斎藤寅次郎「東京キッド」
2004年 11月 06日
やっと見ることかができました。
というのも、山田洋次監督が「男はつらいよ」の主役・車寅次郎を命名するにあたって斎藤監督を強く意識したに違いないと思い込んでいたことや、そのほか折にふれ、その自由奔放な卓越したギャグの数々をまるで伝説のように伝え聞いていたからでした。
しかし、実際の作品を見て、本質的な部分で山田作品への影響はないと感じました。
山田洋次のもつ湿度のあるヒューマニズムでは、このハチャメチャでアナーキーなブラックユーモアをカバーするには、どうしても限界があると思います。
むしろ、人間をもっと辛辣に見据えた川島雄三や北野武に繋がるのではないかなと思いました。
この作品の中には、貧しいアパートの子供たちや浮浪児など実に数多くの子供が描かれており、そのなかの1人として母を病気で亡くした身寄りのない少女・美空ひばりが描かれています。
映画の前半は、流しの川田晴久が押し付けられた子供をどうやって体よく棄てるかを算段する描写に費やされ、そこには、自分の生活にさえも窮しているのに、なおも背負い込まなければならない子供をあからさまに厄介者と忌避する時代的な感覚が存在します。
チャップリンの「キッド」とは本質的に異なるものがあります。
「人間愛」という立場があるとするなら、しかし、その人間認識、社会認識をあまりにも甘すぎると冷笑し、あえて、シビアなブラックユーモアをことさらに描きつくそうとする失意や絶望から苛立ちや憤りに至る感情の在り方というものもまたあり得るのだなと、何となく分かってあげたくなる気がします。
賞金欲しさにひばりを誘拐する榎本健一演ずるにせ易者も、冷静に考えれば不気味な存在ですよね。
斎藤寅次郎監督は、「男はつらいよ」シリーズが日本映画史上空前の大ヒットを始めた頃、長年称してきた「寅次郎」をやめ、本名の「寅二郎」を使うようになったということです。