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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:高峰秀子( 9 )

このところ、立て続けに書評欄に取り上げられていて、少し気になっていた本がありました。

そして、ここにきて、ついに「日本経済新聞」の書評欄(2016.7.10)にも取り上げられて、やっぱりいま話題の本だったのかと、遅ればせながら認識した次第です。

その書名は、「兵士のアイドル」(押田信子著、旬報社刊、2200円)。

戦時中に、前線で戦う兵士たちのための慰問雑誌が刊行されていたとかで、海軍の肝いりで作られたのが「戦線文庫」、そして陸軍は「陣中倶楽部」という娯楽雑誌だそうです。

「戦線文庫」のグラビアには、現在のアイドル雑誌さながらに映画女優のポートレートで埋め尽くされ、原節子、田中絹代、高峰三枝子、李香蘭といった大スターたちが、妖艶なポーズで掲載されていて、たとえば、1938年の創刊号のグラビアでは、ロングドレスに着物と服装は華やかな、そして扇情的なポーズの写真も多く掲載されていたと書かれています。

「これが戦時下の雑誌かと驚いた。」と書評氏(梯久美子)は驚嘆を込めて書いていますが、軍隊(陸・海軍)が、最前線で戦う明日をも知れぬ兵士たちの慰問のために作った雑誌なのですから、当然お色気たっぷりの娯楽に徹した雑誌だったろうなということは容易に想像できます。

あの朝鮮戦争の最前線にヘリで颯爽と降り立ち、疲れた兵士たちを慰問したマリリン・モンローのあの悩ましい腰つきと笑顔に見入る兵士たちの熱狂を思い浮かべれば、「これが戦時下の雑誌か」などと、なにもカマトトぶって驚く振りをするには及びません。

兵士たちは、明日もまた、ことの善悪など超えた凄惨な戦場に赴き、自分が殺されるよりも先に敵を殺さなければならないぎりぎりの修羅場に身を置かねばならないのですから。

この書評を読んでいくうちに、この本の論点は、どうも「兵士のアイドル」などにあるのではなく、「政治と金」ならぬ「軍隊と金」の問題を追求しているらしい「そっち系」のお堅い本であることが分かりました。

素直に「兵士のアイドル」をネタにした芸能雑誌だと早とちりして購入したミーハーの読者(当然自分もその中のひとりです)には、きっと、この鬱陶しい真摯な内容に遭遇して、突然脳天を鉄槌で勝ち割られ、脳髄を打ち砕かれるくらいの驚きと恐怖に見舞われるかもしれません。まさに鼻血ブーならぬ「脳髄ブー」であります(ずいぶん古い)。

書評氏もその辺のところは気にしているみたいで、限られた書評欄にしては、かなりの比重を割いてこの「軍隊と金」の解説に当てています。その部分を以下に引用して、紹介してみますね。

《この「戦線文庫」は海軍の肝煎りで生まれた雑誌で、軍部が監修し、一括して買い上げていたと知って再度驚いた。

制作費は国民からの慰問金である恤兵金から拠出されていたという。

「戦線文庫」とともに部数と内容の充実度で群を抜いていたのが、一年遅れで創刊された陸軍慰問雑誌「陣中倶楽部」である。

本書はこの二誌を詳細に読み解きながら、国家が国民を動員する手段として、女性たちの美や性的魅力をどのように利用したかを明らかにしていく。

女優や歌手だけでなく、ルポや小説、座談会などで雑誌に登場する女性作家にも「美」が求められたという指摘(美貌だった真杉静枝は海軍に重用され特別な待遇を受けていた)も興味深い。

一方で、慰問雑誌の背景にあった恤兵金に注目し、陸海軍の恤兵部が大衆の支持を得るために銃後で行っていた文化動員についても、これまでになかった視点から考察している。

終戦と同時にこの二誌は消え失せ、国会図書館にも保存されていないという。

それを掘り起こして分析したことは、戦時のメディア研究の空白部分を埋める意義があるが、それ以前に読み物としても魅力的である。》

この解説が事実なら、この本の書名は、せいぜい「日本の軍隊と消えた恤兵金」とするくらいの誠実さは示すべきだったかもしれません。

しかし、そんなお堅いタイトルにしたら、いまの時代、本なんか売れるわけがなく、それでなくたって、いま電車の中で、本を開いて読んでいる人の姿など、まったくの皆無といってもいいほど見かけることもなく、もはや書名を工夫したくらいでは、この深刻な出版不況は止められません。

ナチスは、焚書をして「有害書物」の徹底的な絶滅を図りましたが、いまの日本なら、そんなことをしなくたって、すでに誰もが知的好奇心を失ってしまっていて、せいぜいスホマの見出しを読むだけですべてを分かってしまった気になり、それだけで十分満足し、好奇心などさっさと完結して萎んでしまうというのが実態なのです。

早晩、本なんて死滅してしまいそうな勢いの、まさに危機的な状況といえます。

ですので、これが「兵士のアイドル」という書名なら、少しは希望が持てるかもしれません。

アイドル・オタク(どちらかというと、「自分」もそうかもしれません)が「総選挙」のためとか勘違いして10冊くらいは爆買いしてくれないとも限りませんしね。

しかし、やっぱ、この著者、「内容に偽りあり」のタイトルをつけることに少しは気後れしたのか、僅かながらの芸能人のエピソードを挿入することは忘れませんでした。

それはこんな具合です。

《国策に利用されたアイドルたちではあるが、では兵士たちとの心の交流が偽りだったかというとそうではない。彼女たちは誌上に慰問文を書き、戦場からは熱烈な便りが届いた。誌面はアイドルと兵士が交流するメディア空間だったのである。

死を覚悟した前線の兵士から、ブロマイドが送られてきたという高峰秀子の話が紹介されている。ずっと胸ポケットに入れていたが、ともに戦場で散らすのは忍びないので送り返すとの手紙が添えられていたそうだ。豊富なエピソードのひとつひとつから、戦争の時代を生きた若者たちの貌が見えてくる。》

個々の検証もすることなく、一応に女優たちを「国策に利用された」と決め付ける荒っぽい粗雑な言い方には、思わず「ムッ」とくるものがあって反感も覚えますが、しかし、最初から「女優」を将棋の駒のようにしか考えられないような人ならば、それも仕方のないことかもしれません。

「利用された」などと、映画人だってまったくの木偶の坊じゃないのですから、正確にいうのなら、むしろ、「国策」に群がった女優たちや映画人たちくらいには書くべきだったと思いますし、いずれにしても、そんなことは言い方の問題にすぎず、そもそもが取るに足りないことだと思っています。

「軍部」が権勢を振るった時代が去れば、「利用」された映画人も、「群がった」映画人も、ともに、さっさと見限り、次の権力者である「民主主義」に取り入っただけの話で(歴史が証明しています)、いかなる時代の権力者に対しても適当に調子を合わせながら、映画人は「撮る自由」を守ってきたのだということを理解できないと、やれ「転向した」だの、「裏切った」だの、「矛盾している」だの、つまらない道義心とかに振り回され、「勘違い」を犯して、晩節を汚す醜態を演じなければいいのですが。

この書評の無味乾燥な文章から、いままさに「死を予感した兵士」がスターにブロマイドを返送する行為と、「スター・高峰秀子」が無残に汚れた自分の写真を兵士から受け取るその無残な関係性について、どれほどの「真実」が読み取られているか、この書評に対して自分は少なからず苛立ち、そして疑心暗鬼になってしまったかもしれません。

おそらく、兵士は、「高峰秀子」を、自分にとってかけがえのない夢の象徴、不可能な「未来」や「希望」に代わるものとしたかったにちがいなく、そして、女優・高峰秀子にとっては、戦場から何百・何千と送り返されてくる自分のブロマイドひとつひとつに染み込まれた兵士たちの死の影に覆われた思いの重みに押し潰されないはずがありません。

高峰秀子は、「わたしの渡世日記」に、その苦しい思いを刻みつけるように記しています。

《「今日まで、貴方の写真を胸のポケットに抱きつづけてきましたが、共に戦場で散らすに忍びず、送り返します。よごしてしまって済みません・・・。一兵士より」

支那事変から大東亜戦争の終わりまでの間に、私は何百通、何千通の手紙を前線の兵士から貰ったけれど、ほとんど返事を書いた記憶がない。返事を書こうにも、相手の住所も名前も書いてない手紙が多かったからである。今、思えば、それらの手紙の一通一通は、まるで遺書のようなものであった。「日本国 高峰秀子」の七文字だけで、私のもとに届いた軍事郵便に驚くよりも、そんないいかげんなあて名で、果たして届くか届かぬかも分からない手紙をしたためる兵士たちの、やりきれなく、うつろな寂しさを思うと、あの膨大な数の軍事郵便を、なぜ大切にしまっておかなかったのかと悔やまれる。

私には、身内から戦死者を出した経験はないけれど、私のブロマイドを抱いて、たくさんの兵士が、北の戦地を駆けめぐり、南の海に果てたことを知っている。

慰問袋から飛び出した私のブロマイドは、いつも歯をむき出してニッコリと笑っていただろう。兵士たちは、私の作り笑いを承知の上で、それでも優しく胸のポケットにおさめてくれた、と思うと、私もまた、やりきれなさで身の置きところがないような気持ちになる。おそらく、私の映画はもちろんのこと、私の名前さえ知らぬ農民兵士の手にも、ブロマイドは渡ったことだろう。彼らは、どこの馬の骨かわからない、見ず知らずの少女の顔を背嚢にしょって幾百里も歩き、そして死んでいった・・・もし、そうだとしたら、何と悲惨な青春ではないか。》(「わたしの渡世日記」血染めのブロマイド)

この高峰秀子の文章には、戦場における兵士たちの絶望を、そして彼らのことをなにひとつ知りもしない薄っぺらな作り笑いをしているだけの自分が、そのたった一枚の写真を大切に抱いて死んでいった若者たちの無残な死に対して、「申し訳なさ」を、苦渋の言葉で綴っています。

戦場で死んでいった若き兵士の胸のポケットで、「歯をむき出してニッコリと笑っていた」自分の空しい作り笑いの醜悪さを、嫌悪を込めて書いています。

筆者が、ことさらに採用したこの「ブロマイドを返送してきた兵士のエピソード」の意味するところは、「ブロマイドの返送」という行為に、当時の若者たちの遣り場のない無残な思いを、ことさらに強調したかったからでしょうが、果たしてその「効果」が意図したとおりにあったかどうか、残念ながら、効果は随分と的外れなものとして終わってしまったのではないかというのが、自分の感想です。

死を目前にした兵士たちは絶望し、疲れ果て、あるいは、ブロマイドを「女優」に送り返したかもしれません。

しかし、写真を抱いて死のうが、送り返そうが、その悲惨な死に様にとって、なにほどの違いがあったといえるでしょうか。

「返送」を悲惨と感じるのは、平和な内地にいて安穏と暮らすドラマ好きの人間たちの妄想にすぎません。
そこに「ある」兵士たちの悲惨は、やはり些かも変わるものではなかったことを、「女優」になりきれなかった少女は見抜いています。

そして、少女は、「女優」を演じ切れなかったことで、兵士たちの思いを受け止められなかったことに傷つき、そこにある自分の醜悪さを嫌というほど思い知ったとき、「女優」として生きることの本当の意味に気がついたかもしれません。

からっぽの人間になって、それが失意のなかで死んでいく若き兵士のポケットの中であろうとなんだろうと、いかなる荒廃も意に介さず、馬鹿みたいに「歯をむき出してニッコリと笑って」みせることだと。

不世出の名女優・高峰秀子の誕生の瞬間(人間性を失うことが「演者」の真髄だと発見した)を、見てしまったような錯覚に捉われました。
by sentence2307 | 2016-07-28 13:21 | 高峰秀子 | Comments(6)
少し前のことですが、京橋のフィルム・センターで、「女優・高峰秀子」と題して彼女が主演した作品を大々的に組んで、特集放映をしていたことがありました。

そこでは彼女の主演した代表作のほとんどが上映されてしまったのではないか、と思われるくらいの壮大な規模の上映会だったことを鮮明に記憶しています。

そのとき、ふと感じたことですが、タイトルにわざわざ「女優」などとアエテ被せるその念の入れ方に、少なからず違和感を覚えたことを記憶しています。

そのときは虫の居所が悪くて、ナンダッテ、高峰秀子が、女優以外の何者だというのだ、という突っ込みを入れたい気分だったのかもしれません。

しかしその疑問も、その後、多くの書物から得た情報によって、高峰秀子という人物とその生い立ちを知るにつれ、あえて「女優」と駄目押すことの意味の深さに、だんだんと納得していく自分に気がつきました。

いままで映画史を飾った多くの高名な女優たちとの比較で考えると、高峰秀子という人物がきわめて特異な生い立ちを経て独特な人生観を形成し、それが「女優」という職業観に反映されていることが分かります(「私の渡世日記」です)。

その微妙さを明確に表現するためには、あの「女優・高峰秀子」というネーミングは、まさにその核心を直裁に突く極めて理にかなったものだったのだと感心しました。

自分の意思に関係なく、すでに幼い頃から子役として「女優」(時には男の子を演じさせられたとか)であることを強いられた彼女には、最初から「女優」になることに対して過度な憧れや幻想、そして歪んだ思い入れを持つことなどありませんでした。

たぶん彼女は、撮影所において泣けと指示されれば、目薬をさして監督の要求に応えたでしょうし、笑えと命じられれば、顔面の筋肉をそれらしく動かして、スクリーンを見つめる観客の期待したとおりの爽やかな笑顔を作ることができたに違いありません。

しかし、それは仕事だから、彼女は「そう」したにすぎないのであって、その根底には、「悲しくもないのに泣けるものか」「可笑しくもないのに、誰が笑えるものか」という極めて真っ当な、常識人の価値観に基づいた判断もまたうかがうことができたでしょう。

僕が読んできた多くの書籍には、女優らしからぬ彼女のこうした醒めた感じ方に対する「撮影所のお驚き」が、随所で発見することができました。

たとえば、長く東宝の宣伝部にいた斎藤忠夫が書いた回想録「東宝行進曲―私の撮影所宣伝部50年」(昭和62年2月刊)には、こんな一文が記されています。

「私はまだ駆け出しの三ン下奴、新人宣伝マンなので、さしたる責任のある仕事も与えられず、頼まれ仕事もないときには、中央広場の芝生の上でいろいろなことを教わり、習い、多くのスタジオ用語や隠語をおぼえた。
たまには高峰秀子(通称デコちゃん)のお相手を命ぜられ、芝生のまわりで鬼ごっこなんかをやったりした。
高峰デコちゃんは松竹から移籍して、話題作「綴方教室」などの人気アイドルスターである。
たいへん鋭い洞察力のある少女女優だと思った。
人の気持を見ぬいてズケズケと物をいうコワイ女の子。
自分をスター扱いしたり、またファン気質で近寄ったりする人はあまり内心好まなかった。
その点、私みたいな、ボンクラなにぶい男にはつき合ってくれていた。
これは後年になってずいぶんと助けになった。」

この一文には、あまりにも異なる撮影所と実生活とのギャップのなかに呑み込まれまいと格闘し、バランスをとろうとする女優・高峰秀子と、その影の部分で虚名に引き裂かれまいとする一人の孤独な少女な葛藤が綴られています。

「女優」という虚名に呑み込まれまいとするその必死さは、ときとして、浮かれて当然とする風潮の撮影所の雰囲気のなかでのその距離のとり方は、ずいぶん「醒めたもの」という印象で受け取られたかもしれません。

しかし、ここで見逃してはならないのは、「何者からも侵されまい」とする彼女の本音です。

幼い彼女が、苛酷な家庭環境と、そして、つねに仮面を求められる撮影所との板ばさみになりながら、「女優」をあくまでも仕事として突き放し、距離を保ちながら、「自分」というものを必死に守ろうとしてきた自己防衛の姿が、斎藤忠夫のエピソードには明確に表現されていると思いました。

ではなぜ、いまこんなことを考えたかというと、なんか最近、ネットを開くと、沢尻エリカ嬢のあられもない画像に頻繁に遭遇することが多く、見ているうちにふと感じたことが、以上のことでした。

ファンから変な持ち上げ方をされて、すっかりその気になり、自分を大女優だと思い込み、そして起こした一連の「思い上がり事件」のあと、所属事務所を解雇された孤立無援の彼女が、はたしてこれから映画の世界に復帰できる途はあるのか、いまアラレモナイ画像をばら撒いて必死にアピールする姿勢が、たとえ下品な挑発と捉えられようが、彼女にしてみれば、これが精一杯のラブコールなのであって、ここが正念場なのかもしれませんが、しかし、あの舞台挨拶の情景を思い出すたびに、たとえいま復帰できたとしても、それはあくまでカリソメなものにすぎず、その先は見えているような気がしてなりません。

すっかり「女優」に成り切り、自分を見失って、別人格を生き始めてしまっている勘違い女の彼女には、役を「演じること」と実人生を「生きること」との違いが分かるまで、女優としても人間としても、「復帰」するのは、まだまだ遠いことかもしれませんね。
by sentence2307 | 2010-08-01 10:59 | 高峰秀子 | Comments(8)

高峰秀子

今年の3月にキネマ旬報社から刊行された「高峰秀子」を手に入れました。

その本の中には、佐藤忠男の「高峰秀子はどんな役をどう演じたか」が収載されていると知ったので、ぜひ読んでみたいと思ったからです。

自分としては、いままで佐藤忠男の映画評論から、計り知れない影響を受けてきたので、見過ごすことはできません。

僕が映画を意識的に見始めた当時、それまで、映画批評というのは、ただ「あらすじ」を紹介するだけのものだと思い込んでいましたし、それ以上のもの、例えば蓮實重彦に代表されるような、知識をひけらかす韜晦の技術に長けただけの、退屈にして高邁な映画評論(「高邁」が「退屈」とイコールのような映画批評など、どれほどの価値があるのか、きわめて疑問です)など、僕の肌には合うわけもありません、そうした何が言いたいのかさっぱり分からないような映画批評というものにも失望していた時期に、佐藤忠男の映画批評群に出会いました。

「斬られ方の美学」、「黒澤明の世界」、「日本映画思想史」、「小津安二郎の芸術」、「大島渚の世界」、「ヌーベルバーグ以後」、「長谷川伸論」、「忠臣蔵 意地の系譜」、「二枚目の研究」など、どれもが卓越した着想に満ちていて、ひたすら感心して読みふけった記憶があります。

この人は、映画というものが、本当に好きで好きで堪らないのだ、という磁力のようなものがあって、強烈に僕をひきつけました。

たとえばそれは、マニア以外はちょっと近寄りがたい淀川長治的な映画好き以外は寄せ付けないような排他的同好会みたいなものとも、あきらかに異なった孤高的な佇まいを感じさせ、あるいはその論理の立証の仕方がことごとく自分の生活に根ざしていて、決して唐突な「ひけらかし」の臭さを感じさせなかったのも、自分には好ましく感じられたのかもしれません。

後年、佐藤忠男の書いた自伝的な読み物を読んで、佐藤忠男が映画業界の出身者でないどころか、工業高校を出て、国鉄関連の仕事に就きながら、映画へのあこがれを捨てきれずに、少しずつ映画評論を映画雑誌などに寄稿して、映画ジャーナリズムの世界に入るチャンスを掴んだことを知りました。

映画へのあこがれを持ち続け、生活のためのカタギの仕事につきながら映画への思いを熟成させた結実が、「斬られ方の美学」には満ち満ちており、「このことを書きたい」という熱い思いが、そのまま映画批評に結実している充実感を感じました。

そして、その独特の映画批評の手法について、自分なりにベラ・バラージュの方法論を模索して敷衍させたことが記されていたことを記憶しています。

佐藤忠男の映画評論を読んだとき、映画評論というのは、このように書けばいいのかと「目からウロコが落ちた」思いがしたものでした。

今回キネマ旬報社から刊行された「高峰秀子」のなかに収録されている論評「高峰秀子はどんな役をどう演じたか」は、この本の性質上、当然なのでしょうが、高峰秀子の賛美の姿勢で書かれたものという印象を持ちました。

そのことについては、決して違和感はありませんし、高峰秀子の偉大な業績を納得しながら読んだ論評でした。

しかし、その中でただ一本の作品についてだけ、めずらしく否定的に記述されている作品がありました。豊田四郎監督の「雁」に対してです。

佐藤忠男は、「お茶目を超えて自我の確立を目指す役どころで日本の女優の先頭を切っている高峰秀子が、なぜ、ひっそり妾宅をかこわれたまま何も言えない憐れな女?と腑に落ちなかったところである。」と、日本女性のオピニオンリーダーの役柄を一貫して演じ続けてきたのに、女性を隷属的に描いたようなあの「雁」という作品にどうして出演なんかしたのだ、とまで言っているような気がしました。

そして、さらに、こんなふうに論証しています。

「じっさい、戦争中の『綴り方教室』や『秀子の車掌さん』あたりから始めて、戦後の『花ひらく・真知子より』『カルメン故郷に帰る』『稲妻』『カルメン純情す』と、とびとびながら続いている高峰秀子ならではの作品の流れを一貫しているのは、日本の女が職業的な自立と精神的な自己の確立を目指して試行錯誤を繰り返しながら、前進していく姿である。
しかもそれを、「花ひらく・真知子より」のようなインテリ女性の場合はそれ一本くらいにして、主として貧しい階層の、多くは賢い女だが、ときには無知な女を含めての試行錯誤の試みとして描いていることである。
誰かが意図してそういうコースを設計したのかといえば、たぶんそうではないだろう。
高峰秀子という非凡な女優の存在が、監督たち、脚本家たち、プロデューサーたちにそんなイメージを与えたのだ。
あるいは、ファンにそれを求めさせたのだ。
そういう役柄の流れからすると、いまさら妾宅に囲われて何も言えない女なんて、他にそういう女優はたくさんいるじゃないか・・・というのが私の感想である。」

こうした書き方の良し悪しはともかく、ここには佐藤忠男という映画批評家の高い倫理性と、そうした役柄を演じる女優にその一貫性までをも求めるということが記述されているのだろうと思います。

しかし、こうした思い込みは、女優にそれほどの役柄を選択できる自由があるのかという意味で考えるとすれば、容易に失望させられてしまう可能性の高いちょっと不用意で一方的な懸想にすぎないような気がします。

それともうひとつ、僕がそのように感じたそもそもの根底には、佐藤忠男が嫌悪感をあらわにした豊田四郎の「雁」が、それほどまでにどうしようもない作品たったのかという点にも引っ掛かるものがあり、しかも、この本の冒頭を飾る「高峰秀子自薦13作」のなかに、その「雁」のお玉が選ばれていることも、なんだか皮肉なものを感じました。

これは、観客の深刻な思惑とはもっと違う次元で「女優にそれほどの役柄を選択できる自由があるのか」という実態を、もっと自由気侭に捉えていた高峰秀子という人の生き生きとした実像が表現されているように感じました。

ひいては、高峰秀子が「女優」という職業をどう考えていたのかということにも繋がっていくことなのかもしれません。

まったく同じことを感じた以前に書いたものを、参考に、以下に再録しておきますので読んでください。


2005.11
高峰秀子の独占インタビューが掲載されている「キネマ旬報」9月上旬号というのを買い忘れていたのに気が付いて、あわてて図書館の購読予約に登録したのは、まだ暑い盛りの頃でしたから、昨日図書館の人から電話があったとき、何のことだか咄嗟には分からなかったのは、当然だったかもしれません。

それくらい予約してからの時間が経ちすぎていました。

僕に順番がめぐってくるまで、なんと季節が変わってしまうくらいですから、きっと、物凄い数の予約が入っていたのだろうと思います。

それだけで高峰秀子の人気の高さが分かります。

きっと、「成瀬巳喜男生誕100年」の影響もあるのかもしれませんが、ほかの女優たちとは明らかに違う、「高峰秀子」という女優らしからぬ女性のもつ魅力が、そこにあるからだろうと思います。

インタビューのなかで、「浮雲」の雪子を演じたあと、女優をやめようと思ったという発言が繰り返しでてきます。

それまで自分が演じてきた役(意志の強い道義的な女性)とは、あきらかに違うひとりの男にこだわり続けて破滅していく女という役が自分には相応しくないからだと発言しています。

しかし、いまにして思えば、「雪子」を男にだらしなく、ただふしだらな女という解釈で演じていたら、(そういうタイプを演じることのできる女優なら、もっと相応しい女優がたくさんいたと思います。)こんなにも僕たちを感動させることも、また映画史上の残る不朽の名作の地位を得ることもなかったでしょう。

まず高い道義心が描かれなければ、雪子が、処女を捧げた「はじめての男」にこだわり続けるという「一途さや健気さ」の意味も、きっと見つけにくくなってしまうかもしれません。

高峰秀子は、ここで演じられた雪子に、「二十四の瞳」の大石先生となんら変わらない女の「なにか」を見つけてしまったのだと思います。

気高い女教師も、さいはての島でのたれ死ぬ元売春婦も、なんら変わらない貴賤を超えた女の本質的な「なにか」を。

女優という職業にどっぷりと浸かりこんで自分と女優の境界線がなくなってしまう女性が多いなかで、高峰秀子という人は、「女を演じる」という本質を分かっていたクールな人だと思います。

そこが彼女の魅力です。

図らずもこのインタビュー記事のなかで最も傑出している箇所もそういう部分でした。

(抜粋)
―そのうちボックス席に2人で向かい合わせになって、眠っている加山さんの顔を見ている高峰さんの目に、いかにも若い義弟をいとおしく可哀相に思う心情が。そして涙を流すじゃないですか、高峰さんが。

高峰  そうだった? 忘れちゃった。

―ああいう場面は演じていて思わず感情移入して自分も悲しくなるということはないんですか。

高峰  ないです。芝居です、芝居。

―でもああいう時の涙は本物の涙?

高峰  うーん・・・。まあ、あんまりないね。目薬だな。

―ハぁー。

この絶妙な受け答えが、高峰秀子の魅力を余すところなく言い表していると思います。

物凄くシャイで、自分の気持ちを決して人前には晒さない、まさに「目薬」で悲しみを演じたと言い放つ高峰秀子にとって、「女優」とは本当に天職だったのかもしれませんね。
by sentence2307 | 2010-07-19 07:44 | 高峰秀子 | Comments(1301)

花つみ日記

ずっと以前からこの「花つみ日記」という作品が気にかかって仕方がありませんでした。

というのは、この作品の高峰秀子の演技について、多くの人たちから、「さすが大女優の片鱗をうかがわせる見事な演技だ」というような(月並みな、といってしまうと語弊があるかもしれませんが)賞賛の言葉をよく耳にしたからでした。

しかし、その褒め言葉は、一見高峰秀子という女優を持ち上げているかのようでいて、実のところ、この作品で見せている彼女の繊細な演技(「演技」という括りでは収まり切らないものがあることを後述します)を、かえって無視し、否定してしまっているのではないかと思わせるものがあったからかもしれません。

更にいえば、そうした賞賛は、結果的に贔屓の引き倒しみたいなものになっているのではないかという思いにとらわれていました。

ただ、この思いはちょっとだけ込み入っているので、上手に整理して、正しく伝えなければ、かえって自分の本意から掛け離れたものになり、もしかしたら女優・高峰秀子に対する誹謗中傷みたいになって、そうなれば、多くの高峰秀子の熱烈なファンの人たちから誤解され反感をかうことにもなるし、なによりも僕自身そんな結果を望んでいるわけもなく、そんなことになるくらいなら、そして正確に伝える自信がつかなければ、いっそ最初から黙っているべきこととヒトリで決めていました。

それは、なによりも彼女の大ファンである僕自身が納得していることでもあったので、この作品の感想を組み立てることをミズカラにずっと封印してきたつもりでした。

もとより僕としても、考えの整理がつかなければ、沈黙し続けることになんら苦痛はありません。

最初から「高峰秀子は大女優である」ということに対してナンラ異議などないのですから、これでいいのだと赤塚不二夫みたいな気持ちでいました。

そういうわけで、僕にとってこの「花つみ日記」という作品は、長い間感想を書くことを自らに禁じた、いわば封印された作品だったといえます。

しかし、その後、年を隔てて何回か見る経験を重ねていくうちに、自分の中の思いが徐々に成熟し、整理されてきたような気がします。

その何度目かの鑑賞のとき、天啓のように降ってきた思いがありました。

それは、僕たちの見ている「花つみ日記」の芸者置屋の娘・篠原栄子を演じる高峰秀子は、本当に、後年の「浮雲」や「二十四の瞳」を演じたあの高峰秀子と同一人物なのだろうかという思いです。

変な言い方ですが、このフレーズを思いついたおかげで、「大女優の片鱗」という言葉に対して長い間感じ続けてきた違和感を氷解させることができました。

僕たちは、いつの間にか、この映画の中の高峰秀子を、「浮雲」や「二十四の瞳」を演じた女優・高峰秀子を見るのと同じ視点でもって見てしまっているのではないか。

この「花つみ日記」は、ふたりの女学生が、些細な気持ちの行き違いから親交を失い、そのことに苦悩し、破綻しながらも、やがて誤解が解けて友情が再生するという物語です。

ストーリーに引き込まれ、見たあとの感動は確かにありましたが、なぜかそれに伴う後味のよさ(「終わり良ければすべて良し」みたいな爽やかさ)を感じることは、どうしてもできませんでした。

それは、この物語に、友情の再生くらいでは回復できそうにない深刻な現実が描かれているからかもしれません。

女学生・篠原栄子(高峰秀子)は、芸者置屋の娘です。

陽気な性格で、誰とでもすぐに打ち解け、友達もたくさんいます。

しかし、東京からきた転校生・みつる(清水美佐子)に出会ったことで、彼女がそれまでの多くの友達と必ずしも心から打ち解けていたわけでないことが描かれています。

自分のなかにあっても表面に出せなかった共通のものを、物静かなみつるにみつけてすぐに共鳴し、親友になります。

そして、芸者置屋の娘であることを明かした栄子は「自分は芸者になんかならない」とみつるに真摯に告白します。

まったく違う世界に生きるみつるに自分の将来の可能性を見出した栄子の痛いほどの喜びが描かれているように感じました。

それは、東京に残ったみつるの兄が自分の好物「切山椒」をわざわざ送ってくれたという好意に対して、応召するという見も知らぬ彼のために、雨のなか病をおしてまで「千人針」を求めて立ち続けるという報恩の行為に、栄子がそうした愛情にかつえていたというよりも、将来に希望の持てる「世界」への憧れの表れと受け取りました。

ささいな行き違いからみつるとの親交が絶たれたとき、絶望した栄子のとった選択が、「舞妓」になることだったのが、そのことをよく表していると思います。

溝口健二なら、この将来を立たれた栄子の絶望と、自分は芸者になるのだという負の決意の姿を、もっと捨て鉢に雄雄しく描き上げたかもしれないと思えてきました。

あの映画「花つみ日記」のなかで、僕たちが強く惹かれる高峰秀子の、大写しされるあどけないあの美しい戸惑いの表情を、「浮雲」や「二十四の瞳」につながっていく「演技」として、これくらいは演じられて当然という確信のなかで見過ごしてしまうのは、間違っていると思っています。

そういう思いで、スクリーンに映し出されるまだ幼さの残る彼女の表情を見つめていると、「演技」の部分がどんどん剥げ落ち、アタカモ、見えない将来に戸惑いおびえる思春期の不安気な15歳のひとりの少女が立ち上がってくるように感じました。

自分の行く手にどのような将来が待ち受けているのか、それは「演技」の歯止めを超え、カメラを見つめる高峰秀子のナマの眼差しとなって、自分がどのような女優になれるのか、いや、そもそも、これから先ずっと、女優としてやっていけるのかどうかと訴えかけてくるような錯覚におちいります。

なんの気負いもなく「普通」に演じることの困難は、すでに多くの優れた演技者たちによって言い尽くされていることではありますが、親友から罵声を浴び、絶交を言い渡され、とっさに弁解する言葉もないまま、悲しげに呆然と去っていく親友を見送ります。

親友を失って絶望した彼女は、目を伏せ唇を噛み締めてくやしそうに自分に言い聞かせます「やはり自分は、素人のなかでこの世界では生きていけない。自分は芸者になる定めなのだ」と。

(1939東宝京都)製作・青柳信雄、監督・石田民三、脚本・鈴木紀子、原作・吉屋信子『天国と舞妓』、撮影・山崎一雄、音楽・鈴木静一、美術・河東安英、録音・俣野八男
出演・高峰秀子、葦原邦子、清水美佐子、進藤英太郎、伊達里子、大倉文雄、三条利喜枝、花沢徳衛、林喜美子、御舟京子、松岡綾子、三邦英子、三田進、山田好良、伊井吟子
1939.10.21 日本劇場 8巻 1,996m 73分 白黒
by sentence2307 | 2010-05-04 11:08 | 高峰秀子 | Comments(118)

愛の世界 山猫とみの話

高峰秀子が問題児(少女)を演じる教育映画ですが、1943年という戦時下に作られていることを考えると、施設内で喧嘩した子供たちを諭す四辻院長の、「今、戦争に参加していないのは君たちだけだ。一日でも早く更生して、御国の役に立てるようにしっかりしなさい」というその言葉は、いま聞くと随分と複雑な思いにさせられます。

「子供を守ることは、国を守ることだ」という国策メッセージの向こう側にあるものは、やがて子供も貴重な戦闘員として戦地に送り込もうという意味も含まれているのでしょうからね。

この作品で久しぶりの主役を張っている高峰秀子には、「山猫」と呼ばれるほどの「凄み」は感じられず、まあせいぜい、ちょっと内気な子といったくらいのおとなしい印象です。

幼いときに父親を亡くし、7歳で母親とも死別した少女・小田切とみ(高峰秀子)は、荒川千造という曲馬団の男に引き取られますが、こき使われるうちに強情で粗暴な振る舞いが目立ち始め、気に入らないと何ヶ月も無言でいたり、また逃避を繰り返すなど「山猫」と呼ばれる16歳の問題児となっていきます。

少年審判所から引き取り人となった施設の山田先生(里見藍子)は、とみとともに列車を乗り継ぎ、ようやく地方の山の中にある少女専用施設の付近まで連れてきたところで、あやうくとみに逃げられそうになる場面も用意されています。

そして施設に入所してからも、とみは周囲に馴染もうとせず、言葉さえも一切発しないという頑なな態度に、入所者たちの反発を買うようになります。

そんなとみに、特別な愛情を注ぐ山田先生の態度が、さらに他の入所生たちの反発を募らせてしまいます。

ことあるごとに入所生たちの反発を受けている山田先生の苦悩を、たまたま夜中に盗み聞いたとみは、ある日、常日頃から彼女に辛くあたってきた女生徒が、山田先生に当てつけがましい反抗的な態度をとったのを見て、我慢できず彼女を殴りつけて気絶させると施設から逃亡してしてしまいます。

施設では、四辻院長(菅井一郎)が、大急ぎで、逃亡の知らせを各所に連絡します。

しかし、当のとみは、列車の走る様子を丘から見ている内に気分が晴れ、そのまま楽しい気分で山の中を彷徨い歩いていました。

やがて、夜が訪れ、恐ろしい思いで一夜を過ごしたとみは、翌朝、とある山小屋を見つけます。

忍び入ったとみが囲炉裏にかかっていた粥を夢中になって啜っている内に、この家の住人らしき幼い兄弟が戻ってきます。

このあたりは、どこかで聞いたような話です。

勘一(小高つとむ)、勘二(加藤博司)というその兄弟は、母親を亡くし、猟師の父親松次郎(進藤英太郎)が権次郎という熊をしとめに出かけている間は、二人きりで留守番をしていたのでした。

健気な二人の様子に、ようやく心を開き、言葉を取り戻したとみですが、やがて、小屋にあった食料も食べ尽くし、やむなく村から食料を盗み出したりします。

こうした事態を憂慮した駐在(永井柳筰)や山田先生は、応援を率いて、山狩りをすることになりました。

逆境に生きる少女が人々の愛情によって健やかに更生して行く過程を描いた感動策です。

そろそろ「少女」の殻が窮屈ななりかけてきた微妙な年齢になって、このまま女優業を続けていくことができるのか、迷いの中で演技をしていた頃の映画だったのでしょうか。

(43東宝映画)(製作)藤本真澄 (監督)青柳信雄(原作)佐藤春夫、坪田讓治、富澤有爲男の合作小説(脚本)如月敏、黒川愼(撮影)伊藤武夫(特殊撮影)円谷英二(美術)中古智(編集)長沢嘉樹(音楽)鈴木靜一(調音)長谷部慶治(照明)佐藤快哉(現像)西川悦二(演出助手)市川崑(演奏)東宝映画管弦楽団
(出演)高峰秀子、小高つとむ、加藤博司、里見藍子、三谷幸子、谷間小百合、田中筆子、一の宮敦子、加藤照子、高津慶子、羽島敏子、広町とき子、相川路子、河野糸子、豊原みのり、西垣シズ子、泉つね、菅井一郎、進藤英太郎、永井柳作、下田猛、清川莊司、矢野島ひで子、下田猛、清川荘司、鈴木左門、榊田敬二、山形凡平、築地博、松林久晴、渡草二、長島武夫、尾上栄二郎、 (11巻2556m,93分・35mm・白黒)
by sentence2307 | 2007-02-06 22:28 | 高峰秀子 | Comments(4)
電車の長距離通勤がそれほど苦ではないのは、きっとある程度まとまった読書ができるからだと思います。

家にいて、たっぷり時間があっても、本を読む気になかなかならないのは、やたらと別の誘惑が多からかもしれませんね。

まず、だいたいは映画を見てしまいますし、次には普段は買い込むばかりで、ろくに聞かないで溜め込んでしまったCDを片っ端から聴きまくるなんて方に優先的に時間を割いてしまうからでしょうか。

だから、読書くらいしかすることのない軟禁状態の電車通勤は、かえって本当は貴重な時間なのかもしれません。

いままでも、普通なら気後れするくらいの長い小説や取っ付きにくい難解な本など、一応読了できたというのも、あの「軟禁状態」があったからだと思います。

そんなわけで、読む本が途切れないように、いつも「次に読む本」を机の脇に置いています。

時間のない出勤前に慌ただしく適当に選んだ本がつまらなかったときなど、時間を無駄にしてしまったなあと後悔することが結構ありましたから。

しかし、この「適当に選ぶこと」で思わぬ収穫にあずかることも、たまにはあるのです。

あるとき、慌ただしい出勤前に、その辺にあった高峰秀子の執筆した文庫本を鞄に突っ込んで家を出たことがありました。

それは、「いっぴきの虫」というタイトルの、高峰秀子が親交を深めた著名人について書いた人物評みたいな著作です。

ずっと前、この本について書かれた書評を読んで以来、この本の読む気をすっかり失っていました。

いわく、「有名人との交際を自慢気に書いた鼻持ちならない本」みたいな書評です。

別に僕としては、著名人との交際を自慢気に書くことに対して偏見はありません。

別にいいじゃないかとという感じです。

むしろ、下卑た嫉妬に満ちた悪意だけのそうした書評(まあ、はっきり言えば、この本は、「私はこれだけの有名人の知り合いを持っている」といった感じの単なるヨイショ的な自慢本だと言う非難でしょうか。)に嫌悪感を覚えましたし、そんなものを平然と掲載した雑誌編集者の見識も疑います。

そういうことなら、つまり罪が本にないなら、この「いっぴきの虫」を読んでもよさそうに思われるかもしれませんが、一旦ケチをつけられた本に向かう気の重さが、僕にはクリアできませんでした。

これが、いままでこの本を遠ざけていた理由です。

さて、前置きが長くなりました。

この本を読んで得た「思わぬ収穫」というのを書きますね。

電車に乗り込んで、「いっぴきの虫」を取り出してざっとページを繰ってみてみました。

いちばん面白そうな部分から読んでしまうのが僕の行き方なので、まずは「美味しいところ」から入っていきます。

数々の著名人の名前の羅列の中に「『二十四の瞳』の子役たち」というひときわ目立つタイトル(字数の多さで)がありました。面白そうです。

文庫本のページにして20ページに満たない短さですから、たとえ詰まらなくて、そのときはすぐに止める積りで読み始めました。

前半は17年振りに会った「二十四の瞳」に出演した子役たちと思い出を語り合う楽しそうな座談会です。

しかし、あれこれの懐かしい思い出話のあとで、不意に、アメリカ人夫婦の養女になって渡米したひとりの少女のことに話が及んだところで、この座談会は不意に途絶えます。

高峰秀子のこんな述懐とともに。
「あの子は日本が好きだったのよ。アメリカへ行っちゃって・・・。私、なんだか可哀想なことしちゃったみたい。」

高峰秀子のこの述懐には、映画の中で肺病を病んで物置小屋で死んでしまうコトという幸薄い役を演じた少女の像と、アメリカへ貰われていった寂しげな実在の少女の面影とが、高峰秀子の贖罪の思いの中でほとんど区別されることなく語られているからでしょうか。

母をなくし、面倒見切れなくなった少女の父親から相談を受けて、養子を探していたアメリカ人夫婦に少女を紹介した高峰秀子が、なぜ罪の意識を持ったのかというと、きっとその独り残された孤独な少女が、母親のぬくもりを自分に求めていたことが分かっていたからではないかという気がします。

高峰秀子は、こんなふうに書いています。

「ねえ、コトやん。小石先生も小さいときお母さんが死んで、新しいお母さんのところに貰われてきたのよ。
でも、そんなことは、たくさんたくさんあることなの。
自分だけがこんな悲しい目に遭うなんて思っちゃ駄目よ。
生きているお母さんをお母さんだと思って元気に暮らすのよ。
小石先生だってホラ、こんなに元気でしょ。
コトやん。もう七つだもの、分かるわね。
新しいお家へ行って、うんと勉強してアメリカへ連れてってもらって元気に暮らす? 
東京にいる間は小石先生も遊びに行くし、寂しくないと思うけど・・・」
私は、自分が何を言っているのか分からなくなってきた。
涙でガラス窓がにじんで見えた。
コトやんは、じっと前を見詰めてまばたきもせずにコックリコックリとうなずいていた。


ここには、この少女の薄幸さと共鳴する高峰秀子という女優のクールさの秘密、つまり、こんなふうに他人を拒んできた彼女の生き方が、その贖罪感と共にありつづけていたことが、はからずも語り尽くされているのかも知れませんね。
by sentence2307 | 2005-11-26 12:09 | 高峰秀子 | Comments(113)
高峰秀子の独占インタビューが掲載されている「キネマ旬報」9月上旬号というのを買い忘れていたのに気が付いて、あわてて図書館の購読予約に登録したのは、まだ暑い盛りの頃でしたから、昨日図書館の人から電話があったとき、何のことだか咄嗟には分からなかったのは、当然だったかもしれません。

それくらい予約してからの時間が経ちすぎていました。

僕に順番がめぐってくるまで、なんと季節が変わってしまうくらいですから、きっと、物凄い数の予約が入っていたのだろうと思います。

それだけで高峰秀子の人気の高さが分かります。

きっと、「成瀬巳喜男生誕100年」の影響もあるのかもしれませんが、ほかの女優たちとは明らかに違う、「高峰秀子」という女優らしからぬ女性のもつ魅力が、そこにあるからだろうと思います。

インタビューのなかで、「浮雲」の雪子を演じたあと、女優をやめようと思ったという発言が繰り返しでてきます。

それまで自分が演じてきた役(意志の強い道義的な女性)とは、あきらかに違うひとりの男にこだわり続けて破滅していく女という役が自分には相応しくないからだと発言しています。

しかし、いまにして思えば、「雪子」を男にだらしなく、ただふしだらな女という解釈で演じていたら、(そういうタイプを演じることのできる女優なら、もっと相応しい女優がたくさんいたと思います。)こんなにも僕たちを感動させることも、また映画史上の残る不朽の名作の地位を得ることもなかったでしょう。

まず高い道義心が描かれなければ、雪子が、処女を捧げた「はじめての男」にこだわり続けるという「一途さや健気さ」の意味も、きっと見つけにくくなってしまうかもしれません。

高峰秀子は、ここで演じられた雪子に、「二十四の瞳」の大石先生となんら変わらない女の「なにか」を見つけてしまったのだと思います。

気高い女教師も、さいはての島でのたれ死ぬ元売春婦も、なんら変わらない貴賤を超えた女の本質的な「なにか」を。

女優という職業にどっぷりと浸かりこんで自分と女優の境界線がなくなってしまう女性が多いなかで、高峰秀子という人は、「女を演じる」という本質を分かっていたクールな人だと思います。

そこが彼女の魅力です。

図らずもこのインタビュー記事のなかで最も傑出している箇所もそういう部分でした。

(抜粋)
―そのうちボックス席に2人で向かい合わせになって、眠っている加山さんの顔を見ている高峰さんの目に、いかにも若い義弟をいとおしく可哀相に思う心情が。そして涙を流すじゃないですか、高峰さんが。

高峰  そうだった? 忘れちゃった。

―ああいう場面は演じていて思わず感情移入して自分も悲しくなるということはないんですか。

高峰  ないです。芝居です、芝居。

―でもああいう時の涙は本物の涙?

高峰  うーん・・・。まあ、あんまりないね。目薬だな。

―ハぁー。

この絶妙な受け答えが、高峰秀子の魅力を余すところなく言い表していると思います。

物凄くシャイで、自分の気持ちを決して人前には晒さない、まさに「目薬」で悲しみを演じたと言い放つ高峰秀子にとって、「女優」とは本当に天職だったのかもしれませんね。
by sentence2307 | 2005-11-05 09:07 | 高峰秀子 | Comments(0)
ある時ふと、高峰秀子の演技の魅力が、独特のクールさにあるのではないかとなんとなく思い浮かびました。

例えば、木下恵介作品のなかの高峰秀子は、運命に翻弄され続けるような耐える母=女という先入観があって、一生を通して忍び泣く女という印象がなんとなくあるのですが、改めて思い返してみると、望月優子や三益愛子が演じたタイプとは明らかに違う印象を受けます。

いわば、役柄にべったりと張り付いているように演じる望月・三益ペアに比べると、「高峰秀子」と「演じる役」との間には、もう少し距離感のある冷気を感じます。

ものすごい悲運にみまわれ、ぼろぼろに傷つき、悲嘆に打ちのめされて、ひと時は崩折れるように倒れ込んでも、高峰秀子が演じる女なら、どのような運命にも甘えることなく、その倒れた場所から厳しくゆっくりと立ち上がるに違いないという強い印象があります。

もっと正確に言うなら、いわば襲い掛かる運命や悲しみに打ちひしがれるという演技の中に「演ずる」という自己陶酔の部分が欠けている分だけ、どこか醒めた芯の強い強靭な女という印象の客観的な「冷静さ」です。

その距離感は、例えば、演じる役によっては、それが「ふて腐れる」という印象に繋がる場合もあるかもしれません。

それが僕の言う「クールさ」なのですが、その突き放したような冷静さを感じさせる距離感とはいったい何なのか、というのが長い間の僕の疑問でした。

高峰秀子の自伝「わたしの渡世日記」を読むと、傑出した女優・高峰秀子の演技の秘密が、この1冊に書き尽くされているように思えます。

まるで他人を見透かすような、鋭く醒めた皮肉な観察眼に晒される人間の偽善が、ドキッとさせられる表現によって焙り出される、そんな箇所に出会って驚かされますが、それを本人は、物心がつく前から子役として撮影所で多くの大人を見て育ったからだと述懐しています。

しかし、ただそれだけでは、あのようなあらゆる物事を客観視できる覚めた眼を獲得できるとは思えません。

この自伝には、実父が事業に失敗し、一家離散のかたちで兄弟が方々の親戚へ養子に出されることから始まり、やがて、女優として成功した彼女の収入を頼りに多くの親戚が寄宿するなかで、唯一の稼ぎ手として彼女が働き続けたという生い立ちの悉くが書き込まれています。

それは、ここまで書いてもいいのかというくらい、過激なほどに露悪的で辛辣です。

しかし、そのような荒削りの自伝が僕たちに深い感動を与えずにはおかないのは、例えば収入を得るための単なる「仕事」にすぎないと思っていた女優を続けるなかで、皆にいいように食い物にされているという屈折した思いを演技を通して吐き出そうとした女優・高峰秀子というひとりの女の「人間宣言」が描かれているからだと思います。

そして、もうひとつは、「実の親ではない」・「実の娘ではない」という思いを抱えながら、ただひたすら破綻に向かう危うい親子関係を、「金銭」によって維持せざるを得なかった歪んだ義母との関係でしょうか。

肉親という「しがらみ」から自由であることのぞっとさせられるような孤独が、高峰秀子という女優を「家庭的なもの」から限りなく隔たらせ、そのコンプレックスの投影としての演技に、あの独特のクールさをもたらしたのだと感じました。

例えば、「わたしの渡世日記」のなかで、義母との不自然な親子関係が破綻の兆候のひとつのように描かれている最初の衝突場面は、このように描かれています。

《翌朝、朝食の卓に向かい合った母はひどく不機嫌だった。

「きっと高価なダイヤモンドを買ったことが気に入らないのだろう」私はすぐピンときた。

母は、私が何か言うのを期待してジリジリしていた。

しかし私は何も言わずに食事を終えると、「行ってまいります」と母に声を掛けて廊下に出た。

私が一言でもそのことに触れたが最後、簡単にことがすむはずがない。

私は職場に出がけに嫌味を言われるのがいちばん嫌だった。

いったん、二階の部屋に戻って脚本を持ち、廊下に下りるのと、母が奥の茶の間から玄関に走り出てくるのがほとんど同時だった。

母はやにわに玄関脇に置かれた大きな肘掛け椅子を持ち上げると、玄関の三和土にしゃがんで靴を履いていた私めがけて椅子を投げた。

私の体はそれを避けようとして玄関のガラス戸に倒れ掛かって大きな音を立て、尻もちをついた。

その私の上に甲高い母の怒声が降ってきた。

「親の私がダイヤをするなら話は分かる! 娘の分際で、お前は! 買ったダイヤモンドを持ってこい!」

母は悲鳴に近い声を上げながら、私に掴み掛かろうとして、足袋はだしのまま三和土に飛び降りた。

その瞬間、誰かが母にむしゃぶりついた。

私の実父の錦司であった。

錦司は痩せこけた二本の腕で母を羽交い絞めにして、「志げ! 志げ!」と、泣き出しそうな声で叫んだ。

母は、興奮のあまり訳の分からない悲鳴を上げながら、なおも錦司の腕を振り放そうとしてもがいた。

母の吊り上った目尻は青々と冴え、私を見据える母の目は、娘を見る母の目ではなく、ただ、女を憎む女の目だった。

一瞬棒立ちになった私は、パンパンとスカートをはたくと、身を翻して表へ走り出た。》
by sentence2307 | 2004-12-05 08:45 | 高峰秀子 | Comments(113)

チョコレートと兵隊

この作品は「銃後の守り」を宣伝する時局映画として作られた1938年東宝作品で、長らくアメリカに没収されていた作品として知られているものだそうです。

物語は、ある日召集令状が届いて、大陸の戦線に送られた釣り好きの印刷工・藤原釜足は、戦地にいても子供が集めていたチョコレートの包み紙を送り続けていますが、あるとき、戦地からのチョコレートの包み紙が届くと同時に、父の戦死の報ももたらされるというもので、多分、日本人研究用の教材として使われていたらしということなのですが、最近発見されて国立近代美術館フィルムセンターの収蔵フィルムの一本として加わった幻の国策映画だそうです。

この作品を観たフランク・キャプラが、

「このような映画に我々は勝てない。こんな映画は10年に1本作れるか作れないかであろう。大体役者がいない」

という意味不明のコメントが残されているそうです。

「戦意高揚映画」として優れているという意味なのか、それとも、戦意を高揚させる意図がまったく感じさせないあたりを皮肉っているのか、市井に生きる小市民の生活を淡々としたタッチで描いた佳作といえるかもしれないけれども、果たしてこの作品が子供向けに作られたのか大人向けの作品なのか、一体誰が主人公なのか、チョコレートの贈り物が届いた時点で終わりにすべき不思議な作品だという、そういう意味で述べたのか、いろいろな解釈があるそうです。

この作品で高峰秀子は印刷所の娘・田辺茂子の役を演じました。


【参考】  日中戦争(満州事変、日華事変)における著名な軍国美談
爆弾三勇士
1932年(昭和7年)の第一次上海事変において、敵の鉄条網を破壊するため3名の工兵が爆弾を持って突入して爆死したとの報道がされ、「爆弾三勇士」「肉弾三勇士」と呼ばれて熱狂的な反響を呼んだ。
遺族への多くの恤兵金が集まり、天皇からの祭粢料も賜われた。
報道から1か月ほどの間に8本の映画が作られ、明治座で舞台劇『上海の殊勲者三勇士』が演じられ、大阪毎日新聞と東京日日新聞の歌の募集では与謝野寛が1位となる。
3名の故郷の久留米と東京などで銅像も建立される。
子供の玩具や菓子の中にも、動く爆弾三勇士といったものや、爆弾キャラメル、爆弾チョコレートなどが売られ、銅像の模型が『少年倶楽部』の付録になった。
また三勇士の母達の逸話も伝えられ、賛美された。
銅像建立の際の募金には小学生10万人のものも含まれていた。
教科書には1941年の改訂で国語で採用され、唱歌教材にも「三勇士」が使われる。

空閑昇
空閑少佐は上海事変において悲壮な戦死を遂げたと報じられたが、実際には重傷を負って捕虜とされており、捕虜交換で日本側に引き渡された二日後にピストル自殺を遂げた。
このいきさつが「上海事変最大の悲劇」などと報じられ、これを題材とした映画が1932年に5本も上映された。

チョコレートと兵隊
前線にいた兵士が、慰問袋に入っていたチョコレートの包み紙を溜めて(100枚集めると板チョコ1枚と交換できた)、自宅の子供達に送ったが、その後いくばくもなく戦死した。
これが1938年(昭和13年)に新聞に掲載され、映画『チョコレートと兵隊』などが作られた。

杉本五郎
歩兵大隊長だった杉本中佐は1937年に、敵陣攻撃において戦死した。
この時は大きく取り上げられることは無かったが、死の直前まで書きつづっていた手記が翌年『大義』という題で出版されると、皇国への忠義を説く内容により、終戦までに100万部という大ベストセラーとなった。
杉本は軍神と呼ばれるようになり、山岡荘八『軍神杉本中佐』(1942年)を初め多くの伝記が出版された。

軍犬利根
満州事変における軍犬金剛・那智の2匹の活躍と死を描いた教材「犬の手柄」が1933年の国語教材、軍犬利根を育てた少女と利根の活躍を描いた「軍犬利根」が1941年の国語教材に使われた。

サヨンの鐘
1938年に台湾で日本人巡査が出征する際に、台風の中その荷物を運んだ原住民タイヤル族の少女サヨン・ハヨンが川に転落して死亡した。
1940年に台湾総督に赴任した長谷川清海軍大将がこの話を聞き、「愛国乙女サヨンの鐘」をサヨンの村に贈った。
これが全国的に報じられ、現地では高砂義勇隊募集の宣伝に利用された。
1941年には渡辺はま子の歌う「サヨンの鐘」が作られ、1943年には李香蘭主演で映画化された。

その他に日華事変で軍神あるいは模範的な軍人として扱われたものとして、戦闘機で戦死した南郷茂章少佐、「申し分ない典型的武人」として陸軍情報部によって顕彰された西住小次郎戦車長などがおり、秦賢助『軍神伝』(1942年)にまとめられている。
これらも伝記や映画で数多く取り上げられ、軍の依頼によって書かれた菊池寛『西住戦車長伝』(1939年)もある。

婦人雑誌では日中戦争開始以降、子供を戦死させた母親を讃える記事や、「軍国の母手紙集」などが掲載され、子供を戦地に送り出す母を歌った『軍国の母』(1937年)や、息子を戦死させた母が靖国神社を訪ねる『九段の母』(1939年)などがヒットした。

また従軍看護婦の記録である大嶽康子『病院船』(1939年)は文部省主推薦図書となり映画化もされ、宮川マサ子『大地に祈る』(1940年)には菊池寛が「聖戦に参加した女性の心の最もすぐれた記録」という推薦の言葉をよせている。

『主婦之友』では1938年に「婦人愛国の歌」「少年少女愛国の歌」作詞公募、『キング』では1939年に「出征兵士を送る歌」作詞公募なども行われる。


(38東宝東京) (監督)佐藤武(原作)小林勝(脚本)石川秋子(撮影)吉野馨治(美術)吉松英海(音楽)伊藤昇

(出演)藤原釜足、澤村貞子、小€€まさる、若葉きよ子、霧立のぼる、横山運平、生方賢一郎、若宮金太郎、一の瀬綾子、小西司郎、水谷史郎 (74分・35mm・白黒)


【参考文献】
★霧島昇と松原操 (ミス・コロムビア) 大全集 旅の夜風・三百六十五夜 : 生誕100年記念 : 永久保存盤 disc 4 (戦時歌謡-若鷲の歌・愛馬進軍歌-) 録音資料 霧島昇, 松原操 (ミス・コロムビア). 日本コロムビア, 2014.6 鷲の歌(2)月のデッキで(3)戦線への便り(4)婦人愛国の歌(抱いた坊やの)(5)弾雨の中から(6)チョコレートと兵隊(7)島の星月夜(8)兵隊さんよありがとう(9)愛馬進軍歌(10)元気で行こうよ(11)そうだその意
★子どもの文化研究レポート 鈴木紀子『チョコレートと兵隊』 : 戦時下映画と紙芝居の歴史研究のかなめ 堀田 穣  子どもの文化 45(2):2013.2 p.40-45
★戦時下日本映画の中の女性像--『チョコレートと兵隊』再検討 (特集 表象としての女性) 池川 玲子 歴史評論 / 歴史科学協議会 編 (708) 2009.4 p.46~60
★戦争の時代ですよ! : 若者たちと見る国策紙芝居の世界 鈴木常勝 著. 大修館書店, 2009.6 ―さあ、戦争をはじめよう!//5『拳骨軍曹』――勇敢な日本兵、卑劣な支那兵を打ちのめす!//19『チョコレートと兵隊』――優しいお父さんが戦死なさっても……//29『ガンバレコスズメ』――かわいい小雀も戦争のお手伝い
★映像文化とはなにか(14)「チョコレートと兵隊」という映画 佐藤 忠男 公評 42(9) 2005.10 p.98~105
★サトウハチロー記念館《歌謡曲・コロムビア戦前集》 録音資料 コロムビアミュージックエンタテインメント, 1993.11  原喜久恵)(2)うちの女房にゃ髭がある(高倉敏,久保幸江)(3)あゝそれなのに(神楽坂はん子)(4)チョコレートと兵隊(霧島昇)(5)青い部屋(淡谷のり子)(6)古き花園(二葉あき子)(7)夜のタンゴ(淡谷のり子)(8
★新聞集成昭和編年史 昭和13年度版 4 明治大正昭和新聞研究会 編集製作. 新聞資料出版, 1991.11
★小学五年生 20(8) 小学館, 1967-11 魔女めぐり わたしは魔女よ / 須藤輝雄 ; 菅原亘 / 154 (0079.jp2)心の花たば チョコレートと兵隊 / 倉光俊夫 ; 柳柊二 / 38 (0020.jp2)
★マレー血戦カメラ戦記 影山匡勇 著. アルス, 昭和18
★僕等の愛国競争 池田種生 著. 金鈴社, 昭和16
★戦ふ天使 横沢千秋 著. 女子文苑社, 昭和15
★映画と音楽 3(2) 雑誌 映画と音楽社, 1939-02
★革新 2(2) 革新社, 1939-02  (0116.jp2)インテリ兵士の手紙 相內俊雄君 / p219~221 (0116.jp2)「チョコレートと兵隊」の手紙 故齋藤辰次郞上等兵 / 馬杉俊男部隊長 / p109~115 (0061.jp2)從軍看護
★東宝映画 2(6) 東宝映画社, 1939-01 チョコレートと兵隊/島津保次郞 ; 五所平之助 ; 佐藤武 / p4~4 (0004.jp2)花柳章太郞氏と私・その他
★キネマ旬報 (669) 雑誌 キネマ旬報社, 1939-01 .jp2)日本映畫批評 曉の旗風 / 村上忠久 / p80~81 (0047.jp2)日本映畫批評 チョコレートと兵隊 / 村上忠久 / p81~81 (0047.jp2)日本映畫批評 唐人お吉 / 村上忠久 / p8
★新日本 (1月號) 新日本文化の会, 1939-01
★婦人倶楽部 19(14) 講談社, 1938-12
★愛国婦人 (93) 愛国婦人会, 1938-12
★子供のテキスト : ラヂオ 11(11);十一月號 日本放送協會 編. 日本放送出版協會, 1938-10
★東宝映画 1(12) 東宝映画社, 1938-10



by sentence2307 | 2004-11-28 10:28 | 高峰秀子 | Comments(0)