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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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2009年 06月 14日 ( 1 )

ポール・ニューマンに、こんな素晴らしい監督作品があったなんて、はじめて知りました。

監督第3作目で、しかも奥さんの「ジョアン・ウッドワードが、1973年カンヌ国際映画祭主演女優賞に輝いた注目作」だというじゃないですか。

なんで、いままで、気がつかなかったのだろうかと我ながら自分の迂闊さに呆れてしまいました。

これほどの佳作なら、放っておいたって、なにかで評判を知るとか、せめてタイトルくらいはどこかで見かける機会があってもよさそうなものなのに、全然知りませんでした。

僕も結構長いあいだ、様々な映画を見てきたつもりなのですが、こんなタイトルに出会った記憶などありません。

「ちょっとガッカリ」です、ですので慌てて自分の無知をヒソカニ埋めるためにwebで検索などを試みてみました。

結果は、満足できるような情報を得ることはできませんでしたが、まあ、逆にいえば、この作品「まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響」が、その程度の認知度であることが分かったわけで、誰もが知っているようなメジャーな作品ではないという収穫があったのですから、僕が知らなかったとしても、あながち怠慢だったわけではないと勝手に解釈することにして、幾分気が楽になりました。

しかも日本未公開作品らしいとの情報も書かれています。

この作品の評価が固定されていないのなら(web上だけの話ですが)、それならそれで、自由にこの作品の感想を書くことができると思うと、「結構いいじゃん」なんて気持ちになりました。

いくつかのweb検索で出会った感想文のなかで、共通して使われている言葉というのがあります。

「自堕落な母親」という言葉です。

確かにジョアン・ウッドワード演じる主婦は、ひとことで言えば、家事や育児、つまり、母親であることを放棄した自堕落な女ということになるかもしれません、だらしなくて独善的なくせに、歪んだ価値観をもった人間嫌いの頑迷な母親です。

何年も前に亭主に逃げられた彼女には(男と出会うたびに、「棄てられた」ことを吹聴して、あたかも自分がフリーであることを暗に伝えています)、まだ幼い2人の娘に自分の歪んだ価値観を一方的に押し付ける母親にうんざりし、反撥しながらも、なかば諦めている姉妹のそんな日常が描かれています。

母親は、娘たちに、こんな愚劣な悪意に満ちた世の中と、ずる賢い人間たちへの敵意と侮蔑を絶えず吹き込んでいます。

姉妹のうち、特に外交的な性格の姉の方が、そんな母親とことごとくぶつかり、反撥をエスカレートさせ、苛立ちを募らせていく様子が描かれていくのに対して、家族の破綻の只中にある内気な妹は、学校の授業で課される科学の実験に忠実に没頭しています。

この妹の様子を、過酷な家庭環境に「けなげに耐えている」と表現することもできるかもしれませんが、しかし、ただ単に、この最悪な状態にある自分の家族を「見ないようにしている」だけのような気がします。

子供には、「親」を選ぶことができないとか、子供は子供である限り「親の子供」であるしかなく逃れられないのだ、という絶望的な運命論の視点に立てば、むしろ諦念に基づいた後者の方が理解しやすいのかもしれません。

ただ、多くの感想文の中で共通して使われていた「自堕落な母親」という言葉自体に、すでにこの主婦の在り方(だらしない女)を決め付けたうえで、娘たちを一方的な被害者とする見方が、ポールニューマンが本当に意図したものだったのか、疑問に感じました。

その理解の一因になっているのが、たぶん、奇妙で長たらしいこのタイトル「まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響」というタイトルだったかもしれません。

多くの感想文が、この風変わりなタイトルによって、だいたいこんな感じに流れてしまったのだと予想できます。

《長女は外交的で癲癇持ち。
二女は内向的で、お気に入りの理科の教師から託され、糞を撒き散らすウサギや、ガンマ線を放射した『まだらキンセンカ』を自宅を持ち込み母親を常に苛立たせています。
しかし、その研究結果が校内のコンテストで優勝し、そのときの発表で次女はスピーチします。
「適量にガンマ線を放射されたキンセンカは綺麗な花を咲かせ、過剰にガンマ線を与えられたものは死ぬか突然変異を起こす」と。
このスピーチに、この映画を読み解く鍵があると述べています。
荒廃した家庭に暮らす二人の娘を、ガンマ線を照射されたキンセンカに喩えているわけで、ぐうたらな母親に同じように育てられても、適当な影響下にあれば二女のように母親を反面教師としてすくすくと賢く成長し、もろに影響されると長女のように母に似た変てこな人間になるという寓意だというのです。
しかも、次女に対して母親が「ガンマ線」の照射量を減らしたのは、次女に科学への深い傾倒があったからだ》と。

多いの人たちの感想のベーズになっている、こんな「自堕落な女」に誰が共感できるかという前提で、娘たちだけを単なる被害者と見る見方をすれば、この作品を単純に理解しやすくできるかもしれませんが、それだけでは奥行きに欠けるつまらない作品になってしまうような気がします。

「傷だらけの栄光」1956や「ハスラー」1961や「暴力脱獄」1967など社会の底辺に見捨てられ、壮絶なまでに孤独な主人公を怒りを込めて演じたポール・ニューマンが、そんなシンプルな子供虐待映画などを撮って満足するとは到底思えません。

この作品で描かれているのは、おそらく「家族の絆」です。

しかし、ここで描かれている「家族の絆」は、「大草原の小さな家」で描かれたような互いに思いやり、結束して、助け合いながら、世の中の弱者や苦しんでいる人々を気遣う温かい気持ちをはぐくむような、そんな「家族の絆」でないことだけは確かです。

娘時代、貧しさのためにスポイルされ、蔑まれて傷ついた記憶を抱えながらエキセントリックに振舞わねばならなかったひとりの孤独な少女が、自分をこんなふうにした世間を憎みながら成長して母親となり、娘たちにその傷ついた思いを「苛立ち」でしか伝えることのできない母親の物語であり、そして、大切に育てていたウサギを苛立った母親によって殺された次女は、そのウサギの無残な死骸を母親の目の前に据えることしか反撥のスベを持たないような、互いに逃れられない「家族の絆」によって結ばれている映画なのだと思いました。

(1972アメリカ)製作監督・ポール・ニューマン、脚本・アルヴィン・サージェント、撮影・アダム・ホレンダー、音楽・モーリス・ジャール、原題:The Effect of Gamma Rays on Man-in-the-Moon Marigolds
出演・ジョアン・ウッドワード、ネル・ポッツ、ロバータ・ウォーラック、ジュディス・ラウリー、デヴィッド・スピルバーグ
by sentence2307 | 2009-06-14 11:08 | 映画 | Comments(140)