ライフ・イズ・ビューティフル
2004年 11月 06日
否定的な評判なら、きっと反撥もあってすぐにでも見るのに、あまりにも絶賛されると、なんか二の足を踏んでしまう変な癖があるのですね。
でも、見て良かった。
否定的な評価の中には、ベニーニの軽すぎる演技や、熾烈な歴史的事実を前にして、「たかが」自分の子供のためだけに、その場しのぎの嘘を重ねて現実を直視しない態度を疑問視する評を読んだこともありました。
でも、それが、ベニーニの描き方なのだと思います。
アラン・レネなら、ナチスのユダヤ人虐殺の犯罪行為を、目と口をぽっかりと開けたゴム人形のようなユダヤ人の夥しい死体の山の衝撃的な映像を日常的に見せてしまうことで告発したと同じように、ベニーニは、たったひとりの子供の命を守るために必死に道化て、嘘をつき通すことの滑稽と悲哀で、かけがえのない子供の命を守ることへの執着を描いて、虫けらのように殺していったその一人一人にこそかけがえのない家族がいて、生きることを願った人達がいたこと、そういうもの総てを踏み躙った犯罪性を、レネが描いたのと同じような重厚さでナチスの犯罪行為を告発したのだと思います。
一人の人間の命の尊さや、家族への愛は、レネが撮った死体の山の衝撃的な映像に些かも見劣りすることのないほどの匹敵するものと感じました。
アラン・レネは、言ってます。
強制収容所を撮った「その現在」は、映画が撮られた時点であるとともに、あらゆる時代の観客がその映画を「見る」時のそれぞれの現在なのだ、と。
レネが、人間の命の尊さを夥しい量の衝撃的な死体の量の映像でみせたのと同じように、ベニーニは、たった一人の子供の命をも守もろうとした哀しい奮闘を描くことで、「ベニーニの現在」から彼自身の語り口をもって、ナチスの犯罪行為を告発したのだと思います。
ラスト、グイドが射殺されるあまりにも素っ気無い描写が、その直前、子供の視線を意識して、生きる希望を与えるために道化た身振りをする父グイドの残像が消えやらぬ直後に描かれているだけに、僕たちの心に彼の、グイドの、ベニーニの生き方が、なおさらに深く印象付けられたのだと思いました。
アカデミー主演男優賞、外国語映画賞、作曲賞、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した作品です。