花ひらく 眞知子より
2007年 03月 25日
特に、ボサーっと突っ立っているだけで絵になる二枚目「上原謙」が、いままで見たこともないような屈折した学生運動の活動家を演じているのですから、本当にびっくりです。
ミスキャストとか、そんな生易しいレベルでは気持ちの持っていきようがないほどの、これはもう悪趣味を通り越して深刻なグロテスクを感じてしまうくらいの相当無理な設定と思ったのは果たして僕だけだったでしょうか。
もっとも、ある資料によれば、これは和田夏十の趣味だったそうですから、まあ市川監督には責めがなかったといえるかもしれませんが。
そういうわけで、後年の軽妙洒脱な演出の冴えをみせる市川監督らしさを、このコテコテのメロドラマ作品から見つけ出そうというのは、かなり難しい問題なのですが、しかし、だからといって後年のスッとぼけたような市川監督一流の不思議な味わいがまったく「皆無」かといえば、決してそうではありません。
学生運動の活動家・上原謙の下宿のすぐ裏に精神病院(映画のなかでは、なんの躊躇もなく、それこそきっぱりとモロ差別用語である「キチガイ病院」と言い放っています)があって、時々聞こえてくる狂人たちの叫び声にこの活動家の荒んだ気持ちが慰められるとかいう場面があります。
斜に構えたこの青年のヒネクレ加減からみても、この活動家が相当に屈折した心の持ち主であるらしいことが伺われ、一層そのインインメツメツとした暗さに、観ているだけでもうんざりさせられてしまうのですが、しかしそのなかにあって、せめてもの魅力は、この「キチガイ病院」を動物園と同じレベルで捉えている市川監督の突き放したような描き方に、軽妙洒脱な市川演出の冴えが見られるといえるかもしれません。
それはまあ、「かろうじて」という感じではあるのでしょうが。
しかし、この叫び声だけを象徴的に描きながら「人間」を「動物」にすり替えてしまうアクロバット的な奇妙な発想の可笑しみは、考えてみればこの「一大メロドラマ」全体を覆いつくしているような気がします。
この物語を少し整理して考えてみると、自分が属している上流階級のぬるま湯に苛立ちを感じている「眞知子さん」は、なにやらいわくありげな左翼の活動家に惹かれ、接近していくうちに次第に見えてくる彼の心の荒廃と怠惰と人格的な欠陥に失望して(実は、男は重婚を隠して眞知子さんに求愛しています)彼を見限るという物語でした。
みずからが属する上流階級への嫌悪と、貧しい階級への同情から、眞知子さんは階級闘争の闘士に惹かれていくのですが、そのモラル(あるいは反モラル)までは受け入れることができず彼に従う決心がつきません。
しかし、この眞知子さんの関心と失望の過程は、実は、前述した「キチガイ病院」から奇怪な「叫び声」だけを切り取って可笑しがるという姿勢と不思議に重なっていることに気づかされます。
深刻な人格障害を病理的に理解することなどせずに、病気から発せられるその叫び声だけをあっさり抽出して面白がるという姿勢は、そのままこの物語に描かれている眞知子さんの革命への関心と失望の淡白な過程と、同じ軌跡を辿っています。
時代錯誤の紅衛兵か、遅れてきた赤軍派みたいなことを言うみたいで大変恐縮なのですが、生来持っていたモラルを克服しなければ「革命」なんて理解できるわけがないし、ましてや死を覚悟した変革への献身などできるはずもありません。
この物語が、捨てられた男の側から描かれているシニカルなものなのならまだしも、どこまでも「お嬢さん」の不定見な関心と鈍感な失望の物語にすぎず、ただ一方的に澄ましかえって終始するあたりが、この幼稚な作品を、とても俗悪で、それゆえに却って奇妙な味わいをかもしながら、一定の作品に仕上げることができたのかもしれません。
市川演出は、うわべだけの物語の流れを皮肉的に敷衍して見せたのだと思いました。
ラストシーンは、生きていく道を絶たれ、明日を見失ったはずの眞知子さんが、「明日から頑張るぞ」みたいな晴れ晴れしい顔のアップで終わっているのですが、ここには、彼女自身、遂に克服できなかったものがなんだったのかの見当さえつかないまま、上流階級の身勝手なお嬢さんのひとりよがりの、図太いまでに鈍感な感受性(もし、これでも「感受性」などと呼べる種類のものであるとして、ですが)が、描かれているのだと思いました。
(48新東宝) (監督) 市川崑 (原作)野上彌生子(脚本)八住利雄(撮影)小原譲治(美術)河野鷹思(音楽)早坂文雄
(出演)高峰秀子、上原謙、藤田進、吉川満子、三村秀子、田中春男、村田知英子、水原久美子、春山葉子、伊達里子、江見渉
(88分・35mm・白黒)
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