世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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2013年 04月 29日 ( 4 )

悪い種子 The Bad Seed

観た直後には、「物凄い作品」だと感じた映画が、その後、幾度か接する機会があり、二度三度と見返していくたびに、当初の強烈な印象がだんだん薄まり、最初は感動したと信じていたものも単なる自分の思い込みにすぎなかったとか誤解だったと判明し、結局修正して、最初の感動のエッセンスが徐々に間引かれて、つまるところ最初に感じた「物凄さ」が、実はなんでもないものだったと均されてしまうようなことが、いままでに何度もありました。

自分にとって大切なはずの「初見の印象」を、そんなふうに、なし崩し的に失っていくたびに、その作品の熟知とか、正確性の確保なんてことが、本当に必要なことなのか、そんな取るに足りないことで、当初の自分の感動を変質させてしまう意味が分からなくなってしまうことがありました。

8歳の少女が平然と殺人を犯すというショッキングなテーマを扱ったこのマーヴィン・ルロイ監督の1956年作品「悪い種子」は、かなり以前、テレビ放映のときに観て以来、(幸いにも)その後数十年の間、再びマミエル機会のないまま現在に至りました、つまり、新たな記憶の書き込みを免れてきたという意味では随分と稀有な、自分にとってはとても幸福な作品だったといえるかもしれません。

しかし、よく考えてみれば、逆に、これほどの作品が、再放映されなかったというのも、なんだか不自然な感じがします。

このマーヴィン・ルロイ監督作品は、アカデミー賞にノミネートされ(主演女優賞・助演女優賞・撮影賞)、あるいはゴールデングローブ賞では助演女優賞を受賞(アイリーン・ヘッカート)した、いわば業界では既に認知されている秀作なのに、「あえて」放映を差し控えるような何かがあって、この「微妙な扱い」になっているのか、という疑問が常にありました。

多分それは、この作品のテーマが、サイコパスによる殺人を扱った陰惨な映画のために大衆受けはしないだろうという供給側の判断によるものだろうという自分なりの理由づけで無理やり納得してきた感じです。

そして最近、ネットでこの作品についての書き込みを見かけました。それは数年前にスカパーで放送されたとき(やっぱり、放映されていたんですか)の感想です。

コメント氏は、1950年代にこうした映画が撮られたことにまずは驚きを示し、さらに、その殺人鬼のモンスターが、いたいけで華奢な少女だったこと(サイコパスに年齢は関係ないという事実)にも衝撃を受けたと述べています。

彼女(娘・ローダ)は、原作では、ジ・エンドを迎えても、社会的にも宗教的にも、そして小説的にも何ひとつ罰せられることはなく、のうのうと生き延びていく設定になっています。

娘・ローダが通う学校のピクニックで級友クロードの溺死事故が起こります。

しかし、捜査の結果、それは事故ではなく、少年は何者かに殴打されて桟橋から突き落とされ溺死したらしいことが分かってきます。

それにクロードが当時所持していたペン習字で獲得したという金メダルも紛失している。

娘のローダが事件の直前、クロードと一緒にいた目撃証言もあります。

母・クリスティーンは、娘・ローダに疑惑の目を向けます、ローダの机の引き出しには、クロードが持っていたという金メダルが密かに隠されていたからでした。もしかしたら、娘が少年を殺したのかもしれないと。

そして母・クリスティーンは、ウィチタにいたときのある事故のことを思い出します。

同居していた老婆が階段から落ちて亡くなった事故のこと。

その老婆は、美しいクリスタル・ボールを持っていて、生前に、自分がもし死んだらローダにやると約束していました。

そしてその老婆が事故で亡くなったあと、ローダはいつの間にか手に入れたらしいそのクリスタル・ボールを誇らしげに見せびらかしていたことを不意に思い出して、あの子は、他人の物がどうしても欲しいと思ったら、どんなことをしてでも手に入れる子なのだと慄然とします、「どんなこと」をしてでも。

金メダルを突き付けて問い詰めても、平然と嘘をつき通すローダを見て、疑いが徐々に確信へと代わりはじめます。

《他人への無関心、無慈悲な心、良心を感じない会話内容、欲求不満を解消させる暴力の肯定、眼が笑っていない作り物の笑顔、殺害をなんとも思わない異常性をマコーマックはこの映画でその害毒を撒き散らす。
この映画はまさにパティ・マコーマックを見るためのプログラムであり、彼女の凄みを見せつけられると、今回も記事を書くために二回ほど見終わってから、しばらくはなんともいえない嫌な気持ちになりました。
1950年代の映画ですので、殺害シーンも直接描写はありませんが、見る者が想像力を膨らませてその現場を補うので、かえってより戦慄の走る後味の悪さがあります。
クリスタル・ボールを奪われたおばあさん、書き方コンクールのメダルを奪うためだけに殺害されてしまう少年、ローダの秘密を暴いた口封じのために殺害される使用人リロイ、そして彼女を殺害したと思い込み拳銃自殺する母親、そして殺害をほのめかされる大家のオバサンの殺害シーンはひとつもありませんが、ほのめかすだけでも十分にショッキングでした。》

たまたまそのとき、母・クリスティーンは、訪ねてきた父親から、実は自分は養女で、本当の母親は、かつて世間を騒がした美貌の殺人鬼ベッシー・デンカーであると聞かされ衝撃を受けます。

そして自分の血を継ぐ娘のローダにも、殺人鬼の異常な血(悪い種子)が流れていると思うと、母親は、邪悪な血を絶やすためには、もはや娘を殺し、自分も死ぬしかないと決心します。

映画でも、本編の120分を過ぎたあたりで、母親(ナンシー・ケリー)は、娘・ローダ(マコーマック)に致死量の睡眠薬を飲ませたあとで、自分も拳銃で頭を撃ち抜きますが、しかし、薬を飲む振りをしただけの娘・ローダは生き残ります。

そして、出張から急いで帰って来た軍人の父親が、娘・ローダと病院で抱き合って終わるという不吉な余韻をたたえた怖い結末までが原作どおりで、自分がかつて見たテレビで放映された映画もここで終わっていました。

しかし、スカパーで放送された映画というのには、そのあとに10分ほどの付け足しがあったそうなのです。

夜明け前にローダは、嵐の中をこっそり家を出て、あの少年の金メダルを事件の現場の桟橋まで探しにいきます。

その動機は、たぶん「物欲」を断ち切れないからというよりも、自分に不利になる「証拠を隠滅」するためとした方が理解を得られると考えたのかもしれません。

そこで突然の落雷に打たれて死んでしまうというのです。

そして、なぜか頭部を拳銃で撃ち抜いて死んだはずの母親が、生き返っていて夫と会話しているという、なんとも物凄い結末なのだそうです。

邪悪が栄えるという設定は、明らかに「ヘイズ・コード」(「未成年が関与する犯罪行為を取扱う作品は、それらが若者達の反道徳的な模倣を誘発するようであるならば認可されるべきではない」)に引っかかるために、ラストにはどうしても因果応報勧善懲悪(神の存在と神の正義の鉄槌の徴)が必要だったのでしょうが、それにしても軽く懲らしめる程度のエンディングを想定していた観客には、雷に打たれて跡形もなく消滅するなどというのは、かなりショッキングだったに違いありません。

さすがにこのままで公開するのは、躊躇われたのか、アメリカ公開版では、さらに、主役の少女ローダを演じたパティ・マコーマックをはじめ、劇中死亡した出演者も含めたキャスト全員による、芝居風のカーテン・コールのエンディングが付け加えられたということです。

ですので、この作品の放映を躊躇させている理由をあえて探すなら、現在では、もはや当時の拘束力と機能をすっかり失っている「ヘイズ・コード」(道義的意味)などにはなく、たぶん、凶悪な殺人鬼の血をひく子供が、また殺人者になりかねない(母親はその血の継承の恐怖から娘を殺すという無理心中を思い立ちます)という優性遺伝の偏った視点がいまではすっかり古び(差別ですらある)、現代では、ちょっとこのストーリーの在り方が問題になってしまうからかもしれませんね。

そして、ローダという難しい役を見事に演じてアカデミー賞助演女優賞ノミネートという快挙を遂げた当時10歳のパティ・マコーマックですが、その後、この「偉大な悪役の54位」を凌駕するほどの演技があったのか、彼女の出演作の検索を試みたのですが、残念ながらついに見つけ出すことはできませんでした。

「子役は大成しない」というムゴイ言葉を、ちらっと思い出しました。

(1956ワーナー・ブラザーズ)製作監督・マーヴィン・ルロイ、原作・ウィリアム・マーチ、作劇・マックスウェル・アンダースン、脚色・ジョン・リー・メイヒン、撮影・ハロルド・ロッソン(第29回アカデミー賞撮影賞ノミネート)、音楽・アレックス・ノース、美術・ジョン・ベックマン、ラルフ・S・ハースト(セット装飾)、衣装・モス・メイブリー、編集・ウォーレン・ロー
出演・ナンシー・ケリー(第29回アカデミー賞主演女優賞ノミネート、母クリスティーン・ペンマーク)、パティ・マコーマック(同アカデミー賞助演女優賞ノミネート、ローダ・ペンマーク)、ヘンリー・ジョーンズ(アパート清掃員リロイ)、アイリーン・ヘッカート(第14回ゴールデングローブ賞助演女優賞受賞、同アカデミー賞助演女優賞ノミネート、デイグル夫人)、イヴリン・ヴァーデン(アパートの大家モニカ)、 ウィリアム・ホッパー(父ケネス・ペンマーク) 、ポール・フィックス(Bravo)、ジェシー・ホワイト(Emory)、Gage Clarke(Tasker)、Jaon Croyden(Miss Fern)、フランク・キャディ(Mr.Daigle)

【パティ・マコーマック出演作】
花婿来たる(1951米)、
白い丘(1957)19世紀の中頃、ウィスコンシン州に実際にあった、スコットランド移民の若夫婦とその子供たちをめぐる心暖まる物語でCBSテレビのクリスマス特別番組としても放送され、好評を博した。監督・アレン・レイスナー、製作サム・ウィーセンサル、原作脚本・キャサリン&デール・ユンソン、撮影監督・ウィリアム・V・スコール、音楽はマックス・スタイナー、出演・キャメロン・ミッチェル、グリニス・ジョンズ、パティ・マコーマック、レックス・トンプソン、テリー・アン・ロス、ヨランド・ホワイト、アラン・ヘール、マーガレット・レイトン、
悪い種子(1956米)、
嵐の学園(1961米)、
地獄の暴走(1968)ミニ・スカートの地獄の天使たちの生態を描く作品。製作・監督モーリー・デクスター、脚本・ジェームズ・ゴードン・ホワイト、撮影・アーチ・R・ダルゼル、出演・ジェレミー・スレート、ダイアン・マックベイン、シェリー・ジャクソン、パティ・マコーマック
俺たちに鎖はない(1968)十代の少年少女の、家出問題を扱っている。監督・アーサー・ドレイファス、製作・サム・カッツマン、脚本・オービル・H・ハンプトン、撮影・ジョン・F・ウォレン、音楽・フレッド・カーガー、作詞作曲・ケヴィン・コフリン、美術監督・ジョージ・W・デイヴィス、メリル・パイ、編集・ベン・ルイス、出演・ブルック・バンディ、ケヴィン・コフリン、パティ・マコーマック、
ヤング・アニマル(1968)アメリカ人の心に巣食う有色人種偏見、それにより生ずる感情的な対立と忌まわしい暴力行為、差別に対する不満から展開される学園紛争、病めるアメリカのハイティーン高校生の無軌道な生態。監督・モーリー・デクスター、脚本ジェームズ・ゴードン・ホワイト、撮影ケン・ピーチ、音楽レス・バクスター、出演・トム・ナルディーニ、パティ・マコーマック、デイヴィッド・マックリン、ジョアンナ・フランク
燃える昆虫軍団(1975)大地の亀裂からはい上がってきた巨大な昆虫たちと人間の戦いを描く。製作・ウィリアム・キャッスル、監督・ジャノー・シュワーク、脚本・キャッスル&トーマス・ペンジ、原作・トーマス・ペイジ、撮影・ミシェル・ユーゴー、音楽・チャールズ・フォックス、出演・ブラッドフォード・ディルマン、ジョアンナ・マイルズ、リチャード・ギリランド、アラン・ファッジ、ジェミー・スミス・ジャクソン、ジェシー・ヴィント、パティ・マコーマック
ジェシカ 超次元からの侵略(1984米)、
鷲の翼に乗って(1986米)、
プライベート・ロード(1987米)、
スネーク 猛毒の大群(1999米)、
インハビテッド(2003米)、
リビング・ブラッド(2004米)、
フロスト×ニクソン(2008米・英・仏)



【映画史上最も偉大な悪役トップ100】
1.「スター・ウォーズ」シリーズ、ダース・ベイダー(デヴィッド・プラウズ/声:ジェームズ・アール・ジョーンズ)
2.「羊たちの沈黙」シリーズ、ハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス)
3.「サイコ」シリーズ、ノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)
4.「ダイ・ハード」ハンス・グルーヴァー(アラン・リックマン)
5.「ブルーベルベット」フランク・ブース(デニス・ホッパー)
6.「狩人の夜」偽伝道師ハリー・パウエル(ロバート・ミッチャム)
7.「2001年宇宙の旅」HAL9000(声:ダグラス・レイン)
8.「オズの魔法使」西の魔女(マーガレット・ハミルトン)
9.「吸血鬼ノスフェラトゥ」オルロック伯(マックス・シュレック)
10.「スター・トレック2/カーンの逆襲」カーン(リカルド・モンタルバン)
11.「時計じかけのオレンジ」アレックス(マルコム・マクダウェル)
12.「ユージュアル・サスペクツ」カイザー・ソゼ?
13.「第三の男」ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)
14.「シンドラーのリスト」アーモン・ゲート(レイフ・ファインズ)
15.「ハロウィン」マイケル・マイヤーズ?
16.「バットマン」ジョーカー(ジャック・ニコルソン)
17.「カッコーの巣の上で」ラチェッド婦長(ルイーズ・フレッチャー)
18.「影なき狙撃者」アイスリン夫人(アンジェラ・ランズベリー)
19.「JAWS/ジョーズ」サメ(通称:ブルース)
20.「セブン」ジョン・ドウ(ケヴィン・スペイシー)
21.「ターミネーター」シリーズ、T-800(アーノルド・シュワルツェネッガー)
22.「ミザリー」アニー・ウィルクス(キャシー・ベイツ)
23.「シャイニング」ジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)
24.「ウエスタン」フランク(ヘンリー・フォンダ)
25.「アマデウス」サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)
26.「M」ハンス・ベッカー(ペーター・ローレ)
27.「In the Company of Men」(1997)Chad(アーロン・エッカート)
28.「エイリアン」シリーズ、エイリアン
29.「疑惑の影」(1942)叔父のチャーリー(ジョセフ・コットン)
30.「エルム街の悪夢」シリーズ、フレディ・クリューガー(ロバート・イングランド)
31.「地獄の黙示録」カーツ(マーロン・ブランド)
32.「チャイナタウン」ノア・クロス(ジョン・ヒューストン)
33.「危険な情事」アレックス・フォレスト(グレン・クローズ)
34.「フルメタル・ジャケット」訓練教官ハートマン(R・リー・アーメイ)
35.「ブレードランナー」ロイ・バディ(ルトガー・ハウアー)
36.「マトリックス」エージェント・スミス(ヒューゴ・ウィーヴィング)
37.「魔人ドラキュラ」ドラキュラ伯爵(ベラ・ルゴシ)
38.「マラソン マン」クリスチャン・ゼル(ローレンス・オリヴィエ)
39.「ターミネーター2」T-1000(ロバート・パトリック)
40.「素晴らしき哉、人生!」ポッター氏(ライオネル・バリモア)
41.「エクソシスト」悪魔パズズ(声:マーセデス・マッケンブリッジ)
42.「黒い罠」クインラン警部(オーソン・ウェルズ)
43.「レオン」ノーマン・スタンフィールド(ゲイリー・オールドマン)
44.「ケープ・フィアー」マックス(ロバート・デ・ニーロ)
45.「007/ゴールドフィンガー」ゴールドフィンガー(ゲルト・フレーベ)
46.「リチャード三世」(1995)リチャード三世(イアン・マッケラン)
47.「見知らぬ乗客」ブルーノ(ロバート・ウォーカー)
48.「コックと泥棒、その妻と愛人」アルバート(マイケル・ガンボン)
49.「深夜の告白」フィリス(バーバラ・スタンウィック)
50.「アメリカン・サイコ」パトリック・ベイトマン(クリスチャン・ベイル)
51.「ヒッチャー」ジョン・ライダー(ルトガー・ハウアー)
52.「グッドフェローズ」トニー(ジョー・ペシ)
53.「イヴの総て」イヴ(アン・バクスター)
54.「悪い種子(たね)」ローダ(パティ・マコーマック)
55.「死の接吻」(1947)トミー(リチャード・ウィドマーク)
56.「白熱」(1949)コディ・ジャレット(ジェームズ・キャグニー)
57.「白雪姫」王女(声:ルシル・ラ・ヴァーン)
58.「レベッカ」ジャック・ファヴェル(ジョージ・サンダース)
59.「恐怖の岬」マックス(ロバート・ミッチャム)
60.「博士の異常な愛情」ジャック・リッパー将軍(スターリング・ヘイドン)
61.「オースティン・パワーズ」シリーズ、Drイーヴル(マイク・マイヤーズ)
62.「タクシードライバー」トラヴィス(ロバート・デニーロ)
63.「氷の微笑」キャサリン・トラメル(シャロン・ストーン)
64.「悪魔のいけにえ」レザーフェイス(ガンナー・ハンセン)
65.「ウォール街」ゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)
66.「ローズマリーの赤ちゃん」ミニー・カスタベット(ルース・ゴードン)
67.「脱出」現地人(ビル・マッキーニー&Herbert 'Cowboy' Coward)
68.「トレーニング デイ」アロンソ刑事(デンゼル・ワシントン)
69.「何がジェーンに起ったか?」ジェーン(ベティ・デイヴィス)
70.「101匹わんちゃん」クルエラ(声:ベティ・ルー・ガーソン)
71.「メトロポリス」(1926)悪魔と化したマリア(ブリギッテ・ヘルム)
72.「激突!」トラックドライバー(?)
73.「ザ・シークレット・サービス」暗殺者(ジョン・マルコヴィッチ)
74.「オペラの怪人」(1925)エリック(ロン・チェイニー)
75.「甘い毒」ブリジット(リンダ・フィオレンティーノ)
76.「ヘンリー」ヘンリー・ルーカス(マイケル・ルーカー)
77.「Sexy Beast」(2000)Don Logan(ベン・キングズレー)
78.「暗くなるまで待って」ロート(アラン・アーキン)
79.「レザボアドッグス」ミスター・ブロンド(マイケル・マドセン)
80.「アギーレ/神の怒り」アギーレ副官(クラウス・キンスキー)
81.「ファイト・クラブ」タイラー・ダーデン(ブラッド・ピット)
82.「バットマン リターンズ」キャットウーマン(ミシェル・ファイファー)
83.「ロブ・ロイ/ロマンに生きた男」アーチボルト・カニンガム(ティム・ロス)
84.「卒業」ロビンソン夫人(アン・バンクロフト)
85.「カサブランカ」将校シュトラッサ(コンラート・ファイト)
86.「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ、ビフ(トーマス・F・ウィルソン)
87.「フェリスはある朝突然に」エド(ジェフリー・ジョーンズ)
88.「ロジャー&ミー」ゼネラル・モータースの会長、ロジャー・スミス(本人)
89.「許されざる者」(1992)リトル・ビル・ダゲット保安官(ジーン・ハックマン)
90.「フランケンシュタイン」フランケンシュタイン(ボリス・カーロフ)
91.「フラッシュ・ゴードン」ミン皇帝(マックス・フォン・シドー)
92.「W/ダブル」新しい父親(テリー・オクィン)
93.「真実の行方」謎の男?
94.「シェーン」ウィルソン(ジャック・パランス)
95.「血を吸うカメラ」マーク・ルイス(カール・ベーム)
96.「戦艦バウンティ号の叛乱」ウィリアム船長(チャールズ・ロートン)
97.「レジェンド/光と闇の伝説」魔王(ティム・カリー)
98.「鮮血の美学」クルッグ(デヴィッド・ヘス)
99.「ロリータ」(1961)クレア・キルティ(ピーター・セラーズ)
100.「カリガリ博士」カリガリ博士(ヴェルナー・クラウス)



《町山智浩「トラウマ映画館」(集英社)より》
「悪い種子」は精神医学上、重要な例を示したともいわれている。
サイコパス、または反社会性人格障害である。
それは精神異常ではない。彼らは狂ってはいない。それどころか冷静沈着で計算高い。犯罪心理学者ロバート・D・ヘアの著書「診断名サイコパス(原題・良心なし)」によれば、サイコパスの特徴は以下のとおり。「良心の欠如」「他人に対する冷淡さ、共感のなさ」「慢性的に平然と嘘をつく」「罪悪感がまったくない」「尊大で自己中心的」「口が達者なので魅了されてしまう人も多い」
これらの条件がすべて当てはまる典型的なサイコパス例として、ヘアは「悪い種子」のローダを挙げ、原作の小説から精神科医レジナルドの言葉を引用した。
「世間の人は、大量殺人を行うような人間は、その心が奇怪であるごとく、容貌もまた恐ろしいものと考えがちである。すぐに分かることだが、これほど間違った考えはない。現実に生きているこれらの犯罪者は、その容貌、行動とも、まったくの普通人である兄弟姉妹に比べて、かえって、より一層普通人である」
その引用のさらなる引用が1997年に日本を騒がせた。
神戸連続児童殺傷事件の犯人「酒鬼薔薇聖斗」こと少年A(当時14歳)が書いたとされる「懲役13年」という文章に「診断名サイコパス」経由で「悪い種子」が孫引きされていたのだ。少年Aはローダと共鳴したのだろうか。彼は「境界性人格障害」と鑑定され、治療を受けた。
サイコパスの原因には多くの説がある。「悪い種子」のクリスティーンのように遺伝と考える説は優生主義的で危険だとされる。それにサイコパスが皆、犯罪者になるとは限らない。マーサ・スタウトの「良心を持たない人たち」によると、25人に1人の割合でサイコパスが存在するという。彼らの大部分は、普通に社会生活をしている。感情表現もする。ただし、演じているだけだ。
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by sentence2307 | 2013-04-29 14:44 | 映画 | Comments(299)
バスジャック事件で人質となり、無差別殺人を実行していく犯人に銃口を向けられ、射殺される直前で、かろうじて死をまぬがれたバス運転手沢井と、乗客の兄妹は、切迫した死と直かに向かい合った恐怖から、それぞれに心に深い傷を負います。

ストーリーの進行に連れて、死の瀬戸際から生還したその犯罪被害者のひとり・兄直樹が、世間から隔絶した生活の中で、ひそかに育て上げた内なる暴力性=殺意によって、自分もまた通り魔殺人者となっていったことが判明します。

自身もまた犯罪者となることでしか、彼は癒されず、また彼の「再生」の道が、それ以外にはあり得なかったことが、重く僕を鞭打ちました。

「立ち直り」とか「再生」などという言葉の意味する観念が、必ずしも、手放しの善良さや向日性の思念ばかりを示唆している訳ではないことに気づかされたときの虚を突かれたような衝撃は、しかし、別の言い方をすれば、映画がやっと現実に追いついたとも言えるのかもしれません。

この映画で描かれる直樹という少年像は、人間は、必ずしも善良なものによってばかりでなく、邪悪なものをヨスガとしてさえも、再生をはかろうとするものでもある、という負の活力に活路を見出そうとする人間の姿がそこには描かれています。

そして、そのショッキングな問い掛けを支えているもうひとつの命題、襲い掛かる危機から子供たちを守ることすらできなかった、どうしようもなく衰弱した現代日本の家庭の無力が同時に示されています。

事件からの生還者である兄妹が世間の理不尽な中傷や偏見によって押し潰されそうになるとき、彼等を守ることすら出来ないままに内部崩壊してしまう家庭の、母親の家出と父親の自殺という、その苛烈な現実の直視を避けるかのように心を閉ざす兄妹は、互いにコミットするべき言葉も放棄し、ただ二人だけの引きこもりも生活を始めています。

事件から2年後、街に舞い戻ってきた沢井は、そのひきこもりの兄妹のことを知り、彼らと「家族のようにして」共同生活を始めるところから、この再生の物語は始まりました。

血を分けた実の家族が、襲い掛かる外界からの危機に為すすべもなく脆くも崩れ去るという情景の後で、同じ事件に遭遇したことによって共通の心の傷を抱え持つ者同士・沢井と兄妹とが寄り添って始められる共同生活が描かれていきます。

それは、沢井が、親や社会から見捨てられた兄妹を憐れむ気持ちからというよりも、むしろ、生きていく目的を失った沢井自身が、共同生活をすることで生きることの意味をなんとか見出し、克服し、再生を図らなければならないという切迫した心の崩れを抱え持っていたからだろうと思います。

それは、やがて始められる彼らの放浪が、陰惨な出来事を想起させる「バス」に立ち向かい、殺戮の「現場」に立ち返り、封印していた過去の恐怖を見つめ返すことから始められねばならなかったことからも明らかです。

もしかしたら「あの時」に死んでいたこともあり得たという想像が、この現在を「たまたま」生きているにすぎないという不安と恐怖を一挙にあらわにさせ、命とは、結局のところ、遅かれ早かれ訪れる死を待つだけの、ただの猶予にすぎないという虚無感にさらされた彼ら犯罪被害者たちの、それぞれの生きる意味を奪い取られた日常=寄る辺ない漂流が始められることとなります。

「ここから始めよう」と沢井は言いました。

今まで直視することを避け続けてきたものと対峙する旅の過程で、ついに直樹の通り魔殺人が明かされます。

他人との交流を拒否して言葉を捨て去っていた直樹が、初めて沢井に吐き掛ける言葉「なして殺したらいけんとや(人殺しのどこが悪い)」という絶叫は、その病理的な部分を差し引いても、深い心の傷を抱えながら犯罪被害者たちに許された選択肢が、自殺や他殺をも含めても、それほど多くないことに気付かされるとき、その限りなく犯罪を生み続けていく黒い情念が、憎悪などではなく、もしかしたら「恐怖心」なのかもしれないなと思えてきました。

犯罪者としてしか社会復帰することができなかったずたずたに傷ついた直樹の絶叫に対して、沢井の「生きろとは言わん。死なんでくれ。」としか言えないラストは、僕個人としては、やや不満が残るラストではありましたが、沢井が別れた妻に「他人のためだけに生きることは可能だろうか。」と問い、そして、直樹を犯罪者としか見ないイトコに「直樹をオレは、絶対に見捨てん」と吐き掛けた言葉をも思い合わせるなら、その延長線上にある「死なんでくれ」という言葉に、あるいは納得できるものがあるかもしれないなという気も、今は、し始めています。
(2001サンセントシネマワークス)プロデューサー・仙頭武則、監督脚本音楽編集・青山真治、撮影・田村正毅、美術・清水剛、照明・佐藤譲、録音・菊池信之、音楽・山田勳生
出演・役所広司(沢井真)、宮崎あおい(田村梢)、宮崎将(田村直樹)、斉藤陽一郎(秋彦)、国生さゆり(弓子)、光石研(シゲオ)、利重剛(犯人)、松重豊(松岡)、塩見三省(沢井義之)、真行寺君枝(田村美郷)、でんでん(吉田)、椎名英姫(河野圭子)、中村有志(田村弘樹)、尾野真千子(沢井美喜子)、本多哲朗(ヒトシ)
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by sentence2307 | 2013-04-29 14:37 | 映画 | Comments(1)

噂の二人

オードリー・ヘップバーンの女優生活にとって、その大きな節目ごとの演出にあたったウィリアム・ワイラーの存在は、とても大きかったと思います。

「ローマの休日」で彼女の才能を大きく開花させ、「噂の二人」で演技派への可能性を模索し、「おしゃれ泥棒」では、現在、僕たちが抱いているキュートでチャーミングなオードリー・ヘップバーン像というものを確立しました。

特に、「噂の二人」は、いわば当時にあっては、タブー視されていた同性愛を扱ったシリアスな物語です。

おそらく、道徳諸団体や、「良識」あるファンから危惧や反対が当然あったでしょう。

それでも、そうした圧力のなか、この「噂の二人」にあえて出演しようとした意気込みは並大抵なものではなかったろうと思います。

「お姫様女優」というイメージから脱しようと、懸命に意欲的な作品を模索した彼女の焦りが何となく察せられます。

物語は、寄宿舎の私立学校を共同経営するふたりの女性が、女生徒に同性愛だというスキャンダルをばら撒かれ、保守的な社会の中で、やがてパートナー(シャーリー・マクレーン)の自殺という悲劇的な結末に至るまでが描かれます。

ラストの、総てが嘘だと分かって謝罪する人々を無視するように、昂然と胸を張って立ち去っていくオードリーの威厳に満ちた演技は、「第三の男」のラストのアルダ・ヴァリを彷彿とさせました。

この原作は、リリアン・ヘルマン(フレッド・ジンネマンの「ジュリア」でジェーン・フォンダが演じていました。)の舞台劇「子供の時間」で、ワイラーは1936年に、既にThese Three「この三人」としてこの戯曲を映画化しています。

当時、ハリウッドには、倫理チェックを自主的に行おうとする「ヘイズ規制」がありました。

配給協会初代会長ウィル・H・ヘイズは、大衆に良質な映画を贈ろうという理念のもとに、あらわなセックス・シーンや暴力描写を禁じようと製作の企画段階から完成に至る全行程を倫理審査委員会の監視下に置いたのです。

そして、不道徳な戯曲「子供の時間」の映画化ということもあり、要監視の判定を下した「この三人」に、製作するについて幾つか条件が出されました。

戯曲の映画化と分かるような題名の使用や広告をしないこと、映画中に同性愛を仄めかさないこと。

この規制によってヘルマンは、この物語を、ありふれた三角関係の話に書き換え、ワイラーは、不本意な映画を撮ることとなりました。

この「ヘイズ規制」は、アメリカン・ニューシネマの登場までの長い間、ハリウッドを支配したと言われています。

しかし、一面では、この規制があったから、ハリウッドは、例えば、キッス・シーンをどのように美しく、しかも官能的に撮るかという工夫や高い技術を極められたとも言われていることも事実です。

そのお陰で、僕たちは、幾つもの優れた暗示によるセックス・シーンを見ることができたのです。

そういえば、解説書に、こんな一文を見かけたことがありました。

《「この三人」は、マール・オベロンとミリアム・ホプキンスという30年代の優れた二人の女優によって、溌剌とした魅力のある映画となり、見方によっては、原作に忠実な「噂のふたり」より、あるいは映画的に面白い作品になっているかもしれない》そうです。

理不尽な規制によって、その中から、より優れたものが生み出されるとは、なんとも皮肉ですが、こういう話って、なんか、よく聞きますよね。

ハリウッドにおける初主演作「ローマの休日」で、並み居る名女優たちを押し退けて、早々にアカデミー最優秀主演女優賞を獲得してしまったオードリー・ヘップバーンにとって、それ以後の女優活動のプレッシャーは、相当なものだったろうと思います。

「麗しのサブリナ」以後、出演作の演出に当たった監督をみても、それはもう壮観のひとことにつきます。

ビリー・ワイルダー、キング・ヴィダー、スタンリー・ドーネン、フレッド・ジンネマン、ジョン・ヒューストン、そして、ウィリアム・ワイラー。

ハリウッドを代表するこれら名匠・巨匠たちの壮観さを見ると、いかにオードリーを大事に育てようとしていたか、製作者側の並々ならぬ思いが伝わってきます。

それらの作品群は、彼女の優雅で上品な物腰や、チャーミングな仕草や、キュートな容姿を存分に見せながら、しかし、それらの魅力に寄り掛かることなく演技派としてもちゃんと育てて(または、作って)いこうという制作者の強い意欲が感じられました。

しかし、次第に売れ筋の「優雅・チャーミング・キュート」というファッショナブルな要素だけが強調される傾向が顕著になっていったことも事実です。

あれほどの強運と素質もち、人を魅了してやまない天性の美貌に恵まれていたにもかかわらず、彼女が、この程度の作品しか残せなかったことは意外でもあり、極めて残念です。

躊躇なく「妖精のような」と形容できるこの大女優を、真に生かしきった作品がどれ程あるのか、僕の長い間の疑問でした。

例えば、名作「マイ・フェア・レディ」の逸話が、そのことを端的に表しているかもしれません。

ブロードウェイで実に7年間もの大ヒットを続けたこのミュージカル「マイ・フェア・レディ」で主役を演じたのは、当時まだ無名だった驚異的な新進女優ジュリー・アンドリュースでした。

その爽やかでダイナミックな歌唱力は高い評価を受けていただけに、映画化に際しても主役はジュリーと思われていたのが、製作者の思惑からオードリー・ヘップバーンと決まったとき、ブロードウェイ関係者は、あからさまな失笑を隠そうともしませんでした。

550万ドルの高値で落とした映画化権のモトを取り返すために、どうしても安全な選択=知名度のある女優の起用が求められたこと、しかし歌えないオードリーには、歌唱場面を「クチパク」の吹き替えで演じさせるしかなく、実際はマーニ・ニクソンに歌わせました。

64年のアカデミー賞は、作品賞、主演男優賞、監督賞、美術監督装置賞、衣裳デザイン賞、編曲賞など「マイ・フェア・レディ」の圧倒的な一人勝ちでしたが、しかし、主演女優賞だけは、オードリーは、ノミネートさえされませんでした。

そして、皮肉なことに、当り役のイライザをオードリーに泣く泣く譲ったジュリー・アンドリュースが「メリー・ポピンズ」で、見事主演女優賞を獲得しました。

製作者の「ゴリ押し」の、まるで懲らしめのようなこの残酷な結果は、それまでの映画の作り方そのものを問うシビアなものでした。

それまでの独善的なハリウッドの女優づくりの完全な敗北でしたが、しかし、なにより、オードリー自身が深い痛手を負いました。

あの「ローマの休日」によって鮮烈なデビューを飾ったとき、「オードリーの登場によって、女優の魅力が、もはや胸の大きさで測られる時代は終った」と絶賛したマスコミも、今度は、新星ジュリー・アンドリュースをもてはやしました。

この時、人々は、「終ったとされた胸の大きな女優」マリリン・モンローと、両極端のように見えたオードリーとが意外に近い場所で「作られた女優のイメージ」の重圧に苦しんでいる同じ姿を見たかもしれませんね。

「一晩中踊れたら」「君住む街角」「時間に遅れずに教会へ」「スペインに雨が降る」などの数々の素晴らしい名曲を聴くたびに、僕たちは、オードリー・ヘップバーンの優雅で愛らしく歌う姿をどうしても思い起こしてしまいます。

そして、その度にその歌が彼女の歌でなかったことを改めて思い出し、何か納得できない喪失感をもてあますような感じを抱き続けてきた僕にとって、そのオードリー・ヘップバーンが亡くなった今、やっと、この喪失感も落ち着く場所を得たようです。
(1961アメリカ)製作監督・ウィリアム・ワイラー、脚本・ジョン・マイケル・ヘイズ、原作・リリアン・ヘルマン、音楽・アレックス・ノース、撮影・フランツ・プラナー、編集・ロバート・スウィンク
出演・オードリー・ヘプバーン(カレン・ライト)、シャーリー・マクレーン(マーサ・ドビー)、:ジェームズ・ガーナー(ジョー・カーディン)、ミリアム・ホプキンス(リリー・モーター)、ヴェロニカ・カートライト(ロザリー・ウェルズ)、フェイ・ベインター(アメリア・ティルフォード)
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by sentence2307 | 2013-04-29 14:36 | 映画 | Comments(2)

W(ダブル)

ひと頃、アメリカ映画に、幼児虐待とDVをテーマとしている作品が、目立って量産されていた時期がありました。

あて推量ですが、かつて、アメリカ社会が少年たちに求めてきた「強い男」というイメージを、徹底的に家庭において叩き込まれた「ガッツ」教育のひとつの歪みの現われとして、ネガティブな形で後遺症(傷)みたいに表面化してきたのではないかと、ひとりで納得していました。

あるいは父権の喪失なんていうことも関係しているのかもしれませんよね。

幼児虐待とかDVとか、その「鍛える」という部分がサディステックに突っ走ってしまって歯止めがきかなり、教育するという理念が単なる暴力に変質・固執してしまう過程を見せ付けられる気がします。

むかし、海兵隊の訓練を描いた映画で、教官が偏執狂のような描き方をしている映画をパロディを含めて幾つも見たことがありましたし、最近のことでいえば、女子柔道五輪強化選手へのコーチによる暴力事件なども、その進化系のひとつと見ていいのかもしれません。

多分、映画で描かれる表現の仕方は様々であったとしても、多くは、その押し付け教育が、登場人物の記憶の傷=トラウマとして描かれることが多いみたいです。

例えば、ジュリア・ロバーツの好演が強く印象に残っている「愛がこわれるとき」は、偏執狂の夫の暴力から逃れるために、溺死を装って別の地で別人として生きていこうとする女性を描いたサスペンス映画で、ほどよくまとまった好印象の作品として記憶に残っています。

その監督ジョゼフ・ルーベン(この名前から、ついルーベン・マムーリアンを連想してしまいますが、関係ないと思います)の1987年作品に「W(ダブル)」という作品があります。

「家族」という自分だけのイメージを持ったジェリーという男が、そのイメージから外れてしまうと、自分の意に添わない家族を殺しまくるという変質者を描いた作品でした。

サイコ・スリラー風に描いているので、少しは距離が保てるのですが、しかし、実際は、こういう感覚というのは、ごく一般的なものかな、と感じてしまいます。

自分の思うようにならなければ、ついヒステリーを起こしてしまうなんていうのは、考えてみれば、ごく普通のことですよね。

これだけ自分が家族のためにつくしているのに、みんなは、自分のことを分かってくれず、勝手気ままなことをやっている、という絶望感が動機となって、この連続殺人鬼ジェリーのような凶行にまでは至らないにしても、その失望の質は多かれ少なかれ僕たちが持っている気質に似たようなものではないのか、という気がしています。

この映画は、ジェリーを特異な変質者と見せるために、あえて、異常な場面を挿入することを忘れていませんが、この作品は異常と正常との距離の近さを考えさせてくれた一作でした。

(1988アメリカ)監督・ジョセフ・ルーベン、製作・ジェイ・ベンソン、原案・ドナルド・E・ウェストレイク、キャロリン・レフコート、ブライアン・ガーフィールド、脚本・ドナルド・E・ウェストレイク、撮影ジョン・W・リンドレー、音楽パトリック・モラーツ、
出演・テリー・オクィン、シェリー・ハック、ジル・シュエレン、スティーヴン・シェレン、チャールズ・レイニャー
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by sentence2307 | 2013-04-29 14:35 | 映画 | Comments(4)