世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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花の金曜日の夜から土曜日の朝にかけて、そのとき思いついた映画関係のテーマを気ままに書いては、週初めにこのブログを更新するというのが、いつの間にか自分の習慣みたいになっています。

その一週間のあいだに見た映画の感想ということになるのですが、いい具合になにか書けそうな作品に遭遇できるなんてことはむしろ稀で、だいたいはなんのインスピレーションも湧かず、一向にモチベーションもあがらない何本かの作品を前にグズグスと過ごしているうちに、アップしたいと思っていた日曜日も終えてしまい、次の週に持ち越しなんてことを繰り返しています。

ある作品をどうにかアップまで漕ぎつけることができても、実はその「裏」で、何倍もの書けない「一向にモチベーションがあがらない作品」というのを抱え込み、溜まりに溜まり続けているという状況もあります。

具体的なその作品をあげるとすれば、「えっ、そんな駄作に長々かかずらわっているわけ! そりゃ書けないのも無理ないわ」と納得の同意をいただけそうな映画から、「そんな名作、どうして書けないわけ?」と非難されそう小津作品や黒澤作品まで実に様々で、そんな感じで個々の作品に対して書けない事情としては、それぞれに納得のできるものがタトエあったとしても(そりゃそのときの自分の気分というものだってありますし、これが別の時になら書けたかも、ということだって大いにあります)、そういう中途半端な感想が書きかけ状態のままパソコンの中に眠り・自分の中にも滞り、どんどん貯まっていて、それを片っ端からどんどん忘れていく(メンタル的には、その「忘れねばならない」ということだって必要なことだと認識しています)そういう状況のなかで、常に別の書けそうな新たな作品やテーマを物色しつづけては、やっぱり挫折を繰り返しているという感じです。

これじゃいけない、それこそ駄目になるとか思い立って、成就しなかった走り書きをなんとか生かせないかと、改めて端から読み返してみるのですが、しかし、すでに魂の抜けてしまったものが、どう生かせるわけもなく、そんな無意味を強行しているうちに、自分がしていることが、だんだん、まるで「死んだ子の年を数える」みたいな行為に思えてきて、堪らなく陰惨な気分に落ち込みそうになるので、やはりそれは避け、直近に書いたもの(こちらの方はまだまだモチベーション的にはリアルなので)を読み返すということに、だいたいは落ち着いていく感じです。

そんな感じで、また前回の「リュミエール兄弟もの」に戻ってきてしまいました、まあ「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」みたいな感じですかね、いつものことですが。

実は前回、五十音順に配列し直したリュミエール作品に解説を付すために参照する本を幾冊か用意したのですが、作品として物凄く有名な「工場の出口」とか「列車の到着」とか「水撒き人」などの解説は多く、別段苦労しなかったものの、知名度の低い、それも個々の作品の長さが1分弱か、せいぜい1分強の、ごく短い作品の多くは同タイプ・同シーンの作品が多く、そして同じようなタイトルが付されているために、「はたしてこの作品は、このタイトルでいいのか」と迷い、識別するために自分なりに考案した仮称(地名・人名の固有名詞を被せたもの)で特定していくという気の遠くなるような、深入りすればするほど、底なし沼に足を取られるような迷路に迷い込む感じで、そのうちになにがなにやら分からなくなり、うんざりし、きっと、どこぞの国に「リュミエール記念博物館」とか「映聖(「楽聖」とかあるので、きっと「映聖」もあるのではないかと)リュミエール大美術館」みたいな顕彰施設があって、しかもそこにはとても優秀な学芸員とか司書とかがいて、敬意と愛情のこもった完全無欠の総カタログなんかも既にあり、そこにはちゃんと固有の「特定されたタイトル」がとっくに存在しているとしたら、「現在自分のしていることはいったい何なんだ、徒労にすぎない馬鹿げたことをしているのではないか」という思いがよぎり、たまらない焦りと脱力感に襲われたとき、ふっとこのジョルジュ・サドゥールの「世界映画史」を思い出したのでした、起死回生、驚天動地、起承転結、西郷隆盛、長いあいだ開きもしなかった積んどく本がここで大いに役立ちました。

自分が持っている版は、1964.12.30発行・みすず書房刊・定価4000円のものですが、いまならアマゾンで幾らくらいで手に入れられるのかと試みに検索してみました、というのは、1000頁はあろうかというこれだけの名著です(タテ組の正ノンブルとヨコ組みの逆ノンブルとが合体しているので、とっさに浅墓な暗算的イメージでつい1000頁と口走ってしまいましたが確信はありません)、いまなら当然、もの凄い高値がついて取引きされているに違いない、4000円×数倍、あるいは数十倍になっているはずという思いで(期待ではなく、むしろ「自負」みたいなものだったかもしれません、結果的には単に妄想にすぎなかったということが後ほど証明されます)検索を試みました。

それがあなた、中古品が8点もあって最安値がなんと448円! 思わず絶句です。この本500円払っても、なお、お釣りがくるっていうんですか、呆れた(「あきれた」と読みます)、実に呆れ返りました。

ほとんど自棄(このバヤイは「やけ」と読みます)になって自虐ついでに他の7冊の本の値段も合わせて調べてみました。

1 ¥ 448 +¥ 257(関東への配送料)コンビニ・ATM・ネットバンキング・電子マネー払い
表紙に強いスレ、強いヨレ、ヤケ、強い傷み(カバー破れ)、シミ、天地小口にスレ、ヤケ、多少のシミ、ヨレ、本にヤケ、シミ、あり。星5つ中の星5つ

2 ¥ 449 +¥ 257(関東への配送料)コンビニ・ATM・ネットバンキング・電子マネー払い
1964年発行。函付き。函と三方に若干強めの薄汚れ、ヤケによるシミあり。若干強めの日焼けや使用感あり。星5つ中の星5つ

3 ¥447 +¥ 339(関東への配送料)
ヤケ、カバーイタミ、天に汚れ、本文に線引きなどの書き込みなどの問題があるが、読むのに支障なし。星5つ中の星5つ

4 ¥1,980 +¥ 257(関東への配送料)
ダンボールの外箱なし、透明カバーとカバーはあり、索引の最後の箇所に多少の製本折れあり。星5つ中の星5つ

5 ¥2,400 +¥ 257(関東への配送料)
1964年発行。運送箱付き。運送箱はスレ・汚れ・傷み等あり。本体ビニールカバー付きで破れ・汚れ・経年変色等あり。星5つ中の星5つ

6 ¥2,500 +¥257 (関東への配送料)
初版・カバー使用感あり・印あり。星5つ中の星5つ

7 ¥2,500 +¥257(関東への配送料)コンビニ・ATM・ネットバンキング・電子マネー払い
1964.12.30発行。経年なりに良。天小口に多少の茶点ジミ・焼け、2箇所程度の開き癖、カバー焼け・汚れ、角等に擦れ。星5つ中の星4.5つ

8 ¥4,000 +¥257(関東への配送料)コンビニ・ATM・ネットバンキング・電子マネー払い
1964発行 世界映画史 サドゥール著 丸尾定訳 本体のみ 見返し1行落書 本の天地小口ヤケ 極少朱線 訂正5字書込 みすず書房 昭39  星5つ中の星5つ

そうですか、そうですか、そうですか!!

4~8なんかは、それなりに適正価格といえますが、1~3なんか、ほとんど440円台で競っているじゃないですか、なんですかこれは。もうほとんど惨状です、まさに「父さん、悲しいぞ」状態です。

しかし、ここは逆上せずに、ひとつ冷静になって考えてみる必要がありますよね、自分の持っている本も50年以上経っているので(考えてみなくたって、どれも「同じ」です)、そりゃあもう物凄い痛みようです、そろそろ代替わりさせなければならない時期になっているのかもしれません、ここにほら「星5つ中の星5つ」とあるくらいですから、この1の448円に買い替えるのもいいかなと(パッと見、3が¥447と最安値のように見えますが、ほら送料が¥ 339という陥穽があります、気を付けなければいけません)、十分検討に値する価格であることは確かです。考えようによっては、古本屋さんが、いままで自分のためにこの本を50年間「¥448 +¥257」という費用で保管してくれていたと考えれば、結構おいしい話に見えてきました。

まあ、こう一覧にしたものを見てしまえば、どう考えても8の¥4,000 +¥257はあり得ないのかなという気がだんだんしてきました(なんか、さっきとは、言ってることが逆転しているように思われるかもしれませんが)、まあ、「愛着」と「市場価格」を混同して、市場経済を見失い、ほんの一時とはいえ正当な価格を見失った愚挙をおかした自分の誤りを反省しています。

でも、これだけの名著が¥448とは、やっぱり驚きです。

まあ、いつか機会があれば、1993年に国書刊行会から刊行された「世界映画全史」全12巻と1964年版とどこがどう異なるのか、じっくり腰を据えて対照してみたいと思っています。

まあ、冗談はともかく、ジョルジュ・サドゥールの「世界映画史」を活用して、リュミエール作品の解説を補ったところまで書きました。

その際、「エッフェル塔上昇パノラマ(1897)」の項の解説に、「世界映画史」から以下の部分を引用しました。
こんな感じです。

「《初めてカメラは動き出したのだ》とフランスの映画史家・ジョルジュ・サドゥールは、その著「世界映画史」のなかで讃嘆をこめて書き綴っている。
《この手法の成功は素晴らしかった。汽車、ケーブルカー、気球、エッフェル塔のエレベーターなどから撮影が行われた。しかし、リュミエールのカメラマンたちの移動撮影の応用は、記録映画に限られていた。1896年、ディックスンによって利用されたパノラミックスにとっても同様であった。ルイ・リュミエールとそのカメラマンたちの寄与は相当なものである。しかし、メカニックのある範囲内にとどまっていたリュミエールのリアリズムは、映画からその主要な芸術的手段を退けている。1年半後には、大衆は、シネマトグラフに飽きている。純粋に示威的で、その技術が主題の選択、構図、照明によって限定されていた1分間の動く写真の形式は、映画を袋小路に導いた。そこから抜け出すために、映画は類似した芸術である演劇の諸手段を用いながら、ひとつの物語を話し始めることを覚えなければならなかった。それを成し遂げたのが、ジョルジュ・メリエスである。》

リュミエールの「映像」のみで感動を与えることのできたドキュメンタリー風手法もそろそろ大衆に飽きられはじめ、その限界を乗り越えるべく、バトンはジョルジュ・メリエス引き継がれた、時はまさに新しい時代に突入しようとしていた。」
この部分をざっと要約すると、

「『エッフェル塔上昇パノラマ』に見られた画期的な移動撮影の発見もメカニックの範囲内にとどまり記録映画としての限界を示した」→「1分間の記録映画の形式としての限界と袋小路」→「大衆に飽きられた」→「活路として演劇的要素の導入の必要」→「リュミエール兄弟の撤退とメリエスの登場」

ということになるのですが、この一文とリュミエールが映画から「撤退する」という理由の詳細のくだりを読んだとき、自分は物凄いショックを受けました。

その部分をちよっと引用しますね。

《屋外シーン、風俗シーン、ニュース映画、ルポルタージュ映画、旅行映画が、リュミエールと彼の一派によって創り出された主なジャンルである。しかし、1897年にパリで、クレマン・モーリスの要求に基づいて、ジョルジュ・アトとプルトーの二人が、屋外にセットを建て、そこで俳優たちがメイク・アップをし、衣裳を着て演技している。彼らの喜劇映画はごく単純な笑劇〈ファース〉で、その脚本は「水をかけられた撒水夫」と似ている。そのドラマティックなシーンは、独創性に富み、歴史が、ロベスピエール、マラー、シャルル12世、ギーズ公など史上有名な一連の死の場面、あるいは、国旗の防衛、最後のカルトゥーシュなどの戦闘場面とともに映画に初めての顔をのぞかせている。豊かなシリーズ映画のはしりであるこれらのフィルムは、活人画、幻燈のガラス絵あるいは実体鏡用の写真からヒントを得たものである。
これらのシーンは、リュミエールが撮影機とすでに相当量ストックされた映画のポジ・プリントの販売に専念するため、ほとんど全面的に映画をやめる直前に、リュミエール会社のために撮影されたものであった。そこで、ほとんどすべてのカメラマンが解雇された。1898年以降、リュミエール映画の作品目録に加えられた唯一の新作映画は、ニュース映画か旅行映画のフィルムであった。普通の写真産業からあまりにもかけ離れた活動分野である演出という仕事は、ジョルジュ・メリエスといった競争者たちに任せられた。》


ふむふむ、そういうことですか、19世紀の最後に「動く映像」を考案し、世界各地にカメラマンを派遣して、歴史的なかずかずの貴重な映像を残し、「映画の父」とまでいわれたリュミエール兄弟の偉業は、「撮影機とすでに相当量ストックされた映画のポジ・プリントの販売に専念するために」閉じられたというのですね。

そこには「ほとんど全面的に映画をやめる」とか、そのとき「ほとんどすべてのカメラマンが解雇された」とか、シビアな言葉が書き連ねられています。

そして、その理由というのが、

商売用の「カタログ」作りのために、いままでサンプルとして1分程度の映画を数多く撮ってきたけれども、(販売用のカタログとしては)もう十分な量に達した、これからは商売に専念するので、ここらで映画からは撤退します、というわけですよね、これが「映画の父」とまでいわれた人たちの撤退の仕方・商売を優先させた映画の終わらせ方なのかと思うと、自分的になんだか寂しい気がしたのだと思います。

世界各地でいろいろな民族の奇妙な風習に驚きをもってカメラを向けたカメラマンたちは、カタログをつくるためのビジネスライクな「サンプルの収集」なんてことを冷静に保持続けられたかどうか、すこぶる疑わしいのではないかと思ったのです、もちろん、「そう信じたい」という気持ちもあります。

極東の閉ざされた最果ての地、皆が皆、頭のてっぺんを剃り上げて、そこにピストルを載せている奇妙で独特の文化を持つすこぶる小柄で、腹の中では何を考えているのか分からないながらも、顔の真っ黒な、表面的には嫌に人懐こいニヤけた民族・「日本人」に向けられた好奇心に満ちたカメラは、ビジネスライクな「サンプルの収集」なんてものからは相当逸脱してしまっていることは、遺された映像を見れば明らかです。

しかし、ここまで書いてきて、なんだか不安な気持ちになってきました、というのは、リュミエールのカメラマンたちは、「そこ」にある新鮮で興味深い民族や風習にカメラを向けずにいられなかった一種の冒険者だったとしたら、現実から目をそらし虚構に活路を見い出そうとした(実は、現実から目をそらして「逃げた」)メリエス以降現代につながる映画人たちは、それこそ単なる「映画オタク」にすぎなかったのではないかと思えてきたのでした。

「大切なのは映画の方なんかじゃない、現実の方だ」と、クールな選択をしたリュミエールの方が、よっぽど「大人の対応」をみせたのではないかと。自分もその映画オタクのひとりとして100年後のいま、時空を超えて「映画の父」から突然突き放されたような・見放されたような寂しさに襲われて、ちょっと動揺してしまったのかもしれません。



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by sentence2307 | 2018-08-12 09:26 | Comments(0)
若い頃、通勤にはずっと私鉄を使っていたので、結婚して郊外に引っ越してJRを使うようになり、はじめて知って意外に思ったことに「整列乗車」というのがありました。

文字通り駅で電車を待つ乗客が整然と3列に並ぶというアレです、それまでこのJR「整列乗車」という慣行をまったく知らなかった自分(私鉄族)には、実に奇妙で堅苦しい(というか、押し付けがましい)決め事に思えました。

そのへんのところは、まったく自由だった「私鉄族」には、この慣行は「強制」以外の何物でもない息苦しさしか感じられませんでした。

私鉄では、あんな習慣はもちろんありませんでした(今でもそうか、現状がどうなっているのかは知りません)、駅で電車を待つ乗客は、三々五々その辺に立っていて、電車が到着すれば、「おっ、来た・来た」なんて感じで、次第に速度を緩める電車の、乗り込もうとアタリをつけたドアに目星をつけて、なんとなく蝟集し、まだ動いているドアと並歩し(「並走」という言葉があるくらいなのですから「並歩」もアリかなと)、徐々に速度を落としていくのと微妙にタイミングを合わせて移動しながら、止まってドアが開けばさっさと乗り込むという感じでした。

その「なんとなく」感が、まさに私鉄の「自由気ままさ」を象徴していた気楽さということだったんだなと、いまにして思います。

でも最近は、少しずつ考え方がJR的に変化しているのもまた、事実です。

私鉄では今でもやはり、朝の通勤ラッシュの混雑時には、我先になんとなく雑然と、つまり先を争って無秩序な乗り込み方をしているのだろうか、もし、そうなら当然乗客同士のトラブルは必至で、小突き合い・蹴り合いくらいは避けられないだろうなと。

それに比べたらJRの規制の効いた乗り方は、だから実に穏やかで、いまではすっかり「JR」の慣行に馴染んでしまっている自分です。

「整列乗車」の長所が、この乗客同士のトラブル回避というところにあるのと、もうひとつは、列の位置取りさえ間違わなければ、必ず座れるというところでしょうか。現状「座れる率」は、ほとんど99%です。

実は、自分が乗り込むターミナル駅では、15分ごとに電車の最後尾に新たに5輌増結される電車があります(合計15両編成の通勤快速電車というのは、日本で最長の通勤快速電車だと聞いています)、まさにそれが優に小一時間はかかろうかという通勤時間のあいだ、座ってのんびり居眠りをしていられる理由です、ずっと立ち続けてモミクチャにされることを考えれば(つい数年前までは、そうでした)、まさに雲泥の差です。

それに、何年か前に「上野・東京ライン」というのが開始されて、以前は上野駅か日暮里駅で乗り換えねばならず、通勤客でごったがえす超混雑の階段をひしめき合って上り下りしなければならなかったものが、いまではストレートに東京駅まで乗り入れるという、自分の通勤環境は、これによって激変しました、「通勤時間短縮と、座われて居眠り」と、それに、隣にウラ若い女性が座るなどという幸運なオマケ付きなんてことも時にはありますし。

まさにこの「通勤時間短縮」が、時間の余剰をうみ、たとえ座れなくとも、さらに15分待てば、次の電車でも座れるというシナジー効果・好循環を生み出したというわけです。

しかし、この「通勤時間短縮」と「座れる」というところまでは、同時に自分の願望でもあったのですが、「居眠り」の方は、単に「座れる」という状況に伴うだけのことで、あえていえば自分の「希望外」のことにすぎません、子供のころから自分は電車に揺すられていると、そのうち猛烈な眠気が差してきて目を開けていられなくなってしまいます、もしかすると、なにかのビョーキかもしれませんが。

しかし、たとえわずかの間でも、通勤時間を読書に当てて有意義に使いたいと思っている自分なので、当然そこには知的な葛藤が生まれというわけです。

すぐに眠気が差してきてうたた寝をしてしまうにしても、せめて僅かな間だけでも何かを読もうと「足掻き」ます。考えてみれば諦めのわるい実にみみっちい話です。

なんか、この状態をむかしの映画のイメージに当てはめるとすると、ブリジット・バルドー初期の作品「わたしは夜を憎む」1956みたいな感じかなと。記憶が定かではありませんが、アレって夫婦間の夜のsexが怖い若い女性の作品だったのだとしたら、眠気で読書ができないこととは、相当な違いがあるのかもしれません。

ちょっと話が飛びますが、淫乱な痴女ものより、病的な潔癖さでsexを嫌悪し拒否する処女ものの方が、よほどエロティックですよね、例えばポランスキーの「反撥」とかあるじゃないですか。(なんの話してるんだよ、飛びすぎだろ)

で、通勤時間には必ず文庫本(でなくともいいのですが、これが一番軽いので)を携帯していきます。行き返りの通勤時間でしか読まないので読むペースは遅々としか進まないのですが、それでも持っていれば安心するお守りみたいになっていて、活字中毒の自分です、たとえそれでもいいじゃないかという気持ちでいます。

ここのところ読んでいる文庫本は、帚木蓬生の「三たびの海峡」という小説です。

予備知識なくたまたま手に取った本でしたが、読んでみてびっくりしました、なんと戦前の朝鮮人強制連行を描いた実に深刻で重苦しい小説です。なにしろこちらは通勤時間に軽く読めるものを念頭においてチョイスしたつもりだったのですが、この拭いがたい民族的憎悪と怨念に満ちた壮絶な小説には、わが「眠気病」も吹っ飛んでしまいました。どうみても、朝の通勤時間の暇つぶしのために読み飛ばせるような軽快な小説ではありません。

それでも毎日少しずつ辛抱強く読み進めていくうちに次第に作者の語り口にも慣れてきて読む調子みたいなものも掴めてきたある朝のことでした、案の定座席にも座れて、おもむろに文庫本を開きました。右隣には妙齢の美しい女性、「今日もラッキー」という気分で朝の読書にかかりました。

この小説「三たびの海峡」は、全編を通して壮絶な民族差別への怒りの告発と、だから一層切ない望郷の念に貫かれながらも、愛する者を失うという(あえていえば、このふたつのうち、どちらかを失わなければ、もう片方は得られないという哀切なジレンマのもとで生きいかなければならなかった過酷な運命に引き裂かれた男の物語です)そういう小説なのですが、朝鮮半島から強制連行されて炭鉱で働かされ、虐待に耐えかねて監禁場所から脱走する際に見張りの労務担当を絞め殺してしまい、それでも逃げ切り、朝鮮同胞からの助けを受けて終戦を迎えて、やがて朝鮮に帰還できたものの、その際に日本で親密になった日本人女性を伴ったことによって逆に祖国でもまた民族的憎悪にさらされて、意に反して日本人女性との引き裂かれる別離を強いられる(そこには言い出せない過去の殺人の事実に立ちふさがれ、もう一歩女性を追えなかったことが、なおさら女性の側に不可解な思いを残すという)終始重厚な物語なのですが、ただの1箇所、実に色っぽい描写の部分があります、朝鮮人男性と日本人女性がお互いに好意を持って惹かれ合い、密会して熱く性交する場面です、繰り返して言いますが、この小説でそういう描写があるのは、ただのその1か所で、たまたまその朝にそのクダリを読む感じになりました。

ちょっとそのクダリを書き写してみますね。


《陽焼けした肌とキラキラ光る目が近づき、柔らかい唇が私の口をおおった。私は彼女を抱きしめ、目を閉じる。彼女のよく動く舌が私の舌をとらえる。私は歓びが全身に広がるのを感じた。
唇を離すと、彼女は私の作業着の胸ボタンをはずした。裸の胸元に頬をくっつけ「あなたを好きだったの」と呟いた。
私は彼女の上着の紐をまさぐった。上体を起こして胸をはだけたのは彼女の方だった。白い豊かな乳房を私はしっかりと視野に入れ、口に乳首を含んだ。大きく柔らかな乳首を口の中でころがす。千鶴が細い声をあげるのを聞き、片方の乳首からもう一方の乳首に唇を移した。工事現場で彼女を見かける時、いつも視線が吸い寄せられた胸だった。その中味を味わっているという歓喜が、身体の内部にひろがっていく。
「下の方も脱いで」
千鶴は冷静に言い、私から上体を離した。私がズボンの紐をはずすのを待って、彼女は私のものに手を添える。顔に時折霧のような雨がかかり、彼女の背後に灰色の空が見えた。
「ちょっと待って」
という彼女の声を、海の音と一緒に聴いた。
「河時根」
彼女はもう一度私の名を呼んだ。大きく目を見開いた彼女の顔がすぐ近くにあり、下半身に彼女の肌を感じた。やがて彼女の右手が私のものを誘導し、身体がその一点で重なった。
「千鶴」
「河時根、好きよ」
熱い吐息がかかり、私は再び目を閉じるしかなかった。彼女の髪が私の顔を覆う。私は両手で彼女の動く尻と背中をしっかりと支えた。
生まれて初めて味わう感触だった。これ以上甘美なものは世の中に存在しないのではないか。
「いい」
彼女が私の首にすがりついて言うのに、私は何度も同意する。波の音が遠ざかり、彼女のあえぎと身体の動きが激しくなり、私は自分が昇りつめていくのを知った。喜びが私の身体を揺らし続け、それから波がひくように、動きをおさめた。
「このまま動かないで」
千鶴は私の胸に顔を押しあてて呟いた。再び海の音が届きはじめる。風の揺らぎとともに霧雨が顔に降りかかった。
「寒くない?」
私は訊く。
「大丈夫。お願いだから、まだこのままにしていて」
千鶴は私の目をみつめて微笑する。私は彼女のむき出しになった下半身を撫でる。私のものに触れている部分の温かみとは裏腹に、背中の窪みから尻の膨らみにかけての皮膚は冷たかった。
頭を起こして彼女の唇を求めた。二人の身体が再び上と下で固く結びつき始めるのを感じた。今度は私が腰を動かす番だった。
千鶴は驚き、私にしがみつく。私は彼女の体を抱きかかえたまま砂の上をころがった。
「待って」
彼女は手を伸ばし、脱ぎ捨てていたモンペを身体の下に押し込む。上体を立てた私から離れまいとして、彼女もまた首を起こして私の胸にしがみついた。くの字に重ね合わせた身体を私は無我夢中で動かし続けた。喉を鳴らして荒い息を吐き、最初に昇りつめたのは千鶴のほうだった。何秒かして私にもその歓びがきた。
私は動きを失った身体をそのまま千鶴の上に落とし、息を継いだ。
「千鶴、好きだ」
私の声に、彼女は目を閉じたままで頷く。》


一気にこの緊張した艶めかしい濡れ場のクダリを読み終わり、張り詰めた気持から解き放たれて、ふぅーっと自分の中で溜め息をついたとき、右からの視線をふいに感じたので、ひそかに目だけを動かして隣をそっとうかがいました。

そのかすかに横に動かした自分の不意の視線に反応し、あわてて逸らしかけた隣の女性の視線とが、虚空でかすかに交錯する瞬間がありました、その驚きと戸惑いの表情から、いまのいままで彼女が自分の開いている頁を黙読していたことは明白です。

自分は一度視線を戻し、改めてチラ見したその彼女の横顔には、明らかに自分に対する「いやらしい」という嫌悪の色がありました。

いままで傍らから自分の本をじっとのぞき見して、黙読していたのは明らかです。

これは、実にショックでした。これじゃあ自分がまるでエロ本を愛読している(いやらしい本を読んでいるところを若い女性にわざと見せつけて、嫌がるのを楽しむ露出狂の)変態みたいじゃないですか。

繰り返しになりますが、この小説はとても重厚な作品で、炭鉱で働かせるために強制連行してきた朝鮮人の苦難が全編に描かれている小説で、とくに前半の差別と虐待の描かれている部分は壮絶で、後半はその深い傷を負った主人公がそれまで目をそらしてきた憎しみの記憶に立ち向かっていくという回顧から構成されているのですが、上記の「濡れ場」はこの部分だけ、460頁ある中のほんの2頁にすぎないのです。

毎朝、自覚的・習慣的にエロ本を常に読んでいて、そのことを軽蔑されるならともかく、朝鮮人強制連行と虐待を告発したゴクまじめな硬派な小説に人知れず真摯に取り組んできた458頁分の苦労をですよ、たったの、それもたまたま遭遇した艶めかしい2頁のために軽蔑されるなんて実に堪え難いものがあります。

その女性にこの文庫本の全頁をペラペラと開き示して、この小説がいかに全編を通して真摯なものであるのかを弁解したいくらいでした。

しかし、あの部分

《「ちょっと待って」
という彼女の声を、海の音と一緒に聴いた。
「河時根」
彼女はもう一度私の名を呼んだ。大きく目を見開いた彼女の顔がすぐ近くにあり、下半身に彼女の肌を感じた。やがて彼女の右手が私のものを誘導し、身体がその一点で重なった。
「千鶴」
「河時根、好きよ」
熱い吐息がかかり、私は再び目を閉じるしかなかった。彼女の髪が私の顔を覆う。私は両手で彼女の動く尻と背中をしっかりと支えた。
生まれて初めて味わう感触だった。これ以上甘美なものは世の中に存在しないのではないか。
「いい」》

う~ん、まあ、本当に感じなかったのかといえば、やはり嘘になりますか。


それからの小一時間は、いままで経験したことのない気まずく苦痛に満ちた時間でした。



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by sentence2307 | 2018-04-19 10:00 | Comments(0)

Strange Fruit meets Citizen Kane

昨年、近親者を亡くしたので、今年の正月三が日は、「賀」ではなく「喪」としてすごしました、華やいだことは一切せず、また、誰にも会うこともなく、静かに家に閉じこもっていた三が日でした。

その間、もちろん小説も映画も見ていません。

でも「喪」に服すというのは随分退屈なもので、貧乏性の自分には、その「無為」に耐えられず、結局、年末に会社から持ち帰ってきた仕事を取り出して、気が向けば退屈まぎれに少しずつやりました。

近親者を亡くしたのは、これが初めてではありませんし、その時のショックが過ぎれば、時間の経過とともに、その人の思い出や、共有にした生々しい記憶なども少しずつ薄まって、やがてすべてが心地よい清浄な思い出に着実に薄らぐということを、経験のうえから十分に承知しているので、日々を静かにやり過ごし、なにもかも自然な時間の流れに委ねて「待っている」という感じです。

そんななかで、ときおり思うことは、生前の彼と、なんでもっと突っ込んだ話をしておかなかったのかという悔いが、ふっとよぎることがありました。

しかし、同時に、その思いが無意味なものにすぎないという気もしています。

共に過ごしたあの日々に、話そうと思えばその機会も、そしてその時間も、それこそ十分にあったわけで、事実多くのことを話し合いました。

自分ではそれが「突っ込んだ話」だと思ってきたものが、亡き人には、そうではなかったという意味合いのことを、残された言葉の中にみつけて以来、前述した「悔い」に捉われるようになり、相手の思いと自分の思いとの隔たりに愕然とし、その落差について考えるようになりました。

お互いにもっと打ち解けたかったという「孤独な言葉」を残していった彼と、十分に語りつくしたと感じていた自分とのあいだにある「落差」です。

この過去の今は亡き彼から突き付けられた突然の「弱々しい抗議」に戸惑いながらも、時が経つにつれて、だんだん分かってきたことがあります。

もし、あのとき、自分としてはそうは思っていなかったにしても、彼の方が絶えず「突っ込んだ話」ができないという悔いを抱いていたとしたなら、それは「できなかった」のではなくて「しなかった」からではないかと。

いつの場合でも、自分としては心を開いて「突っ込んだ話」をしてきたつもりです、だから彼だってそうしているに違いないと思っていて当然だった自分に対して、「突っ込んだ話」ができなかったと彼が思っていたなら、そこまでが話すことのできた彼自身の限界点だったからではなかったかと。

あのとき、そしてたぶんいつの時でも、少なくともお互いが話しあえる十分な状態にはあったのですから。

そして、あえてお互いの「限界」のさらにその先まで強引に踏み込めなかったことを自分が「悔いている」のだとしたら、それこそ見当違いな「悔い」なのではないかと思えてきたのです。

君がどうしても話せなかったことは、たぶん、そこまで他人に話すべきことではないことを、まさに君自身が知っていたからだと思います。自分の中にとどめておいて静かに耐えるべきもの、またそれ以外には、どうにもできなかったもののひとつだったからではないかと。

それは当時だって、いつの場合でも、自分には「彼の孤独」を理解はできても、到底背負いきれるものではありませんし、誰もがそうであるように、「自分の孤独」は自分で引き受けて背負うしかない、そしてそれは今だってなにひとつ変わってはいない。そう思い至りました。

こんな訳の分からない考えを堂々巡りさせながら、暮れに会社から持ち帰った単純作業を終日パソコンでせっせと処理していました。
仕事というのは、3年毎に刊行されている名簿が今年の年末にまた予定されているので、その準備としてデータ収集と整理をする単純作業です。

国家試験に合格した人たちが、研修所を卒業して各役所に任官していく人、あるいは事務所に就職していく人を一覧にした名簿で、わが社の予算の目標達成には欠かせない、売り上げもそれなりに約束されているという、とても重要な刊行物です。

しかし、まあ、やることといえば、あちこちのwebから切り取ってきた事項を、こちらに貼り付けて50音順に整えるという、およそ生産的とはいえない作業ですが、しかし、この作業がすべてのデータ基盤作成には欠かせないパーツとなるので、あだや疎かにはできません、時間のある時に少しでも着実に進めておかなければなりません。

新卒業生が千数百人、それに過去の卒業者を加えると数万人という規模の名簿ですので、一週間もかかれば、することがなくなるなどという懸念は少しもありません、その気の遠くなるような量の記事を、端から「区間指定して切り取ってきて、こっちに貼り付ける」というとんでもない単純作業を限りなく繰り返していくので頭がどうにかなってしまいそうで、静謐・無音の状況下ではとても耐えられるものではなく、せめて耳だけでも「単調さ」から神経を逸らして麻痺させるために、手持ちのCDやyou tubeなど、あらゆる分野の音楽を総動員してバックに流し続け、単純作業に耐え、乗り越えていくということになるのですが、当初、しばらくは、去年wowowで録音した「安室奈美恵25周年沖縄コンサート」に嵌まっていました。

テンポはいいし活気もある、そしてなによりも、自分の知っている「安室奈美恵」からは想像もできないくらい、このコンサートの安室奈美恵は完璧に成熟していて、実に驚きました、心の底からこの稀有な才能の引退が惜しまれますよね、ここでかつて歌われた多くの歌も、このコンサートの方がよほど円熟しており進化のあとがありありとうかがわれ実に感心しました。

しかし、安室奈美恵ばかり聴いているわけにもいきませんので、you tubeも物色します、たまたまそこには少し前に聞いていたノラ・ジョーンズがアップされています。

それほど好きというわけではないのですが、ジャズっぽいスローなテンポの曲の方が単純作業のバックにはぴたりと合うというだけの理由で、しばらく流してみたのですが、どうも調子がでません、ジャズ・ヴォーカルをチョイスするつもりでノラ・ジョーンズを選んだのが、そもそもの誤りでした。

濁りのない線の細いノラ・ジョーンズの澄んだ声や歌い方の「普通さ」に物足りなさを感じてしまうのは、そもそもの当初、ジャズっぽいものを聞きたいという思いから大きく外れていたからだと気が付きました。

もっとジャズっぽいものを聴きたいという思いで聞き始めたのがシナトラ、それからトニー・ベネットにエラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ヘレン・メリル、そしてジュリー・ロンドンの「Cry Me a River」を聞くに及んで、耳の中に沈殿していたものが突如共振するかのように動き出し、むかしの思い出が一気に呼び覚まされました。

学生時代、ジュリー・ロンドンの「Cry Me a River」に感動し、必死になってマスターしようとした最初のジャズ・ナンバーです、結局、貧弱な声帯しか持ち合わせていない自分などには到底およばない情感豊かな声量で間を保つことができず、どうやってもうまく歌えませんでした。

しかし、この総毛立つような感じこそ、自分にとっての「ジャズ」だったんだなと、はじめて気が付きました。

そうそう、だんだん思い出してきました。

当時、ヘレン・メリルの歌い方に惹かれ、彼女の歌を夢中になってしばらく聞き込んでいたのですが、あるとき、それがビリー・ホリディの歌い方のコピーだと知らされて、それからというものビリー・ホリディだけを聞き始める切っ掛けになり、すっかり虜になってしまいました。

発売されている限りのレコードを買い集め、自伝「LADY SINGS THE BLUES」も読みました。

そんなとき、ダイアナ・ロス主演の映画「ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実」が封切られ、たまらない違和感を覚えたことを思い出しました。

いまから思えば、それは破天荒に生きた歌手ビリー・ホリディのブームかなにかだったのか、それとも、ビリー・ホリディの壮絶な生きざまが、その「破天荒さ」のゆえに、ニューシネマの題材にぴったりと合っていて、思いつきみたいに映画化されただけだったのか、当時の事情がどうだったか、どうしても思い出せませんが、この映画が、「俺たちに明日はない」と同じ発想から企画されたものなら随分だなと憤ったことだけは記憶にあります。

あれが「ブーム」として長く続いたという印象がないのも、そのあたりにあるのかもしれません。
それは、映画「ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実」に対する印象にも通じるものがあって、ビリー・ホリディとはまったく異質のタイプ、都会的に洗練されたダイアナ・ロスをレディ・デイとして、どうすれば感情移入できるのか、白ける気持ちが先に来て、どうしても馴染めませんでした。

ダイアナ・ロスの演技が、アカデミー賞にノミネートされたということも聞きましたが、自分としては最後まで、「いじめられっぱなしの被害者・ビリー・ホリディ」の描き方には、どうしても賛同することができませんでした。

生涯にわたって彼女をさんざんに弄び食い物にした詐欺師たち(そう描かれています)は、ただの与太者や犯罪者というよりも、彼らもまたビリー・ホリディと同じように社会から拒まれ弾き出された社会的不適用者・弱い人間にすぎず、しかも彼女もまた、彼らの「そういう弱いところ」(彼らこそ自分と同じ地獄を生きてきた同類として)を心の底から深く理解して愛していた側面を描き込まない限り、何度も裏切られ、薬物の泥沼に限りなく溺れ込んでいくビリー・ホリディの修羅を到底理解することはできません。

「Cry Me a River」を聞きいていたそのとき、はっと気がつきました、もしかしたら自分は、ビリー・ホリディの「Strange Fruit」に出会うために、まるでなにかを探すようにして、いままでこうして多くの楽曲を片っ端から聞いていたのではないのか、と。

You tubeで繰り返し「Strange Fruit」を聞きながら、「奇妙な果実」の歌詞をネット検索してみました。


Strange Fruit

Southern trees bear strange fruit,
Blood on the leaves and blood at the root,
Black bodies swinging in the southern breeze,
Strange fruit hanging from the poplar trees.

Pastoral scene of the gallant south,
The bulging eyes and the twisted mouth,
Scent of magnolias, sweet and fresh,
Then the sudden smell of burning flesh.

Here is fruit for the crows to pluck,
For the rain to gather, for the wind to suck,
For the sun to rot, for the trees to drop,
Here is a strange and bitter crop.


奇妙な果実

南部の木は、奇妙な実を付ける
葉は血を流れ、根には血が滴る
黒い体は南部の風に揺れる
奇妙な果実がポプラの木々に垂れている

勇敢な南部(the gallant south)ののどかな風景、
膨らんだ眼と歪んだ口、
マグノリア(モクレン)の香りは甘くて新鮮
すると、突然に肉の焼ける臭い

カラスに啄ばまれる果実がここにある
雨に曝され、風に煽られ
日差しに腐り、木々に落ちる
奇妙で惨めな作物がここにある。


そうなのか、歌詞に目を通していくうちに、なんだか無性に「ビリー・ホリディ自伝」が読みたくなりました、思い立って本棚から「LADY SINGS THE BLUES ビリー・ホリディ自伝」が収載されている「世界ノンフィクション全集40」を取り出して読み始めました。

実に何十年ぶりかでこの自伝を読んでいて、自分の記憶には全然なかった部分を発見し愕然としました。

なんと、ビリー・ホリディがオーソン・ウェルズと出会う場面があり、文脈からするとお互いに好意をもっていたらしいのです、全然記憶にありません、意外でした。

ちょっと長くなりますが、その部分を少し引用してみますね。

《そのクラブの、もう一つの素敵な夜は、オーソン・ウェルズと会った晩だった。オーソンは、私と同じようにハリウッドに来たばかりだった。私は彼が好きになったし、彼も私とジャズが好きになった。二人は一緒にいろいろな所に出かけることにした。

その晩仕事を終えると、二人はロスアンゼルスのニグロ地区、セントラルアヴェニューに向かった。私はすべてのクラブや淫売宿を案内した。私はそういう所で育ったのだが、カリフォルニアでも目新しいことはなかった。みな私が楽屋裏から知っていることばかりで、私には面白くもなかったが、彼はそれを好んだ。

彼にとっては、すべてのもの、すべての人が興味の対象なのだ。彼は、何についても、だれが、どのようにして動かしているかを知りたがった。彼が偉大な芸術家であるのは、こういう点にあると思う。

当時オーソンは、脚色・監督・主演の、処女作映画「市民ケイン」に没頭していた。踊っている最中でも、頭では翌朝六時のスタジオのことを考えているようだった。「市民ケイン」は傑作だった。私は試写で9回も見た。彼は傑出した演技を見せた。私はシーンとコスチュームの一つ一つを頭の中に焼き付けている。

何回か彼に付き合っているうちに、私がオーソンの出世の妨げになっているという怪電話を何回か受けた。噂では、スタジオが私をマークし、もし彼から離れない以上、私は永久に映画の仕事はできないだろうとのことだった。ホテルの帳場にも、事を起こそうとしている奴らからの怪電話がしばしばかかってきた。以来、多くの脅迫がオーソンに付きまとったが、彼は平気だった。彼は素敵な男だ。おそらく私が会ったなかの最高だろう。非常に才能のある男だが、それ以上に素晴らしい人間である。

今でも決して良くなってはいないが、当時の人々は、白人の男が黒人の女と一緒にいるのをひどく嫌がった。あるいは、マリアン・アンダーソンと彼女のマネージャーかもしれないし、ストリップ・ダンサーとそのヒモかもしれない。二人の組み合わせが、まったく不似合いなものであっても、小児病患者は、いつも卑しい一つのことに結び付けるのだった。もしかすると二人はそんな関係かもしれないし、そうでないかもしれない。ところがそれは、どっちでも同じことだった。二人が寝床から出てきたところか、これから寝に行くのでなければ、なにも二人でいる理由も必要もないと信じているのだから。

私たち黒人は、いつもこのような絶えざる圧力をかけられている。それに対して戦うことはできても、勝つことはできないのだ。
私がこのような圧力をかけられていなかったときが一度だけある。それはまだ少女のころ、娼婦として白人の客をとっていた時だ。
誰も何とも言わなかった。金ですることなら、何でも許されているのだ。》

結局この恋は実らず破綻したのかもしれないし、そもそも、「恋」そのものが存在していたのかどうかも、いまとなっては調べる手立てもありませんが、しかし少なくとも、Strange Fruit meets Citizen Kaneはあったのだと思うと、それだけでもなんだか嬉しい気持ちになってきました。




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by sentence2307 | 2018-01-13 21:26 | Comments(0)

右太衛門の忠臣蔵

先日、テレビのニュースを見ていたら、ある外食産業が例年開店していた正月の営業を取り止めると発表していました。

ああそうか、いままで当たり前に思っていましたが、これってバブル期の名残りだったんですね、改めて感じました。

「働き方改革」っていうと、なんだかつい最近の新政策みたいに思っていましたが、実はすでに現実の方が大きく変わってしまっていて、「政策」が慌てて綻びた現実の手当に動いたということなのかもしれません。

元日でも家にじっとしていられず、とにかくどこかに出かけたい人間にはちょっとさびしいことになるのかもしれませんが、この「イケイケの正月開店」という強引な考え方自体が、「少子高齢化による売り上げ減」とか「超過勤務」とか「シャッター通り」とか、最早いまの現実には合わない働き方になってしまっていたんでしょうね、

考えてみれば、自分の子供時代だって、正月三が日は、どこの店(個人商店です)も閉まっていて、寒風に晒されながら広っぱで凧揚げやコマ回しをした記憶がありますが、しかし、いま思えば、あれってそうするしかほかにできることがなかったから仕方なかったという面もあったのかもしれません。

だって、大型スーパーだとか、24時間開店しているコンビニができるまでの夜道は、それこそ真っ暗でした。

つまりこれなんかは、「昔なくて、今あるもの」ですが、「昔あって、今ないもの」の象徴みたいなものといえば、年末に必ずと言っていいくらい上映していた「忠臣蔵」ではないかと思います。

最近ではすっかりすたれてしまいましたが、むかしは年末ともなると、年中行事のように、決まってどこかの映画会社が必ず「忠臣蔵」を作って上映していたものでしたよね。

子供のころ、年の瀬には親に連れられて実に様々な「忠臣蔵」を見た記憶があります。

何かの拍子にふっと蘇ることがあって、そんなときは、なんだか切なくなったりしますが、まさに年中行事という感じだったと思います、そういう印象があります。

しかし、そんな感じで毎年のように見てきた「忠臣蔵」ですが、その数があまりにも多くて、どれがどれやら作品の区別などさっぱりつかない混濁した状態なのですが、しかし、その特定できないというモヤモヤ感が、ある意味、ある種の「郷愁」を形成して、少年期の懐かしい記憶のひとつになっている気もします。

たぶん、この誰もが持っている「懐かしさ」が、いまではすっかり新作の製作の途絶えた現在でも、CS放送などで旧作の「忠臣蔵」上映をうながす隠れたパワー(というか「圧」)になっているのかもしれません。

まあ、いずれにしても、懐かしい「忠臣蔵」を見られるということは実に嬉しいかぎりで、自分もその貴重な機会を逃さないように、ここのところ、日常的に「忠臣蔵」の放送情報なんかをこまめにチェックしてネット検索に励んでいます。

そんなふうに検索の毎日をおくっていたとき、ネットの「Q&A」でこんな質問に遭遇しました。

「よろずある『忠臣蔵』や『赤穂浪士』を題材にした映画のうち、どれがお勧めでしょうか」とか、あるいは、「忠臣蔵の傑作を教えてほしい」という質問です、見ていくとこの手の質問が結構あることに気が付き、ついつい読みふけってしまいました。

たとえば、「傑作ってどれ?」という「Q」に答えた「A」というのにこんなのがありました。

《なんといっても、12月10日に時代劇専門チャンネルで放送される、市川右太衛門が大石内蔵助を演じた昭和31年公開の東映オールスター映画『赤穂浪士 天の巻・地の巻』が注目作です。
これは、数ある忠臣蔵映画の中の最高傑作という評価がある大佛次郎の同名小説を映像化したもので、脚本の出来の良さもさることながら、実際の内蔵助もこんな人だったんじゃないかと思わせる、茫洋とした雰囲気を前面に押し出す右太衛門の抑えた芝居が何より見どころです。
やはり右太衛門は、十八番である『旗本退屈男』シリーズ以外(なぜ? 原文ママ)がいいんですよ。
可能であれば、ぜひとも視聴してください。
なお12月3日には、東映チャンネルで創立10周年記念を謳い昭和36年に公開された片岡千恵蔵主演の『赤穂浪士』が放送されますが、これは同じ大佛の小説を原作にしていながら、31年版の足元にも及ばない駄作です。》

なるほど、なるほど、右太衛門の忠臣蔵ですか、こりゃあ面白いじゃないですか、とにかくこちらも嫌いな方じゃなし、今日のところはやたら暇でもあるしで、勝手ながらさっそく混ぜてもらうことにしました。それにしても、片岡千恵蔵じゃなくて、なぜ右太衛門なんだという思いはありますよ、トーゼン。

実は、千恵蔵の方の「忠臣蔵」を今年の夏だかに見たばかりなので、ちょっとこの「駄作」発言には引っかかるものがありました。

もし、そう考える要素のひとつとして、千恵蔵のあの独特のセリフ回し(聞き取りにくい?)というのが入っているのだとしたら、「だって、あれがいいんじゃないですか」くらいの突っ込みを入れたくなる誘惑に駆られたりします。

しかしまあ、それはともかく、右太衛門が出演した「忠臣蔵」作品をjmdbで調べてみました、なんせこちらは、すこぶる暇ですし。暇ついでに右太衛門には★マークなども入れてみました。

こう調べてみて、右太衛門が溝口健二の「元禄忠臣蔵」に出ていることを知り、ちょっと意外でした。



赤穂浪士快挙一番槍(1931市川右太衛門プロダクション・松竹キネマ)
監督・白井戦太郎、脚本・行友李風、原作・行友李風、撮影・松井鴻
出演・★市川右太衛門、大江美智子、高堂国典、武井龍三、伊田兼美、正宗新九郎
1931.01.31 帝国館 8巻 白黒 無声


忠臣蔵 前篇 赤穂京の巻(1932松竹キネマ・下加茂撮影所)
忠臣蔵 後篇 江戸の巻(1932松竹キネマ・下加茂撮影所)
企画・白井松次郎、大谷竹次郎、企画補助・白井信太郎、城戸四郎、井上重正、監督・衣笠貞之助、監督補助・渡辺哲二、大曽根辰雄、森一、脚本・衣笠貞之助、原作・衣笠貞之助、撮影・杉山公平、撮影補助・真々田潔、加藤武士、作曲指揮・塩尻清八、演奏・日本新交響楽員、作曲選曲・杵屋正一郎、長唄・杵屋六、杵屋六徳、杵屋六栄、三味線・杵屋六祥、杵屋六佐喜、杵屋六加津、杵屋六美代、杵屋六祥次、杵屋六喜栄、杵屋六弥太、鼓曲・望月太明蔵、笛・住田又三久、小鼓・望月太明蔵、大鼓・望月太意四郎、太鼓・六郷新之助、囃子・望月太明七郎、望月太計夫、望月幸一郎、洋舞・江川幸一、邦舞・尾上菊蔵、舞台意匠・吉川観方、設計・香野雄吉、舞台装置・尾崎千葉、高橋康泰、装飾・光谷義淳、八田務、橋本博、録音・土橋武夫、録音補助・中西進、松本辰吉、河野貞樹、西村滋、杉山政樹、中岡義一、照明・今島正人、高倉政史、山根秀一、衣裳・松竹衣裳部、殺陣・林徳三郎、字幕・望月淳、顧問・大森痴雪、
配役・阪東寿三郎(大石内蔵之助)、林長二郎(浅野内匠頭長矩、吉田沢右衛門)、★市川右太衛門(脇坂淡路守、垣見五郎兵衛)、岩田祐吉(大野九郎兵衛)、藤野秀夫(千阪兵部)、上山草人(吉良上野介)、高田浩吉(大石瀬左衛門)、堀正夫(原惣右衛門、草間格之助)、尾上栄五郎(小林平八郎)、坂東好太郎(勝田新左衛門)、野寺正一(堀部弥兵衛)、武田春郎(大久保権右衛門)、新井淳(家老斎藤宮内)、押本映治(笠原長太郎)、島田嘉七(上杉綱憲)、結城一郎(加藤遠江守)、阪東寿之助(矢頭右衛門七)、実川正三郎(大野九十郎)、小笠原章二郎(間十次郎)、関操(小山源五左衛門)、志賀靖郎(大竹重兵衛)、坪井哲(片岡源五右衛門)、風間宗六(伊達伊織)、高堂国典(上杉家家老)、斎藤達雄(不破数右衛門)、小林十九二(外村源左衛門)、日守新一(幇間狸六)、大山健二(大高源吾)、宮島健一(梶川与惣兵衛)、岡譲二(柳沢出羽守)、小倉繁(碇床主人)、滝口新太郎(大石主税)、喜曽十三郎(奥田孫太夫)、高松錦之助(進藤源四郎)、小泉嘉輔(大野家用人)、中村吉松(清水一角)、山本馨(内蔵助下男八助)、中村政太郎(朝倉喜平)、小林重四郎(堀部安兵衛)、沢井三郎(多門伝八郎)、広田昴(韋駄天の猪公)、井上晴夫(間瀬孫九郎)、宇野健之助(家老左右田孫兵衛)、永井柳太郎(千阪家用人)、静山繁男(大石家用人)、森敏治(上杉の刺客)、百崎志摩夫(講釈師)、小川時次(中村勘助)、長嶋武夫(武林唯七)、山路義人(江戸ッ児熊公)、柾木欣之助(臆病武士)、日下部龍馬(早水藤左衛門)、竹内容一(萱野三平)、青木弘光(赤埴源蔵)、高山雄作(吉良家附人)、和田宗右衛門(矢頭長助)、三井一郎(小野寺幸右衛門)、千葉三郎(吉良の用心棒)、冬木京三(神崎与五郎)、芝一美(吉良の附人)、中村福松(貝賀助右衛門)、土佐龍児(垣美の附人)、大崎時一郎(幇間仙八)、市川国蔵(お坊主)、木村猛(下男斗助)、・来留島新九郎(お坊主)、・石川玲(江戸ッ児留公)、・石原須磨男(大野派の梶村)、矢吹睨児(上杉の刺客)、南部正太郎(上杉の刺客)、津田徹也(瓦版売り)、頼吉三郎(お坊主)、三井秀男(碇床小僧)、阿部正三郎(碇床小僧)、突貫小僧(餓鬼大将)、菅原秀雄(大三郎)、市川右田三郎(芝居の師宣)、嵐若橘(塩冶判官)、嵐巖常(大名)、片岡孝夫(大名)、嵐橘利之助(大名)、嵐巖太郎(大名)、阪東助蔵(大名)、竹本菊勢太夫(浄瑠璃)、重沢延之助(三味線)、川田芳子(大石妻理玖)、飯田蝶子(不破の妻縫)、鈴木歌子(おるいの母親)、八雲恵美子(浮橋太夫)、田中絹代(八重)、川崎弘子(瑤泉院)、岡田嘉子(おるい)、柳さく子(戸田局)、千早晶子(勝田妻光)、飯塚敏子(芸者小妻)、井上久栄(大野九十郎の妻)、河上君栄(芸者信香)、千曲里子(芸者小桜)、北原露子(芸者力弥)、中川芳江(七兵衛七の母親くに)、
前編1932.12.01 東京劇場 10巻 2,995m 109分 白黒
後編1932.12.01 東京劇場 10巻 2,818m 103分 白黒


元禄忠臣蔵 前篇(1941興亜映画・松竹・京都撮影所)
総監督・白井信太郎、演出者・溝口健二、演出助手・渡辺尚治、酒井辰雄、花岡多一郎、小川家平、脚色者・原健一郎、依田義賢、原作者・真山青果、撮影・杉山公平、撮影助手・松野保三、中村忠夫、吉田百人、作曲・音楽監督・深井史郎、演奏・新交響楽団、指揮者・山田和男、美術監督・水谷浩、建築監督・新藤兼人、建築助手・渡辺竹三郎、装置者・六郷俊 大野松治、装置助手・小倉信太郎、襖絵装飾・沼井春信、伊藤栄伍、装飾者・松岡淳夫、荒川大、大沢比佐吉、装飾助手・西田孝次郎、録音者・佐々木秀孝、録音助手・杉本文造、田代幸一、木村一、照明者・中島末治郎、三輪正雄、中島宗佐、編集者・久慈孝子、速記者・山下謙次郎、普通写真撮影者・吉田不二雄、服飾者・川田龍三、奥村喜三郎、服飾助手・加藤信太郎、技髪者・高木石太郎、技髪助手・尾崎吉太郎、福永シマ、現像者・富田重太郎、
字幕製作者・望月淳、
〔考証者〕武家建築・大熊喜邦(文部省嘱託・工学博士)、言語風俗・頴原退蔵(京都帝国大学講師・文学博士)、民家建築・藤田元春(第三高等学校教授)、時代一般・江馬務(風俗研究所長)、能・金剛厳(金剛流宗家)、史実・内海定治郎(義士研究家)、風俗・甲斐荘楠音(旧国画創作協会同人)、造園・小川治兵衛(「植治」)、素槍・久保澄雄(立命館大学範士・貫流)
配役・河原崎長十郎(大石内蔵助)、中村翫右衛門(富森助右衛門)、河原崎国太郎(磯貝十郎左衛門)、嵐芳三郎(浅野内匠頭)、坂東調右衛門(原惣左衛門)、助高屋助蔵(吉田忠左衛門)、瀬川菊之丞(大高源吾)、市川笑太郎(堀部弥兵衛)、市川莚司(武林唯七)、市川菊之助(片岡源五右門)、山崎進蔵(大石瀬左衛門)、市川扇升(大石松之丞・主税)、市川章次(瀬尾孫左衛門)、市川岩五郎(早水藤左衛門)、市川進三郎(潮田又之亟)、坂東春之助(井関紋左衛門)、中村公三郎(生瀬十左衛門)、坂東みのる(大塚藤兵衛)、坂東銀次郎(岸佐左衛門)、 嵐徳三郎(奥野将監)、筒井徳二郎(大野九郎兵衛)、加藤精一(小野寺十内)、川浪良太郎(岡嶋八十右衛門)、海江田譲二(堀部安兵衛)、大内弘(萱野三平)、大川六郎(近松勘六)、大河内龍(奥田孫兵衛)、羅門光三郎(井関徳兵衛)、小杉勇(多門伝八郎)、三桝万豊(吉良上野介)、清水将夫(加藤越中守)、坪井哲(進藤築後守)、山路義人(梶川与惣兵衛)、玉島愛造(深見宗近左衛門)、南光明(近藤平八郎)、井上晴天(久留十左衛門)、大友富右衛門(大久保権右衛門)、賀川清(田村右京太夫)、粂譲(稲垣対馬守)、沢村千代太郎(関久和)、中村進五郎(津久井九太夫)、嵐敏夫(登川得也)、市川勝一郎(石井良伯)、★市川右太衛門(徳川綱豊)、三浦光子(瑶泉院)、滝見すが子(浮橋)、岡田和子(うめ)、山路ふみ子(お喜世)、京町みち代(お遊)、中村梅之助(吉千代)、三井康子(おくら)、山岸しづ江(大石妻おりく)、
1941.12.01 国際劇場 11巻 3,066m 112分 白黒


赤穂浪士 天の巻 地の巻(東映・京都撮影所)
製作・大川博、企画・マキノ光雄、山崎真市郎、坪井与、大森康正、玉木潤一郎、辻野力弥、岡田茂、監督・松田定次、助監督・松村昌治、脚色・新藤兼人、原作・大仏次郎、撮影・川崎新太郎、音楽・深井史郎、美術・角井平吉、森幹男、録音・佐々木稔郎、照明・山根秀一、編集・宮本信太郎、時代考証・甲斐荘楠音、色彩担当・岩田専太郎、進行・栄井賢、スチール・熊田陽光、 
配役・
★市川右太衛門(大石内蔵助)、片岡千恵蔵(立花左近)、月形龍之介(吉良上野介)、薄田研二(堀部弥兵衛)、堀雄二(堀部安兵衛)、原健策(片岡源五右衛門)、片岡栄二郎(毛利小平太)、植木基晴(吉千代)、清川荘司(渋江伝蔵)、百々木直(梶川与惣兵衛)、神田隆(小平太の兄)、月形哲之介(武林唯七)、時田一男(三国屋番頭清吉)、団徳麿(八助)、大文字秀介(深井伝四郎)、植木義晴(大三郎)、尾上華丈(原惣右衛門)、小金井修(三村次郎左衛門)、遠山恭二(菅野三平)、森田肇(吉田吉左衛門)、葉山富之輔 (間瀬久太夫)、近江雄二郎(潮田又之丞)、河村満和(近松勘六)、熊谷武(菅谷半之丞)、原京市(富森助右衛門)、小金井勝(奥田孫太夫)、源八郎(村松喜兵衛)、人見寛(室井左六)、舟井弘(泉岳寺の僧)、小田部通麿(岡林埜之助)、山村英三朗(戸村源右衛門)、近松龍太郎(玉虫七郎右衛門)、津村礼司(赤垣源蔵)、有馬宏治(早水藤左衛門)、大丸厳(寺坂吉右衛門)、上代悠司(前原伊助)、河部五郎(権太夫)、中野市女蔵(伊達左京亮)、中村時十郎(真野金吾)、加藤嘉(小野寺十内)、河野秋武(目玉の金助)、龍崎一郎(脇坂淡路守)、進藤英太郎(蜘蛛の陣十郎)、中村錦之助(小山田庄左衛門)、大友柳太朗(堀田隼人)、東千代之介(浅野内匠頭)、小杉勇(千坂兵部)、宇佐美淳(柳沢出羽守)、三島雅夫(丸岡朴庵)、三条雅也(大高源吾)、高木二朗(片田勇之進)、高松錦之助(穂積惣右衛門)、明石潮(安井彦右衛門)、楠本健二(神崎与五郎)、青柳龍太郎(近藤源八)、水野浩(藤井又左衛門)、堀正夫(中村清九郎)、加藤正男(江戸の商人E)、山内八郎(町人B 多吉)、中野文男(平谷新兵衛)、富久井一朗(町人A 三次)、小田昌作(江戸の町人A)、舟津進(江戸の町人B)、矢奈木邦二郎(江戸の町人C)、浅野光男(江戸の町人D)、若井緑郎(江戸の町人E)、東日出夫(駆けて来る男源太)、藤木錦之助(伝奏屋敷の番士)、石丸勝也(巡礼A)、村田宏二(巡礼B)、丘郁夫(関久和)、葛木香一(牟岐平右衛門)、伊藤亮英(三国屋五平)、中野雅晴(磯貝十郎左衛門)、岸田一夫(朴庵の弟子)、香川良介(大野九郎兵衛)、沢田清(将軍綱吉)、吉田義夫(石屋の源六)、藤川弘(清水一学)、杉狂児(松原多仲)、加賀邦男(小林平七)、東宮秀樹(上杉綱憲)、三浦光子(大右妻りく)、高千穂ひづる(お仙)、田代百合子(さち)、浦里はるみ(お柳)、植木千恵(おくう)、吉井待子(しのぶの女中)、毛利菊枝(宗偏の妻)、赤木春恵(長屋のお内儀)、吉田江利子(京の料亭仲居 おさん)、六条奈美子(弥兵衛の妻 若)、鳳衣子(京の料亭仲居 お米)、松浦築枝(十内の妻 丹)、八汐路恵子(京の料亭仲居 お菊)、星美智子(安兵衛の妻 幸)、千原しのぶ(夕露太夫)、喜多川千鶴(お千賀)、伏見扇太郎(大石主税)、
1956.01.15 15巻 4,136m 151分 イーストマン・カラー


★赤穂浪士(1961東映・京都撮影所)
製作・大川博、企画・坪井与、辻野公晴、玉木潤一郎、坂巻辰男、監督・松田定次、脚本・小国英雄、原作・大仏次郎、撮影・川崎新太郎、音楽・富永三郎、美術・川島泰三、録音・東城絹児郎、照明・山根秀一、
配役・片岡千恵蔵(大石内蔵助)、中村錦之助(脇坂淡路守)、東千代之介(堀部安兵衛)、大川橋蔵(浅野内匠頭)、丘さとみ(お仙)、桜町弘子(お咲)、花園ひろみ(桜)、大川恵子(北の方・瑤泉院)、中村賀津雄(伝吉)、里見浩太郎(上杉綱憲)、松方弘樹(大石主税)、柳永二郎(柳沢出羽守)、多々良純(佐吉・蜘蛛の陣十郎)、尾上鯉之助(武林唯七)、明石潮(原惣右衛門)、戸上城太郎(小林平八郎)、阿部九州男(片田勇之進)、加賀邦男(赤垣源蔵)、原健策(猿橋右門)、長谷川裕見子(千代)、花柳小菊(おりく)、青山京子(楓)、千原しのぶ(浮橋太夫)、木暮実千代(おすね)、大河内伝次郎(立花左近)、近衛十四郎(清水一角)、山形勲(片岡源五右衛門)、薄田研二(堀部弥兵衛)、進藤英太郎(多門伝八郎)、月形龍之介(吉良上野介)、大友柳太朗(堀田隼人)、★市川右太衛門(千坂兵部)、
1961.03.28 12巻 4,122m 150分 カラー 東映スコープ



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by sentence2307 | 2017-12-30 09:44 | Comments(0)

前回、「岸辺の旅」の感想を書き進めながら、自分がこの作品に対して、かなり低い評価しか持っていないことが徐々に分かりはじめたとき、そのことが、かえって自分でも、とても意外でした。

この作品を鑑賞する前に、世間では既に定まっていた「高評価」が、自分にはどうにも気に入らず、ただ「そのこと」の反発だけで自分の真意を歪めてしまったのではないかと。

それはいまでも他人から評価を押し付けられたり、決めつけられたりすることをもっとも警戒し嫌悪している自分ですので、そう考えれば、あながち無理のない選択ではなかったのかもしれないのですが、ときには極端な「勇み足」というものも、ないではありません。

なにせ、根が「へそ曲がりの天邪鬼」ときている自分です、そういった心にもないリアクションを思わず採ってしまい、内心「しまった」と反省しながらも、もはや訂正できないまま「誤った立場」を固辞しなければならなくなり、心ならずもその「誤った立場」を正当化するという詭弁を積み上げていって、自分をどんどん窮地に追い込んでいくという苦い経験を幾度も繰り返してきているので(仕事の場でもです)、その辺は十分に注意している積りですが、今回もまた「それ」をやらかしてしまったのではないかと、この一週間にあいだ、年末の事務処理に追われながら、忸怩たる思いで、ずっと考え続けてきました。

つまり「岸辺の旅」の感想が、「高評価」に対する反発からの詭弁の積み上げにすぎなかったのではないか、と。

しかし、いくら考えても、あの作品「岸辺の旅」の妻・薮内瑞希と夫・薮内優介の実像が、自分にはどうしても見えてこなかったのです。

彼らが、かつての生活のなかで積み上げてきたはずの具体的な「愛憎の機微」、生活していくなかで彼らがお互いに対して持ったはずの「ブレ」と違和感みたいなもの、つまり生活史の実態が全然見えてこないのです。

その果てにあったはずの失意や絶望が見えなければ、夫がどういう思いで失踪し、生きている間は決して妻の元には帰ろうとせずに、誰も知らない土地で絶望のなかで野垂れ死んでいったのか、この「不意の失踪」や「かたくなな放浪」や「身元を放棄した絶望のなかでの野垂れ死に」にこそ、夫・薮内優介の意思がこめられているとしたら、それらすべては、妻・瑞希を苦しめるための当てこすりのような「憎しみ」だったのではないかと。

そういう鬱屈を妻に打ち明けたり弁明したりすることもなく、無言のまま失踪したそのこと自体に妻は深く傷つき、彼にとって自分とはいったい何だったのかと苦しみ、その死さえ知らされずに無視されたことに対して憤ったに違いありません。

こういうことすべてが、世俗にまみれて暮らす人間のごく普通の(誰もが経験するはずの)愛憎の感情なら、あの映画で描かれていた夫婦は、なんと生活感のない無機質なただの人形にすぎなかったのか、と。

その意味では、たぶん、あの小文にこめた違和感は、自分の真意を正当に反映したものだったと思います。

そして、自分のなかにあの作品に対する「真の反発」があったとしたら、それは、妻・瑞希が、亡霊となった夫・優介に最初に出会うシーンの、出会いの感動や憎しみや恐怖を欠いた無機質さに対してだったかもしれません。

このことを考え続けてきたこの一週間、自分の気持ちの中には、つねに溝口健二の「雨月物語」の最後の場面、源十郎と妻・宮木の美しい再会の場面が占めていました。

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by sentence2307 | 2016-12-23 10:21 | Comments(0)

容疑者Xの献身

学生時代には、誰よりも突出して成績が良かったようなヤツが、社会に出てから思わぬ不遇をかこっている噂などを聞かされると、社会で生きることの厳しさを、つくづく思い知らされることがあります。

人それぞれに持って生まれた性格や、他人との付き合いのうえでの天性の気配りのセンスとか、世渡りの上手下手など、学生時代にブイブイいわせた「点取り技術」だけではどうにもならない部分での世間の評価は厳しく、学生当時、クラス一番の秀才だったヤツが、いまではウダツの上がらない万年外回りの営業マンなどにこき使われてうんざりした汗をかいているなんていう話は、自分も含めて結構ザラに聞く話だと思います。

「容疑者Xの献身」における湯川と石神の関係を眺めながら、なんだかそんなセチガライことを考えてしまいました。

見るからに御清潔感溢れる好青年・誰からも等しく好意をもたれる恵まれた天才・湯川と、見かけも貧相で、うまい世渡りもできず、世に入れられず失意を抱えながら社会に押し潰されるように息をひそめて俯いて生きる数学の高校教師・不遇な天才・石神との対比が、やはりこの映画を見るうえでのダイナミズムといえるかもしれません。

しかしこの二人、それにしても、どうしてこうも生きる方向性が違ってしまったのでしょうか。

大学時代、偶然に出会った彼らは、ともに学問を孤独に愛する共通の明晰さを理解しあい、そして深い絆で結ばれながらも、湯川は大学教授という社会的な地位を得たのに、石神は不遇のなかで絶望しながら生きるという不運にみまわれています。

この理不尽なギャップについて、僕たちが、極力妬みや反撥心などの雑念を抑えながら、もし、客観的に、「あいつと俺とは、いったい何が違うんだ」という純粋な疑問をつきつめていっても、きっと明確な答えを見つけ出せないまま、結局は、この映画で描かれているような破滅的な成り行きを辿らざるを得ないのだとしたら、それも随分疲れる運命論で決め付けられてしまうのだなあとイササカうんざりしてしまいました。

天才数学者でありながらウダツのあがらない高校教師にあまんじている石神哲哉のように、結局社会に対する怒り(この場合は、犯罪の加担というカタチになりますが)にしかつながらないとしたら、なんという絶望的なシチュエーションかと、胸がツカエ、息詰まるような遣り切れない気持ちだけが残ってしまいました。

多くの推理ものの映画から得られる独特のスカッとしたものが得られなかったのは、こうした重々しいテーマが挟み込まれていたからかもしれませんが、しかし、どうもそれだけでもなかったような気もします。

映画を見たあとで、いつも自分がよくやるのですが、感想をひねり出そうとして訳が分からなくなったときは、一歩さがってこんなふうにラディカルな問いを自分に課してみます、「この映画に本当に感動したか?」と。

自分が、果たして「容疑者Xの献身」という映画に本当に感動しただろうかと問われてみれば、改めて、それは多分「しなかった」と答えると思います。

権力に寄り添う「良き天才」が、「悪しき天才」の完全犯罪を頭脳によって突き崩すという頭脳ゲームをスポーツのように楽しむのなら、湯川の中途半端さを際立たせないような、どこまでも能天気なスポーツ感覚の向日性の描き方が必要だったのではないか、という気がします。

天才の作った難問を、もう一人の天才が解明すること(たぶんこれだけなら、「遊び感覚」の範疇で語られるべきものです)が、同時に相手を窮地に追い込むことを認識しながら「そう」せずにはいられないことに関して、当の湯川教授はどう考えているのか、あらゆる不正は解明されなければならないし、裁かれ、そして断罪されなければならないのだという正義感と倫理観に凝り固まった偏執に囚われているわけでもなさそうな湯川教授が、なぜ、偽りの罪に服そうとしている石神哲哉の「嘘」を更に暴き、もうひとつの殺人まで暴く必要が果たしてあったのかが理解できませんでした。

湯川のその「冷徹さ」は、石神哲哉が隣家の主婦・花岡靖子のアリバイ工作のために、名もなきホームレスを冷静に殺してしまう「冷酷さ」と同質のもののような気がします。

それでもシャーロック・ホームズみたいに、見過ごしても全然気にならないようなゲーム感覚で物語が語られるのならともかく、生々しい生活臭(虐げられた者の怨念みたいなものだと思います)が、この映画では、あまりにも前面に現れすぎてしまっていて、スポーツ感覚では済まされない遣り切れない思いにさせられるのが、ひとつの理由だったかもしれませんし、さらにもうひとつ、この映画でどうしてもひっかかるものがありました。

石神哲哉が命に掛けて守ろうとした隣家の主婦・花岡靖子です。

別れたDV亭主に付きまとわれ、相変わらずの暴力に苦しめられたすえに、思い余って主婦・花岡靖子は、暴力亭主の首をコタツのコードで絞め殺してしまいます。

この成り行きを偶然に知った石神哲哉は、以前から花岡靖子に思いを寄せていたこともあって、彼女の苦境を完璧なアリバイを創作することで救おうとしますが、最初のうちの花岡靖子は、石神哲哉のアドバイスのとおりに動くものの、次第に指図されることに苛立ちを募らせたすえに、こんなふうにキレてしまいます。

「これじゃあ、以前とちっとも変わってない、亭主が石神哲哉に代わっただけじゃないの」と。

しかし、このセリフは明らかに変です。

DV亭主が、彼女を理不尽な暴力によって苦しめ続けたのに対して、石神哲哉はただ彼女を助けようとしているだけなのです、石神の恋情を知ったために、それが彼女には同じように「重たいだけの拘束」としか感じられなかったとしたら、身に降りかかった状況というものを一切考慮しよしとしない身勝手な女の感情的な言葉にすぎず、ストーリーはこの一言によって完全にぶち壊されるという、これは随分絶望的な状況なのではないかという気がしました。

もしかしたら、彼女は最初から石神の救助など必要としなかったのかもしれない、この凶行から、娘の関与を外すことさえできれば(父親の腕には、抵抗を封じた娘の指の痕跡が痣としてくっきりと残っていました)、彼女だけなら最初から自首する積りだったのだろうか。彼女は、どこまで石神哲哉の思いを受け入れようとしたのか、結局なにひとつ分かりませんでした。

これは、石神哲哉の思いに対する花岡靖子の拒絶の物語なのかという袋小路にまで行き着いて、ついに「感想」は迷宮に迷い込んでしまいました。

(2008東宝)監督:西谷弘、製作:亀山千広、企画・大多亮、エグゼクティブプロデューサー・ 清水賢治、畠中達郎、細野義朗、プロデュース・鈴木吉弘、臼井裕詞、プロデューサー・牧野正、和田倉和利、プロデューサー補・大西洋志、菊地裕幸、脚本:福田靖、撮影:山本英夫、音楽:福山雅治、菅野祐悟、照明・小野晃、美術・部谷京子、整音・瀬川徹夫、録音・藤丸和徳、編集・山本正明
出演:福山雅治、柴咲コウ、北村一輝、松雪泰子、堤真一、ダンカン、長塚圭史、金澤美穂、益岡徹、林泰文、渡辺いっけい、品川祐、真矢みき、
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by sentence2307 | 2009-08-30 10:00 | Comments(0)
バンクーバー映画批評家協会賞が発表されました。

作品賞:『サイドウェイ』
監督賞:クリント・イーストウッド『ミリオンダラー・ベイビー』
主演男優賞:ジェイミー・フォックス『レイ』
主演女優賞:イメルダ・スタウントン『ヴェラ・ドレイク』
助演男優賞:モーガン・フリーマン『ミリオンダラー・ベイビー』
助演女優賞:ヴァージニア・マドセン『サイドウェイ』
外国語映画賞:『ロング・エンゲージメント』(フランス)
ドキュメンタリー映画賞:『華氏911』
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by sentence2307 | 2005-01-21 23:06 | Comments(0)
全米監督協会(Directors Guild of America)に所属している会員が最優秀監督を選ぶ、全米監督協会賞のノミネートが発表されました。

選出されたのは、やはりマーティン・スコセッシ監督(アビエイター)をはじめ、クリント・イーストウッド監督(ミリオン・ダラー・ベイビー)、マーク・フォスター監督(ネバーランド)、テイラー・ハックフォード監督(レイ)、アレクサンダー・ペイン監督(サイドウェイズ)の5名でした。

この中から最優秀監督賞が1月29日に行われる授賞式で発表されます。

 過去56年の歴史のなかで、全米監督協会賞受賞者がアカデミー賞監督賞に輝いたケースは50回。

今回のノミネートの中では、イーストウッド監督が93年に「許されざる者」で受賞、ハックフォード監督は82年の「愛と青春の旅だち」でノミネートされています。

そして、これまで「タクシー・ドライバー」、「レイジング・ブル」、「ギャング・オブ・ニューヨーク」などで過去に5回全米監督協会賞にノミネートされ、そしてアカデミー賞に4回ノミネートされている巨匠スコセッシ監督に、いまだ受賞経験はありません。

ちなみに、この時期に、幸先のよいこんなニュースが入ってきました。

マーティン・スコセッシ監督がレオナルド・ディカプリオとともに、フランス最高の文化勲章を授与されたというニュースです。

スコセッシ監督は、40年の映画キャリアを称えられ、1802年にナポレオン皇帝が創設したレジヨン・ドヌールを受賞し、ディカプリオも文化勲章を受けたそうです。

スコセッシ監督は、「このような名誉を受け、とても光栄で言葉が見つからない」と感激し、「50年代後半から60年代、70年代にかけてのフランス映画は、私にとって大いに刺激となった」とコメントしています。
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by sentence2307 | 2005-01-13 00:18 | Comments(1)
AFI(アメリカン・フィルム・インスティテュート)が選ぶ年間トップ10作品が発表されました。


『アビエイター』(マーティン・スコセッシ監督)

『コラテラル』(マイケル・マン監督)

『エターナル・サンシャイン』(ミシェル・ゴンドリー監督)

『Friday Night Lights』(ピーター・バーグ監督)

『Mr.インクレディブル』(ブラッド・バード監督)

『Kinsey』(ビル・コンドン監督)

『Maria Full of Grace』(ジョシュア・マーストン監督)

『Million Dollar Baby』(クリント・イーストウッド監督)

『Sideways』(アレクサンダー・ペイン監督)

『スパイダーマン2』(サム・ライミ監督)
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by sentence2307 | 2004-12-13 23:47 | Comments(23)
戦前から戦後にかけて喜劇王の名をほしいままにした斎藤寅次郎作品、そして美空ひばりの出世作ということで長い間見るのを楽しみにしていた映画です。

やっと見ることかができました。

というのも、山田洋次監督が「男はつらいよ」の主役・車寅次郎を命名するにあたって斎藤監督を強く意識したに違いないと思い込んでいたことや、そのほか折にふれ、その自由奔放な卓越したギャグの数々をまるで伝説のように伝え聞いていたからでした。

しかし、実際の作品を見て、本質的な部分で山田作品への影響はないと感じました。

山田洋次のもつ湿度のあるヒューマニズムでは、このハチャメチャでアナーキーなブラックユーモアをカバーするには、どうしても限界があると思います。

むしろ、人間をもっと辛辣に見据えた川島雄三や北野武に繋がるのではないかなと思いました。

この作品の中には、貧しいアパートの子供たちや浮浪児など実に数多くの子供が描かれており、そのなかの1人として母を病気で亡くした身寄りのない少女・美空ひばりが描かれています。

映画の前半は、流しの川田晴久が押し付けられた子供をどうやって体よく棄てるかを算段する描写に費やされ、そこには、自分の生活にさえも窮しているのに、なおも背負い込まなければならない子供をあからさまに厄介者と忌避する時代的な感覚が存在します。

チャップリンの「キッド」とは本質的に異なるものがあります。

「人間愛」という立場があるとするなら、しかし、その人間認識、社会認識をあまりにも甘すぎると冷笑し、あえて、シビアなブラックユーモアをことさらに描きつくそうとする失意や絶望から苛立ちや憤りに至る感情の在り方というものもまたあり得るのだなと、何となく分かってあげたくなる気がします。

賞金欲しさにひばりを誘拐する榎本健一演ずるにせ易者も、冷静に考えれば不気味な存在ですよね。

斎藤寅次郎監督は、「男はつらいよ」シリーズが日本映画史上空前の大ヒットを始めた頃、長年称してきた「寅次郎」をやめ、本名の「寅二郎」を使うようになったということです。
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by sentence2307 | 2004-11-06 11:54 | Comments(4)