狂った果実
2006年 07月 23日
そして、中平監督は、つねづね、「ゴダールは、オレの作品を真似した」と、ヌーヴェルバーグの登場を既に先取りしていたことを豪語していたという話は有名ですよね。
いや、姫田眞左久キャメラマンが記したものの中には、もっと辛辣にヌーヴェルバーグを嘲っていたみたいな一文を読んだ記憶があります。
しかし、この「豪語」は、あながち大ボラとは言えない確かな信憑性があるのですが、ただ、華々しいデビューに較べて、失速著しい「荒れた晩年」の中平監督の性癖に照らして、幾分そうした大風呂敷の虚言みたいな印象を持たれてしまったことは、残念ですが否定できなかったのでしょう。
中平監督にふれた誠意あふれる姫田眞左久キャメラマンのその一文にも、言下に「眉ツバ」的な論調を感じ取ってしまうのは考えすぎかもしれませんが。
しかし、「狂った果実」のスピード感あふれる才気に満ち満ちたカットつなぎにトリュフォーが驚嘆して、彼の推薦によってシネマテークに保管された日本映画の第1号になったというこの作品が、ゴダールに深刻な衝撃と、そして大きな影響を与えた可能性は、大いにあり得たことだろうなと思います。
石原慎太郎が、裕次郎との思い出を綴った「弟」の中にこんな部分があります。
1962年、日仏独伊ポーランド5カ国の若い監督たち、つまりアンジェイ・ワイダ、フランソワ・トリュフォー、レンツォ・ロッセリーニ、石原慎太郎、マルセル・オフュルスたちが競作したオムニバス作品「二十歳の恋」の打ち合わせのために、日本篇を監督する石原慎太郎がパリを訪れた際に、フランス篇と総集編を担当するフランソワ・トリュフォーとの対話のなかで、トリュフォーは、自分のヌーヴェルバーグ・タッチは、「海辺の情熱」という日本映画のストーリーの設定や展開、そして畳み掛けるようなカッテッングのタッチに強く影響されたものだと告白されました。
トリュフォーにそれ程までに強い衝撃を与えたというその「海辺の情熱」という作品に、まったく心当たりのなかった石原慎太郎が、さらに具体的に話の筋を聞いてみると、なんとそれは自分がストーリーを書き下した裕次郎の主演第1作「狂った果実」だったということが分り、その評価に、却って自分のほうが驚いたという部分です。
帰国後、さっそく裕次郎にそのことを伝えると、「そりゃそうに決まってらあな」と当然のように答えたと記されており、そして、また、ある席で中平監督に同じように伝えたところ、もはや、映画への情熱をすっかり失っていた中平監督の冷ややかな無反応な態度が、裕次郎の反応と好対照に記されている部分には、複雑な思いを禁じ得ません。
そして、その文節の締め括りに石原慎太郎は、こう記しています。
「いずれにせよ、あの映画は、偶然と奇跡に満ちた青春という、人間にとってたった一度の季節を表象していたと思う。
あの時代にしか、あのようにしかあり得なかった私たちの青春を、あの映画はほとんど完璧に代表してくれている。
同じ世代だったトリュフォーが感じ取ったものもまさにそれただったに違いない。」
(1956日活)(監督)中平康(原作脚本)石原慎太郎(撮影)峰重義(美術)松山崇、辻井正則(音楽)佐藤勝、武満徹
(出演)北原三枝、石原裕次郎、津川雅彦、東谷暎子、藤代鮎子、深見泰三、岡田真澄、木浦昭芳、島崎喜美男、加茂嘉久、近藤宏、山田輝二
(85分・35mm・白黒)