勝手にしやがれ
2007年 05月 22日
しかし、あるとき、その「処分」をしながら、ふっと疑問にとらわれました。
自分は、本を読むとき、気になる部分に傍線を引く習慣があり、そうやって読んではせっせと傍線を引きまくり、そして、読み終えた時点でさっさと処分してしまうわけですから、つまり、なんのために傍線を引いているのか、自分でもその不可解な行為にはじめて気が付き、遅まきながら疑問を抱いたというわけです。
そのことに思い当たったのは(随分と間抜けな話ですが)、処分し忘れていた一冊の本との再会が契機でした。
それは、松本俊夫が書いた「映像の発見 アヴァンギャルドとドキュメンタリー」です。
奥付には、1972年の9刷版とありますから、「あれから」気の遠くなるような時間が経過してしまったんだなあという思いにしばしとらわれ、暫らくボンヤリしてしまいました。
ページを繰っていくにしたがった、もうそこら中に引きまくっている傍線のむこう側に、せっせと本に書き込みをしている若い自分がみえます。
古い日記を読み返すのとは、また別の懐かしさというか、感慨みたいなものがありました。
傍線を引いたなかから、一部分を抜書きしてみたくなりました。
「ドラマの無いドラマ」から、ゴダールの「勝手にしやがれ」に言及した部分、パトリシアに裏切られ、ミシェルが射殺される場面です。
《ミシェルが死ぬ間際に「俺は最低だ」とつぶやくのを耳にして、パトリシアは警官に「何を言ったのか」と質問をする。
すると警官は「お前は、最低だと言ったのさ」とパトリシアに答えるが、これなどはフランス人のアメリカ嫌いを、かなり痛烈に表現していて面白い。
しかし、だからといって、このドラマの主題はそこにはない。
主題は明らかに主人公のミシェルを通して、孤独で絶望的な現代フランスの青年像を描き出すことにあったのであり、その意識の内側を掘り起こすことによって、置かれた状況の歪みをそこに浮き彫りにすることにあったのである。》
なぜ、このいささか長い文章を抜書きしたかというと、「ここに書かれていること」よりも、多分「ここに書かれていること」に共鳴した「かつての自分」に興味があったからだと思います。
「俺は最低だ」という言葉を「お前は最低だ」と伝えられる歪められた伝聞によって引き裂かれる恋人たちのドラマに、当時の僕はたまらない魅力を感じたのかもしれません。
あるいは、「俺は最低だ」と呟きながら孤独のうちに死んでいく(いま死ぬことだけで精一杯の)男に対して、そんなときでさえも、男というものは、絶対自分に関心を持ち続けているものだと信じる身勝手な女たちの煌めくような傲慢のファンタジーに心引かれたのかもしれません。
「ミシェルは、最期まで私のことを思いながら死んでいくのね、可哀想に」と。
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