木下恵介の怒り
2006年 11月 19日
僕の印象からすると、松竹の優等生・木下監督の人生って順風満帆というイメージだったのですが、放送を見ていたら、どうも晩年はそうでもなかったみたいですね。
繊細な天才肌で自我が強かった分だけ、次第に特異な部分が際立って企画が通りにくくなり、松竹との関係がギクシャクし、思うように仕事ができなくなっていく、やがて事実上ホサれ、やむなくテレビの仕事に流れていったと解説されていました。
それが例の「木下恵介劇場」だったんですね。初めて知りました。
そういうなかで、このNHKの番組が、繰り返し強調していたことは、分け隔てなく深い愛情を周囲に注いだ彼の母親を、木下監督自身が、映画の中で描き続けた「こだわり」でした。
番組では、そういった木下監督の母親観を、たとえばマザコンなどという無神経な言葉で一蹴するような製作意図はなかったにしても、もう一歩踏み込んで木下恵介を描くことができなかったのか、はっきり言って僕としては、その番組の不完全燃焼さに失望したのだと思います。
そのように失望したことが、結果的にこの番組の印象を薄め、また、今日の今日まで、忙しさに紛れていたこともあって、その番組のことと、そのとき感じたことの一切をすっかり忘れてしまっていたのだと思います。
しかし、今日、不意に「それらのこと」が思い浮かんできたのでした。
自分があの番組の何に、あるいは木下監督の何に失望したのか、逆に言えば自分が木下恵介の「晩年」に何を望んでいたのか、ということを、です。
たぶん、不治の病魔に冒されながら映画製作に執着し、断ち難い未練をこの世に残しながら断腸の思いで、あるいは失意のなかで死んでいった多くの天才監督たち、溝口健二や小津安二郎や黒澤明のように、オレは、木下恵介にも絶望の中でもがき苦しみながら死んでいったことを、暗に期待していたのではなかったのかと思い至って愕然としたのでした。
しかし、すぐに、僕が自分自身に対して愕然としたのが、自分がこの天才監督の不遇を暗に「期待」したことに対してでないと気がつきました。
「不遇」でもなく、「絶望」することもなく、「失意」のなかで生涯を終えるわけでもない映画監督なら、それこそゴマンといます。
たぶん彼らは、ただ「苦しんだ」のではなく、むしろ「苦しみを求めた」のだと思います。
この番組のなかでは、数々の木下監督作品の一シーンが映し出されていました。
どのシーンも記憶のなかにあるものばかりです。
ただひとつ、自分が印象していた場面と異なるシーンがありました。
「日本の悲劇」のラストシーン、すべてを失い尽くした望月優子の母親が、疾走してくる列車に身を投げる場面です。
僕の印象では、文字通りホームからフラっと「身を投げる」感じで記憶していたのでした。
しかし、実際には、母親は、疾走してくる列車に向かって突然自分も疾駆しています。
これは、ショックでした。
死ぬことに対する意思の強固さというか、絶望をバネにして我が身を疾走してくる列車に叩きつける計り知れない怒りの在り様というか、この「日本の悲劇」をいままで「救いのない作品」と片付けていたことを修正しなければならないかもしれません。
きっとこれは、木下恵介の怒りが込められた「救いを拒む作品」なのかもしれませんね。