キューブリック「スパルタカス」
2004年 11月 07日
この奴隷解放戦争を描いた英雄の物語のラストのアッピア街道に立ち並ぶ蜂起奴隷を処刑した磔刑柱 (処刑者6472人と言われています。) の壮絶さとともに、この歴史的蜂起の発端となる黒人剣闘士が逆さ吊りにされる無残な屍の描写が、やがて、屈従の歴史を踏まえて激しさを増していく1960年代の米国黒人の公民権運動に多大な影響を与えたといわれています。
監督は、戦場における見せしめのための銃殺という衝撃的な作品が、当時まだ記憶に生々しい「突撃」の若きキューブリック監督でした。彼の反権力的な瑞々しい意思が、この作品の隅々にはっきりと感じ取ることができます。
また、ピーター・ユスチノフが、奴隷商人でありながら奴隷の叛乱に同情を示すという屈折した複雑なキャラクターを軽妙に演じてアカデミー助演男優賞を受賞したほか、撮影賞には、既にオーソン・ウエルズ作品で高い評価を得ていたラッセル・メッテイが受賞しました。
オーソン・ウエルズ監督作品「ストレンジャー」46、や「黒い罠」58などにおける薄暮や夜間撮影の白黒のコントラストを微妙に処理した手腕や、また、クレーンを巧みに使ったショットなど、「すべてに通じた職人」としてメッテイの名声は、既に知れ渡っていました。
その他、美術監督賞、衣裳デザイン賞を得ていますが、注目すべきは、原作には赤狩りで収監されたハワード・ファスト、脚本には同じく赤狩りで撮影所から追放されていたハリウッド・テンのひとりドルトン・トランボの名前が (公然と) 記されていることでしょうか。
ともに非米活動委員会 (いわゆる赤狩り) によって公然たる作家活動を禁じられていました。
第二次大戦後、左傾の思想狩りに狂奔したアメリカ議会は、多くの映画人や作家を召喚しアメリカへの忠誠を誓わせたうえで左系同調者の密告を強いました、そして、それに従わないものは議会侮辱罪で投獄か追放 (多くは、その両方でした。) の措置がとられました。
出獄後、メキシコへ移ったトランボは、覆面作家として9つの変名を使い、18本のシナリオを書いたと言われています。
その内の1本が、ロバート・リッチの名で書いた「黒い牡牛」がアカデミー脚本賞 (原案賞) を受賞した際、遂に正体が分からなかった幻の作家だったことは有名な話です。
余談ですが、この時期のエピソードとして、メキシコにいたルイス・ブニュエルと「ジョニーは戦場へ行った」の映画制作について接触があったことも知られています。
このような時代を背景にして、自由な思想的・政治的立場を明確にしていた製作者カーク・ダグラスは、いち早くブラックリストのドルトン・トランボやハワード・ファスト作品を採用することによって、ブラックリストの無効化に挑み、突き崩しの戦端を切ることになります。
それによって、カーク・ダグラスのプロデュース作品群は「ハリウッドの良心」と呼ばれるまでの高い評価を得ました。
ハリウッドの悪しき事大主義の間隙を撃つように起こった独立プロ (スター=プロデューサー) の一方の盟友バート・ランカスターは、「『スパルタカス』の脚本家として、ダルトン・トランボの名前を堂々と使うことで、カークは独力で、恥ずべきハリウッドのブラックリストの時代を終らせた。・・・私はカークを深く尊敬する。」と言っています(Hollywood Most Enduring Star Burt Lancaster)。
因みに、この年の主演男優賞は、「エルマー・ガントリー」でバート・ランカスターが受賞しました。