日本映画「助監督」全集
2008年 11月 23日
以前からずっと、暇ができたら、ぜひ調査して関係資料を収集し、一冊の本に纏め上げたいと考え続けてきました。
おいおい、大切にしているそんな企画を、おおっぴらにブログなんかに書いてしまったら、秘密でもなんでもなくなってしまうじゃないか、と言われそうですが、実は具体的な実行に移せないまま時間だけがどんどん経過してしまっているのが実状で、無為のまま長い間じっと抱え込んでいることにそろそろ疲れ始めていて、「書きたい」という執筆欲よりも、最近はむしろ優秀なドナタカに執筆してもらって、早く読んでみたいという気持ちの方が断然強くなってきたからかもしれません。
もし誰かがこれを本にしてくれたら、喜んで購入者側の支援に回ろうと考え始めているというのが、この秘密の企画を公表する主たる理由です。
こうしてブログに書き込むことで、不特定多数の有為の人にアイデアを伝えて、その果実の方をチャッカリいただこうというムシのいい話です。
さて、その秘密の企画ですが、ジャンルとしては、「日本映画監督全集」タイプの名鑑です。
なんだ、そんな本、とっくの昔に既に出版されているぞ、とおっしゃる前に、もう少し僕の話を聞いてください。
外国ではどういうシステムになっているのか分かりませんが、かつて徒弟制度によって技術と知識の継承を図ってきた日本の撮影所において、監督志望者は、必ず特定の監督について(助監督ですね)見習の修行期間を課せられました。
調べてみるとこれが実に面白いのです。
この人が、こんな作品に関わっているのかという意表を突く人脈への興味と、こういう作品には、この監督は絶対合わなかっただろうなと思わせられる作家間の不思議な対照の面白さでしょうか。
題して「日本映画助監督全集」です。
へええ、こんな人がというのが、まず石井輝男監督でしょうか。なにしろ成瀬監督の「銀座化粧」「おかあさん」のほか、「しいのみ学園」「次郎物語」とくれば、なんか微笑ましくなりませんか。なんたってあの石井輝男監督が、ですよ。
それから壮観なのは、一貫して川島雄三の助監督についた今村昌平でしょうか。一本筋の通った執拗な粘りを感じました。
冷静に考えれば、当然なのかもしれませんが、ほぼ時期を同じくした浦山桐郎も「愛のお荷物」や「幕末太陽傳」の助監督についていてことを知り、意表を突かれた感じを受けました。きっと、作風の違いの先入観がそう思わせたからだと思いますが、本質は意外に近いのかもしれないと思えてきました。
それから、なるほどなと思わせるものに岡本喜八の「次郎長三国志」があります。この取り合わせは容易に想像できるのですが、なんと岡本喜八が「浮雲」の助監督をしたのだということを知ったときは、その取り合わせの意外さに戸惑ったものでした。
加藤泰は「阿倍一族」と「王将」「羅生門」にもついていたそうです。構成のカッチリした作り方にこだわりをみせた作風の印象からいえば、多大な影響を受けたに違いないと信じたくなりますよね。
木下恵介の「暖流」も、なんか頷けます。木下恵介と吉村公三郎の繊細さの肌合いの違いを比較してみるのも面白いかもしれませんね。
黒澤明が、山本嘉次郎監督に師事したことは有名ですよね。高峰秀子とのラブロマンスもあったという「馬」を見たときに感じたことですが、大事に大事に育てた馬を、結局最後には売らなければならなくなってしまうラストを見たとき、黒澤明ならこのテーマをどう撮るだろうかと考えたことがありました。その答えは「七人の侍」にあるように考えたものでした。思い切り走り回り、生き抜くことが、馬にはしあわせなのだと言っているように感じました。
黒沢清の「セーラー服と機関銃」も意外でした。どう意外かといえば、たぶんその明るさにおいてだったと思います。
崔洋一が、大島渚に師事していたことは有名ですね。絞死刑や日本春歌考にひかれたのかと考えたこともありました。
坂根田鶴子が、溝口健二のスクリプターをしていたことを「ある映画監督の生涯」で知りました。日本最初の女性監督(未確認です)と聞いたことがありましたが、女性を監督として認めようとしなかった日本の撮影所の閉鎖性を、そのとき同時に聞いたような気がしますが、人違いだったかもしれません。
阪本順治が「竜二」についていたのですか。作風的に近い印象があるかもしれませんが、意外に遠いかもしれないと考えています。「竜二」の息の詰まるようなユーモアの欠如は、金子の残された時間の差し迫った切実さによるものだとしたら、ちょっと可哀想な気がします。
東映時代劇のプログラムピクチャーの一角を支えた佐々木康は、戦前、松竹蒲田・大船で映画を撮っており、小津安二郎の「朗らかに歩め」「落第はしたけれど」「その夜の妻」「淑女と髯」の監督補助をしたと記録されています。
また、同じく大映時代劇のプログラムピクチャーの一角を支えた田中徳三は、「羅生門」から始まって「雨月物語」「山椒大夫」「近松物語」「炎上」についたそうです。
鈴木清順が「黒い潮」についていたことは、すごく面白いと感じました。きっと、鈴木清順は政治問題を得意げに語るような大風呂敷を広げる映画を最も軽蔑していたのではないかと考えているので、どんな気持ちでこの「黒い潮」についていたのか、ものすごく興味があります。
増村保造監督が溝口健二の助監督をやっていたことは新藤兼人の「ある映画監督の生涯」で語られていたのでよく知られていますよね。1955年度作品「楊貴妃」における溝口演出の周章狼狽ぶりを語ったクダクは、特に印象深く覚えています。つづく溝口の「赤線地帯」にも助監督についています。それから、そのあとに市川崑監督作品についていますが、1956年の「日本橋」は意外です。もっとも1956年の「処刑の部屋」は、増村保造らしい作品と思いましたが、同年の「日本橋」が増村保造にどういう影響を与えたのか、いちどじっくれと考えてみたいと思っています。