路地へ・中上健次が残したフィルム
2008年 11月 16日
もし、このドキュメンタリー作品に、少しでも差別への怒りとか、行政への糾弾で性急にまとめあげようとする撮り手の気配でもあれば、それはそれで、まとまりのあるドキュメンタリー作品で有り得たであろうし、観客は安堵し、紋切り型の「差別糾弾作品」というそれなりの作品として見ることができたと思います。
しかし、中上健次が残した膨大なフィルムと、この青山真治のドキュメンタリーは、奇妙な不調和をみせているように思えて仕方ありません。
地域を「消滅」させ、その画一化を図ることによって、その場所に厳然として存在していた差別を解消できると妄想する行政の地区改良事業の押さえ込み施策について、このドュメンタリーは、まるっきり関心がないかのように、カメラはただあてもなく淡々と、ひたすら彷徨い歩き続けて、どうということもない風景を写しているだけのようにしか思えません。
松坂から荷坂峠を超え、熊野の巨木の下において、そしてかつて路地があった場所において、新宮の海において、井土紀州は中上健次の『枯木灘』を読み、『千年の愉楽』を読み、『地の果て 至上の時』を朗読します。
しかし「そこ」には、もはやかつての「路地」はありません。
カメラは、途方にくれるかのように虚空に向けられ、そして、中上健次の抑制されたフィルムが挿入されます。
せめてこの作品のどこかに、あからさまな差別への怒りの怒声でもあれば、撮り手の姿勢によって観客の立ち位置も定まるのに、という思いで見続けました。
しかし、素手で殴り掛かってくるような、生きることの荒涼さをチカラに変えた中上作品自体においても、はたしてそのようなモロ稚戯に等しい差別への糾弾などという幼稚な表明が、果たしてあっただろうかという思いに駆られたものでした。
それはきっと「なかった」と思う。
それはきっと、1978年から開始され新宮市の地区改良事業によって撤去されていく「路地」の最期の姿と、81年にいたる約54戸の改善住宅となった姿を撮った中上健次の16ミリフィルムにおいても、それは同じことだったのだと思います。
それはまた、多くの中上作品の映画化に際しても常に、そして強く感じ続けてきたことでもありました。
だから、この青山真治のドキュメンタリーで常に感じた「戸惑いの姿勢」には、深い共感を覚えたのかもしれません。
それは、何かを見た積もりになっているとしても、本当は何ひとつ見てはいないのだ、という共感です。
あえていえば、いままで「知らなかった」ということを初めて「知らされた」という、あの「無知の知」というものかもしれません。
ある友人から、このドキュメンタリー作品が「退屈だった」という感想を聞いたことを思い出しました。
差別への怒りも、糾弾の怒声もなかったからこの作品が「退屈」だったというのなら、その彼の認識は、この映画の本質にかなり近づいたのだと思えるようになりました。
そこには、ただの「場所」しか移されていなかったのだから。
しかしそれは、消えかけている場所・消えつつある場所に向けられた「中上健次の視線」につながる、その場所がかつて所有していた歴史と観念が描かれていたのだと思います。
どのような場所を見ようとも、そこに「中上健次が見たのだという視線」を認識することがなければ、この作品において僕たちは何ひとつ「見る」ことができなかったのだと思う。
地区改良事業によって消滅した場所を、その土地がかつて携えていた歴史と観念、人々の悲嘆と痛みの記憶を持った中上健次の視線を共有し認識することがなければ、僕たちは何ひとつ見ることがなかったという感じを持ちました。
中上健次が遺したとされる『路地はどこにでもある。俺はどこにもいない』という言葉が、既に中上亡き現在、もしそれが「無念の記念碑」に対抗する単なる謎掛け的な逆説などでなかったのだとしたら、そこには、あるいは中上の夢が語られていたのかもしれないと思えるようになりました。
僕にとって、この青山真治のドキュメンタリー「路地へ・中上健次が残したフィルム」は、かなり以前に見た映画です。
それを今頃になって、どうして思い出したのかといえば、つい最近読んだ中上健次の「地の果て 至上の時」のある一節に遭遇して、突然この青山監督のドョキュメンタリーを連想したからでした。
幾万の言葉を費やして、この映画の感想を書こうとしても、たぶんこの神話のような血族の物語の一節を凌駕することはできないだろうなと感じ、僕自身の「心覚え」のために、その部分を抜粋しておきました。
「町の地図が大きく塗り変えられているのを車で走って見て充分すぎるほど分った。
元々秋幸の家から海岸までのあたりは田があり畑があったりして建物の少ないところだったが、そこもかつて市の中心を区切るように横たわった路地からの山を削り取った土で埋め立てられていた。
農道を広げただけのような折れ曲がった道は閉鎖され、信号機の指示どおり左に折れても、道が途中から鉄線で囲われていたり、工事中の看板がバリケートジのように道を塞いでいた。
さらに国道に沿って走ると峠はなくなり、広角と呼ばれた高台はかすかに他よりも高くなった新開地に成り、高速道路のインターチェンジの工事中だった。
秋幸はその土地の変わりようにあきれ、そのうちいたるところにむき出しになった赤まだらの土が何者か人為を越えた大きな者が力まかせに地表をはいだ後のように思え、「これじゃ、土方がウケに入って、キャデラック乗り廻すのあたり前じゃの」と良一に言うと、良一は「もうけとるのは佐倉、浜村、桑原、それに成り上がった二村だけじゃろ」とつぶやく。
二村が市長に当選してから、高速道路を国に圧力をかけて決定し、原子力発電所を強引に可決し、リコールされたが再度それを乗り切って市長の座を守ったと言う。
秋幸はその良一の説明だけで、その大改造の指揮をとったのが、浜村龍造がかつて番頭をしていたという佐倉だという事がわかった。
国に圧力をかけたのも高速道路公団に圧力かけたのも、この土地と路地に、煽るとすぐに燃え上がるような噂のある佐倉でなければ敵わない事はわかった。」(中上健次「地の果て 至上の時」より)
(2000スローラーナー、ブランディッシュ)監督構成・青山真治、朗読・井土紀州、製作・越川道夫、佐藤公美、撮影:田村正毅、録音:菊池信之、編集:山本亜子、小説・「路地」、映像:中上健次
64分 カラー スタンダードサイズ 35ミリ
2000年ロカルノ国際映画祭正式出品作品