、
出演・森繁久弥、東野英治郎、南弘子、丹阿弥谷津子、左幸子、紅美恵子、富永美沙子、都家かつ江、フランキー堺、千石規子、中村メイ子、池内淳子、加藤武、中村是好、市原悦子、桂小金治、山茶花究、乙羽信子、園井啓介、左ト全、井川比左志、東野英心、矢野間啓治、小池朝雄、名古屋章、立原博、丘寵児、中原成男、田辺元、竹田昭二、旭ルリ、岩倉高子、桜井浩子
1962.06.28、8巻 2,755m 101分 カラー 東宝スコープ
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Commented by moncler ou at 2013-11-19 14:35 x
moncler outlet turin 青べか物語 : 映画収集狂
by sentence2307 | 2006-07-15 15:47 | 川島雄三 | Comments(1)